第十七話 調査 Side:Lucas
「逃がしたか・・」
島から遠ざかるモーターボートを苦々しげに一瞥すると、ルカは背を向け、木陰に歩み寄りミュウをそっと地面に降ろした。
力なく横たわるミュウの額に手を当て彼の波導を確認する。
「良かった、少し落ち着いてきたみたいだ」
体力が少しだけ回復したのか、ミュウの体から発せられている波導は比較的安定し始めていて、先ほどよりも彼の体調が良くなっている事にルカは胸をなで下ろす。
先程の少年―ポケモンハンターを追い払う事には成功したが、まだ油断は出来ない。
この孤島には新たに他の人間達が既に上陸しているからだ。
「彼らは一体何者なんだろう・・」
お師匠様は出かける前にこの島で時空の歪みが発生する可能性が高いから、それを調査するって言っていたけれど、もしかして彼らも同じ目的を持っているのか・・。
ルカはその場に胡坐をかき、目を閉じる。
集中力を研ぎ澄まし、島全体に波導の網を広げていく。こうする事で彼の探査能力は今生けるレーダーとも言うべきレベルにまで上昇するのだ。
“千里眼”とミュウが形容するようにこの力を用いれば、ルカは遥か彼方の景色まで見透かす事が出来る。
「・・見えた」
彼の脳裏の映るのは、数百メートル先にいる一団――恐らく、ポケモンハンターの少年と入れ替わりに上陸した者達。
船から大がかりな機材を持ち込んでいる。何らかの実験なり、観察を行う気でいるのは明らかだ。
願わくばそれが“平和的”なものであって欲しい所ではあるが、ともかくルカは立ち上がり、ゆっくりと間合いを詰めていく。
確かめなければ。彼らが何をしているのか、お師匠様が追っていた事実に関係しているのかを。
木陰からそっと顔を覗かせ聞き耳を立てる。
波導で自身の気配を消し、その紅い瞳は彼の師が追い求めていた真実を見据えようとしているが如く鋭い。
「ポータルの発生跡を確認しました。発生ポイントは予測地点とほぼ合致しています」
調査隊のメンバーと思しき一人の男性が、白衣の男に報告をしている。
黒と灰色を基調にした服装は彼らがまるで何かから隠れ潜んでいる事を暗示しているようだった。
ポータル・・?何の事だ?
聞きなれない単語にルカの耳がピクリと揺れる。
生憎ルカの持つ人間語のボキャブラリーは豊富とは言い難い。
その“ポータル”というものが一体何を意味しているのか――彼らの作った造語なにか、あるいは意味ある単語なのか――を今のルカには分からないが、その後に続いた“発生”という言葉、ここから類推するに恐らくその“ポータル”とやらは、ミュウの追っていた謎と繋がっている可能性が高い、そう彼は瞬時に判断したのだ。
「・・とにかく彼らがお師匠様の追っている“時空の歪み”に関係しているのは確かみたいだ。それに、予測地点って言ってたな・・一体彼らはここで何を――」
「駄目やな、自分。人の話は盗み聞きするもんやないで」
突如後ろから聞こえる声。同時に、ルカの後頭部に金属のひんやりとした感触が押し付けられる。
――後ろを取られた。
その事実にルカの両眼は驚愕で大きく見開く。
彼は言わば生きているレーダー。この島全体に張り巡らせた波導の監視網は、どんな生命体も感知する事が出来るのだ・・本来なら。
だが、この「男」はルカに感ずづかれず、彼の後ろに迫り、銃をその後頭部に突き付けている。信じ難い事だ。
「・・お前は一体・・」
動揺を隠し喉から声を押し出すと、男は――いや声からして青年だろうか――軽く笑った。
「俺か?そうやなぁ。ま、あのインテリ集団のパシリとでも言うとこか」
もう一度グイッと青年はルカの頭に銃をねじ込んだ。
「抵抗するな」という無言のプレッシャーに、ルカはゆっくりと両手を上げ“無抵抗”の合図を行う。
今此処で彼が引き金を引けば、ルカはあの世逝きだ。
例え鋼・格闘タイプの強靭な体であっても、人の作り出した凶器の零距離攻撃には耐えられない。
ルカは押し黙ったまま立ち上がる。今は不用意な言葉を発しない方が得策である事に彼は気が付いていた。
下手に相手を刺激して引き金を引かれる可能性を上げるの必要など、どこにもない。
黙り込むルカに青年は背後で口角を少し上げた。
ルカからは相手がどんな表情をしているのか直接見えはしないが、それでも笑っている事ぐらいは察しがつく。
例え彼自身の“波導”をその男が何らかの方法で遮断していたとしても、だ。
「で、自分にちょっと質問があるねんけどな。なーに、大した事やない。ただ、正直に答えてくれるだけでええんや」
「・・・」
沈黙を守るルカに、青年は続ける。
「自分は何モンや?帯刀しとるルカリオ見たんは初めてやけど、自分一体こーんな寂れた場所で何しとるんや?ま、まずはお名前から聞かせてもらおうやないの」
ぐりぐりと銃口をルカの後頭部に押し込みながら、おどけた調子で尋ねてくるその態度は端的に言って不気味だった。
――こいつなら今すぐにでも撃ちかねない、そう判断したルカは重い口を開き、慎重に言葉を選ぶ。
「・・俺はルカリオのルカ。ルカ・アーキヴィストだ」
「へぇ、自分人間の言葉喋れるんやな。腰の剣といい、変わった奴やなぁ」
「・・・?」
ルカは、ある事に気が付いた。銃口を突き付けられている緊張感から忘れていた、ある事実を。
そうだ。ルカはポケモン。ルカリオだ。
確かに人間語は流暢に喋れるが、その事実をこの青年が知る由はないはずだ。
普通ポケモンが木陰から覗いていたとして、その覗かれている現場が彼にとって秘匿すべき対象だったとしても、わざわざ銃を突き付けて詰問などはしないだろう。
ポケモンは一般的に人の言葉を喋れない。ならば、怪しげな実験を見られた所でこのような手段に出る訳がない。
だが、この男は事実、ルカに銃を突きつけ、話しかけてきた。
ルカが質問に答えたとして、人にポケモンの言葉は分からないのに。
・・もしかして。
ここから推測できる事実は2つ。
今質問してきている、彼がポケモン語を解し、たかだか一匹のポケモンに見られる事を危険視するような男である場合。
そしてもう一つは。
「まさか・・」
背後を取った彼が――実は人では無く、ポケモンである場合だ。それも自分と同じく人の言葉を喋れる存在。
ゆっくりとルカは振り返り、声の主を捉えた。
黒交じりの赤く豊かな鬣にほっそりとした四肢や鋭い爪、なによりも狼や狐を思わせる長いノズルが伸びる顔、赤い縁取りの瞼に青く透き通るような瞳。その中に宿る縦に割れた獣の瞳孔は攻撃的な印象を抱かせる。
人の服を――先ほどこの孤島に上陸してきた男たちと同じブラックの特殊ジャケットとグレーの制服に身を包んでいる事を覗けば、ルカと同じポケモンだったのだ。
そのポケモンの種族にはルカも見覚えがあった。
幻を操り、人を化かすポケモン。
――ゾロアーク。
「・・ポケモン・・!?」
「お、自分俺のこと人間や思うてたんやな。まぁ無理もないわな。似たようなモンやし」
・・“似たようなモン”?
一体どういう事なんだ?彼はポケモンじゃないのか?
ゾロアークが銃を自分に突き付けている事だけでも信じ難いというのに、加えて彼から発せられた不可解な台詞にルカの頭は混乱しつつあった。
だが、このゾロアークの正体がどうであれ、今自分に銃口が向けられている事実に変わりは無い。
「で、自分はここで何をしとるんや?」
どうする。ここでお師匠様の目的を明かして「命だけは助けてください!」と懇願するか?・・まさか、冗談じゃない!
「そうだな・・」
グッと足に力を入れる。同時にそっと利き手である右手を柄に近づける。悟らせないようにほんの少し動かしただけだが、“神速”と組み合わせる抜刀術を成功させるには、ほんの数センチ近づけただけで十分だ。
ほんのわずかなルカの行動に流石に気がつけはしていないようで、ゾロアークは引き金に器用に爪をひっかけニヤニヤ笑いを浮かべている。
この大きな隙をルカが見逃すはずが無かった。
「俺がここにいる理由、それは・・」
ザッ
ミセリコルデの柄を掴み、目にも止まらぬ早業でルカは抜刀を行う。
「なッ・・!?」
“神速”を応用した剣術のスピードはまさに神業でありその切れ味は刀身に纏わせた“波導”の量を調節する事で鉄をも切断する。
パキッと乾いた音がゾロアークの手の中でした次の瞬間両断された拳銃の銃身が地面に落下した。
レイシア達を斬った時刀身に纏わせていたものとは、別の攻撃用の“波導”だが、こういう非常時には高い制圧力を発揮する。
「信じられへん。拳銃を両断する奴なんて初めて見たわ・・」
驚愕の表情を浮かべるゾロアークの喉元にルカは切っ先を突き付けた。
立場が逆転した上、今度は自分が生殺与奪権を握られたにも関わらずゾロアークは笑い顔のまま、肩をすくめ、両手を上に上げる。
喉元に剣先が触れるか触れないかの距離にあるにも関わらず、だ。
「今度は俺が質問させてもらう。アナタは一体何者なんだ?それに・・一体、アナタ達はこの島で何をしているんだ?」
日の光を浴びてルカの愛刀が銀の輝きを発する。
冷たい鋼の刃の感触にゾロアークは、しかし含み笑いを崩さない。
まるでこの状況を全く脅威に感じていないかのようだ。
「そうやなぁ。ま、自己紹介ぐらいしとこか。俺は火野輝ちゅうモンや」
火野輝。恐らくは人間の名前だ。ポケモンの名前とは思えない。
人の名を名乗る武装したポケモン。それだけでも十分奇妙だが、このゾロアークが謎の調査団に雇われているらしい事もルカには十分な衝撃だった。
幸か不幸か当の調査団からはルカ達の姿は丁度木陰に隠れて見えないらしく、木々の裏で静かな闘争が繰り広げられている事など知る由も無く、いそいそと調査を続けているようだ。
「・・アキラ。アナタ達が何の目的でこんな孤島に、しかも団体で押し寄せているのか聞かせてもらおうか」
「自分に話さないといかん義務なんてないわなぁ」
おどけた調子のゾロアークもとい、アキラの喉元にルカは乱暴にグイッと剣の切っ先を押し込む。勿論、貫かないよう力加減をして、だが。
「うえッ」という奇声を発して、少しバランスを崩し後退するアキラ。
冷たい金属が肉に食い込む何とも言えない不快な感触に、アキラは喉元を押さえ少し険しい表情を浮かべた。
「・・・随分乱暴なんやな、自分。そんなんじゃ女の子にモテへんで」
「話題を逸らそうとするな。俺の質問に答えるんだ。アナタ達は一体、ここで、何をしているんだ」
アキラの青い獣の目がスッと刃先から剣全体、そしてルカへと泳ぐ。
と同時に彼の口元に笑みが浮かんだ。幻影を操り、他者を欺く化け狐のような妖しげな笑みを。
「俺らが何しとるかやて?・・・しゃあない、教えたるわ」
拳を解き、彼はゆっくりと指を横に振る。
その芝居がかった仕草にルカの眉間の皺が増えたのは言うまでもないが、そんな事で彼の剣は揺らがない。一直線にアキラの喉元に突き付けられたままだ。
「――なーんて、言うとおもったんか?」
「!?」
腕が、いや全身が動かない・・!?
突如全身が強張ったのを、瞬時にルカは察した。腕も足も、全く動かない。
一体自分の身に何が起こったのか。ルカの赤い瞳が移動し体全体を確認する。
「鎖・・?」
何時の間にか、ルカの全身は鎖で拘束されていたのだ。数秒前まで影も形も無かった、何処からともなく現れた鎖に。
驚愕の表情で声にならない息を口から吐き出すルカに対し、アキラはニマッと笑うと剣の切っ先を指で弾いた。
硬直したルカの手からミセリコルデが滑り落ち、乾いた音を立てる。
「まさか、これは・・幻なのか・・?」
「そや。幻影やで」
ゾロアークという種族が他者を化かす能力“幻影”を扱える事は風の噂に聞いてはいたが、まさかここまでの拘束力を持つとは流石のルカも想像だにしなかったらしい。
頭ではこの全身を縛る鎖がただの幻に過ぎないと理解してはいても、体が幻影を実在の鎖と思い込んでいるのだ。
恐るべきはここまでリアリティのある幻を、瞬時に、何のモーションも無く作り出せる事。そして、その“幻影”の現実感が高すぎて体が完全に騙されている――という事だ。
「幻や分かっとったとしても、体が言う事聞けへんやろ?幻影言うたかて、“嘘”ってことや無いちゅうこっちゃ。現に自分にとって幻影の鎖は、ホンマもんの現実なんやからな」
幻影。現実には存在しない偽りの鎖。
だが、間違いなく今のルカにとってこの鎖は「存在している」のだ。彼の現実には。
「しっかし自分らみたいなポケモンが俺らの事探り入れとるとは、オドロキやで」
「・・」
お師匠様の事も知っているのか?いや、恐らく知っているんだろう。この口ぶりから察するに、ほぼ間違いなく。
「あっちの茂みで伸びとるミュウ。俺ん所にも報告が入っとるわ。俺らを嗅ぎまっとるポケモンがおって、しかもソイツがごっついレアなポケモン――ミュウや、とな」
分かっているのだ。このゾロアーク、アキラは最初からルカ達が何の目的でこの島に居たのかを。
分かっていて、ワザと銃を突きつけ脅した。自分達をおちょくる為に。随分、趣味の悪い悪戯だ。
だが、裏を返せばアキラには反抗にあっても勝てるという大きな自信があったと言う事になる。そうでなければ、そんな行動には出ないだろう。
「ポケモンや人の発する不可視の情報波を読み取る“波導”の力。確かに厄介やけど、俺の幻影は波導さえも欺けるんや」
「・・!」
最初から、自分達は踊らされていたのだ。彼の掌の上で。
その屈辱もさることながら、ルカは一つの事実に愕然としていた。
ここまで強力な幻影を自由に作り出せる力を彼が持っていると言う事は、即ち今までのやり取り自体が虚構のモノである可能性もあるのだ。
このゾロアークが銃を突きつけ、脅してきた事実。そもそも、ルカが調査団の正体を暴こうと潜んでいたこの森さえも、幻影で作り出された幻の世界、と言う事も有り得る。
つまり、今のルカには何が本物で何が偽物なのかを判別する事、それ自体が出来ないと言う事になる訳だ。
「ま、あっちで伸びとるミュウもそうやけど、自分らよく頑張ったと思うで。この島嗅ぎ付けて、先回りして“時空の歪み”の調査に来とったみたいやし。ハンターを島に送りこんどいて正解やったわ。俺ら
新プラズマ団にここまで探りをいれたんは、自分らが初めてやで」
ネオ=プラズマ団。そうか、彼らがイッシュ地方で噂のプラズマ団か・・。
その組織名にはルカも聞き覚えがあった。イッシュ地方を中心にポケモン解放運動の啓蒙活動をしていると、ポケモン達の間にも噂が広がっていた組織だ。
最も、後ろ暗い秘密を抱えているだの、ポケモン解放と称して犯罪行為を行っているだのと、暗い噂の絶えない事でも有名だったが。
まさか、そのプラズマ団が暗躍していたとは・・だけど、確かプラズマ団は2年前にリーダーの失踪や内部分裂に加えて、計画の失敗が露見して解体されたはず・・どうして消滅したはずの組織がこんな所に・・?
いや、待て、確かネオプラズマ団とアキラは言った。まさか、2年前に活動停止して空中分解したはずの組織は、まだイッシュの地下で息づいていたって事か・・?
黙りこくるルカに対し、アキラは口角を上げて意地の悪い笑みを浮かべる。
「ま、自分がここまま引き下がるタマとも思えんし、自分らみたいな頭が回る連中放置する程俺は楽天家ちゃうねんなぁ」
ゆっくりと腰に取り付けたホルスターから小型の拳銃を取り出すアキラ。先ほどの銃よりも小型な所を見ると、恐らく護身用だろう。
「可哀想やけど、自分らにはここで消えてもらうしかなさそうや。でも、どうしても助けて欲しい言うなら、助けてやらん事もないで」
相変わらず拳銃を手にしているとは思えない、砕けた口調で喋りながらアキラは銃のスライドを引く。
「自分ら俺らと一緒に来いや。特にルカ、やったっけ?自分ほどの実力持っとる奴もそうは居れへんし、ここでバラすのも気が進まんしな」
どうやら、このアキラと名乗るゾロアークは自分を殺す事に躊躇いがあるらしい。
そう勘付いたルカは、そっと口を開く。慎重に、その“躊躇い”をかき消さないように、言葉を選んで。
「・・俺達を殺すつもりはないのか?」
「命を粗末にするんは俺の趣味やないねん。しかも帯刀しとるルカリオに幻のポケモン、ミュウやで。エリカへの手土産としてこれ以上のモンはないわ」
――“命を粗末にするのは趣味じゃない”と言いつつ、ルカの額に銃口を押し付けニタニタと意地悪い笑みを浮かべている。
だが、アキラにはこの場でルカを傷つけるつもりは無い。
単に幻影で拘束している相手を銃で脅して遊んでいるだけなのだ。
この性格が元来彼に備わっているものなのか、それとも種族特有の“悪戯好き”なのかは定かではない。
・・本来ならミュウを迎えに来て、そのままこの場を去るつもりだった。
しかし、ポケモンハンターとの交戦、島中に仕掛けられた罠の解除と予定外の出来事が重なり、極めつけに師匠の詮索に首を突っ込んだ結果、師を守る為に来た自分まで捕まってしまうとは・・。
今日は厄日だな、とルカは大きな溜息をつく。
そんなルカの肩をアキラは軽く叩いた。「分かるで〜お互い大変やなぁ」と、首をふりふり肩を竦める。
慰めに全くならない口ばかりの慰労に、しかしルカの精神は落ち着いてきていた。
このゾロアークの掌で弄ばれていた事実は腹立たしいが、この場で直ぐに自分達に危害を加えるつもりはどうも無いらしい。
・・・この場は素直に彼の指示に従っていた方が得策だろう。
新プラズマ団の秘密を探れる良い機会かもしれないとルカは考え直すと、顎を引きアキラと目を合わせる。
「分かった。アナタ達に従おう」
「聞き分けええな、自分。ええ事やで。さ、こっちや」
幻影の鎖に捕縛されたまま、ルカは静かにアキラに導かれるまま調査団の元に向かうのだった――。