第二話
歩いても歩いても、見えるのは木、木、木。
その下の凸凹道には雑草が一面に広がっている。木漏れ日が森の中を照らす中、かれこれ二十分ほどたっただろうか。あの会遇の後、ひとまずこの森から出ることを目的に二匹は行動を共にした。その最中で、アオハは自分が元いた世界とは違う土地に来てしまったことを悟った。そんなこともあり、道中で少女――ヒナノに今いる世界についての説明を受けていた。
「最近この世界ではね、昔よりも自我をなくしているポケモンが増えてきてるのよ」
「自我……?」
「さっきのヘルガーとかね。ダンジョンなんかだとそんなのがうじゃうじゃいるわ」
ああいうのに襲われるポケモンも多いのよ、と悲しそうな顔で少し俯いた。
世界中に広がる数々の異変。
その中の一つが、突如起こったポケモン達の自我の喪失。つい昨日までは平然と文化ある生活を営んでいた者が、ある日忽然と姿をくらます。次にあった時には野生そのものと化す。
そんな事例が幾つも起こっている。元々ダンジョンに縄張りを作っている者たちならばともかく、元々文化的に暮らしてたもの達が凶暴化する。そんな話は今までに聞いたこともない。その調査の為に、ピンからキリまで様々な探検隊や冒険家が調査に乗り出したが、これといった手がかりは得られなかったという。今もなお、調査活動は継続しているが、事態解決への見通しは立たないらしい。
「最近、私の住んでる村も行方不明のポケモンが出始めててね。それも、この森に入って消えるパターンがほとんどなのよ」
「そうだったんだ……って、この森!?」
「ええ、そうよ? みんな怖がって入らなくなったんだけどね」
どうやら自分は、よほど運が良かったらしい。
「確かに今の世の中は不気味だわ。でも、怖がってばかりじゃ冒険なんてできないでしょ? 」
そう言って、ニッと笑ったヒナノの顔には強がってる様子は全く見えない。そもそも、その森の中にわざわざ入っていく位だ。それなりの度胸はあるのだろう。加えて、自身よりも大きいポケモンでさえ返り討ちにするその実力。それらを考えると、その自信の根拠としては頷ける。。
「……アオハは、人間だった。のよね?」
急に神妙な顔立ちで、確かめるように問いかけてきた。その理由も分からず、ただ頷くことしか出来ない。
『秘宝が悪意に染まる時、一人の人間が現れる。降り積もる負の雨を押し流し、安泰へと導かん。見分けるならば、誓の紋章を探すべし』
彼女の口から語られたのは、まるで冒険物の始まりのような言葉。一瞬、冗談かと思ったが、そうとも言いきれない。自分はあくまでこの世界の外から来たのだから。とりあえず、アオハはもう少し詳しく聞いてみることにした。
「悪意に、紋章?」
「……まあ、ちょっと大げさに聞こえてしまうんだけどね」
その伝承を聞かされたアオハは、その解釈に苦しんだ。秘宝が悪意に染まるとはどういう事なのか。それぞれの単語が何を意味しているのかすら分からない。
「ねぇ、アオハ。キミが首につけているスカーフ……ちょっと見せてくれる?」
「え?いいけど……」
首から深い森の色をしたスカーフを外し、手渡す。受け取ったそれの先に刺繍の様に刻まれた……不思議な紋様。それは一筋の光に翼を生やしたデザイン。しかし、なぜかこれがただのサインとは不思議と思えなかった。この時、ヒナノが何を言いたいのかがなんとなく分かった。スカーフをしっかりと確認して、彼女は言い切った。
「――――さっきの言い伝えに、誓の紋章って言葉が出てきてたでしょ? アオハのスカーフの印と、言い伝えられてた紋章。その二つが同じなのよ」
「それが書かれてた石版を見つけたポケモンが、私のおじいちゃんなのよ。若い時はかなり有名な冒険家だったけど、調査の際に死んじゃったわ……」
悲しげな目で、暗くなってきた地面を見つめる。どう反応すればいいのか分からないアオハが内心あたふたしていると、今度は空を見上げて語りだした。芯のあるはっきりとした声で。
「だから、私がそれを受け継いでその石版の謎を解いてやろうって思ったの。皆は言い伝えを信じていないけど、そんなのは気にしてられない! 」
「ヒナノ……」
彼女の目には、太陽とも揶揄できる程の光が満ちていた。真っ直ぐと、前を見ようとしているその決意は初対面であったはずのアオハの心にも響いた。
その時、森が突如にして闇におおわれた。
「な、何……!?」
暗幕を降ろしたように、二匹の視界が奪われる。あくまでも慎重に、冷静になろうと努めるヒナノの傍ら。突然の出来事に、アオハあちこちと体の向きを変え、慌てふためいていた。
暗闇が現れてから、一分ほどしてパタリと止んだのを感じる空気の流れ。触れるものを傷つけるように硬化した(ように感じる)草花。この世界の全てが停止したのでは、そう錯覚する程の静寂。
(暗い……何も見えない……)
『――――誓いし者よ、我が声を聴け』
「……!? 」
前触れもなく聞こえた、いや、脳に響いた中性的な声。アオハにとっては思わず耳を塞ぎたくなるような音量だった。しかし、すぐ隣にいるはずのヒナノには全く聞こえていない。
(『誓いし者』って、僕……? )
それを理解した時、謎の声は次の言の葉を紡いでいた。
『汝、その心を以て負に侵されし秘宝を清めるべし』
(侵されし、秘宝? )
ヒナノが話していた、言い伝えにある秘宝の事だろうか。誰かのイタズラにしてもあまりにタイミングが良すぎる。
『誓いし者の眼に、その秘宝は姿を映す――――』
その言葉を最後に、謎の声はパッタリと鳴り止んだ。意識を取り戻していく過程で、また声が聞こえた。けれども、その声は何度か聞いた事のある凛とした物で。
「アオハ、大丈夫?」
「ヒナノ……どうしたの?」
若干の不安が垣間見得る少女の顔が目に飛び込んできた。心配そうにこちらを見つめている彼女の頬を一粒の汗が伝っており、ふさふさの尻尾が大きめに揺れている。
「それはこっちのセリフよ! 何度話しかけても全く反応しなかったら焦るでしょ!? 」
「ご、ごめん……」
アオハにとっては短時間の出来事であったが、その他の感覚とはどこかがズレていたようで。ふと彼の目が遠い所を見つめているのを見て、話しかけたが何も返答が帰ってこなかったとの事らしい。
「……ヒナノ! あれ見て!」
「――――へ?」
そんな問答を繰り返している内に、ふっと2人の目の前に小さな光が出現し始めた。それは切り株の上で徐々に大きく膨らんでいく。そして、球体であった光の塊は、着実にその形状を変化させていた。黄金色の光を帯状に放出しつつも棒の先端が大きく円状に広がり、真ん中は細い管、上には複数のボタンらしき突起物が一つずつ出現していく。
「すごい………」
アオハの口から、思わず感嘆の声がこぼれ落ちる。そして、長い様で短い変化の時を経てゆっくりと光源が勢いを弱めて行った。
現れたのは、黄金色のボディに黄緑色のラインが走った小さな管楽器。人間の世界で言うところの『ラッパ』が静かに、羽毛が落ちるようにして切り株の上へと鎮座した。
これを見たヒナノが、唖然としていたのも束の間。瞬時にその瞳を最大限煌めかせる。彼女の口から流れるようにある言葉が出てきた。
「もしかして……あれが秘宝なの…!? 」
この時はその事を確かめる手段がなかったが、二人が見た物こそは確かに秘宝の一つ『草のラッパ』であった。
「――――ねぇ、僕が持ってきてもいい?」
「え、えぇ。いいわよ」
先程の声が言っていた『自身と秘宝の話』。それと目の前で起きた変化は関係していると察したアオハは、率先してラッパの方へと歩み出す。その距離にして凡そ十歩。五秒も経たない内に、切り株の目の前に何事もなくたどり着いた。その上で慎重に、優しく、丁寧に不思議な管楽器をその手に掴む。冷たい様な、暖かいような、不思議な感覚が両手を包み込む。暫く仄かに発光していたが、やがてそれも静かに収まって……灰になるようにして消え去っていった。
「――――あれは一体、なんだったのかしら」
彼らはこれまでの出来事で一つだけ、見逃していた事があった。アオハがラッパ……秘宝に触れて、持ち上げた瞬間。
その秘宝から、ほんの僅かな得体の知れない、闇そのものが、するりと抜け出していた事に。
「……着いたわ、ここが私の家よ!」
あの後、何事も無かったかのように闇は晴れた。そのまま急ぎ足で森を抜け出した二人はひとまずヒナノの家へと向かった。
(ここが、ヒナノのお家……)
彼女の家は、こじんまりとしているが、如何にも頑丈そうなレンガで建築されており、いかにもモダンな雰囲気に仕上がっている。まさに冒険者の本拠点。なんでも、両親と別れて祖父と二人きりでこの家に住んでいたらしい。
もっとも今となっては、ここの住人は彼女一人。自給自足の生活でこれまで過ごしてきたらしい。
「こっちよ、着いてきて!」
ヒナノに連れられるままに、アオハはその中へと入り込んだ。見えたのは、大きめな二つの椅子とその間に配置されたテーブル。多くの書類、資料が詰め込まれたいくつかの本棚。小さめに作り込まれた竈などの調理台。生活するには不自由は特にない、快適な場所である事はアオハにもすぐ理解出来た。
ヒナノに促されるまま、椅子の一つに腰をかける。それはふかふかなクッション材で出来ており、座り心地は抜群であった。これまでの疲れもあって、睡魔に襲われかけたが何とか持ちこたえた。彼女が真剣な顔をしてこちらを見つめていたからだ。
暫くの静寂の後に、ヒナノの唇が開いた。
「ねぇ、アオハ。――――私と、チームを組んでくれない?」
「……へ?」
マメパトが豆鉄砲を食らったような顔をしたアオハを差し置いて、彼女は話を続けた。
「私はこれまで、何回もあの森に出入りしてるわ。だけど、”あんなもの”なんて見た事がなかったの。……キミが来るまでは、ね 」
”あんなもの”とは当然、出現した秘宝らしきもの(草のラッパ)のことを指している。こんなことを言われても、アオハは困惑するだけなのだが、彼女の表情は真剣そのものだった。
「あの言い伝えで、『秘宝を見分けるならば、誓の紋章を探すべし』って書かれていた事は話したわよね?」
そこまで話が進んで、漸くアオハはある事に気がついた。自身の首に巻かれているスカーフを手に取り、結び目の近くにある不思議な紋様を見つめる。
「さっきのが秘宝だったとすれば、君がその言い伝えに出てくる”人間”である可能性は高い。そして何より……」
あくまで冷静に、こう述べた。
「アオハがいる事、それが秘宝の最大の出現条件じゃないかな」
「……お願い。私と一緒に、秘宝を探してほしいの! 」
アオハには、人間の頃の記憶はない。
勿論、何故こうなったのかも分からない。
ましてや、その言い伝えにある人間が、本当に自分であるなんて確証はない。けれども、彼は知りたかった。どうして自分がここに来たのか、自分の分からない何かが。
だから……彼女の小さな前足を握った。
「僕、やるよ。なんで僕がここにいるのか、知りたいんだ 」
この了承を以て、元人間の少年と冒険好きな少女二人はチームを結成した。その名は、勇猛果敢の意を込めた――――”フォール”。
彼らの繋がりを示す名前だった。