第二話 任務開始
イッシュ地方ヒウンシティ沿岸から10キロ程離れたとある無人島。
ポケモン達さえその姿をあまり見せないその孤島に一匹のポケモンが佇んでいた。
『ここも空間が歪んでいる・・・』
ピンク色の体色に青く透き通った丸い瞳。
『ここ最近異変続きですね』
――ミュウはフッと息をつくと顔を上げ、“異変”の中心点に目を向ける。
その瞳の先には、周囲のとは違う・・どこか歪んだ空間が広がっていた。
無人島に生い茂る森からひらけた場所、本来ならその先には崖が見えるはずだ。
しかしこの一部だけ歪んだ空間から見える光景は無人島とは似ても似つかぬ大都市のそれ。
まるで異空間に繋がっている窓を覗いているような感覚を覚える。事実、その通りなのだが。
『シンオウのコトブキシティ・・その光景ですね。やはり、空間の歪みがシンオウ地方とイッシュに繋がりを持たせている・・・』
パチン
ミュウが指を鳴らすと、何処からともなく一冊の手帳がその手に現れる。
『今年の満月島やトキワの森、クロガネシティでの空間歪曲現象に加え・・ここで3件目ですか。地方の差異に関係なく、ランダムに発生しているようですね』
手帳に丁寧に現象の記録を書き込んでいく。
『空間の神の力が弱体化している・・もしくは神がこの世界を去った・・?いや、まさか。そんなことはあり得ませんとも』
空間の歪み。そろそろ消滅時でしょうね。
世界中を周り過去に記録したデータの統計から、大よそこの現象の出現時間は1、2時間程度だ。
しかし、4年前から偶発的に発生しているこの怪現象は、その発生頻度も持続時間も飛躍的に高まってきている・・・。
今年だけで既に4度目だ。1年ほど前は年に1,2回程度だったと言うのに。
『発生回数もその持続期間も比例するように高まっている・・パルキアの身に何か起きているのでしょうか』
次の瞬間、空間の歪みが閉じていく。
ミュウが見守る中、発生した亀裂は完全にその姿を消した。
『・・・発生時間1時間48分、やはり10分間隔で時間が伸びている。・・それだけ世界中の空間が不安定だと言う事ですね』
パタン、と手帳を閉じるともう一度指を鳴らす。
手帳は再び何処かへと消えてしまった。
****
同時刻。一艇のモーターボートがこの孤島に急接近していた。舵を切るのは一人の少年。
「ここだね」
小型デバイスを片手にモーターボートを操るのは、ポケモンハンター、黒羽準である。
昨日入手したミュウの情報。この島に幻のポケモンが現れると言うのだ。
・・・ミュウか。
全てのポケモンの始祖と噂される、幻のポケモンの中でもトップクラスの知名度だ。
一説によれば人の言葉も話せるとか。
永き時を生きて、多量の知識を蓄えた小さき賢者であるとも伝えられている。
どちらにせよ、幻のポケモンの場所が特定できているんだ。みすみす見逃すわけにもいかないよね。
それに、ミュウなら何か知っているかもしれない。
僕の望みを叶える方法も・・・。
絶海の孤島にボートを寄せ、上陸できる地点を探す。
あった。浜辺だ。
ボートを一気に砂浜へと近づけ、エンジンを切って一気に跨ぐ。
「地図上では点にしか見えない孤島、か。こんな所にミュウが居るとは・・ある意味、人目が無くて合理的かもね」
どんな酔狂な理由でこんな島に居るのか知らないけど、PHCの手からは逃げられないよ。
何せ僕の所属するこの会社は探査衛星を持っているんだからね。
世界各地のPHC関係者から送られてきたポケモンの目撃情報は、衛星軌道上に存在する探査衛星『オクルス』に集計され、本部へと転送される。
表側は気象衛星と言う事になっているけど、人工衛星『オクルス』の実際の用途ポケモン達への高高度からの監視だ。
ある意味ブラック企業だね、うちの会社。まぁ待遇は良いけどさ。
・・・ミュウか。本当は個人的に捕まえたいポケモンだけど、PHCが先に情報を入手してしまっているのなら、従うしかないかな。
僕は雇われポケモンハンターに過ぎないし。
森の茂みに身を隠しつつ、多機能双眼鏡を覗き込む。
今付けているバイザーは主に熱探知が仕事、この双眼鏡は高倍率のズームアップが可能な優れものだ。
「居ないな・・」
姿を隠しているのか?いや、もう少し近づいてみよう。
音を立てないように静かに森を歩く。
用心深く双眼鏡であたりを観察していくと一瞬ピンク色の何かが端に映った。
「あれは・・」
木陰に身を隠すとズーム機能をオンにし、ジッと集中する。
「見えた・・!」
ピンク色の体色に細く、先端だけ丸みを帯びている尻尾。何より青く輝く宝石の様な瞳。
間違いない。幻のポケモン・・・ミュウだ!
ジュンの鼓動が高まる。ポケモンハンターになって早4年。
ポケモンスクールに通っている頃から秘密裏に活動していたが、幻のポケモンとは早々会えるわけじゃない。
希少種の一体が今、自分の目の前に居るのだ。
ハンターでなくても、ポケモンに関わる人間なら興奮をして当然だろう。
「ミュウ。今日は君の為に面白いモノを持って来たんだ」
独り言を呟きつつジュンは背中に背負っていたあるものを取り出す。
スナイパーライフルにも見えるそれは、ジュンの持つポケモン捕獲用武器『キャプチャー』を補助する為のアイテムである。
石化光を照射されたポケモンは瞬時に動きが封じられ、所謂『仮死状態』となる。しかし、この光線・・偏光しやすい性質を持っている。
なので長距離のポケモンに石化光を当てるのはなかなか難しい。
「ここでこのスナイピング装置の出番さ。これで誤差修正しつつキャプチャの光をミュウに当てる・・」
スコープを覗き込む。偏光の割合を自動で計算してくれる機能を最大限に利用すれば、ミュウに気づかれる事なく捕獲できる。
勿論、ポケモンバトルで倒してもいいんだけど、それではトレーナーと一緒だ。
・・そう、あの野生のポケモンで気に入ったのがあったら、手持ちポケモンを使っていきなり奇襲をした挙句に、半強制的にモンスターボールに幽閉し、その一連の行動を経て「仲間だ」と嘯く・・あの恥知らず達とね。
ポケモンハンターはその点は違う。僕達はポケモンを“強制的に”捕獲する行為を、間違っても“仲間にする”なんて言わない。
僕達は、依頼人から受けた仕事を完了させる。そしてその報酬を貰う。それだけだ。
そこに価値判断は無い。ただ掴まえて、売る。
善悪の基準何て介入させるから話がややこしくなるんだ。
ポケモンを掴まえたいなら掴まえればいい。
ポケモンを使役したいなら使役すればいい。
言い訳なんていらない。それをする資格はないのだから。ポケモンを勝手に捕まえて、勝手に使っている人間には。
「まぁ僕としてはポケモンを“狩る”のが好きなだけってのもあるかな」
ダイヤルを回しスコープの倍率を上げる。
ジュンの瞳がミュウの姿を捉えた。
「僕のものに」
トリガーを一気に引く。光速の一閃が、ミュウを貫いた。
ゴロン、と地面に石化したミュウが転がるのが確認できる。
「捕獲完了」
スナイピング用の補助機器を折り畳み、キャプチャーを腕に装着する。
僕は茂みから出ると、ミュウが落下した場所へと駆け寄った。
石化光の直撃を受けて、幻のポケモンは物言わぬ石像と化していた。
こうなったらどんなポケモンもお終いだね。動く事どころか、意識も石化している間は奪われているから・・。
「随分あっけなかったね」
僕は腰のホルダーからモンスターボールを一つ、取り出す。
「出てくるんだ、マンダ」
ボールからはドラゴンポケモンのボーマンダが飛び出す。僕の手持ちポケモンの一体だ。
ボーマンダだから「マンダ」。
安直なネーミングだけど、タツベイの頃から「マンダ」と名付けていたんだよね。
ボーマンダに進化させる事前提だったわけ。
石像と化したミュウを拾い上げる。自分の身に起こった事さえ、気づいていないだろう。
それがこの「キャプチャー」の優れた所だ。
仕留めた“獲物”をしげしげと眺める。
「・・・妙だな」
ジュンは何か異変に気付いたようで、顔をしかめた。
「これは・・」
バラッ。ジュンの手の中で、石像はその姿を留める事なく砂と化していく。
勿論、石化の影響ではない。
ミュウの石像は、今や手の中から零れ落ちる流砂となってしまった。
『ジュン』
「分かってるよ、マンダ。“みがわり”だね」
自分の体力の一部を削って、分身を作り出す技。これはミュウの分身体だ。
「成程ね。狙われているのに気が付いたのか」
バイザーをサーモグラフィーモードに切り替え、周囲を確認する。
奇襲に失敗した以上、この場に止まってはいないだろうが・・・さっさと見つけ出さないと『テレポート』されたら厄介だ。
石化光を分身へと移し替えた条件反射能力。ミュウが並大抵のポケモンではない事が伺える。
しかし『みがわり』が体力を削って使うリスクの高い技だ。
そして『テレポート』もまた高い集中力と精神力を要する高等エスパー技。
それを併用して使う事なんてまず不可能。
ならばミュウはまだこの近くに居る。どこかに潜んで機会を伺っているに違いない。
「ふん、随分姿を隠すのが上手いじゃないか」
サーモグラフィで探ってみても姿どころか尾っぽさえ見つからないとなれば、何か技で身を隠しているのかな。
なら、目には目を。ポケモンには、ポケモンを、だよ。
「出てくるんだ。ソル」
二つ目のモンスターボールを投げる。手持ちポケモンの一体、アブソルの登場だ。
『ミュウの位置を探るんだな?』
「ああ、頼むよ」
ポケモンの言葉の理解、つまりポケモン語は未だに完全には解明されていない。
勿論、ポケモン研究の言語学者達が今この時もこの“箱”を開ける事に勤しんでいるんだけど・・それでも全ては分かっていないのが現状なんだ。
一部の例外を除いて、未だに人間はポケモン語を話す事は叶わないって事さ。
ま、僕はその“一部の例外”なんだけどね。
僕の右腕には小型の装置が取り付けてある。丁度、少し大きめな腕時計を想像してくれればいい。
これはPHCが開発し大ヒットしたポケモン語翻訳デバイス、通称『ポケリンガル』のプロ用版。
『ポケリンガル』はPHCが2年ほど前に発売した翻訳機械で、その名の通りポケモンの言葉をある程度訳してくれる。
これは、一般用『ポケリンガル』をプロ用にグレードアップした言わば『ポケリンガルDX』さ。
このポケモン語を一般用より正確に訳してくれる翻訳デバイス。・・凄いよ。
森のポケモンからも直接情報収集できるから、ポケモン捕獲の補助には打ってつけさ。
そして、僕の仲間。アブソルの「ソル」は種族故、周囲の環境変化を察知する能力が発達している。
鎌のような角から音波を発しているとか、テレビで専門家が言っていたし、本当だろうね。
彼の能力には僕もお世話になっているし。
目を瞑り、ソルは周囲を探り始める。
『・・発見した』
しばらくしてからソルが急に口を開く。
「位置は?」
『―――俺達の真後ろだ!』
「ソル、『守る』だ」
格闘タイプの特殊技『波導弾』をソルの『守る』が弾き返す。
「いきなりの奇襲とは随分アグレッシブじゃないか」
『それは私の台詞です。全く、この私を捕獲しようなどと企む輩を散々見てきましたが、ここまで無礼な手段を取られたのは初めてですよ』
どことなく感じる高慢さを言葉の端々に滲ませながら、“彼”はその姿を現した。
ピンク色の小さな体。身長よりも長い尻尾。サファイアの様な澄んだ青の瞳。
スコープで覗くのと違って、こうやってまじかで見ると迫力が違う。
『君もタイミングが悪い。よりにもよって調査中を狙うとは』
・・・調査中?
何を、いったい何を“調査”しているんだ?
いや、今はそんな事はどうでもいいんだ。
「とりあえず、君の捕獲が僕の任務だからね。奇襲には失敗したけど、君に逃げられたわけじゃない」
『逃げる?面白い事を言いますね?この私が・・・このミュウが君如きに背を向けるとでも?』
対峙する一人と一匹。
「仕事は必ず完遂するのが僕のモットーでね。君を掴まえさせてもらうよ、ミュウ」
『やってごらんなさい。ポケモンハンター君』
****
同時刻。PHC技術開発研究所・所長室。
「それで、そのポケモンハンターはミュウ捕獲の為に孤島まで足を運んでいるのね。ご苦労な事よ」
「お前の差し金だろう、エリカ」
技術開発研究所の一切を取り仕切る所長の執務室でありながら、室内は質素そのものだ。
書類は最低限のものしか置いておらず、物を極力排した室内は驚くほどガランと侘しい。
それは研究以外に関心が無い彼女自身の内面を具現化していると言えるだろう。
白い白衣にウェーブのかかった金の長髪。
肌は透き通るように透明で、此方を見据える碧眼には一片の感情も感じられない。
未だ年端もいかないこの少女、エリカ・ヴァイスヴァルトはPHC技術開発研究所の最高責任者である。
笑みを始終浮かべてはいるが、その瞳に何の感情も籠っていないのがまた不気味だ。
彼女と対面しているのはスーツをかっちりと着込んでいる男・・そう、先ほどまでジュンと話していた青年、ユウタである。
「お前、いったい何を考えている?各地に調査団を派遣した上に、今度はミュウ捕獲にジュンを向かわせるとはな」
足を組み、探りを入れるようにユウタはエリカへと問いかける。
「時空の歪み、よ」
エリカは立ち上がると棚から分厚い資料を取り出し、机の上に置く。
「この所世界各地で『時空の歪み』が確認されているわ。この謎を解明したい、それだけよ」
「ミュウについてはどうなんだ?俺を通して何故ジュンに捕獲させる必要がある?それもお前の研究とやらに必要なのか?」
「あのミュウについては時空の歪みが発生した地点には、必ずと言っていい程あのポケモンの出現報告が寄せられている。何らかの関係性を持っていると見てまず間違いないでしょうね」
確かに資料に記載されている地図の『時空の歪み』出現ポイントでは、ミュウらしきポケモンの目撃情報が確認できる。
「つまり、ミュウとこの“歪み”の出現に相互関係があると見て、お前はジュンを向かわせたと言う訳か?」
「その通りよ」
・・時空の歪み、か。
本当にミュウと関係があるんだろうな・・。
疑心を内に秘め、口には出さない。それがコツだ。
「成程な」
顎を少し引き視線を落とす。
納得はしていない様子だが、これ以上喰いついても得るものは無いと判断したようだ。
沈黙を保ったままユウタは立ち上がる。
「“歪み”の発生については俺達も調査しておこう。国家間の信用を揺るがす問題に発展するかもしれん」
部屋を出る直前、ユウタは背中越しに一言告げる。
「下手な行動に出ない事だな、エリカ。俺はお前を100%信用しているわけじゃねぇぞ」
「ふふ・・それはお互い様よ」
走る緊張感。だが、ユウタは構わずそのまま部屋を退出した。
後に残されたのはエリカの妖しい微笑みだけだ――