第一章 『策謀』編
第十三話 真打ち登場
お師匠様は昔からこうなんだ。

冷静なようで直ぐに熱くなる。

俺は確かにドジで間抜けだし、お師匠様のように高度な魔法薬の知識や深い教養がある訳じゃない。

魔法だって大したものは使えない。お師匠様の使う高等術なんて俺にとっては夢のまた夢だ。

でも、いやだからこそ俺にはお師匠様の弱点が良く見える。何でも一匹でやろうとするし、魔法薬が使える分無茶をしてしまう。

秘薬と言ったって所詮は薬。

体を完全に癒す事は出来ないのに、頭に血が上ったお師匠様はそれを時々忘れてしまうんだ。

口にこそ絶対に出さないけど、お師匠様は俺を頼りにしている。たった22歳の若造である、この俺を。

――ヘルメス・トリスメギストス。

お師匠様の口からこの名を聞いたのは俺の記憶が正しければ、今から8年前。

無教養さには自覚がある俺だって、その名が神秘思想や錬金術に登場する伝説的な存在の事を指示しているのには直ぐに気がつけた・・流石に一瞬お師匠様が冗談を言っているのかと思ったけれど、あの人は何時も本気なんだ。

ルカはレイシア達から少しだけミュウに視線をずらす。

度重なる戦闘で毛並はぼろぼろになっているが、それ以上に普段あれだけ気丈に振る舞っている師匠が力なく地面に伏せ気を失っている・・この事実がルカの心に楔を打ち込む。
・・お師匠様は本名以外の過去を俺に明かしたことは無い。何時も口をつぐんだままだ。

伝説上の錬金術師ヘルメスとお師匠様の名前が何故一緒なのかも・・・それ以上に俺と出会った12年前のあの日――俺がまだリオルだった頃――から何故か全く“歳をとっていない”理由も・・・。

未だに秘密を胸中に収めたまま見せてはくれない。

今回だってそうだ。

俺に黙って勝手に“時空の歪み”の調査に出かけちゃって・・近頃、お師匠様の周りで妙な人間達がうろついていたのは分かっていたはずなのに。

――俺が来るのが後少し遅かったら、今頃は連れ去られていたかもしれないんだ・・!

ミュウ、ヘルメスの強さはルカが良く知っている。

ポケモンとしての技の威力やコントロールも抜群だし、経験に裏打ちされた実力は本物だ。

加えて数々の強力な魔法薬。回復に攻撃、能力上昇と数多の補助は師匠の力をさらに高め、比類なきものにする。

だからこそ、お師匠様は油断しやすいお方なんだ。

技も補助も強力な分、心理的に油断してしまう甘さ――俺なんかが見て取れる“隙”をバトルの上級者が見抜けない訳が無い・・。

ずっと俺が懸念していたことが遂に現実になってしまった・・。

お師匠様を守り仕えるのが俺の役目なのに・・。

師であるヘルメスの危機を未然に防げなかった事に対し、ルカは深い後悔の念を感じていた。

『・・あんた、そのミュウの弟子か?』

張り詰めた空気の中、アブソルが口を開いた。

多数対一とは言え、曲がりなりにもミュウを下した相手である事は彼にも分かっているようで、剣の柄に手を当てながら呟く。

『ああそうさ。俺はルカ・アーキヴィスト・・偉大なる錬金術師にして神秘家、ヘルメスの一番弟子だ』

ゆっくり腰のベルトに差し込まれた鞘から刀身が姿を見せる。

鈍い銀色を輝かせる剣にソル達の表情が強張った。

『俺の愛刀“ミセリコルデ”・・この慈悲の剣で、お師匠様の名誉を回復させてもらう』

刹那、ルカの体がソル達の前から消える。本当に消えた訳では無い。

目にも止まらぬ速さで動いた結果、ソル達の視界から消えただけの事だ。

『っ!?気を付けろ、レイシア!“神速”だ!』

“神速”。

神がかり的な加速力を持って攻撃を行う先制技であるが、ルカの場合はここに剣による斬撃が加わる事でより高い攻撃力を持つ事になる。

瞬時に技を“神速”だと察したソルが警告を発するが、遅すぎたようだ。

『あっ・・』

レイシアは何かを言おうとした。技でルカを迎え撃とうとしたのか、或いはソルに助けを求めようと口を開いたのか・・それは分からない。

だが、彼女の意識は自分が何を言おうとしたのか、それさえも自覚出来ないままに消し飛んでしまった。

ドサッとレイシアの体が地に伏せる。

『レイシア!?』

『心配ない。ミセリコルデの刀身を波導で覆っているから、殺傷力は無いさ。言っただろ?俺の斬撃は“慈悲の剣”だと』

“神速”からの剣術。

そして的確に、痛みさえ感じさせず相手を戦闘不能にする技術はルカの並外れたセンスを物語っている。


傷も流血も無くただ一撃で相手の意識だけを奪う。

争いを好まず、いざ行う時は無駄なく的確に。

普段は冷静ながらもいざとなれば好戦的な師、ヘルメスと日常も非常時も一定して穏やかなルカとの決定的な違いが端的に表れていると言える。

落ち着き払っているルカとは対照的にソルは明らかに冷静さを失い始めていた。

レイシアはジュンの手持ちの中で実力的には3番目に分類されるだろう。

少なくともソルやマンダよりは劣るが、それでも平均的なポケモンを越える実力を持っているのだ。

何よりあのミュウを仕留める事が出来たのはレイシアの功績だと言える。

その彼女が何の抵抗も出来ずに一撃で沈没させられた――この事実はソルがそれまで保っていた平常心を失わせるには十分すぎる程の衝撃だったのだ。

『馬鹿な・・』

心臓の鼓動が乱れ動揺に瞳が揺れる。

だが、ソルとてプロだ。

レイシア達と彼が決定的に違うのは、彼が歩んできた道のりが、決して平穏では無かったという点にある。

危機はこれまで幾度となく経験してきた。当然、このような不測の事態も含めて。

此方に不動の眼差しを向け続けるルカに対し、ソルは体全体を屈め腰を低く構える。

――狩りの体勢とでも言うべきだろうか。爪を地面に立て、秘めたる獣性を前面に押し出した表情には先程の彼の理性的な面影はない。

ルカはソルの敵意と闘争心にも臆する事なくただ剣の腹を指で撫でている。

落ち着き払ったその態度は、師に通ずる所があるようだ。

ピクリとソルの後ろ足が動いた。次の瞬間、ソルがルカに背後から襲いかかる。

“神速”と同じ先制攻撃技“不意打ち”だ。

瞬時に加速し相手の隙を突く“不意打ち”は正面から相手を攻撃する“神速”とはまた用途が違う技だ。

あれがスピードを重視したパワー技なら、“不意打ち”はその名の通り死角からの攻撃を成功させる事に重点が置かれている。

成功可能性が保証されている奇襲こそが、この技の神髄だ。

だが、ルカは動かない。

・・もらった!!

鋼タイプを格闘に複合して持つルカリオに対し、悪タイプの技は効果が半減していまう。
だがタイプ一致、そして何よりソルの特性“強運”でクリティカルを引き当てれば一撃でルカをダウンさせる事も可能だ。

ソルの爪がルカに触れるか触れないかの瀬戸際、彼の体がスッと横に移動する。

小川を流れる清流のように音も無くソルの“不意打ち”を避けたのだ。

力を極限にまで抜いた、全く無駄の無い動き。

これには流石のソルも驚かざるを得ない。

『俺の“不意打ち”を避けた・・!?』


先制攻撃技を、しかもソルが最も得意とする十八番が難なく回避された――驚愕の色が彼の瞳を揺らす。

『力み過ぎだよ』

振り下ろされる“ミセリコルデ”。

反応さえできない剣速に咄嗟の防御は叶わない。

いや、まず反撃を受けたかどうかを彼がその時、理解できていたのか定かではないが。

次の瞬間、ソルの意識は空白へと飛んでしまったのだった――


                ****

一方、緊急呼び出し『スリー・コール』を受けたユウタはファオの車でとある場所に到着していた。


既に彼らはヒウンシティから少し離れた場所にあるイッシュ最大の空の港『イッシュ中央空港』に来ているのだ。

フキヨセシティの地方内便とは違い、他地方――シンオウやカントー、ジョウトやホウエンへの直通便を有している。

イッシュ地方の心臓部がヒウンシティなら、この空港は物流と言う名の血液を心臓に送る動脈の役割を果たしていると言えるだろう。

空港のロビーでユウタは一人、文庫本を片手に時間を潰していた。

シンオウへの航空券はファオが今、二人分を購入している所だ。

「イッシュ直通便からシンオウへ立てば約1時間って所か」

彼らはPHCへの潜入調査の為にここ、イッシュ地方まで来ているのだが元々ユウタ達の活動拠点はシンオウにある。

本部から呼び出しがかかった以上、情報部員は速やかに本部があるシンオウ地方まで戻らねばならないという訳だ。


任務の為にイッシュとシンオウを行き来し始めてから随分経つが、今回は長期任務だったからな。シンオウに帰るのは久しぶりだ。


情報部員はその仕事の性質上、長期任務の場合も一か所で止まる事は危険が伴う。

彼らは常に情報戦を水面下で行っている訳で、下手にホテルに長期滞在などする事は出来ないのだ。

ユウタもイッシュで活動している最中、痕跡を残さぬようホテルを転々としてきた。

既に慣れた事とは言えやはり、何か所も寝床を変えるのは流石に疲れが溜まるというもの。

「機内で少し寝るか・・」

シンオウの空港から本部まではさらに車で20分程度かかる。

本部での報告等、後々の事を考えれば機上での睡眠で気力を回復しておく必要があるのだ。

ファオが購入手続きを終えるまでしばし休眠をユウタは取る事にした。

たった数分だろうが、このところPHC案件についての調査が著しく進み、その反動でまともに休めていない。

正直、眠くて仕方がないのが本音だった。

文庫本を鞄にしまい、腕を組んで目を閉じる。

そのままユウタは心地好い眠りの世界に行こうとした――が



「お待たせしました!」


丁度意識がふわりと飛びかけた次の瞬間、聞きなれた声が耳に響く。

と、同時にゴツゴツとした三本指の手が両肩に置かれた。

鷹の様な鋭い爪が人の柔らかな肌を傷つけないようにあくまで優しく触れている所を見るに、彼なりに気を配っているようだが、まずユウタが心地よい眠りに落ちようとしたまさにその瞬間を狙ったかのごときタイミングの悪さは“流石”と思わざるを得ない。

そのまま体を撫で回そうとするその手を掴み、グッと力を入れて捻る。――良い所で起こされた分、力を込めて。

「痛たたたた!捻らないでくださいよぅ!」

慌てて手を引っ込めるファオ。

炎・格闘タイプの強靭な体はこんな事で痛がるようには出来ていないはずだが、単なるオーバーリアクションなのだろうか・・。

相変わらずベタベタと肉薄してくる暑苦しい奴だとユウタは改めて実感する。

こんな目立つ挙動をするバシャーモがよりにもよって特務機関のスパイをやっているのだから、世の中分からないものだ。

構わずユウタは顔を顰めて振り返る。

「航空券は買えたのか?」

「勿論ですよ」

ファオはひらひらと2枚の航空券を振る。だが、少し違和感を覚えたユウタはその手から航空券を引っ手繰ると凝視し始めた。

「ファオ、お前・・」

「はい?」

「なんでファーストクラス取ってんだ・・」

そう、航空券には“First class”の文字がしっかりと刻まれているではないか。

何時も任務の時はビジネスクラスで移動し、経費節減に努めている彼には信じ難い事らしくしばしの間呆然とファオとファーストクラス航空券に交互に視線を移していた。

政府要人やそれに準ずる立場の人間ならばともかく、一介の諜報員に過ぎない自分達がわざわざファーストで移動するなど・・と、考えただけでも立ち眩みしそうになるユウタを尻目にファオはにこにこ顔を崩さない。

「だって、快適に移動したいじゃないですか。それに俺の上司も相当お疲れのようですし」

「・・俺を気遣ってファーストクラスを取ったのか?」

まさか、このトリ頭にそんな細やかな心遣いが出来るはずが・・いや、コイツは秘書的な役割は抜群に上手いんだ。

暑苦しいだけで、良くできた奴なんだ、そう思いたい・・。

「ん〜それもありますけど、俺、飛行機はファーストクラスしか乗った事ないですし・・」

「は?」

今なんつったコイツ・・。

確か『ファーストクラスしか乗った事ない』とかふざけた事を抜かしてなかったか・・?
目の前で困ったように頬を掻くバシャーモ。

どうやらなぜ自分が問い詰められているのかがあまり理解できていないようだ。

彼にとってはどうやら飛行機で移動するとは、ファーストクラスに乗る事を意味しているらしい。

時々垣間見せる教養の深さといい、お坊ちゃま気質といい、ユウタの中でファオに対する疑念が湧き上がってくる。

「・・まぁ取ってしまったものは仕方がないがとしてだな。イッシュ‐シンオウ間の移動の為だけに特に理由も無くファーストとは、経理部が卒倒するぞ」

活動経費で落とすとしても、経理部に対して何か言い訳を考えておかなければならんな・・。

こういう事をされて文句を言われるのはいつも自分なのだ。

――経理部の嫌味を聞く破目になるのかと今から気分が萎え始めていたユウタに、ファオは首を傾げた。

「経費じゃなくて俺の自腹ですよ?あ、勿論両方とも」

「何・・?」

ファーストクラス2枚を経費で落とすでもなく、自腹だと?

大した給料じゃないくせによくそんな贅沢な事が出来るもんだな・・。

しかしファオが自腹で出してくれたのだ。有難く受け取っておくのが礼儀と言うものだろう。

「そうか・・。すまないな、ファオ」

「いいんですよ。これぐらい。大尉がお疲れなのは、俺が一番よく分かってますから」

ファオは隣のソファに腰を下ろすと腕時計を少し確認する。美しい銀細工が施されている長針は既に搭乗時間まで1時間を切っている事を示していた。

「離陸まで後40分って所ですね。どうします?」

「そうだな。搭乗しておくか」

さっさと乗って機内で睡眠をとった方が得策だろう。シンオウ直行便で移動に1時間はかかるんだ。2時間は眠れるな。

「・・本部で報告が終わったら俺が何か奢ってやるよ」

「ふふっ、ありがとうございます」


一人と一匹は立ち上がると搭乗ゲートへ歩みを進め始めたのだった――




































アブソル ( 2012/12/07(金) 22:48 )