第30話
「………さて、準備はいい?」
「っ………!?」
突然のお茶会によって、結局勝負は翌日に延期された。煩い中毒者共は大人しく椅子からその様子を見守っている。片手に茶器を持っての感染だが。そして、塔の最上階で響く、芯の通った声。思わず一歩引いてしまった。
先日とは打って変わり、容赦の無い気迫を押し出してくる。勝負となれば表情を一変させ、全力を持って挑戦者を打ち負かさんとしているのが。その全身から放たれた強者特有の緊張感は、挑戦者の肌を電撃の様に駆け巡った。
肌を伝い、神経を辿り、骨髄をも痺れさせる。勝負を挑むものは、この感覚を味わう事に一種の快感を得るらしい。そんな事を彼女が知っているはずもないが。
「……勿論です!」
物怖じせずに、戻した足を前に送った。真っ向から向かい合う彼女。今のエリカの実力がどれ程上がったのか。
それは、この一戦で分かる事だ。
「―――――これより、シャラジムのジム戦を行う。使用ポケモンは2体、どちらかが全て戦闘不能になった時点で試合終了とする!」
一通りの決まり文句を述べた直後には、両者の手に握られた仲間達。大勝負ともなれば、その腕にも力が入るのは何ら不思議ではない。
さぁ、開戦の時が訪れた。
「来なさい、コジョフー!」
「メレシー、お願いっ!」
お互いの1番手は、実に堅実なものだった。
コルニが繰り出したのは、柔軟性に優れ、中、近距離による戦闘を得意とするコジョフー。
片や、エリカは持久戦でその真価を発揮するフェアリータイプのメレシーを先発にした。
コジョフー側からすれば、一発たりとも攻撃を貰いたくない。つまり、ここは短期決戦を仕掛けるのが定石。
しかし、最初に動きを見せたのは、エリカの方だった。
「行くよ! ムーンフォース!」
エリカの方も、初手から速攻を仕掛け始めた。
浮かび上がった月の光を借り受け、力へ変える。それを圧縮した弾丸が、コジョフー目掛けて放たれた。
……が。
「よ、よけた!?」
エリカの顔に驚愕の色がありありと浮かぶ。
それもそのはずだった。
殆ど動いていないようにも見える最小限の体捌きで、コジョフーが身を躱したのだから。
ギリギリで目標を見失ったムーンフォースは、進む先の壁に直撃して、爆散した。
「……コジョフー、瞑想」
次にジムリーダーが選択したのは能力強化。コジョフーがふっと目を閉じ、集中力を高めている。バトルの場とは思えない程の静寂がフィールドを包み込んだ。
メレシーが覚える技の殆どが特殊技であり、それの耐性と、特殊威力の底上げを付加する瞑想。
この場面では最良の一手だろう。
そして嵐の前の静けさとは、よく出来た言葉だ。
瞑想の静寂のあとに訪れるのは、嵐のような連撃だった。
「波動弾!」
目を開けたと思った直後、背後に5つの蒼い球体―――気を具現化した物が出現する。徐々に大きくなっていく波動弾から、マトリョーシカの様に小さな弾が無数に生成されていく。
「ステルスロックで壁を作って!!!」
小さな宝石が、幾つもの大盾の如き岩石を突出させていく。岩の剣がメレシーを覆い隠したと同時に、波動の嵐が辺り一面を埋めつくしていった。
深い海に喩えられる弾幕は常に、攻撃対象となるポケモンの生命力を辿り、密集してゆく。
1発自体の威力はそれ程高い訳でないが、それを補って余りある物量が、分厚い大盾を少しずつ削り、穿ち、破裂させる。
雨のような弾幕が晴れた先には、無惨なまでに破壊された岩の残骸。そして、貫通してきた弾を多く受けたのか、かなりの傷を負った宝石の姿が見えた。
そこで、コルニが追撃の手を緩めることは無い。間髪入れずに次の指示を出す。
「はっけいを打ち込んで!」
無駄な動きを極力まで省き、滑らかに距離を詰めていく。ここまでの移動技術は、そうやすやすと出来るものなどではない。メレシーは何とか受けようとするも、タイミングを掴むことが出来ずに慌てているのがわかった。
「避け……」
鈍い音が響いた。
エリカに回避の指示すらさせぬまま、コジョフーの掌が小さな体に突き刺さる。発生させた運動量が、メレシーの硬い皮膚に直接作用する。
ダイヤモンド級の耐久を誇るメレシーと言えども、波紋のように広がる衝撃には耐性が低かった。吹き飛ぶこともなく、唯前にゆっくりと傾いて………フィールドに倒れ伏した。
「っ………………戻って、メレシー」
彼女はその時、ボロボロと砕け散りそうな位に奥歯を噛み締めていた。
「………ケッ、警備が緩すぎねぇかァ?」
エリカがジム戦をしている一方で、誰も居ないはずの中央部‍。潮の音が微かに聞こえてくるそこには確かに、何者かが侵入していた。
黒がかった茶髪が浮かび上がらせる一房の白髪。
何処までも深く染まった黒いスーツに黒炎のエンブレム。
サングラスから覗く狂気が溢れ出る目付き。
右頬に大きく遺された火傷の傷跡。
その男、ネオフレア団のディアーブル。
禁忌の象徴とも言えるダーク化技術によって改造されしネオダークヘルガーを連れ、マスタータワーへとその影を落とした。
その彼の狙いは、ここに唯一存在する、ある物にあった。
「……広ぇじゃねえかァ」
古めかしいドアを大胆不敵に開けた先には、広大な空間に、無数の棚。冷たい表情を浮かべた石の壁に包まれる乾いた空気。まともに巡るのも気が遠くなる様な場所に彼の求める物は存在していた。
まず、前に本棚四台分。
次、右に本棚三台分。
更に、進んでいく。
――――どの位、時間が経過したのか。
それすらも曖昧になる程に歩き続ける。
そして、前後左右に寸分たがわず道を辿った先に格式が1段階上がったような窮屈極まりない小部屋だった。鎮座していたのは古びた小さめの本棚と一冊の大型の本。
迷うことなくここまで到達したのは、予めジム内に送っておいた小型の偵察機によるものだった。
光は届くことなく、現在の時刻において外とは正反対の状況に置かれたこの狭い区域。状況を知る者など居る訳もない。
彼が手に取った本は、表紙も中のページも外から見てボロボロになっている。加えて、この本を読もうとしても、糊で念入りに1ページずつ貼り付けられている為それが叶わない。何枚ものページを丁寧に糊付けする辺り、かなりの狂人であるが、悪魔はそれを見てニタニタと口元を歪めるばかり。
「……ケケケケケケケケケケッ!!!」
本としては最早死んでいるも当然の欠陥品を前にして、この世ならざる気味の悪い高笑いを始める悪魔。その目はこの次元には見えないものを幻視しているのだろうか、焦点は一瞬の間でさえ合うことは無かった。
「―――――最ッ高。これでこそ、焼き尽くす甲斐が有るってもんだよなァ………?」
その喜びに満ちた狂う叫びは、この小さな部屋から漏れ出る事は無かった。