第三話
「ふぁぁ……もう朝……?」
現在の時刻、午前七時。
尋常ではない情報量を誇った昨日の疲れが出ていたのか、ついさっきまで気持ちよさそうに眠っていたアオハ。
彼は広々としたベットからゆっくりと、その小さな水色の体が起き上がった。存分に自己主張してくる朝の日差しを浴びつつ、大きな欠伸を一つ。
つい昨日、彼はヒナノと共に『秘宝』探索をするべく、冒険隊を結成した。その名はチームフォール。人間が使用していたとある言語で、勇敢の意を持つ。冒険者たるもの、勇気は必要不可欠……とはヒナノの談。
ともかく、新たな環境で活動していく上でヒナノの家を拠点として、寝食を共にすることとなった。アオハが使っている部屋は、元々空き部屋だった所に予備のベットや棚等を配置した即席の物だ。それはあまり使われていなかったとはいえ、埃に塗れているわけでもなく、ふかふかで飛び込むと心地よい感触がした。それは紛れもなく上物であった。疲労も幾ばくか解消され、全身に漲るような感覚を覚えたと同時に、部屋の外へ出ようとドアノブに目掛けて歩き出した。
「んっ…………………」
一方その頃、とある部屋に広いベットの上に栗色の球体が一つ。何やらモゾモゾと蠢いており、長めの耳を僅かに上下させている。絞った生クリームに形の似た尻尾が徐々に上へと上がって……………力なく白い大地に伏せてしまった。
この球体こと、家の主であるヒナノは朝に弱かった。だが、決して低血圧という訳では無い。彼女の祖父が残した多くの資料を読み漁り、眠りについたのがこの日の午前1時辺り。その時には、アオハが自身の新しい部屋に入ってから4時間が過ぎていた。
「あと、5分だけ………」
微睡みの淵から這い上がろうとした所で、ヒナノの意識は薄れ、幸せそうな顔で夢の世界へと潜り込んだ。
彼女が起きたのはそれから2時間後。この家の設備も知らないアオハが1人で朝食を作れるはずもない。その事に気づき、慌ててリビングへと駆け出したのだった。
ようやく、2人は初めて同じ食卓を囲むこととなった。そのメニューは、この世界に関して色んな意味で初体験であるアオハを驚かせた。
「わぁ…!」
「ふふん、遠慮なく食べてね!」
円状のテーブルに並べられたのは、濃い白色からみても栄養満点なモーモーミルク。数種類の木の実の盛り合わせ。そして何より、バケットを程よい厚みで切り分け卵とミルクを隅々まで染み込ませ、焼き上げられた上にたっぷりと”あまいみつ”をかけたフレンチトースト。それを口に放り込めば、ゆっくりと舌の上で溶け出てくる濃厚な甘味。シンプルであってこその味わいに、元々甘党であったアオハは頬を弛めながら次から次へと頬張った。気づいた時には、皿の上は綺麗さっぱり無の状態であった。
「……美味しい?」
「うんっ!すごくおいしい!」
満面の笑顔で、彼はそう答える。純粋に、邪気なんてものは感じられない程に真っ直ぐなその言葉が作り手であった少女の顔をも綻ばせた。
「……さて、準備は出来た?」
初めての朝食を終えた後、家の玄関前で待っていたヒナノ。肩には少し年季の入った小さめのバック。あの中に詰められているのは、探検用の道具………は、今回準備していない。代わりに、張り切って仕上げた昼食の弁当2つとお金である。ふわっとした首には、全体を引き締めるように真っ赤な蝶リボンを巻いていた。その端には、アオハのスカーフと同じ『誓の紋章』が刻まれている。何でも、彼女の祖父がとある誕生日にくれた物だと言うが……どうしてこの様な趣向を凝らしたのかは分かっていないらしい。
「大丈夫だけど……どこに行くの?」
「何処って…決まってるでしょ」
全く流れが掴めてないアオハにとって、テンションが若干高まっているヒナノに着いていくのはかなり大変なようだ。顔にも困惑の色が表れている。そんな事を知る由もない彼女は、朗らかに今日の目的を告げた。
「この村―――――ソムニ村の案内、してなかったよね?」
そんな訳で歩き出した子供2人。ソムニ村と呼ばれているここは、昨日たどり着いた時にその内部を見たが、すっかり日も暮れて活気とは縁もゆかりも無い様な雰囲気であった。例えるなら、そう、”ゴーストタウン”という言葉がしっくりと来た。
では、太陽が空へと登り詰めつつある今は?
その解答は、村の中央に位置するとある広場に存在していた。
「あら奥さん、今日もいい天気ですわね」
「ええ、本当に。こういう日は散歩が一番ですわ」
「さぁ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!本日のラインナップも選り取りみどりだ!―――――言い回しが古いってのは禁句だぜ?」
「おかーさん、あれ買ってー!」
「はいはい、また今度ね。……早く買い物済ませなきゃ」
溢れ返りそうな程に賑やかな騒音。
売り手と買い手の心穏やかな会話。
呆れ返る程に鮮やかに映える色彩。
ここが、行方不明者の続出している村とはとても思えないぐらいの活気に包み込まれている。見る者を暖かく抱きしめる様な光景に心は踊り、高揚していく。今か今かと、ソワソワしながらその場で待った。
「まずは…ここでお買い物ね!」
彼女の、その言葉を。
そうして、平和そのものな戦場へと足を運んだ次の瞬間、また別の声に呼び止められた。声色からして、陽気で、お調子者で、ポジティブで。如何にも気さくなイメージが先行して、それが正しい認識であることを理解する。
「よぉ、そこの嬢ちゃん方! 今日もいい品が揃ってるぜ!」
「あ、出たわねお調子者」
「おおこれはこれは、我らがお得意先のヒナノじゃねぇか!」
ヒナノと気安そうに話しているこのポケモン。
ベージュ色の体毛と色鮮やかな羽毛、かなり発達した両足、右の翼にはめられている白色の不思議なブレスレットが特徴的な、人間世界で言う所の『始祖鳥』にも似たそのポケモン。種族で括るならば、さいこどりポケモンのアーケオス。かつて、鳥ポケモンの祖先との説も人間間で上がっていた種族で、飛ぶよりも走る方が得意らしい。
「所で、そこに居るミジュマルの嬢ちゃんは誰だい。ここらじゃ見ねぇ顔だな?」
「……………へ?」
その発言は、まずヒナノの連れに向けた言葉であるのは理解出来た。そして、その連れに該当するのは一人しか居ない。
「あぁ、この子はアオハ。色々あって一緒にチームを結成することにしたの。そして、一応♂よ」
「チームか、それはそれは………へ、チーム?そして♂だって!?」
さも驚いたと言わんばかりにあんぐりと開けられた長いマズルと眼孔。わざとらしく広げられた翼。流石に、ここまで勘違いとリアクションをされるとアオハとしても気分があまり良くない訳で。
「僕は男の子だからねっ!」
「でも、アオハの場合見た目がかなり可愛いし勘違いされてもおかしくは無いわよ?」
ぷくーっ、と頬を膨らませて批判の意を示す彼に、面白がったヒナノが追い打ちを繰り出した。
「そのぱっちりと開けられた目とか、ちょっとぷっくりとしたほっぺとか………可愛らしい部分が沢山あるわ!」
「もうー!」
更に顔を紅く染めて反論したアオハを見て、くすりと笑みが零れた所で、散々脱線させた話を戻した。
「紹介するわ。この見るからにお調子者なポケモンはカートル。よくここで商店を開いてるの!」
ここでようやっと、彼に発言権が回ってきた。その当事者カートルは、ここぞとばかりに己の個性を全面へと押し出し始めた。
「お呼びが掛かれば応えよう!
本日晴天、正しく商売にうってつけ!
雨の日風の日、何時でも客のニーズに応える!
おっと、雪の日は勘弁してくれ?
化石になっちまう!
そんな訳で、ようこそ”カートル商店”へ!
―――――今日は何を、お求めかな?」
途中で、右から左へと聞き流していたが、
とんでもなくキャラの濃いポケモンであった事だけは鮮烈に脳へと刻まれた。
買うものを買った後は、のんびりと村のあちこちを紹介するだけとなった。
幼い子供たちの為の学び舎。
大人の憩い場であるカフェ。
村の道具の預かり場、倉庫。
そこにいるポケモン達は誰も不安そうな顔をしておらず、毎日を懸命に過ごしている事が伺えた。それどころか、誰もが個性的過ぎて置いてかれそうになったぐらいだ。生粋のビジネスウーマン、穏やかすぎる子供の遊び相手熱血教師………。目が回りそうな面々に初対面であったアオハは翻弄されっぱなしでいた。そして、ヒナノが最後に案内する場所へ向けて歩く事10分。なだらかな坂を登って行くうちにどんどん楽しくなってきたのか、足取りも軽くなっていた。そしてとうとう、
「さぁ、到着よ!」
辿り着いたのは村の外れに位置する小さな原っぱ。そよ風が心地よく吹き抜け、踏みしめる草の感触に安心感を覚える。熱気に溢れたその村は、内部で見たら圧倒されてしまう程であったが、こうして離れた所から見ると至って普遍的に感じる。俄にも、ここが行方不明者が複数出ているという所には思えなかった。
「ここでお昼ご飯にしましょ! はい、アオハの分」
「あ、ありがとう」
肩のバックから取り出された2つの小包。その場に座り込み、手渡されたその片方の布を剥がすと、木の箱が露出する。丸みを帯びた素朴な蓋を外したその中に、数種類の具材を挟み込んだサンドイッチが詰め込まれていた。モモンやマゴ、オレン等、かなりバラエティーに富んでいる。
それらに感嘆していた所で、隣に腰を下ろしたヒナノはある問いかけをしてきた。
「村を見て、どうだった?」
「うーん……みんな元気ですごく楽しそうに見えた、かな?」
「……そう」
チラリと見えた、彼女の寂しそうな横顔。泡のように浮き出た表情は、弾けるようにして消え去り、また別の物へと変化した。
「私のおじいちゃんの生きてた頃、この村はもっと小さくて、ここまで賑わってなかったの。
当時のポケモン達が工夫を凝らして、より住みやすい様に開拓して、この村の風景が生まれた……らしいわ」
そうして、声を一回り大きくして想いを音に乗せた。
「世界にはまだ誰も到達していない場所がきっとある!そこを冒険して、開拓して………!」
「ヒナノ……」
彼女の夢は、世界一の冒険家となる事。それは初対面で聞いてはいたが、その願いは思っていたよりも遥かに強い。それでいて、正しく夢に溢れていた。この時、アオハは確かに思った。
(ヒナノなら、その夢をきっと叶えられる)
根拠もへったくれもないが、そんな気がした。今はその理由で充分だった。
一通り話し終わり、晴れやかな表情で彼女は振り向いた。
「待たせちゃったね。お昼、食べよっか!」
そう言って、彼女はサンドイッチを一つ取り出した。それを見てアオハも慌てて手に持ち、ほぼ同時に口に頬張りこんだ。
太陽は未だ、天高く上っている。