第四章
第25話


どこまでも広がる蒼い海原。全てを生み出した命の源。世界を形作った根源。何もかも洗い流す流れによって隔てられた小さな孤島。しかし、今となっては木々は灰となり、所々黒煙を上げる黒ずんだ死の世界のミニチュアになれ果てている。そんな中でも変わらず存在した海岸で、黒い服を着込んだ男が空を見上げていた。

『ディアーブル様、如何でしたか?』

「三次試験、突破ってところだなァ。ここに居た連中は、なかなか骨があったが敵ではねェ。だが、まだ足らねェ。足りる訳がねェ。……………次の段階に移る、手配しろ 」

『了解しました、そちらにテレポート要員を送ります。暫くお待ちください 』

黒いスーツに身を包む男。顔には幾つもの傷を付け、その表情からは狂気じみた何かを感じさせる。心臓の部分には、黒い炎のような花を象るエンブレム。その耳にはダークグレーの小型通信機を添え、右手には黒く染められたモンスターボール。開閉スイッチの上にはスーツと同じ組織の象徴。男は何かを考え込むように、大空を見上げた。

「………相変わらず変わらねぇなァ、この空は。コロコロと機嫌が変わる癖して一切穢れがねェ………憎い程になァ」

そこまで言い終えて、背後に小さな気配を感じた。だからといってどうとした事は無い。振り向くことなしに、後ろにいる何かに言い放つ。

「……次の目的地は、シャラだ。すぐに移動する」

男以外に生命体が存在しない筈の島で簡潔に纏めた指示に、静かに頷いたエスパーポケモンの『ケーシィ』。そのテレポート要員は、閉じた瞳を発光させ、男諸共消え去った。



悪魔が、この世に現界する。





「買ってきたよー!!!」

風が運ぶ潮の香りの中、堂々と主張する香ばしく素朴な甘み。周りに食欲を掻き立てさせるその匂いの元を持って、テラスに接近_______猛ダッシュしてくる一人の少女。少女らしからぬ速度で距離を縮める。だが、その足元には手頃な大きさの小石が都合よく置かれていた。

「うわぁっ!!!」

ギャグ漫画としてはベタベタにも程がある大前転を披露した挙句、手に持っていた紙袋を空中に放り投げる。普通ならここで地面に激突する所でオチとなるのだが、生憎この話はそのようなものではない。仮にこの一連の流れが少女漫画ならば白の王子様が空中キャッチするありがちパターンが出てくる。察しの通り紙袋は中身もすべて無事だった。違うのは、キャッチしたのが『白の王子様』ではなくて。

「だから、考えずに動くからこうなるんですよ?」

『白衣の王子様(烏龍茶中毒者)』である事だろう。



落ち着いたところで、エリカが運んできた袋を開封する。開けた途端に香ばしいバターの香りが鼻腔をつく。サクサクッとした生地に少々まぶした塩が光るこの街の名物。『シャラサブレ』が幾つも積み重なっている。まさに味覚の宝石箱、なんて言ってもただのN番煎じにしかならないので割愛したい。即座に手を伸ばし、一度に3枚鷲掴みするのはエリカ。烏龍茶を一口含んでから1枚齧るのがヒュウガ。そして、気付かぬうちに2枚ほど回収して何事も無かったかのように隣の席につくのが………

「それをやったのは何回目でしょうか、マリー」

さっきまで何も無かったテーブルの上にセットされている赤いマットに和の心満載の茶器を広げつつ、ひっそりと頂いたサブレを頬張っている黒髪の少女。悪びれる様子など欠片もない。

「まだ二回目です、 これ位は許していただきたいものですわ。紳士というのは心を広く持つ者のことでありましてよ?」

エリカ達がセキエイタウンのポケモンセンターで出会った若き緑茶クラスタ。初対面でヒュウガの烏龍茶を盗み飲みした恐れ知らずのお嬢様。まだまだ駆け出しの初心者トレーナーと言える。その名は、マリーという。

「残念ながら、私は紳士ではなく研究者です。そして、人の物を取る時に許可を取らないのはどうかと思いますが?」

「あら、私はしっかりと尋ねましたわ。あなたが聞いていないだけでなくて?」

「私はこう見えて、耳は澄んでいる方でしてね。エリカの咀嚼音やこの街の賑わい以外に聞こえたものはありませんでした。それ以前に、相手が聞き取れなかったらもう一度尋ねるのは常識の範囲ではないでしょうか」

「なるほど………鼻だけでなく耳まで良いとは思いもよりませんでしたわ。確かに、先ほどの発言には虚偽がある事を認めます。ならば、私の今飲んでいる茶の種類は当てられまして?」

長い長い問答の後に、静かに差し出された茶飲み。話の腰を折るつもりなのは分かってはいる。が、張り合わずにはいられないのが悲しい性。覗いた中には濃い緑色が広がっており、香りもとても強い。出されてから間もなく回答が飛ぶ。

「粉茶ですね。玉露や煎茶の仕上げの過程で出てくる廻しふるいで選別した粉だけを抽出した緑茶。濃いめの風味が特徴とされ、茶葉自体が入っている事から有効成分も多く取れる種類です」

淀みなくスラスラと出てくるその音色。すっかり除け者にされているエリカにはとても聞き取れない。と言うよりかは面倒なので元々聞き流している。右から左へとすり抜け、その間にもサブレをまた一つ手に取る。

「………正解ですわ。てっきり烏龍茶専門かと思っていましたので、少々驚きました 」

「この位は基礎教養ですよ。………さて、こちらのは分かりますか?」

今度は烏龍中毒者ヒュウガの反撃。手に取っていた茶器に、新しく茶海から黄金色の烏龍茶を注いだ。周りに甘い花の香りが漂う。

「黄金桂。特徴は見ての通り、その色合いが黄金にも例えられ、金木犀にも似た芳醇がある事。この位は簡単すぎましてよ?」

「これ位は分かってもらわなければ、この問答すらも意味が薄れてしまいますからね。次はそちらの番ですよ?」

第二次茶葉大戦争が始まった。





暫く茶飲料クラスタ達が『茶利き』勝負を繰り広げる。その途中で、大量にあったシャラサブレを平然と平らげたエリカ。それでも飽き足らず、お代わりしようとしていた。その費用はヒュウガの懐から出た為に、彼が大いに嘆くことになった。このようにして大戦争は幕を一時的に下ろす。





「エリカ、人の所持金を勝手に使うのはどうかと………」

「誰の声が街中に響いて注目を浴びたんだっけ」

「すみませんでした」

このような光景は、ミアレの時を合わせて二回目である。烏龍茶関連になると学習能力も脳の端に押しやられてしまうのが、中毒者の症状の一つだと最近学んだ。観察対象がすぐ間近にいるのだ。気づかない方がどうかしている。流石のエリカでもそこまでじゃない。

「やれやれ、もう少し考えてから行動してほしいですわね」

普段から口を酸っぱくして言っている事を自身に返された事実に、ヒュウガは顔をほんの少し歪める。が、ここでは終わらなかった。

「マリーも、人の物を勝手に取っちゃいけないって知らないの?」

どの口がそれを言っているのか、なんて思考が過ぎるが、今の彼に発言権はない。ヒュウガは静かにその場を見守る。

「あら、私はきちんと許可を取ろうとしましたわ。私には非が無いと思うのだけれど?」

変わらず、屁理屈をつらつらと述べて躱そうとする彼女。しかし、今回は相手が悪かった。

「………だったら、マリー」

「なんですの?」

さて、ここで思い出してみよう。このスピードガール、エリカが一丁前な屁理屈に対する答弁を苦ともせずに考察することが出来る様な人間かどうかを。頭よりも体が動くポケモントレーナー。そんな人種が物事を解決する時に使用する手段といえば、多くの場合次の一手である。

「私と、ポケモンバトルして!」

傍観者となったヒュウガは呆れを通り越して無表情である。あんな脳筋とも取られかねない発言は、相手を調子に乗らせるだけだ。次の瞬間、軽くあしらわれるビジョンが浮かぶ。

「………いいでしょう。私の正しさ、高貴さ、そして緑茶の素晴らしさをそのバトルで証明して差し上げますわ」

「エリカ、絶対に勝ってください。いいですね?」

前言撤回。あちらも血の気が多い人種だった様だ。更に、緑茶代表として戦うということは一応烏龍茶専門のヒュウガと一括りにされているエリカがこちらの看板を背負っているも同義。そうなると、こちらが負ければ余計に悪化しかねない。ならば早々に潰さなくては。

はて、呆れ? 脳筋?

空耳ですよ。



このレンガ造りの海沿い街、シャラシティ。歴史と風流に溢れるその街でのジム戦前に、初めての相手と普段とは違う初めての意味を持った戦闘を繰り広げられることとなった。











どう考えても、人の許可をきちんと取らずにそのままパクったマリーの方がどうかしているのだが、今の彼らにはもはやどうでもいい事である。



織田秀吉 ( 2017/12/01(金) 21:05 )