第十四話 My dear
『お師匠様・・』
ソルとレイシアを容易く下した後、ルカは愛刀を鞘に戻し地面に伏せている師へと駆け寄った。
ぐったりと横たわるミュウを抱きかかえる。
鋼タイプの象徴である胸の刺で柔らかな皮膚を傷つけないようにそっと抱き上げると、腕の中でミュウが少しだけ呻いた。
『波導が乱れてる・・早く手当しないと・・』
バイオリズムを司る“波導”の力を駆使すれば、本来相手の傷を癒す事が可能だ。
だが、ルカはヒーリングの技術を生憎持ち合わせていなかった。
何より、今はこの場からいち早く離れる事の方が急務。
そう判断したルカはミュウを抱きかかえたまま跳躍し近場の木の枝の上に乗った。運動能力に優れるポケモンだからこそ出来る芸当だ。
人の手が入らない孤島に茂る森の上に立ったことで視界が開け、遠くまで見通せる。
ルカの鋭い眼光がサッと森全体を見渡す。
『特に異常は無いかな・・・?』
赤い双眼にその時、何かが映った。
木々の根元に埋められた何かを。
茶色い粘度の様なものからは配線が伸びている――少なくとも“自然”の産物ではない事は人間社会に疎いルカでも分かる。
『罠か』
見渡せば彼方此方に同じような茶色の物体が仕掛けられているのが見て取れた。
間違いない。例のポケモンハンターが仕掛けたトラップだ、そうルカは確信する。
『お師匠様を奪い返せた事に油断して森を駆け抜けてたら・・危なかったな』
しかしルカには信じ難い事だ。
たった一匹のポケモンを捕獲するために森中に無差別トラップを仕掛けるその心が、酷く不愉快になり彼は顔を顰めた。
師ヘルメスから習った人の言葉。喋れると便利だからと叩きこまれた。
今ではポケモン語と人間語の二つを喋れる数少ないバイリンガルのポケモンとなれた。
自分でも気が付かない内に人間語を喋ってしまう程上達して・・そして知ったのだ。
――人は信じられない程残酷で、身勝手で、傲慢で・・・そして、脆く優しい存在であると。
ルカは知っている。人の優しさを。その裏に潜む邪悪さを。
この孤島には人こそ居ないが、大勢のポケモン達が暮らしている。
そんな森に罠を仕掛ければどうなるか分からないハズは無いのに。
仕掛けたハンターには結果が見えている――お師匠様が罠に掛るのであれ、他のポケモンが巻き込まれるのであれ――どれだけのポケモンを傷つける事になるのか、それを十分に理解した上で罠を仕掛けたんだ。
平穏な森にばら撒かれた大量の罠。そこには悪意さえ感じられない。
唯一あるのは“無関心”。
“目的さえ達成できれば後はどうでもいい”“他のポケモンが傷つき倒れようが自分には関係ない”・・仕掛けた人間の心の声が聞こえてくるのだ。
平穏と平和を愛するルカには、その心が理解できない。
『他のポケモンが巻き込まれるのが分かっていて、どうしてこんな事が出来るんだ・・?分からない、分からないよ・・お師匠様・・』
弱弱しく呟くと左腕で動かぬ師を抱えたまま、ルカは鞘から再び愛刀を抜く。
『他の皆がみすみす罠の餌食になるのを無視するなんて、俺には出来ないよ』
木の枝から一気に駆け降り、手近な木の根元に着地するルカ。
『・・・これは』
根元に埋め込まれた粘度上の物体。
埋め込まれた2つの電極。そこから伸びる電線――そして、木の幹を伝い固定されているのは小型のレーザーポインターだ。
この怪しげな物体が“何か”ぐらい、ルカにも察しが付く。
『プラスチック火薬にレーザーポインターを繋いだ簡易的な爆弾か。・・このレーザーポインターから出てる可視光レーザーに触れた瞬間に、ドカンって事かな』
他のポケモンが巻き込まれない内に処理しなければならない。ルカは覚悟を決め、手にした剣をそっと爆弾に近づける。
――プラスチック火薬から伸びる電線を切断すれば、レーザーポインターとの接続が切れて信号が爆弾に行かなくなるはずだ・・。
ルカでもこの粘土状の爆薬が有名なプラスチック火薬「C-4」である事は理解できるし、C-4は衝撃や化学反応では起爆しない安定性を保有している事も知っている。
つまり、確実に起爆させるには起爆装置や雷管が必要だと言う事だ。
なら、起爆装置とC-4を繋いでいる電線を切れば、無力化できる――そう判断したルカは目を細め、レーザーポイントに体が触れないように気を配りながら、切っ先を電線に当てる。
『もしこの電線と起爆装置との接続が切れた瞬間、起爆するように仕組まれていたら・・・』
ルカはギュッと師を強く抱き直す。
ここで退くわけにはいかない。
緊張で柄を握る手が汗ばむ。
もし、万が一これが自分の想定しているよりも“悪質な”罠だとすれば、恐らく回線を切断した時点で起爆するだろう。
そうなれば鋼タイプを持つルカといえども相当なダメージを負ってしまう事は必至。
勿論、師ヘルメスを捕獲する為の罠である事を考えれば致命傷にはならない程度の威力に設定されているのだろうが・・それでも、この場からルカが動けなくなればミュウは今度こそハンターに捕まってしまう。
『迷っていても仕方ない・・』
決心を決めたルカは手に力を入れ、一気に押し込んだ。
サクッと軽い音がする。思わず目を瞑ってしまうルカ。
だが、しかし幸いな事に何も起こらなかった。
『・・・』
ルカは地面に落ちている木の枝を拾いあげ、可視光レーザーの直線を手にした枝で遮ってみた。
――何も起こらない。地面に埋められたプラスチック爆弾は沈黙したままだ。
『無力化に成功、したかな。・・・ハァ、良かった』
極度の緊張から解放され、その場にへなへなとへたり込む。
刀身を鞘に戻し、大きな溜息を一つ。
『もう、俺こういうの苦手なのにぃ・・。それもこれもお師匠様のせいだ!』
気分の赴くままにリスクも顧みず遠出をし、いざピンチになると自分を頼ってくる。
そんな我が儘で身勝手な師匠にルカは怒りを感じつつもそれ以上の“想い”が心を駆け巡っていた。
・・何故、俺の傍から離れたりしたんですか・・お師匠様・・!
俺がどれだけ、貴方を失う事を恐れているのか――貴方は分かっていない。
“波導”の中でも特異な“波導”・・死の予感を感じ取る力を生まれながらに持っていた俺は、ずっと忌むべき子として避けられ続けて来た。
親も俺を不気味がって、まともに愛してくれなかったんだ・・。
そんな中、偶然里に立ち寄った貴方に俺は言葉を失った。
生物が――生まれたての赤ん坊であれ、死にかけの老人であれ――持っている宿命“死”の波導が全く感じられなかったからだ。
貴方はもう覚えていないかもしれない。何せ、お師匠様は研究以外、無頓着なお人だから。
でも俺はハッキリと覚えている。貴方がリオルだった頃の俺に言ってくれた言葉を。
――『死を恐れるのは生物の本能。そして死を予感できる君が差別されるのもまた宿命。ならば、死から見放された私と共に旅に出てみませんか?名も無きリオル君』
あの時貴方は俺を里から救い出してくれた。
否応なしに流れ込んでくる“死”の波導を、俺の傍に居続けてくれる事でシャットアウトしてくれたんだ。
――分かりますか、お師匠様。
貴方が考えている以上に、俺は貴方を大切に思っている・・・貴方が俺の前から居なくなることを何よりも恐怖している。
“死から見放された”貴方はあの時から歳を取っていない。
10年前から一向に変わらぬ姿のままだ。
明らかな“不老”。
その理由を貴方は未だに俺に告げてはくれないけれど、貴方が何時の日か自ら口を開く時まで、俺は待ち続けます。
だから、そのままで居続けてください。そのまま“死”から見放され続けて下さい・・
孤独の中でようやく手にした宝物。
未来まで変わらぬ事を約束してくれた大事な居場所。
失う訳にはいかない。必ず守り通すと決めたのだ。
・・・お師匠様、貴方も約束してください。
もう二度と俺の前から居なくならないと・・。
俺が死ぬまで、俺の傍を離れないで――
ルカは腕の中で目を瞑り力なく気を失っているミュウをギュッと抱きしめたのだった。
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成程、流石に高い料金を取るだけあってファーストクラスは快適だ。
ゆったりとした座席は足を延ばし、背伸びさえ出来る程広々としている。
度重なる任務から染み出る疲れがファーストクラスの高待遇によって少しばかり軽減され、今さらながらユウタはファオの贅沢チョイスに感謝し始めていた。
何時も使っているビジネスやエコノミーだとこうはいかない。
離陸前の空港の様子は慌ただしくも見ていてどこか落ち着くものだ。
今からイッシュの地を離れ、空へと飛び立つのだと改めて実感させてくれる。
重くなる瞼は恐らくテイクオフまでは彼を眠りへとは誘わないだろう。
飛行機が離陸する瞬間が、彼が一番好きな時間だからだ。
陸から飛行機が離れる時の体全体にかかるあの何とも言えない重圧が、ユウタは好きだ――今まさに自分が任務を全うせんとする躍動と重なり、内側から気分を高揚させてくれる。
窓の縁に肘を乗せ、薄目を開け外を見ていたユウタの耳に軽やかなキーボードを叩く音が聞こえてきた。
彼の横ではファオがランチ用の簡易テーブルに乗せたノートパソコンを弄っているようだ。
誰かにメールでも書いているのだろうか。顔は何時もの含み笑いが消えていて無表情に近い。
横に置かれたUSBメモリには白き竜と黒き竜のキーホルダーが2つ、ぶら下がっている。
そのポケモンにはユウタも見覚えがあった。イッシュで活動していたなら必ず耳にする名のポケモンだ。
「・・レシラムとゼクロム。イッシュの英雄伝説に出てくるポケモンか」
窓の外を見つめたままユウタはボソッと呟く。
キーボードを叩く音が急に止まった。
ユウタが振り返るとファオが手を止めて此方を見つめている――何時もの、含み笑いを湛えて。
「よく御存じですね」
「当たり前だ。イッシュで長期活動していれば英雄伝説の知識ぐらい自然と身につく」
身をよじりファオを向き合う。
当のファオは指でキーホルダーを弄っている。
プラスチック製ながらも細部まで作りこまれている二体の竜が揺れチリン、と上についている小さな鈴が可愛らしい音色を発した。
「随分熱心にメールを打っていたな」
「えぇ。少し旧友に」
――旧友、か。確かファオの故郷は遠方の小国だったはず。
流石にこいつでも寂しいのか、故郷から遠く離れるってのは。
少し話を変えようと思い、再びUSBから垂れ下がるキーホルダーに目を向け、呟いた。
「英雄伝説と言えば、確か2年前にイッシュ地方で暗躍していた組織が英雄伝説を使って大規模な工作を行おうとしていたな・・結局、失敗したらしいが。名前は、何だ・・何団だったかな・・」
名前は確か・・いかん、思い出せん・・。
眠気で半分意識が飛びかけているせいか組織名が出てこない。
「――プラズマ団。ポケモン解放の理想を掲げていた組織ですよ」
と、そこでファオが小声で割り込んできた。喉の奥に詰まったような気持ちの悪さがスッと解消する。
そうだ。そうだった・・プラズマ団だ。
イッシュ地方を中心に活動していた巨大組織“プラズマ団”。
ポケモン解放を謳い、啓蒙活動と称して各地で街頭演説を行う裏で英雄伝説を利用した人民洗脳作戦を決行しようとしていたみたいだな。
その時俺はシンオウに居たからよく知らんが。
「確か組織の“王”を、伝説になぞらえた“英雄”として偶像化しようと企んでいたと聞くが・・まぁ傀儡政治なんて昔からよくある事だがな。王を裏で操って自らが力を持とうとする手法自体は大して珍しくもない――だが、それでイッシュが危うく支配されそうになったことが俺には信じられん」
ふぅと大きなため息をつく。
「第一、王を操って権力を持とうなんてまどろっこしい事をせずに自分がその“英雄”となればいいものを・・回りくどいやり方だ」
シンオウにも風の噂として届いたイッシュの大騒動。
プラズマ団については大した情報を仕入れている訳ではないが、それでもユウタにはその組織のやり方はどうにも非効率的に思えた。
そんな彼に対するファオは何故かキーボードに指を置いたまま動かずジッと画面を凝視している。
「真実を求めし英雄の下に舞い降り、力となる事を誓いし白き竜“レシラム”。理想を叶えんとする英雄の下に姿を現し、力となる事を誓いし黒き竜“ゼクロム”。――英雄に成れるのは選ばれた存在だけなんです・・“王”たる資格を持った、ね」
相変わらず、含み笑いは崩さないようだ。
ユウタが少しだけ怪訝そうな表情をしているのに気が付いたのか、彼は直ぐに破顔一笑した。
「・・なぁ〜んて冗談ですよ、冗談!今のだってイッシュ歴史資料館パンフの受け売りですもん。だから、そんな顔しないで下さいよぉ」
「手を握ろうとするな暑苦しい」
先程とは打って変わってハイテンションになったついでにユウタの手を握ろうとスルスルと腕を伸ばしてくるが、いつもの事なのかユウタは慣れた様子でパシリ、と平手で一発手の甲を叩く。
流石に任務で常に組んでいるだけあり、ファオがどのタイミングでどう行動しようとするかがユウタには手に取るように分かるのだ。
最もファオのやろうとする行動などたかが知れている。触り、撫で回す。これだけだ。
「・・テイクオフまで起きているつもりだったが気が変わった。俺は今から寝る」
離陸時の高揚感は捨てがたいが、流石にここ1週間の激務からくる疲れは本部に戻るまでに少しでも取り去っておきたい。
睡魔が急速に彼の瞼に圧し掛かってきている。
ウトウトとし出したユウタに、ファオは何か妙案を思いついたようで
「あ、寝るんなら俺の膝を枕にしても構いませんよ?」
ポンポンと両手で自分の膝を叩く。どうやら膝に頭を乗せろとジェスチャーしているらしい。
本気か冗談かは分からないが――恐らくは五割本気、五割願望と言った所だろう――ユウタは少しだけ笑いひらひらを手を振った。
「生憎、ファーストクラスの上質クッションで間に合ってるからな。エコノミーならお前の肩ぐらい借りて寝たかもしれんが」
つまらなそうな表情を浮かべるファオを尻目にユウタは瞼をそっと閉じる。
航空機全体から出る低い音、乗客が自分の席に向かい歩む足音。
全ての音と言う音がゆっくりと遠のいていく。
「Good night My dear」
優しげなファオのセリフを最後に彼の意識は深い眠りの世界へと旅立っていったのだった――