第一話 黒羽準
「・・この辺りかな」
鬱蒼と茂る森を抜け、僕は小型端末を頼りに道なき道を進む。
ここらに居るはずなんだけどね。
確かに追跡用探知機からの信号はここで合っているはずなんだ・・・。
ターゲットが居ないのはどういう事なんだろうね。どこかに隠れているのかな。
この少年――ジュンは内心に秘めたる苛立ちを顔には出さず、そのまま森を突き進む。
信号は今僕が居る場所を指示している――確かにここに居るはずなのに!
「もしかして姿を消しているのかな?」
試しにジュンは顔に掛けている多機能バイザーのスイッチを入れた。
この多機能バイザーは、周囲のポケモンから発せられる熱をサーモグラフィーとして表示できる。
これを使えば、姿を消していたとしても発熱からその居場所を察知できるのだ。
「・・・居た」
やはり姿を隠していたか。
バイザー越しにはハッキリと目標のポケモンの姿が現れていた。時渡りをする幻のポケモンが。
「セレビィ・・・」
右腕に装着したキャプチャを構える。
この小型の装置から発せられた可視光に当たったものは、黄土色に変色しその動きを止める。勿論、死にはしない。
だが、外部からしか“石化”は解除できないようになっている。
これを使えばどんなポケモンでも一瞬で捕獲できる訳だ。
僕達“ポケモンハンター”の必需品だね。
装置出ているトリガーに指をかける。幸い、セレビィは警戒こそしているけれどまだ僕の存在には気が付いていない。
チャンスだ。
そう思うと自然と笑みが零れる。
ジュンが引き金を引こうとした、正にその瞬間。
「ジュン!どこに居たんだ、探したぞ」
後ろから急に声がした。驚いて振り返るとそこには僕と同じ制服に身を包んだ青年――我が友、ユウタが立っていた。
「・・・ユウタ」
彼は僕の同僚。と言っても僕より年齢は3歳ほど年上なんだけどね。
だから僕にとっては友人と言うよりは寧ろ、兄・・いや、やっぱり友達だ。それ以上でも、それ以下でもない。
ユウタは僕と同じく雇われハンターだけど、僕は実際に捕獲するのが専門なのに対して、彼は少し違う。
彼、神川雄太はターゲットの追跡と調査が専門だ。
何処かで特殊な訓練を積んだんじゃないかと思うほど鮮やかに情報を掴んでくる。
・・いや、今はそれどころじゃない!
意識をセレビィに再び集中させる。しかし、時すでに遅し。
バイザー越しに確認しても、セレビィの姿は影も形も無くなっていた。
「ちょっとユウタ・・。君が声をかけたから、セレビィを掴まえ損ねたじゃないか」
僕が文句を言うと、ふんっとユウタは鼻を鳴らす。
「お前が集中力を切らしたのが悪いんだ。それに、依頼された任務のターゲットはヒポポタスだったはずだ、お前任務中に何勝手に依頼外のポケモンを掴まえようとしてるんだよ」
「ヒポポタスならもう掴まえたよ、ほら!」
苛立ちを隠さずにジュンは一つのモンスターボールを突きだす。
私用で動く前に仕事は終えておく。それがジュンのポケモンハンターとしてのポリシーである。
「なら余計な欲を出さねぇこった。さっさと帰るぞ」
淡々とユウタは踵を返す。
・・・まぁいい。
チャンスはいくらでもあるんだからね。
****
セレビィを取り逃がしたのは残念だったけど、元々仕事中に私用を挟んでいた僕が悪いわけだし・・諦めるしかないか。
ジープの後部座席にもたれ掛りながらジュンはため息を付く。
「なんだ、まだ引きずってるのか?」
運転席に座るユウタが肩ごしに喋りかけてくる。
「ここにセレビィが出るって前から調査していたんだ。折角の機会だったのに・・・」
「未練がましいぞ、ジュン」
窘めるユウタ。誰のせいで逃したのか分かっているんだろうか、まるで他人事だ。
「大体仕事をしている時はそれに集中しろ。二兎追う者は一兎も得ず、だ」
「一兎は得てるから二兎めを取ろうとしてたんだけどねぇ」
「なら欲を出す事はない。任務を終えたらさっさと帰還する。これが鉄則だろうが」
相変わらずの頑固っぷりだ。こういう時ユウタは自分の意見は一切変えようとしない。
彼はやたらと“任務”を強調するんだ。
勿論悪いことじゃないし、任務中にターゲットを捕獲していたとはいえ、仕事外のポケモンを私事で捕まえようとしていた僕に非があるんだけどね。
後部座席に座りながら何気なく窓の外に目をやる。
森を抜け、高速道路へと出たようだ。
「ここを抜ければイッシュ最大の都市、ヒウンシティだ」
「ポケモンを提出してさっさと終わらせたいよ」
僕は小型デバイスの画面をスクロールさせ、ボスにターゲット捕獲の報告を行う。
報告もパソコンかそれに準ずる端末で手早く終わらせる。それが僕が所属する組織のやり方だ。
効率的だし、機械的で僕は結構気に入ってるけどね。
そうこうしている内に景色は街中へと変わっていた。
見慣れた景色だ。ここを活動拠点してから随分たつ。
排気ガスの臭いが鼻につく、お世辞にも“クリーンな”街とは言い難いけど、僕はこの便利なヒウンシティを気に入っている。
住めば都って言うし。
「着いたぞ」
ヒウンシティ最大の立体駐車場にジープが入っていく。
主にポケモン用の福祉製品や医療開発を請け負い、ポケモン医療市場のシェア4割保有する大企業『ポケモン・ヒーリング・コーポレーション』・・通称PHCの関係者専用の駐車場だ。
ジープを止め、車を降りるジュンとユウタ。
「俺は少しよる所がある。ジュン、お前はそのヒポポタスを提出しとけ。・・・そうだな、昼前だし、提出が終わったら連絡を入れろ。良い店をしってるからな、昼飯を食おう」
微妙な命令口調でユウタは告げると、さっさと立ち去ってしまった。
・・相変わらず偉そうなんだから。
何故だか知らないが、ユウタと共に居ると常に命令されているような気がする。
まぁ、偉そうなんだけど人の話はよく聞くし思考は柔軟な方だから、良い友人だとは思うんだけどね。
僕も手早く報告を終わらせよう。
ジュンは立体駐車場のエレベーターに乗り込み、地下1階まで下りる。
ここからPHCの社内へと直接移動できるようになっている。便利な事だ。
「ここからは一般社員に知られちゃいけない関係者だけが通れる通路があるんだよね」
僕は廊下に入ると、右側へと直進する。
その突き当りにある「関係者以外立ち入り禁止」とプリントされた紙が貼られている扉が妙な威圧感を放っているのが分かる。
ドアには電子錠が欠けられており、パスワード入力が開門の条件となっている。
7桁のパスワード。勿論、ジュンと幹部しか知らない。
「パパはニコニコっと」
“8882525”の数字をデバイスに入力する。
カシャンと言う開錠音と共に強化合金製のドアが横へとスライドしていく。
ここを通るには専用登録されたパスワードが必要となっており、それを持てるのはPHCの裏稼業を支える・・専属の“ポケモンハンター”だけなのだ。
世界的大企業が裏でポケモン売買業に手を染めているなど、誰が知ろうか。
隠し通路には銀行の個人用金庫を思わせるアルミ製のボックスがズラリと並んでいる。
ジュンは自分専用の提出ボックスのふたを開けると、商品(ヒポポタス)が入ったモンスターボールを入れ、スイッチを「納入済」に切り替えた。
これで本部のメインコンピュータに電子データが転送され、専用パスワードを持つ運び屋がこれを依頼主に届ける・・と言う訳だ。
最も自分で取りに来たり、フェアトレードを好み直接ハンターと取引をする客も結構いるのだが。
「・・12時半か」
12時半・・丁度いい時間だ。グッドタイミングだね。
パタン、と提出ボックスを閉める。
表示が「納入済」になっているのを確認した上でジュンはコートのポケットから私用携帯を取り出した。
「メールが届いてる。ユウタからだ」
『ジュン、「ルカリオとリオルのカレー屋さん」で待ってる。さっさと来い』
「了解」
携帯電話をポケットに突っ込み、ジュンはその部屋を後にした。
****
ヒウンシティはイッシュ地方の物流の原点だ。イッシュの心臓部とまで称されるこの大都市には、当然食べ物巡りも楽しめる。
今僕が居る、この店「ルカリオとリオルのカレー屋さん」は文字通り、カレー専門店だ。
ただサービスの仕方が少し変わっていて、一般的なカレー屋と異なる点としては、ウェイターは全員ルカリオであり、リオルは主に女性客に放たれる刺客として働いている事が上げられる。
ポケモンと料理。心も舌も満足させる独特のサービスが人気を呼び、すっかり有名店となっている訳だ。
・・その有名店に、しかも12時半というタイミングで直ぐに席につけたのはラッキーとしか言いようがない。
ルカリオが注文した料理を運んできてくれる。
僕がスタンダードなカレーで、ユウタがオレンの実入りカレー。値段も量も満足な仕上がり。
ただ一つの点を除けば。
そう、彼なんだよね・・・。
食事は楽しいものだ。
話の合う友人や家族と和気藹々と過ごす。そこに舌鼓を打つ料理があれば申し分ない。
・・最も目の前に居るのが黙々ただと料理を口に運ぶ無愛想な友人だと、事情も変わってくるのだろうが。
「ねぇ・・何か話さない?」
「食事の最大の目的はエネルギー摂取だ。無駄話なぞいらん」
「でも、話をする事も食事の楽しみの一つだよ?」
「食事中は人間が油断する大きな隙となる。お前もさっさと食いモンを詰め込んじまえ」
・・・頑固。と言うか無粋。
「何か言ったか?」
「いや、何も」
心を見透かされた?・・いや、まさかね。随分勘が良い事だ。
折角の食事が美味しくないや。心理的な意味でね。
手ごろな値段で美味しいと評判の店に、昼時にもかかわらず待たされる事なく二人分の席が確保できたこのラッキーが、我が友人の態度のせいで色褪せていくのをジュンは感じていた。
仕方ないのでジュンも料理を口に運んでいく。
二人して沈黙を守ったまま食事をしている姿は傍から見れば、何か理由があるに違いないと思われるだろうが・・・別段理由など無い。
このまま食事が終わり、沈黙を保ったまま別れるのだろうとジュンが諦めかけていた、その時だった。
「ジュン」
何とユウタが、話しかけてきたのだ。
「な・・何?」
「ボスから情報が入った」
ボスから、情報・・?
この場合『ボス』とはPHC代表取締役の事である。ジュン達の雇い主だ。
「ミュウがイッシュ海上で多数目撃されている」
「へぇ」
ミュウ・・ミュウと言ったら確か幻のポケモンの代表格。
全てのポケモンの始祖と言われているけど、その詳細は全く不明だ。
一説では姿を変えられる力を持っていて、時々人間達に紛れ込んでいるとか。
あちこちの地域に顔を出しては消えていくポケモンか。いいね。
「いいよ。ミュウの捕獲か。面白そうだ」
「よし。なら、次の出現予測ポイントの詳細なデータを転送する」
僕は小型デバイスを覗きながら心の高鳴りをただただ感じていた。
ポケモンハンターとしての興奮。大仕事が舞い込んできたんだからね。
―――これが“運命”の始まりだったとは、僕もその時は気が付いていなかった。