第十一話 Yankee Doodle
イッシュ地方最大の都市、ヒウンシティ沿岸から数キロ離れた孤島。
資源も観光も無く、ただ無人島としてポケモンだけが住み着いている侘しい島の森を一匹のグレイシア――レイシアは息を切らして駆けていた。
マンダが作ってくれたチャンスを無駄にする訳にはいかない。・・彼女を信頼してくれた彼の為にも。
あのミュウを捕獲する。それがレイシアのトレーナーたるジュンの仕事だ。
・・一体自分達は何の為に戦っているのだろう・・・。
ふいにレイシアの脳裏にある“疑問”が浮かぶ。
ポケモンである自分達が、ポケモン捕獲の手伝いをしているのだ。
ジュンが何故ここまで“ポケモンハンター”というあまり快くない――少なくとも彼女達にとっては――職業に就いているのか、レイシアは予てから彼の真意を量り損ねていた。
単にポケモンを捕獲する事に快楽を感じている“愉快犯”なのか・・・いやジュンは確かにあるポケモンに対して執着している。
そのポケモンが一体何なのか、レイシアは知らないが、単に捕獲をゲーム感覚で楽しんでいるだけではないのだろう。
・・一体何を思っているの、ジュン・・・。
何で私達に打ち明けてくれないの・・・。
だが、レイシアはそんな疑問を振り払う。無駄な感情だ。この状況では何の価値も無い。
今は仕事を遂行する事に集中しなければならない――感情など、不要なのだ。それがどんなに大切な“魂の叫び”でも。
レイシアは全力で森を駆け抜け、ソルとワーズが待機している場所まで急ぐのだった。
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気まずいなぁ・・。
一方マンダ達の側で激戦が巻き起こっている事など知る由も無く、島の反対側で待機命令を受けているワーズ達は平和な時を過ごしていた。
と言ってもワーズにとって寡黙な仲間、ソルと二匹だけで長時間待機し続けるのは彼にとって少なからぬ負担であるようだ。
『アブソル』という種族故か、それとも彼自身の性格なのかは分からないが、兎に角ソルは寡黙だった。何も喋らない。
勿論ワーズは彼に話題を振ってみたが「そうだな・・」「ああ・・」としか返されずすっかり意気消沈してしまったのだ。
それにしても全然連絡が無いや、何かあったのかな・・・。
ワーズは前脚で首輪『ディードジャマ―』にそっと触れる。
少し前にジュンから『現場待機』の指令メッセージが送られてきてから、時間は経過している。
一向ににレイシア達から連絡が来ないのだ。
楽天家なワーズでも流石に心配になって来たらしく、そわそわと体を動かす。
『・・・』
対して沈黙を守り続けているソルであったが、内心彼も少し動揺し始めていた――外見からは全く分からないだろうが。
何かあったのか・・・?
レイシア達に万が一の事があったとしたら、連絡が一向に送られてこないのにも納得がいく。
俺達が現場の判断で動くべきなのか・・。
しかしジュンよりの指令も『現場待機』以外は送られてきていない。
が、そのメッセージももう40分以上の前のものだ。
・・本当はレイシア達は俺達の加勢が必要な状況にあるんじゃないか・・・。
この状況に対する疑問が彼の脳裏に過る。
もしジュンが指令を送れない状況にあるのだとすれば・・数十分も何のメッセージも無いのにも納得がいく。
或いはジュンには考えがあって、俺達をここに止めているのか・・・。
――分からない。
命令を受けなければ、ソルは動けない。
彼は与えられた仕事やその場の指示には的確に反応し、行動できるが、反面自分で独自に動く事を苦手としていた。
今、この状況はワーズよりもソルにとってより辛いものだろう。
仲間は心配だ。本当なら今すぐにでも様子を見に行きたい。
だが、ジュンからの指示を待たず独自の判断で行動すべきなのか、或いはここで待機を続けるべきなのか―――ソルには判断が出来なかった。
ジュンはレイシア達の状況を把握しているのか・・?
もし把握しているなら、俺達に情報を転送してくるはずだ。或いはレイシア達に異変があったとしても。
レイシア達とジュンからの両方から何も連絡がないと言う事はレイシア達がミュウを倒せた、またはそもそもまだ遭遇していないと言う事になるが・・・。
『ソル、レイシア達大丈夫だよね・・・?』
心配げに尋ねてくるワーズに対し、ソルは「ああ」と呟くだけだ。
そんな彼の反応に、悲しげにワーズは項垂れる。
その姿があまりに健気で、小動物的で――ソルの中の母性本能をくすぐった。
無論彼は雄だが、雄にも母性本能はあるのだ。
そっとソルはワーズの肩に触れる。
『心配するな。レイシア達はそう簡単にやられる程ヤワじゃない』
顔を上げるワーズの顔は涙で濡れていた。
前々から感じていたが、ワーズは雄とは思えん程可愛いな。
素直で優しい弟分程愛らしい存在は無い。
『ボク心配だよぉ・・』
ソルの胸元にワーズは顔を埋め、不安そうに言葉を漏らした。
兄貴分に当たるソルと一緒に居て、不安感が胸の奥から溢れ出始めているのだ。
そんなワーズの背中をソルは優しく撫でる。
普段寡黙な彼が時折みせる優しさこそが、ソルが雌のポケモンに好かれる大きな要因だろう。
彼がそれについてもクールでいる事も、逆説的に彼の人気に拍車をかけているようだ。
アブソルと言う種族故、冷たい性格と見られがちなソルではあるが、その実心優しい男なのだ。
ワーズはそんなソルの胸元に顔を埋め、豊かな白の毛皮の暖かさを感じている。
生命の躍動とふわふわとした毛皮の気持ちよさに、少しずつだが不安感も和らぎ始めてきた。
この状況を最も欲しているであろうレイシアでは無く、ワーズがソルに抱き着いているのは彼の無垢さ故だろうか。
他者からどう見られるとか、どの様な関係かを疑われる事に対する不安とか、或いは、雄が雄に抱き着いて胸元で咽んでいる事自体に対する“常識的”な自己判断とかは――ワーズにとっては何の意味も無いのだ。
ただ優しさに包まれていたい・・これが今の彼の全てであり、それ以外にない。
『・・何やってんのあんた達』
不意に背後から聞こえる冷え切った声。
その声の主が氷タイプだからなのか、それとも別の要因が絡んでいるのかは定かではないが――レイシアは心底凍りついた声音を発し、つかつかとソル達に歩み寄る。
ソルの胸元に埋めていた顔がレイシアの方を向く。
ぱあっとワーズの顔が輝いた。
残念ながらソルはレイシアがここに来た事を心の底から喜べる程、“鈍く”は無い。
『あ、レイシア!ボク達心配してたんだ――』
喜びに満ちた言葉は、ワーズがレイシアに首根っこを咥えられてソルから引き剥がされた上、彼女の呪詛に満ちた瞳に睨まれた事で霧散してしまった。
『な、何す――』
反論しようとしたワーズであったが、彼女の嫉妬と憎悪の業火を秘める視線に――無論、彼に彼女が“何に”怒りを燃やしているのかを知る術はない――本能的な危険を察知し、押し黙る。
『・・・それで、持ち場を離れてここに来たと言う事は何かあったんだな?』
見かねたソルがそっと助け舟を出した。
嫉妬で本来の目的を忘れかけていたレイシアは、あっと声を上げる。
後ろでワーズが“執行猶予”がついて、ホッと胸をなで下ろしたのを彼女は知らぬまま、少しだけ俯き呟く。
『――そうなの。実はミュウが想像以上に強くって私達だけじゃ倒せないのよ・・・それで、私が応援を呼びに来たってわけ』
『何・・?』
ソルは顔を顰めた。理屈に合わない事が2、3あるのだ。
『ならば何故俺達に連絡を入れなかった?“ディードジャマ―”には通信機能がある事は知っているだろう!?マンダをその場に残すリスクを負ってまで――』
『あの首輪なら両方ともミュウに破壊されたわ。技を封じている状態で逆に、“ディードジャマ―”に念動力をかけてね・・・』
その言葉にソルもワーズも絶句する。
技を使えない状態で、逆にそれを封じている機械を壊した。その事実だけでミュウの能力の高さを伺い知る事が出来たからだ。
『しかし解せないな。ジュンはこの事態を察知しているはずだ。なぜ俺達に知らせてこない・・』
『考えがあるんだよ・・きっと』
『そうね、そう思いたいわ』
そうお互いに頷き合うと、3匹は走り出した。
仲間が待つ場所へ――
****
イッシュ一の大都市、ヒウンシティ。
そのメイン・ストリートに接する巨大なホテルの正面玄関口に一人の青年が立っている。
腕時計にちらちらと目をやっている所を見ると、誰かを待っているようだ。
と、ヒウンシティの大通りの向こう側から一台の車がやって来た。
黒いボディの何処にでも走っていそうなバンであるが、どうやら青年――ユウタが待っていたのはその車らしい。
彼の目の前で停車するバン。ユウタは黙ってドアを開け、乗車した。
「約束の時間より40秒の遅刻だ。ファオ」
「あなたが時間ぴったり過ぎるんですよ」
運転席でハンドルを握っているバシャーモ――彼の部下、ファオはけらけらと笑う。
快活な性格は彼の長所だ。しかし、あまりスパイ向きの性格とは言い難い。
ユウタは後部座席に座ると腕と足を組んだ。
「出せ」
「了解です」
ファオがアクセルを踏み込む。バンがメイン・ストリートをするすると走り出した。
「・・それで本部から連絡があったんですか?」
「ああ。スリー・コールがかかって来た」
本部からの重要要件による呼び出し命令――“スリー・コール”のワードが出てきた瞬間、ファオの表情が少し硬くなる。
「本部は一体どんな情報を掴んだんでしょうねぇ・・」
「さぁな。確実なのは、PHC関連の重要な情報だって事だけだ」
ユウタは外の景色を眺めながら組んだ右足をぶらぶらと揺らす。
他の諜報員が成果を上げたのか、それとも内部からの告発があったのか、それは分からない。
しかし確実にPHCの秘密主義を打ち崩せ得る所まで来ている事は事実だ。
「・・ファオ、“Q”達からは何か連絡はあったか?」
他の情報部員達が機密入手に成功したのかと考え、尋ねてみる。
「いえ、俺の所にも連絡は来ていません」
・・やはりな。
一応聞いてはみたものの、大方の予想通り諜報員が入手したわけではなさそうだ。
PHCとポケニックの相関関係は未だに謎だが、ポケモンを使用した不法な実験を行っている疑惑が徐々に浮き彫りになっている事は“進展”と言うべきなのだろう。
「そういえば・・」
黙って考え込むユウタに、何を考えたのかファオが話しかけた。
「・・何だ?」
顔を上げ怪訝そうな表情になる。運転をしながらファオは言葉を続ける。口調が若干嬉しそうな理由は彼にしか分からない。
口元、いや嘴をもぞもぞと動かす。
どうにも照れくさいらしく自分から話しかけておきながら言い出せない様子に、ユウタは痺れを切らした。
「何だ!?はっきり言え!」
「・・今日、いい匂いがしますね」
「・・は?」
何を言ってるんだこいつは。
ファオの発言の意味が分からずユウタは目を丸くする。
「いや、シャンプーの良い匂いがしてるな〜って思いまして。髪も少し湿ってるしシャワー浴びた直後でしょう?」
「よく分かるな」
「そりゃあ分かりますよ。だって他ならぬあなたの事ですから。愛する人の事なら、全部知ろうとして当然じゃないですか」
さらっと放たれる変態発言にしかし、彼はあまり気にしない。何時もの事だからだ。
このバシャーモ――コードネーム“V”、ドイツ語発音で“ファオ”――がどうやら自分に惚れているらしい事実は彼が情報部配属になったその日から明らかだった訳で、今さらどうにも思わない。
彼の猛烈なラブ・アタックをこの2年程いなし続けて来たが、ファオは諦めるどころか益々情熱の炎を燃やし続けているらしく、ことある事に擦り寄ってくる訳だ。
だがユウタにとってファオからのラブコールは取り立てて不快なものでも無く、かと言って頬を赤らめる類のものでも無く、言わば右から左へ抜ける音でしか無い為、実の所どうでもいい事なのだ。彼にとっては。
勿論、好かれている事実自体は嫌われるよりもよっぽど良い事に違いない。
何より任務遂行の際、ファオは実に的確に自分の真意を量ってくる。
ユウタの言わんとする事を推し量り着実に期待以上の仕事を遂行してくれるのは、彼にって非常に有難いのだ。
その点、ユウタのファオに対する信頼は厚い。
例え彼の努力の原動力が私情に基づくモノであったとしても、実際に結果を出していれば問題は無いのだから。
時間を有効活用する為に、ユウタは鞄から取り出した先ほどの資料ファイルに再び目を通し始める。
「・・知ろうとして当然、か。お前は俺の何を知りたいんだ、ファオ」
何気なく聞くと、ファオははっきりと答えた。
「勿論、“全て”ですよ。あなたの事なら」
「・・・そうか」
俺は誰かの事を知りたいかと聞かれれば、そうそう『全て』など答えられないが・・まぁこう臆面も無く意志表示が出来るこいつは大物なのかもしれんな。
ハンドルを握り上機嫌で安全運転を行う、運転席のバシャーモをユウタは少しだけ普段とは違う眼差しで見つめる。
思えばこいつは何時も俺の傍に控えている空気の様な奴だった。
俺の秘書的な役割も任せていたし、スケジュール調整も上手い。
ファオは居るのが普通になっていたが、考えればこいつも正当に評価されるべきなんだ。
何だかんだ言って有能なんだからな。俺の部下として当然だが。
「いやだなぁ。そんなに熱い視線を送られたら照れるじゃないですか〜」
どうやら無意識にファオの背中を凝視していたらしく、バックミラー越しにユウタを見ていたであろうファオは嬉しそうな声を上げた。
バックミラーに映るファオの目元が笑う。
・・・少しでもこいつを評価しようと思った俺が馬鹿だった。
ユウタはため息をつくと、足を組み直しもう一度資料に目を通し始める。
沈黙を肯定と受け取ったのかますます機嫌を良くしたファオは、鼻歌まで歌い出した。
“ヤンキードゥードゥル”。
有名な民謡歌だが、ファオは機嫌がよくなるといつもこの手の民謡を口ずさむ癖がある。
どこぞの愛国歌から“マザーグース”の童歌まで彼の口ずさむジャンルは幅広い。
妙な知識―まぁ、それを“教養”と言うのかもしれないが―だけは豊富なのだ、このバシャーモは。
特にこの歌は彼にとって大好きな一曲らしい。
――Yankee Doodle went to town
a-riding on a pony
Stuck a feather in his cap
and called it macaroni
(マヌケなヤンキー、仔馬にのって町に行った。
帽子に羽根さして、マカロニ気取り)
Yankee Doodle Keep it up
Yankee doodle dandy
Mind the music and the step
And with the girls be handy
(ヤンキードゥードル、その調子!
ヤンキードゥードル、イカしてる!
音楽に合わせてステップ踏めば
女の子なんてイチころさ!)
Father and I went down to camp
Along with Captain Gooding
And there we saw the men and boys
As thick as hasty pudding
(父ちゃんと僕は野営地に行った
グッディングキャプテンと一緒に
そこで僕らは男と男の子にあったのさ
出来たてプディングと同じようにぐちゃぐちゃだ)
Yankee doodle. keep it up
Yankee doodle dandy
Mind the music and the step
And with the girls be handy.
(ヤンキードゥードル、その調子!
ヤンキードゥードル、イカしてる!
音楽に合わせてステップ踏めば
女の子なんてイチころさ!)――
「・・“ヤンキードゥードゥル”か。随分その歌が好きだな、ファオ」
ユウタは書類に目を通しながら顔を上げずに呟く。
「好きですよ〜。陽気な歌は大好きです。・・俺としてはAnd with the girls be handyの“girls”を“boys”に変えたらもっといい感じになると思うんですけどねぇ」
「そう思うのはお前だけだ」
すかさず資料を読みながらも突っ込みを入れる。正に阿吽の呼吸と言えよう。
「だが、お前の歌唱力が妙に高いのは認める。まだ本部に着くまで時間があるな。もう一度歌ってみろ」
「了解です。あ、歌詞は“girls”から“boys”に変えて――」
「そのまま歌え」
「・・了解」
少し微笑むとファオは陽気に歌い出す。
彼の口ずさむ“ヤンキードゥードゥル”を聞きながら、ユウタはページを捲くるのだった――