第十話 汚染の霧
これで最後かな。
僕は鞄から小型のプラスチック爆弾――C-4を木の根元に埋め込む。
いざという時の為にこれを持ってきて正解だった。
証拠隠滅に任務遂行とこの爆薬、C-4はあらゆる場面で役に立ってくれるからね。
マンダ達に取り付けた『ディードジャマ―』からの信号発信が途絶えているのを見ると、首輪を破壊されたと想像できる。
つまり、それだけあのミュウの実力が高いと言う事だ。
何の策も無く彼らの下に駆けつけても、人間の僕は足手まといになるだけだ。
・・“何の策も無ければ”ね。
二機の『ディードジャマ―』からの発信信号が同時に途絶えたと言う事実は、あの技無力化の拘束を破れる程の力をミュウが持っていると証明している。
ならば、一計を講じるだけだ。とびっきりの作戦を。
・・・この無人島の森には大勢のポケモン達が暮らしている。
木々があるからポケモン達は豊かに暮らしていける訳だけど、それがもし無くなれば・・全て消えてしまえばどうだろう?
困るだろうか?嘆くだろうか?
それともこの土地を踏み荒らされた事に怒るだろうか?
それが他ならぬ僕の手で行われるとしたら・・・。
いや、どうでも良いことだ。
僕にとって最優先事項は仕事の遂行。
その為にこの森がどうなろうが、ポケモン達の暮らしが壊れようが、興味など無い。持つ必要も無い。
それが“ポケモンハンター”の仕事なんだからね。
地面から半分顔を出しているC-4に起爆装置を取り付け、しっかりと幹に固定する。
粘度上のプラスチック爆薬であるC-4は耐久性、安全性、化学的信頼性も高い破壊活動には打ってつけの爆弾だ。
起爆装置からコードを引き、木の上の枝に小型のレーザー探知マシンを取り付けた。
これでミュウがこの木を潜った瞬間に、レーザーに当たりC-4が起爆する罠を仕掛け終わった訳だが、ジュンは更に別の策を付け加える事にした。
あのミュウが一筋縄ではいかないのは最初の奇襲を察知し回避したあの驚異的な探知能力から考えても明白なのだから、此方としても全力を尽くさなければならない。
「・・・プラスチック爆薬は後10個程度か、何処に仕掛けようか」
ミュウの動きを考えて、誘導してやるんだ。
逃げ道を作って誘い込んで死なない程度の爆風で吹き飛んでもらう、と。
「目には目を、歯には歯を、ポケモンにはポケモンを、さ。今はレイシア達に任せて僕はつっくりこの森自体を“罠”に改造することに専念させてもらうよ・・・」
****
ジュンが着々と罠を島全体に張り巡らせ終わる頃、マンダ達は未知なる力を披露すると宣言するポケモン、ミュウと対峙していた。
『レイシア、先手必勝だ。行くぞ』
『・・ええ!』
“魔法”とやらを使われる前に少しでもダメージを与え、隙を見て小柄なレイシアが仲間の下に駆けつけ応援を呼ぶ。
今の彼らにはその選択肢しかないのだ。
『大文字!』
マンダが口から大の字の炎を放つ。迫りくる炎に対してミュウは身を翻すと上空に回避した。
『冷凍ビーム!』
逃げる先の予想がついていたレイシアは、すかさず技を繰り出す。
勿論、いち早く反応したミュウの“守る”によって冷凍ビームは防がれてしまったが。
『やっぱり攻め手に欠けるわね』
レイシアは思わず舌打ちをしてしまう。ミュウに攻撃が届かないのが何よりも歯痒い。加えて攻撃を直撃させても効果が薄いと来れば、やはり今の戦況は絶望的だと言わざるを得ない。
『・・レイシア、さっきの言葉覚えてるか?』
『ええ。“考えがある”って・・』
マンダには何か考えがあるようだ。この場を切り抜ける、とまではいかなくとも状況を改善しうる一手が。
『俺の作戦はあのナルシスト野郎に一発入れつつ、レイシア、お前をワーズ達の場所に行かせる“一石二鳥”を狙うもんだ。・・その為にはお前の力が必要なんだ、レイシア』
――俺の炎技とレイシアの氷技。これを使えば・・。
『いいか、レイシア。お前の持つ最高威力の氷技“吹雪”をナルシスト野郎にぶつけるんだ。防がれても構わねぇ』
『それで・・その後どうするの?』
ミュウは腕を組んで此方を見ている。この緊張状況を楽しんでいるのだ。絶対の自信が彼に余裕を与えているのだろう。
自信ゆえ攻撃をしてこないその傲慢なまでの態度。それが、皮肉なことに今の自分達にとって“救い”になっているのだ。
『・・俺の予想じゃ、ここら一帯の視界が完全に遮断される一瞬が来る。その瞬間がチャンスだ。全力で走ってこの森を抜けろ。そして島の反対側で待機してるワーズ達に援護を頼んできてくれ』
彼の作戦を察したレイシアは黙って頷く。今この状況に置いて発揮されるリーダーシップ、その冴えに狂いは無い。
『よし・・いくぞ』
力強くマンダは飛び立ち空中で腕を組んで此方を見据えているミュウと直接、対峙する。
『二度目の作戦タイムは終わりですか?』
『・・・――あんまり舐めてると痛い目合うぜ、ナルシストさんよ』
凄みのあるマンダの言葉に、しかしミュウは動じず少しだけ目を細めた。
『君達の全力とやらを見てから、私も“魔法”を使うとしましょう』
チラッと地面で控えているレイシアに視線を送る。彼女は軽く頷くと、身を引いた。
『吹雪!』
氷タイプ最強の技、“吹雪”がミュウに襲い掛かる。
『馬鹿ですね。どれだけ威力の高い技を使おうと私に通じはしない』
『・・そいつぁは分からねぇぜ?――大文字!』
ここで炎技を放つマンダ。炎タイプの技“大文字”は吹きすさぶ“吹雪”とぶつかり合い、そして――
ボンッ
『ほう、そう来ますか』
“吹雪”は一気に蒸発し、森にに高濃度の水蒸気が満ちる。
自分に攻撃してくるものと思っていたミュウにとってこれは予想外の事態だった。
『まさかここで視界を奪ってくるとは・・』
まるで濃霧の中にいるようだ。何も見えない。
『しかし彼らとて同じ条件のはず。こんな事をして何の意味があるんでしょうね』
と、その時急に周囲が冷え始めた。
自分の皮膚に付着した水分が急速に凍っていく・・。
『これは・・!』
彼は悟った。
この視界ゼロ空間のどこかで、あのグレイシアが冷気を発し周囲の温度を下げている事に。
『“吹雪”を一度“大文字”で気化させ、視界を奪い再び凍てつかせることで体力をも削ろうと言う訳ですか・・!』
それにしても寒い・・!何て寒さなんでしょうね・・。
小刻みに体が震える。自分に纏わりついた水分が凍り始め、体の芯から熱が奪われ始めているのだ。
こんな時にルカが居れば、暖を取れるんですが・・。
しかしこの状況はあのボーマンダ達にとっても同じはずだ。いや、氷技が一段と苦手なボーマンダにとっては地獄の様な状況に違いない。
視界も体力も奪われつつあるミュウはしかし、ずっと思考を巡らせていた。
つまり、ボーマンダの方はこの冷気の中凍えているのだろうか・・?仲間を巻き込んだ作戦だと考えたほうがいいのか・・。
いや、違う。ミュウの脳裏に一つの考えが浮かぶ。
『私から視界を奪ったのは・・まさか、私から誰かを逃がそうとしている・・?』
『うぉぉお!』
その時、不意に後ろから雄叫びが聞こえる。
『“ドラゴンクロー”!!』
一瞬だった。
視界がぶれたのと同時に、ミュウの体は地面に叩きつけられていた。
普段なら反応できただろうが、視界ゼロと冷気の中で感覚が鈍っていたのだ。
『はぁ、はぁ――どうだ!テメーのムカつくすかした顔に一撃お見舞いしてやったぜ!』
マンダの体もまた凍てつき始めている。飛行・ドラゴンタイプの彼にとってこれ以上にない程の苦痛のはずだが、それを乗り越えてマンダは気合で動いているのだ。
捨て身を覚悟したからこその作戦である。
地面に叩きつけられたミュウは黙ったままゆっくりと立ち上がった。
両手で顔に触れる。
彼のピンク色の頬には切り傷が出来ていた。
深紅の液体が彼の頬から首元を伝って地面に落ちる。
『・・・っ!わ・・わた・・私の・・』
『・・?』
マンダは怪訝そうに眉をひそめる。予想外の反撃に怒りを感じている訳でも、困惑している訳でもなさそうだったからだ。
そう、簡単に言えば――ショックを受けていると表現すれば的確か。
ミュウは目を見開いて震えていた。
瞳がゼリーのように震え、擦れた声が口から漏れ出し、先ほどの知的な雰囲気が完全に吹き飛んでいる。
『私の・・私の・・美しい顔に・・至宝の毛並に・・傷が・・!!』
ガクガクと肩を震わせミュウは指をパチンと一度、鳴らした。
何処からともなく落ちてくる一つの瓶。赤い液体が入っている。何かの薬だろうか。
『今すぐに処置しなければ・・!私の顔に傷痕が付いてしまう・・・!』
必死の形相でミュウは薬瓶を開け、赤い液体を傷口に塗り込む。
見る見るうちに治癒していく傷口に、マンダは驚きで言葉も出なかった。
突如空中から出現した薬瓶に、驚異の回復薬にとマンダの常識が悉く砕け散っていく中、ミュウはそっと薬を塗りこんだ傷口に手を触れ、愛おしげに自分の頬を撫で始める。
『ふぅ、これで傷痕は残りませんね。私の美しい顔に傷痕など許されないのです・・・決して!――さて』
くるりとマンダの方を振り返るミュウ。
先ほどの動揺はどこへやら、傷に処置を施し終わり冷静さを取り戻したようだ。
ただし変わった事もある。
先ほどとは違い、無表情な眼差しに変貌していたのだ。
マンダ達が油断ならない相手だと悟ったのか、それとも怒りが沸点を越え能面化しているのか・・・恐らく、その“両方”だろう。
『君は触れてはならぬ部分に触れてしまったようです。私がこの世で最も愛するもの・・美の体現者であるこの“私”に傷をつけたのですから・・・』
パキッ
小さな音がした。そう、例えるなら何かの蓋を開けた時のような――軽い音だ。
『しかし、援護を呼ばせる為グレイシアを逃がし同時に私に奇襲を仕掛け成功させるとは・・君は中々の実力者らしい』
ミュウの称賛の言葉は、嫌味でなく彼の本心だったのだが、マンダの意識はその言葉には注がれていなかった。
彼の視線はミュウの手元。先ほどの回復薬とは違う、濃い緑色の液体が入った瓶に注目していたのだ。
ぽたぽたと小瓶から滴り落ちる緑の液体。地面に垂れて煙を上げている。
『“魔法”をお見せすると言ったでしょう?“これ”がそうですよ』
彼の視線を感じたのか、ミュウは笑って説明する。
『なんだよ、そりゃあ・・!』
マンダの本能が警告を発している。この場には危険な“何か”が充満していると。
しかし彼の体は、その意思を受け付けず、まるで麻酔をかけられたかのように――痺れて動けなかった。
『私が煎じた魔法薬です。精神に干渉を加える秘薬。薬が気化したガスを一たび吸えば、思考は犯され自我は揺れる――そんな素晴らしい魔法の薬ですよ。私はこの薬を“汚染の霧”と呼んでいますがね』
ミュウが取り出した魔法薬“汚染の霧”に体と精神を犯されゆくマンダ。
その姿を目を細め、口元に微笑を湛えミュウはじっくりと観察する。
『私が呪文を唱えると思いましたか?“開け、ごま!”と言うとでも?勿論、そういう魔法もありますが、私の得意分野は魔法薬調合でしてね・・。その手の魔法もこの島に既に仕込み済みですが・・・まぁ、今の君に何を言っても無駄でしょうね』
薄れていく自我と痺れる体に、マンダはただレイシアがワーズ達の下に到着する事を願う事しか出来なかった――