第27話
「ピジョン、大丈夫!?」
その呼びかけに短く一鳴きで肯定するピジョン。しかし、その痙攣している体が、それが虚偽である事を示している。鍔迫り合いに紛れて相手の行動を封じるというマリーの策にハマってしまった。
何とか翼で払おうとしたが、既に手遅れ。動きが鈍り、翼を支える筋肉の自由も制限されている。
「舞踏会を、始めましょう? ………ロゼリア!」
そこが好機と、両腕を使い一気にピジョンを押しのける。体の軸である脚も一部機能していない。大きく体勢の崩れた懐に何回も斬撃を放った。縦、横、斜めと傷が増えていく。
「緑茶の香りを引き立てるように、風味に引き出すように、満遍なく刻みなさい。________軽やかにステップを刻むように」
このままでは不味い。
劣勢に立たされた少女は直感する。それとほぼ同時にピジョンもそれを感じ取った。そしてエリカが指示を出す前に、身動きの取れない体に鞭打って飛び上がる。その時点で、ロゼリアの連撃が空振りし、止む。何とか3m程の高度を保っていた。かなり息が上がっているものの。
「………なるほど、まだそんな余力があるとはね」
「まだ、やられないよ!」
そんな短いやり取りの間に、マリーのカーディガンの袖に隠れていたある物が正体を現す。それがエリカの目に入った時、大きく見開かれた。摩訶不思議な文様が刻まれる白い腕輪。研究所でプラターヌ博士が披露したあの奥義のツール。南国、アローラ地方に伝わるゼンリョクを引き出すための触媒。『Zリング』が、その細い腕で輝く。
「_____でも、ここでお開きとさせていただきますわ」
腕輪が、その輝きをより強める。それを増幅させるかのようにマリーは舞い始めた。その動作が進む度に光はより眩しくなる。両手で顔を隠し、左足を出しながら上と下にゆっくりと開く。全てを蝕むようなオーラを全面に押し出した瞬間に、光が金色へと変わり、ロゼリアの体を包み込む。その力が今、放たれた。
「さあ、フィナーレですわ。
『アシッドポイズンデリート』!」
技名が意味を持った時、美しい花の周りから似ても似つかぬおどろおどろしい色の液体がフィールドを侵食する。それは地面を毒の沼と変えて、全てを呑み込む。すぐにその水位は増して、低空飛行していたピジョンをも巻き込んだ。そして、嘘のように綺麗さっぱり沼は消滅し、勇猛なる鳥が地面に倒れている。
「私の、勝ちですわね?」
彼女は、気づいていない。勝負が完全に決まったわけでは無いことに。
確かに、あの状態で追い打ちにZワザを喰らってしまえば、普通倒れてもおかしくない。更に、ピジョンに関しては防御に長けているメレシーやハリマロン程の耐久は兼ね備えていない。まさに絶望的状況。
………第二、三者から見れば。
倒れているピジョンの体は小刻みに震えている。まだ、立ち上がろうともがく。何度堕ちても、何度跳ね除けられても、這い上がろうとしているその姿は、まだ勝負が決着していない事を強く語りかけた。ならば、トレーナーがそれに応えるべきである。仲間を支えるのが、自分の役目。ここで止まるわけにはいかない。
「もう一度言いますわ、私の勝ちです。……さて謝ってもらいませんこと?」
自身の勝ちという偽りの現実を誇ったままに、こちらを見つめるマリーはまだ気づいていない。次へと進む為の翼はまだ、もがれてはいない事に。
心に新たな追い風を。
背中に強い想い託し。
大きく羽ばたく為の翼開く。
街中の風向きが変わる。それを感知した直後に、ピジョンの体を、白い光と熱が覆い尽くす。
空気が、その周りに集中し小さな竜巻を作り出した。それは激しさを増し、規模を増してフィールドに大きな嵐が巻き起こる。
巻き込まれまいと必死で踏ん張っているロゼリアを見て、マリーが驚愕の声を露わにした。
「なっ、何が起こっているというの!!?」
不意に風が弱まり、規模が収縮していく中で姿を現す中心部。強風の渦に隠されていた本体。より大きく、より逞しく、より壮大に。
頭で棚引く三本の旗が、再帰を告げた。盛大に空気を切り裂いて羽ばたくピジョン_________いいや、その進化形『ビジョット』が空の王者たる気風を持って君臨する。
「………まだ、終わってないよ!」
その言葉に呼応して、溢れ出す戦意を空に轟かせる。ビリビリと震える戦慄に耐え、マリーは対抗する。
「______進化したとしても、虫の息なのは変わりありませんわ。『どくばり』連射よ!」
先程と同じように分散されていく毒の雨。それでも、比べれば隙間だらけだ。Zワザは文字通り、トレーナーとポケモンのゼンリョクを引き出して放つ大技。威力こそは絶大だが、その分体力、気力を大幅に消費する。ましてや、放った直後に技を放っても精度も威力も日頃と劣るのは当然。体こそは大きくなったが、スピード、飛行精度が飛躍的に上がっているピジョットには障害物にもならない。軽やかに掻い潜り、困惑しているロゼリアの目と鼻の先に入り込んだ。とても麻痺しているとは思えない速度に、エリカ自身も驚いたが今は気にせずに次へと進む。
「そこっ! 『でんこうせっか』!!」
「踊りなさい!」
序盤と同じ流れ、ピジョットが直線コースで突撃してロゼリアが躱す。だが、もはやそれは当てはまらない。直前で見切り体をずらそうとした出鼻で、桁違いのスピードに対応しきれずに掠ってしまった。
風圧で強制的に距離が開き、その上で空へと上昇していく。高く飛び立ち、自由に翼を広げる。流石にぎこちない部分は目立っているが、今の状態では問題はない。ゆったりとした弧を描き、標的を狙い打つ。ロゼリアは回避はジリ貧と感じたのか、既に攻撃に備えている。
「『マジカルリーフ』と『どくばり』、最大出力よ!」
迫るピジョットに赤と青の花による照準を合わせた。きっちりと胴体と翼を的として、背中からは大量のエネルギー弾。両手の花からは倍以上の針を散らし、放ち、展開する。雨という言葉すらも生温い。切り裂き、貫く大嵐に突撃していく。イカロスは墜ちる事なく、大きな翼で羽ばたいた。半ば重力に任せているため、麻痺の影響を極限まで受けずに移動できる。避けられる所は避け、それでも被弾する所は『はがねのつばさ』で相殺していく。
「これ以上近づかせませんわ!」
それが引き金となり、嵐の密度が更に濃密になっていく。もう相手の姿を視認することでさえ困難となった。その間に移動でもされたら戦況はより厳しいものへと流れていく。そうと分かってはいるが、今更迷う必要はない。
駆け出したならそのまま走れ。
翔け出したならそのまま飛べ。
止まらずに、前だけ見据えて。
この程度の壁では止まらない。
この世界を走り尽くすために。
この足で次へと進むために、乗り越えよう。
「決めて、『でんこうせっか』!!!」
「返り討ちにして差し上げるわ! 『いあいぎり』!!!」
稲妻の如く突き進む王者と、光の剣を構えた美しき花が互いに接近していく。よりフォームを鋭くし、より研ぎ澄ませ、一点を見つめる。
遂に、二体が一瞬のうちにすれ違った。
互いに動作後の余韻に浸る。時を止めたかのように静止し、風だけが流れ通りに吹いている。そして、結末とはその状況から導き出されるものだ。
二匹が同時に動き、音もなく地面に倒れ伏す。両者ともにこれ以上動く気配もない。この勝負は、引き分けに終わったのだ。
「緑茶が一番ですわ!」
「いいえ、烏龍茶こそ至高です」
「二人共静かにしてよ………」
結局、バトル前のいざこざは綺麗さっぱり無くなっていた。
それにしても戦闘後だと言うのに、先程のテラスで再びお茶会を開いているが、とうの昔に崩壊している。今やクラスタ二人による討論会へと鞍替えしていた。最早噛み付く体力も無いのか、エリカは顎をテーブルにつけてだらけた状態だ。
トレーナーになってから日にちが短い筈のマリーがZリングを持っていたのは、彼女の家が所詮大富豪兼名家だけに代々受け継がれてきたものらしい。それなら納得できるが、唐突に放ってくるとは思いもよらなかった。なんというチートダッシュ。が、試合中にピジョンが最終進化を果たした事でおあいこだとエリカが勝手に結論づけている。思い出したかのようにヒュウガが口から烏龍茶以外の話題を口にした。
「知っていますか、エリカ。 ………この街は何で有名なのかを 」
「………えっ、メガシンカでしょ?」
討論会の途中でお茶以外の話題を振られるとはまっっったく想像していなかった事も原因の一つとして返答が遅れる。しかし、いくら何でもそれ位は知っている。少数の種族に限り、トレーナーとポケモンの絆を元にして戦闘能力を飛躍的に上昇させる一時的な進化現象。それがいきなりどうしたのだろうか。自分にはまだメガシンカできるポケモンなどまだ_________
「ピジョットも、メガシンカができる種族ですから一応確認程度に、」
「よーし! 早速習得しに行こー!!!」
『メガシンカ』自体は知っていたが、それができる種族はリザードン位しか知らなかった。そのまま声を大きく挙げたら、周りの住民達が生暖かい目でこちらを凝視してきた為、赤面しながら着席する事となった。その刹那、横から見知らぬ凛とした声が響く。
「へぇ〜あなただね? ………さっきのピジョット使いは」
声の主は見るからに旬の二十代女性。大人びた雰囲気の中で中和されずに残っている快活さ。紅白のヘルメットに動きやすそうなミニスカートに半袖シャツ。金髪の髪をヘアゴムで纏め、足には日頃から履き慣れているだろうローラースケートを装着している。その腕に輝く虹色の小さな石がはめ込まれた黒い腕輪。Zリングは白くゴツゴツとしていたが、こちらは滑らかな曲線を描き、人工物らしいシンプルな美しさを表していた。そんな美女が、エリカの前へと近づいてくる。
「あなた、メガシンカを習得したいって言ってたよね?」
唐突な質問に、若干の違和感を感じたが素直に応対する。声は少し小さくなったが。
「はい、確かに言いました 」
それを聞いて顔を俯く女性。何故かぷるぷると震えているようにも見える。余りの挙動不審さに耐えかねて、ヒュウガが先制した。
「その前に、あなたは誰ですか?」
そのタイミングで、ガバッと顔を上げた女性。マリーとエリカは仲良く顔を強ばらせていたが、ヒュウガは変わらず烏龍茶を啜っている。全く意にも介さずに、名乗りを上げた。高らかに、それでいて初々しく。その人物の本質を正確に表しながら。
「私は、コルニ! この街のジムリーダー! そして……………メガシンカの継承者だよ!!!」
次から次へとそびえる障害。まだまだ、それらが休まる事はない。挑戦者を疾走させ、前だけ見て、羽ばたせる為。それが、門番の役目だ。