第十九話 シンオウの地
任務には失敗したけれど、興味深い情報を手に入れたし、今日の所はよしとするかな。
PHCに時間稼ぎの駒にされていたのは腹立たしいけど――まぁ、よくあることさ。ポケモンハンターはどこまで行っても現地要員だからね。
モーターボートを岸部に停泊させると、ジュンはポケットから私用の携帯電話を取り出す。
既に、ここからだと混戦が起こった孤島は水平線の向うの点にしか見えない。
ミュウの実力以上に、例のルカリオの参入は予想外だった。特に驚いたのは彼が武器を使い、自分が仕掛けた起爆装置を無力化する知恵を備えていたこと・・それに尽きる。
彼は明らかに異質だ。武器を使い人間の技術を理解し、障害を取り除く。ジュンの今までのポケモン観からはかけ離れた存在と言わざるを得ない。
電話帳からある人物の名を探し出すと、ボタンを押し電話をかける。
数回コールが鳴った後「もしもし?」と電話の向うから眠そうな声がした。電話の相手は寝ていたようで、安らかな眠りを遮断されたことに声が些か棘を含んでいる。
「今まで寝てたの?優雅なもんだね、リーフ」
寝起きの相手への軽いジャブ。電話先で舌打ちが聞こえたのは気のせいではないだろう。
「ジュン、何の用だ?」
気心知れた仲だと逆に遠慮がなくなるものだ。自分の安眠を妨害し、その上挨拶の一つも無しに嫌味の先制攻撃を放ってきたジュンに対してリーフは少々つっけんどんな態度になる。
が、ジュンはリーフの性格を熟知している。その嗜好を突いてやれば必ず喰いついてくる事を知っている。例え彼をどんなに怒らせても魔法の一言で彼の機嫌が一変するということを。
「今日ね、あるポケモンの捕獲任務があったんだ。レアなポケモンさ――興味あるだろ、リーフ?」
声を潜め、悪戯っぽい笑顔で「魔法の言葉」を囁く。電話越しに友人の気配が変わったのが伝わってくる。相変わらず表情、というか感情が読みやすい奴だなぁと苦笑しているとリーフが興奮気味に捲し立て始めた。
「レ、レアポケだと!?一体どんなポケモンなんだ!?」
「ミュウだよ」
その一言にリーフが凍りつく姿がジュンには容易に想像できた。
彼のポケモン収集に対する熱意と情熱が並々ならぬものである事は自他共に認める所だが、そこを突かれると途端に欲望むき出しになる(自分の欲望に素直な性格なのは良い事だとジュンは思う。ただ、それが行き過ぎると弱点になるというだけで)。彼のお人好しな面も合わさり、この友人はかなり御しやすい。
「ミュ、ミュウだと・・?マジかよ――ジュン、ミュウをこっちに譲ってくれねぇか?倍額、いや三倍出すからさ!」
・・契約金がいくらかも聞かずに倍額出すってあっさり言い放つとは、流石お金持ち。
大体今回の捕獲は個人的な取引によるものではなく、PHCからの命令によるものに過ぎない。
仮にミュウを捕獲出来ていたとしてもその権利はPHCにある。ジュンは雀の涙程の報酬を貰ってそれで終了だ。
何時もなら彼の望みに合うように極力取り計らう所だが、生憎今回はそうはいかない。
「残念ながらこの仕事はPHCからの指令だから、僕個人の商取引じゃないんだ。悪いね。というか、そもそもミュウの捕獲に失敗しちゃったし」
そう告げると電話越しに何かが萎んでいくのが分かる。落胆したリーフの顔が目に見えるようだ。
が、ジュンはそんな友人の意気消沈を無視して続ける。
「ただ、そのミュウから面白い話を聞いたんだけど」
「――“ミュウから”?冗談だろ?」
リーフの声が今度は驚きに満ちたものに変わる。先ほどまでの浮かれた様子から一転、動揺した様子が伝わってきた。
信じられないといった風に首を横に2、3度降るリーフの様子がジュンの脳裏に浮かぶ。
予想通りの反応だ。普通誰だってそう思う。ジュンが、リーフの立場なら何かのジョークかと思うだろう。
ポケモンが人と同じく知能を持つ生命体であることは常識だ。ポケモン語の翻訳機も出回っている。
ジュンもそれがあるから手持ちのポケモン達と会話ができるのだ。現に、腕に付けている小型翻訳機にはいつも助けられている。
だが、一般にポケモンは人の言語を話さない生き物だと認知されている。だからミュウが人の言葉を、それもテレパシーによるものではなく言語を発音して喋った時はジュンも驚いた。
だから友人の驚きようも理解できる。しかし、これで驚いていてもらっては困る。ジュンが入手した情報はより“刺激的”なのだから。
「ガセじゃないさ」
「ふぅん。その様子だと話の中身も一筋縄じゃいかねぇってか?」
「まあね」
軽く答えると、リーフは軽く唸る。黙って先を促すと、何かを思いついたように声が弾んだ。
「よし、ジュン。折角の機会だ、これから合わないか?」
「・・どこで?というか君は今どこにいるわけ?」
悪い予感しかしない。イッシュであって欲しいが、リーフの事だ。どうせ遠方の場所にいるのだろう。
「ん?俺は今シンオウの別荘にいるからな。会うのはそこでいいだろ。場所は分かるよな?」
・・シンオウ、ねぇ。ちょっと遠いな。
リーフが突然無茶な思い付きをするのは今に始まったことではない。昔からそうだ。
言いたくはないが大企業の御曹司として甘やかされて育った結果、少々我儘な気分屋なったのだろう。
悪い人間じゃないし、優しい所も沢山持ち合わせているが、同時に言い出したら聞かない性格に加えて何でも金で解決しようとする強引な所がある。
「シンオウの避暑地は中々過ごしやすいぜ。歓迎するからさ、来いよ、シンオウに」
気遣っているつもりなのだろう。今の話の半分以上が彼の思い付きと我儘なのだが、こうなってしまってはリーフは何を言おうとも聞かないだろうし、自分に会いたがっている気持ちも本物だ。ここで無下に断るわけにもいかない。
それに、彼の別荘でしばらく滞在するのもいいかもしれない。プライベートな話も――ミュウや、PHCの事に限らず――、誰にも邪魔されず出来るだろう。
丁度いい機会だと思うことにしたジュンはにこやかに答える。
「分かった。折角だからお招きに与る事にしようかな」
「よし、じゃ早速プライベートジェットを―」
「いや、無駄遣いしなくていいよ。普通の飛行機で十分だから」
全く友人一人をシンオウに招くために自家用ジェットを使おうとするとは、流石大富豪一家の一人息子、恐れ入る。
一般常識からかけ離れた金銭感覚にも驚きを隠せないが、彼にとってはそれが普通なのだろう。今の提案も純粋な善意だったに違いない。少しズレているが、やはり優しい所もあるわけだ。
「そうか?なら、空港に迎えを寄こしておくからな。シンオウに着いたら2番ゲートを潜れ。そこに俺の使いがいるはずだ」
別に一人で別荘まで行けるのだが、リーフはどうしても僕に世話を焼きたいらしい。いや、それとも早く会いたくてジッとしていられないのか・・。恐らくその両方だろう。
どちらにせよ、折角の申し出だ。ここは素直に受け取っておこう。
「分かった。2番ゲートだね?了解したよ」
「おう、待ってるぜ」
ジュンは電話を切って、携帯をポケットに突っ込む。現在地はヒウンシティから少し離れた海岸線沿いだ。ここからイッシュの中央空港まで結構距離があるな。歩いていくには時間がかかる。
だが、タクシーを呼んでまで空港に行くのもなんだか勿体ない。遠すぎ無いが近くもないという中途半端な距離だ。
しばし悩んだ末、モンスターボールを取り出すとスイッチを押し手持ちポケモンを出す。
「出番だ、マンダ」
『・・ジュン、何か用か?』
ボールから出てきたマンダの様子はだいぶ落ち着いているようだった。聞くところによるとどうやらミュウが撒いた薬品を吸引してしまいずっと気を失っていたらしい。
ジュンの期待に副えず失敗したことを悔いているのか、普段の彼らしからぬどこかおどおどとした態度だ。
うつむきがちにこちらを見上げるマンダ。失敗を咎められると思っているらしい。
だが、ジュンには彼の失敗を責める気はない。極めてイレギュラーな存在である、例のルカリオがあの場に居た段階で今回の仕事は困難なものだった。今さら些細なミスを指摘する必要など無い。
そもそもマンダはベストを尽くした。彼には何の責任もない。勿論、他のポケモン達にも。失敗したのはあくまでリーダーである自分なのだから。
「イッシュの中央空港まで飛んでほしい。タクシーを拾うと余計な交通費が掛かるからね」
『あ、ああ。なんだそんな事か。お安い御用だぜ』
胸を撫で下ろした様子で安堵の表情を浮かべている。
イッシュ中央空港までのルートは彼の頭の中に入っているから、わざわざ道順を教える必要もない。運賃もいらないし、手間もいらない。スピードも速い。いいことづくめだ。
シンオウか・・あの地には詳しくないけど、リーフに招かれて2、3度足を運んだことはあるな。
イッシュとは違って静かな街が多かった。常にビジネスの現場で神経をすり減らしてるリーフにとっては格好の“隠れ家”ってワケだ。
ジュンが背中に跨ったのを確認すると、マンダは力強く両翼をはばたかせ空へと飛翔する。
ヒウンの海岸沿いが見る見る内に小さくなっていく。風を体全体に感じ、マンダの背に乗り天空へと駆け上がる。
この瞬間ジュンはまるで地球の重力から自由になったような解放感を感じるのだ。ポケモンはこの感覚を誰にも頼ることなく感じることが出来るのかと思うと、少々羨ましくも思える。
『空港までひとっ飛びだ。振り落とされるなよ!』
「ああ、頼むよ」
マンダがもう一度大きく翼を動かし、一気に加速する。この調子なら直ぐに空港に着けるだろう。
シンオウは今の時期涼しいはずだ。ビルの森に囲まれてヒートアイランド現象で加熱されてるイッシュと違って、あそこは避暑地として有名だからね。
リーフの別荘に着いたら少し休もう。今日は疲れた。色んな意味で。
少し目を瞑り、頬で風を感じる。マンダの首元に手を回すと振り落とされないように気を付けながらジュンは軽い睡眠を取り始めたのだった。
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――シンオウ地方 コトブキ空港。
シンオウ随一の大都市「コトブキシティ」。この都市の、そしてシンオウ一巨大な窓口。また、各地方との中継地ともなっているハブ空港でもある。
比較的一年間の平均気温が低いシンオウではあるが、今の時期は寒すぎず暑すぎずの丁度いい涼しさを保っている。
丁度その一番過ごしやすい時期に帰郷できたのは幸いだったと、イッシュ‐シンオウ直行便から降りたユウタはしみじみと感じていた。
横ではファオが妙にはしゃいでいるがそんなに自分の実家に行ける事が嬉しいのか。
「中央ゲート付近に迎えが来ているはずだが」
ゲートを抜け、中央出入口に目をやる。コトブキ空港で一番目立つ場所だけに待ち合わせしている人間も多い。
「シンオウ活動組ですよね?俺らの迎えは」
「R(エール)が既に到着している手筈になっている・・居た、右端だ」
ユウタの指差す先にファオが目を向けると、スーツに身を包んだ眼鏡の女性が腕時計を確認しながらチラチラと周囲を確認している姿が確認できる。
短く揃えたショートカットにビジネスウーマン風の出で立ち。鼻からずり落ちそうになる古風な丸眼鏡を弦を掴み、時折持ち上げている。
二人(正確には一人と一匹)が近づくと、接近に気が付いたのか女性は顔を上げた。
手にしていた文庫本を鞄にしまい何度か分厚いレンズの丸眼鏡をクイクイと修正し、ペコリと頭を下げる。
「お待ちしていました。Y(イプシロン)大尉」
「久しぶりだな、R(エール)」
シンオウの情報機関員、レイチェル・ローズウォーター。
一昔前の女子委員長を彷彿とさせるその容姿は、彼女がかけている丸眼鏡によるものかは、或いはその真面目で堅物そうな動かぬ表情に由来するのかは定かではない。
そんな彼女のコードネームは「R」。ドイツ語読みは「エール」だが、名も性もRから始まる―Rachel Rosewater―彼女には打ってつけの暗号名だ。
「おーい、レイチェ・・いや、エール。誰か忘れてるんじゃねぇの?」
自分の胸を親指で指し示すファオをエールはチラリと一瞥すると、まるでそこにファオが今の今まで居なかった様にわざとらしく驚いてみせた。
「あら、ファオ。居たのね」
「最初から居た!」
憤慨し手首から炎を噴きだすファオに対しエールは意地の悪い笑みを見せる。元々この二人の相性は良好とは言い難いが、しばらく任務で顔を合わせない内に益々険悪なものになっていたようだ。
「それにしても相変わらず暑苦しい奴ねぇ、ファオは。近寄らないでくれるかしら。熱気がこっちまで伝わってくるから」
パタパタと掌で煽いでみせる彼女の態度から滲み出る厭味ったらしさに、ファオの顔がますます赤く染まる。
何か反論しようと思っているようだがファオはただ震えるのみで、言葉を中々絞り出せないでいる。
が、何かを思いついたのかすまし顔のエールに一言
「ケッ、エール、テメぇも変わんねーな。その憎まれ口も。どうせ、未だに腐った妄想に耽ってんだろ?大尉をダシにして」
「なっ・・ファオ、あなたには関係ないでしょ!」
流石情報部配属前からの腐れ縁だ。相手の弱点をお互いに知り尽くしているのだろう。
いきなり劣勢に立たされたエール。したり顔のファオ。
そして二人(正確には一人と一匹)の言い争いの場にいきなり引っ張り出されたユウタは怪訝そうな表情で成り行きを見守っている。
「知ってんだぜ?大尉に良からぬ想いをエールが抱いてるって事ぐらいよぉ。しかも、3次元の大尉に対してじゃねぇ。テメぇの頭ん中の妄想に対して嫌らし〜い想像張り巡らせてるってさ。匿名で漫画も描いてるんだろ?所謂“薄い本”って奴を」
「な・・なんでそのことを」
一転して攻勢に立ったファオは三本指の一本を立て、にやりと不敵な笑みを浮かべた。
ユウタに引っ付き、抱きつき彼曰く“コミュニケーション”とやらを行う時の表情に匹敵する程生き生きしている。
「おいおい、おまえも情報部員ならこの俺だって情報部員なんだぜ?外の情報から身内の情報まで頭に叩き込む。基本だろうが。なぁ、ハンドルネーム“アップルパイ”さん。つーか、自分の好物ニックネームにつけるって安易じゃね?あ、良いアイデア思いつかなかったのか。バカだから」
コンコンと人差し指で自分の頭を二、三度叩く。その仕草にエールは苦虫を噛み潰したような表情だ。その気持ち、分からないではない。ファオに「バカ」呼ばわりされることほど悔しいことはないだろう。
それにしても、相変わらず女性には容赦がない。そうユウタは遠い目をしながら思う。
普通、男なら女性に対し何らかの配慮をするのが紳士としての嗜みだろうが、ファオはその逆で同性に優しく異性に厳しい性格だった。
ユウタ相手の時は温和な性格も、女性、特に嫌いな女に対してはやたらと饒舌になる。勿論、悪い方面で。まるで悪口のマシンガンだ。
しかも妙に相手の事を調べ上げた上で弱点を突いてくるのだから質が悪い。
一番の弱点を突かれたらしいエールは、酸欠状態の金魚よろしく顔を真っ赤にしてパクパクと口を動かしている。
・・そろそろ仲裁に入るか。
「そこらでやめておけ、ファオ。俺達にはやるべきことがある。エールもだ。」
「了解です、大尉!」
サッと敬礼をすると、彼は顔を赤らめたまま黙りこくっているエールを一瞥する。
――命拾いしたな。そうファオの瞳が告げているのに、勿論彼女も気づく。エールは拳を固く握った。
「・・失礼しました、大尉。お車回しておきますね」
そそくさとその場から立ち去るエール。今更ながら上官の前で痴態を晒した事に気づき、恥ずかしくなったようだ。
最もユウタには何の興味もない事なのだが。ファオと言い争おうが、エールがディープな趣味を持っていようが彼には関係ない。
第一、そんなことをわざわざ気にするようではこの暑苦しいバシャーモと組んで任務遂行など出来るはずないではないか。
「ファオ、エールは同じ情報部。同志だ。あまり絡むんじゃねぇぞ」
「でも・・あいつ大尉をダシに怪しげな本書いてるようですけど、いいんですか?」
少し非難がましい口調にも、ユウタは事もなげに答える。
「機密が漏洩してなければ別に構わん。後は個人の趣味の領域だ。俺達が口を出すべきじゃないし、そこは自由であるべきだろ?」
自由であるべきとは言いつつも情報部の各員がどのような嗜好、趣味、性格であるかは本部はすべて把握している。
勿論、部下の詳細なデータぐらいユウタの頭に全ておさまっている。ある意味情報部員にプライベートは無いと言っていいだろう。何故なら秘密を探るのが仕事の彼らにとって、秘密は隠すものではなく、もはや暴くためのものだからだ。
それに、とユウタは少し口元に笑みを浮かべ、付け加えた。
「妄想のネタにされるのはお前で慣れてる」
「“妄想”じゃないですよぉ。来たるべき“未来”の予行練習じゃないですか」
皮肉を悪びれず笑顔で切り返されてしまい、ユウタはしばしの間言葉を失った。冗談かとも思ったが、どうやら本気らしい。
ため息が出るか出ないかの瀬戸際で、空港前に一台の車が止まる。運転席にエールの姿を確認したユウタ達が車に乗り込むと、黒いバンは排気ガスを出し走り出したのだった。