第五話
雲行きが怪しい昼下がり。風の流れはとぎれているのだが、心なしか肌寒く感じる森の中。落ちている枝を踏みしめる度、パキ、と小気味よい音が小さく響いた。一匹の少年が、もう一匹のポケモンと共に光の射す道を進んでいた。
「……それにしても、ルクスさんは凄いですね」
「ん、どういうことだ?」
なんの突拍子もなく、ぽんと投げかけられたその肯定。当の本人は脈絡が見えずに困惑していた。
投げた側であるハイルは、それを見てわずかに微笑んだ。
「感謝の気持ちを言葉で、行動で伝えることはなんとも尊い。そう、まさに立派な行為だと言えるでしょう」
「……べつに、普通のことだろ?」
なに当たり前のことを言ってるんだ。そんな内心も含まれているのだろうか。プイッと顔を背け、照れつつも不思議そうに返すルクスに、ミミッキュは説いた。
「当たり前のことほど、案外難しいものですよ」
そういって、彼は僅かに曇り始めている空を仰ぐ。誰にも見えない何かを探すようにして。ルクスはその目を、寂しさが見え隠れしているようだと感じた。
「……?」
そして、少年が今の言葉を理解するのにはもう少し年月が必要なようだ。ぽかんとした反応に何を思ったのか、ハイルは目線を正面に戻す。そこから横目で若干幼げな顔を見つめてかすかに笑った。光が遮られている森の中でなお、明るい色彩を保つ水色のスカーフがわずかに揺れている。
「それよりも、もうすぐで着きますよ」
「おっ、そうなのか! よーしっ!」
息巻いている少年が、待ちきれないといった調子で前方へと駆け出す。尻尾をパタパタと揺らして、無意識に感情を表している。
そんなルクスを、にこにことした顔で微笑ましそうに見つめるミミッキュ。それは父性、母性ともとれない何かを感じさせた。
「……もうすぐ、ねェ」
虚空に向けて、小さく漏らしたその呟き。
次の瞬間には、先程の紳士的な顔立ちから想像もできない程の残虐な笑みをこぼしていた。
獲物を前にして舌なめずりをする、獣のような笑みを。
日が暮れて、ヤミカラスも鳴き始めた頃。橙色を基調としたグラデーションが辺りを照らす。遊んでいた子供たち、働いていた大人たちもそれぞれの家へと入り、残りの時間を共に過ごす。
そんな時にも関わらず、ソムニ村の中は騒がしかった。
なぜならば、村の子供一匹が行方不明となっていたから。そのポケモンとは……
「ルクー! 何処にいるの!? 早く出てらっしゃーい!」
必死に種族としての能力を使用しながら、捜索を行っている勇ましい黒い毛皮に鋭くも優しい光を帯びた目付き。がんこうポケモンのレントラー、ルミラ。
コリンクの、最終進化形態である。
いなくなったのは、彼女の息子。
そう、その息子こそがコリンクのルクスであった。壁をも見通すとされるその瞳を光らせて、虱潰しに子を探し続ける彼女。その顔に張り付いた、深い不安。拭うことの出来ぬ感情に飲み込まれそうになりつつも、足を止めることはない。
「おい、そっちいたか」
「いいや、全くだよ。ったく、どこに行ったんだよ……」
いつの間にか心優しい村人たちも捜索に力を貸してくれているが、それでも手がかりすら掴めない。草の上には足跡は残らない。というより、すぐに消えてしまう。
今日は、ちょっとだけ豪勢なお夕飯を用意しようと思ったのに。
「……もしかして」
ふと、思い当たる節があるとすれば。
日が落ちて、より黒く染まった木々の中。先程から特有の透視能力を使っても見通せぬその森林。得体の知れない、理屈が通じるとも思えない。直感的な恐れを抱かざるを得なかった。それでも母親は右脚から一歩、森の中へと踏み込んで行った。
招かれざる客を嘲るかのように、不気味な擦れる音がけたたましく響く。
「……っ!」
一瞬、能力でも見えなかった暗闇の奥に光が映ったがすぐに消えてしまった。
森に入った途端、さっきまで騒がしていた音も嘘のように鳴りを潜める。踏みしめた足裏に感じる枯れ葉の感触。乾いた擦れるような音が鮮明に響く。その世界から音のみを完全に奪い去ったかのような気味の悪さを感じた。
「ルクス……」
息子が奥にいるかもしれない。確かめずにはいてもたってもいられない。自分でも気づかないうちに歩む速度が上がっていく。足幅も少しづつ広がっていく。脈打つリズムも高まって、全身がまるで心臓にでもなったかのようだ。焦燥感からか、顔が徐々に苦々しげに歪み始めた。
夫がいなくなってから、女手一つで育ててきた唯一の息子。時おりやんちゃな所はあるものの、思いやりのある子であることは、母親だからこそ一番理解している。今日は、何年も繰り返した彼女の誕生日。少しばかり奮発した夕食を囲んで、二人ささやかなお祝いでもしよう。そう考えて、腕を奮っていたら……門限を過ぎても帰ってこないことに気がついた。気になって、近所のポケモン達にも手伝ってもらい、捜索を始めたのが昼過ぎ。けれども見つからずに、時が流れて夕暮れ時。今もこうして、森をさまよっているが闇に包まれて視界もままならない。行く末も分からない。それでも歩けているのは、種族としての能力があるからなのか、母親の性だからなのか。冷静さを寸でのところで保ちつつ、懸命に歩を進めている彼女。その姿はそう、まさに。
「……愛だなぁ」
「だ、誰!?」
暗闇の向こうから、ふと呟きが漏れた。しみじみと、詩でも綴らんばかりに穏やかな抑揚。あたかも感嘆しているかのような態度。だが、ルミラは自身の本能がけたたましく警報を鳴らしていることを理解していた。
あの声の主は、得体がしれない。
身体中から溜め込んだ電気を身にまとい、臨戦態勢を整える。毛皮を駆け巡るスパークが、筋肉を活性化させ、身体能力を最大限に引き出す。さらに、特性”いかく”も発動しており、彼女の周辺は野獣の眼光に貫かれるが如き圧力に満ちていた。
そんな中でも口を止めない謎の声は、さも平然として、「おお、こわいこわい」などとおどけている。
「いやぁ、やっぱり母は強しって真実だったんだな。いやはやいい勉強になったよ」
「――――あなた、私の息子を知ってるようね」
ルミラは湧き上がる激情を何とか宥めつつ、少しでも息子に関する手がかりを得ようと対話を試みることにした。
「うん、そうさ。焦りながらも子供を助けようと逃さないのもまさに良い母親、って感じだよねー」
その上で、内情を見透かしつつも感心したような声色と緊張感のない口調で応じてくる謎の存在に、不安と苛立ちを抱えていく。それを知ってなのか、声は変わらずここまで来た褒美と言わんばかりに話し始めた。
「そうだね、まず……ここに息子さんはいるよ? 怪我もしてないし、五体満足さ。あ、もちろん食事とかも上げてるからその辺のケアもバッチリ! 今はぐっすりと眠ってもらってるよ。なんせもう夜中だからね、子供は早めに寝かせなくちゃならないだろう? いやぁ僕らも申し訳ないとは思ってはいるんだ、なんせ年端も行かない子をこんな森の奥深くにまで連れてきてしまったのは事実だしねぇ。おまけにお仲間が色々と特殊性癖の持ち主だしさ、あっちも抑えとかないとマズいんだよなぁ……」
水のように溢れ出てくる発言の数々に頭痛がしたが、現時点では息子が無事であることは把握できた。しかし、他にも確認しなければならない事が多く出来たのも事実だった。
「……まず、あなたのお仲間の、シュミって」
「え、あぁ。あんまり言いたくはないんだけどね、アイツって表向きは紳士なんだけどさ……裏が『金!暴力!』で出来ているようなポケモンなのさ」
それを聞いて、ルミラは絶句するしかなかった。
今の言葉が真実ならば、いつ息子がその捌け口になるか分からないのだから。一刻も早く、探し出さなければならない。足に力を込め、走り抜けようとしたその寸前に、声が掛かる。
「あぁ、そうそう。僕がいる限り、息子さんには手を出させないからそこは安心していいよ。その代わりといっては、なんだけどね……」
そう置いて、謎の声は実に楽しそうにこう続けた。
「村の掲示板で、指名依頼を出しておいてくれないかな。じゃあ、こんな感じで――――」
人間で言うところのダブルサイズ程の大きなベッドの上で、一緒に眠りについているポケモンが二匹。片方は寝相が悪いようで、もう片方のお腹を枕にして気持ちよさそうに睡眠を貪っている。そして、その頭に敷かれている方は若干窮屈そうに口元が歪んでいた。それが限界に達したのか、うっすらと目が冴えていく。年頃の四つ足ポケモンの少女とは思えない大胆なまでの仰向けを披露しているヒナノ。とりあえず、起きよう。そんなことを目覚め切ってない頭で考えつつ、アオハは気持ちよく眠りこけている彼女の頭をゆっくりと下ろした。
「ん、ふぁぁ……」
窓から差し込んできた朝日を、体中に浴びる。体内時計が急速で調整し始めているからなのか、睡眠が浅かったからなのか、まだぼんやりと寝ぼけているアオハ。その感覚を早く取り除こうと、ごしごしと目を腕でこする。
「ん……おたから………」
「ヒナノ、朝だよ……?」
そんな横で眩しさを避けるように、うずくまりつつも寝言を呟き始めた少女。普段はちゃんと整えている毛並みも見る影がないほどにボサボサと乱れている。アオハが何度か体を揺すっても、起きる気配を全く見せない。どうやって起こそうか、考えあぐねていると、ドアをノックする音が聞こえた。
「朝はやいのに……だれだろ」
ベットの上からちょっとだけ弾みをつけて飛び降りる。が、着地で少し体制を崩して尻もちをついてしまう。少し痛んだところをさすって、客人の待つ玄関へと歩いていった。普通よりも低い位置に付けられたドアノブを回すと、そこに居たのは大きな黒の虎だった。
「ひゃっ!?」
「あ、あら……驚かせちゃったかしら?」
見た目とは裏腹に、優しい声と表情をしたそのポケモン。ようやく初対面のショックから立ち直ったアオハは、弱々しい声で初めのリアクションを謝った。
「私は気にしてないから大丈夫よ。それより……君がアオハ君よね?」
「え、は、はい……そう、です」
「ふふっ、普段の話し方でもいいわよ」
まだ緊張の解けない、初々しい姿を見て微笑む客人。顔を赤くしながらも、アオハは何とか向き直った。
「えっと、それで、ヒナノに何か用事……?」
一瞬、客人の顔が曇ったように見えた。その瞬間をアオハはたまたま見てはいたが、すぐにその違和感も消え去っていたために気に止めていなかった。
「どちらかというと、君たちに対してかしら」
どこか不自然な笑顔を浮かべて、客人……ルミラは言った。同時に、あの時言われた内容を思い返しながら。
「依頼を、しに来たのよ」
『こんな感じで言っておいてくれるかい? 「自分の息子が今も森の中をさまよっています。どうか捜索に力を貸してください」とね。宛先は……最近チーム活動を始めたとかいう例の子供二人組がいいね』
『ちなみに息子さんの着けている【エナジースカーフ】も気になるけれど、その例の二人組に用事があるんだよな。要するに、人質なのさ』
『その二人組【チームフォール】とやらに依頼を出してきてくれた暁には、息子さんはちゃあんと解放すると約束しておくよ!』
明るい口調ながらも、得体の知れない何かを抱えたその声との会話はそこで終わっている。気がついた時、ルミラはいつの間にか森の入口付近に戻されていた。夜はこれ以上なく、闇に深く染まっていた。