第二章
第20話



エリカは、焦っていた。これまでの旅の途中で、ヒュウガからタイプ相性などの基礎知識を教えてもらった。だからこそ、今の状況に苦虫を噛んだような表情が浮かんでしまう。

相手はエース格と思われるようくんポケモンのチゴラス。岩、ドラゴンという滅多に見ない組み合わせだが、相当な攻撃力を誇っている。まともに喰らえば即試合終了まで持っていきかねない。足もアマルスとは打って変わってそこそこ速そうだ。

こちらに残されているのは、炎タイプのヒノアラシ。小さな体特有のすばしっこさと速射技術は充分な武器になる。が、メインウェポンの『ひのこ』はチゴラスには効果がほぼ無い。『にどげり』ならばダメージ量も期待できるが、接近するまでに一撃もらってしまう。そう、アマルスが遺した抵抗『でんじは』による麻痺状態。これでは、いつものスピードが半減され、間合いに入る前に決着してしまう。

この終盤で、心臓破りの坂以上の逆境に立たされていた。この場面で一つでも策が思いつくのはベテラン勢位だろう。エリカはこの時、策といった策を思いついてはいなかった。唯一の相違点は、相手を走破する事しか考えていなかった事。

遠距離攻撃では歯が立たない。近距離戦を仕掛けようものなら返り討ちに遭う。かと言って、このままじっとしていても同じ事だ。

この様な一寸先闇の戦況下で見えるのは、一筋の光。次へと進むためのか細い道しるべ。余りにも頼りないが、それでいて心強い。矛盾しているようでしていない。最後の最後まで走り抜ける。景気づけにまずは一叫び。

「行くよッ!!! ヒノアラシ!!!!!」

ふと、声が聞こえたような気がした。それは自分の幻聴かも知れないが。

『まだ勝負は終わっていない』

その言葉を胸に刻み直して、出発する。

「来なさい! 『がんせきふうじ』!!」

勇ましき幼君が雄叫びをあげる。そして周囲の岩が瞬時に集まり、一斉に飛来する。横なぎに放たれたそれらを普通に回避するのは不可能。横も後ろも被弾確実。と言うよりも、エリカには道は一つのみ。

「前にでんぐり返し!!!」

「なっ!?」

発送の逆転と言うべき判断。麻痺していても転がるぐらいならばある程度自由に出来る。最小限の力を使って、勢いよく前転した。体重移動を最大限に使う事で、麻痺状態のハンデを薄めている。多少掠りはしたものの、見事岩石群の下をすり抜ける事に成功した。

前に向かって、進む。
人間、当たり前の事ほど出来なかったりするものだ。足りないのは、少しの勇気。手探りでも歩き続ける決意。それが芽生えたその時、道は開かれる。

「連続で放て!」

ほぼノーリロードに見える速度で大小関わらず岩を集積し、雨のようにばら撒く。もはや一人も通ることも出来ないその密度。それでも、ヒノアラシは動き続けた。

「こっちもどんどん転がって!」

そんな中で、僅かな隙間を縫って必死に前転を続けるヒノアラシ。地面に激突した際に散らばった破片が次々と当たっても、前に進む。何度でも突破する。自身のトレーナーの為に、自分の為に。間合いまで、目と鼻の先。エリカが勝つ為には必須条件が二つ。一つは、この弾幕を掻い潜り、チゴラスの懐へと辿り着く事。そして、二つ目は一撃で相手の体力を全て削り取ること。それが出来なければ、反撃を食らってゲームオーバー、失格となる。あの様な大きい頭を持つポケモンは決まって石頭が多い。ならば、一番手薄な胴体を狙えれば、可能性はある。

ここで、この様な攻防は意味がないと悟ったザクロは最終手段に出る。ドラゴンタイプとしての力を最大限に引き出すその技が、放たれようとしている。それを使う為には長いチャージ時間が必要だ。接近するならば、今のタイミング以外にない。

「『でんこうせっか』で一気に進んで!」

雷光の様なライトエフェクトを纏いつつ、最後の直線を駆け抜ける。その後には残光すら残っている。麻痺状態でスピードは遅くなっているが、短い距離を駆け抜けるならば事足りた。

「後、少し……………!」

そんな希望を打ち砕く宣言が、冷酷に響く。それが意味するのは、遂にチャージ時間が終わった事。エリカ達が今までの中で最大の窮地に陥ったという事だった。

上を見上げてみれば、真夏に行われる祭りの花火のようにも見える高密度の大砲。悪夢とも取れるドラゴンエネルギーのそれは、ジムの頂点に達したと思えば、いきなりドーム状に拡散し始めた。落ちてくる過程で少しずつ細かく、網目のように着弾範囲を広げていく。遠洋漁業で使われる様な専用の網がこの弾幕ならば、自分たちは捕まえられる直前の魚にも喩えられる。

「これがドラゴンの最終奥義『りゅうせいぐん』です。 これを、あなたは突破出来ますか?」

最大のピンチは、裏を返せば大きく勝利に近づけるというチャンスでもある。この一瞬に全てを賭ける。

「一番、大きな!火の玉を作って!!!」

少女の思いに呼応して、炎は業火へと昇華し、辺り全てを焦がす。ちっぽけな火鼠は、小さな炎を背中のエンジンから放出する。最初は弱くても、いずれは大きく、逞しく、成長できると夢見て。その思い、信念を火球に捧げる。体が、赤く発光する。紅蓮のリトルウォーリアは、自身の限界を越えて作り出した炎の小惑星を頭上に掲げた。正に太陽、大地を照らす為の光源。

ふと、エリカの脳裏に懐かしい光景が過ぎった。壮大な草原の上で、思い切り走り抜けている幼い自分と、一人の男。

彼女には、尊敬する父親がいた。父親は自身の道を何時も見失わずに進む立派なトレーナーだった。小さい時には良く競走をしたが、一度たりとも勝つ事が出来なかった。だが、彼に自分で入れた一杯の紅茶を美味しそうに飲んでくれた。そして、彼が真剣な面立ちでポケモンバトルをしている姿が最後に浮かんできた。

今も、何処かで旅を続けているのだろう。
………一度も連絡をしてくれていないが。

なら、自分から迎えに行ってやろう。彼に胸を張って自分の道を通りながら。その為には、こんな所で止まっているわけにはいかない。してはならない。だから、前を向いて走り続ける。例え、その先に何があっても。

思いを全て乗せたその太陽は、墜落してくる『りゅうせいぐん』を軽々と溶かし、かき消した。これが、存在する場所は一つしかない。さあ、打ち上げよう。自分たちの全てを。右の人差し指を空にかざす。

「天井に向かって、『やきつくす』!!!!!」

堰が崩壊したかのように周囲を燃やし続けるその火球は、ゆっくりと上昇を始めた。少しずつ、少しずつ地上から離れていく。やがて、その太陽は空中へと吸い込まれ、音もなく弾けた。それは残りのエネルギー弾を全て消滅させて、二次爆発を引き起こす。その衝撃はフィールドを揺らし、ジムをも震えさせる。信じられない事に炎タイプの技一撃のみで、ドラゴンタイプの奥義を打ち破ったのだ。チゴラスは想像以上に体力の消耗が激しく、ゼエゼエと酸素を取り込もうとしていた。それに加えて、自身の切り札が打ち破られたことは、幼君のプライド、精神に大きく甚大なヒビを入れる。

道は開けた。未まだ狼狽えたチゴラスを定め、突撃を再開する。いつの間にかそのダッシュには元の速度が戻っていた。今の『やきつくす』の影響で電流が相殺されたのか。理由なんて分からない。ただ、前に。進めればいい。

「チゴラス! 『がんせきふうじ』ッ!!!」

ザクロは咄嗟に指示を出すものの、心身ともに消耗した幼君はそれを理解するのが遅かった。結果、一秒程のタイムラグがあったが、それを補うほどのスピードで集積させた岩石を目の前に突き刺す。アマルスが見せた防御の『がんせきふうじ』。これで遮られてしまえば、一気に攻めに転じられてしまう。だが、ヒノアラシは止まらない。走り出したら止まるのは困難だ。

「ヒノアラシ………!」

走る途中で止まるのは確かに難しい。それよりも、走り出すことの方が更にその上に行く。何事も、結果を決めるのは自分自身。途中で止まるか、走り続けるか。手探りでも、這いつくばっても、前に向かって足を動かす。いつか、新たな道が見つかると信じて足掻けるかどうかの違いだけだ。

スピードガールは走り続ける。憧れた父親の背を追いかけて。未来の自分を見つける為に。この戦いも、その通過点に過ぎないのだ。いつだって、探し続ける。どんな逆境でもそれを走り抜ける為の”起死回生”の瞬間を。

最後の障害と紅蓮の火鼠が激突する。辺りに爆風が吹き荒れ、砂を全て払い除ける。壁はいつも高くあるが、登る方は遥かに小さい。だが、思いが大きければその限りではない。

「………まさか岩の壁を、真正面から打ち破られるとは」

強固な岩が、貫かれ、砕け、弾き飛ぶ。炎を灯しながら、ヒノアラシの行く道を更に照らす。最後の最後まで、勝負は捨てない。逃げない。考える事は苦手だ。動く方が性にあっている。だが、ここで自分が支えなければ必死に戦ってくれる仲間達に、申し訳ない。憧れの存在にも顔向け出来ないだろう。

「私たちは、絶対に諦めない!」

短い前足が橙色の眩い閃光に覆われる。距離を詰めるのと比例してその光はより大きく、全速力で駆け抜ける様は、流れ星。チゴラスの方は技発動後の硬直がようやく解除された。しかし、その大きな瞳に映されたのはオレンジ色の正拳。ヒノアラシとエリカが土壇場で開花させた新たな技、『きしかいせい』が、その喉元に触れ、抉る。脳震盪を起こし、足元がふらつくチゴラスの胴体が剥き出しになった。そこにもう片方の前足で持てる力をすべて使ったボディーブローを、めり込ませた。

「……………」

「……………」

両者無言の中、火鼠はそっと刺さった腕を引く。それからどれだけ経ったのか分からない。彼女達は燃え尽きて、走り抜けた。ふと我に帰った時、一番に目に入ったのは嬉しそうな顔をしてこちらに駆け寄ってくるヒノアラシ。そして、目をグルグルと回して倒れ込んでいる幼君。これが示しているのは、自分たちに女神が微笑んだという事だった。

「や、やった……………! 私たち、勝ったんだ……………!!」

余りの嬉しさに、思わず体が震える。今回の功労者たちも同じ心境らしい。ボール越しに、洋服越しにそれが深々と身に染みた。これでまた一つ、進む事が出来た。

「エリカ」

向こうから歩いてくるのは、今さっきまで激戦を繰り広げていた番人。その手には、キラリと光るその証が握られていた。おもむろに手を取り、手の平の上に丁寧に置いた。置かれたそれは、逆三角形に近い造形をした壁。その模様の一つ一つが、進むべき道を指しているようにも思えた。

「それは私という壁に打ち勝ったシンボル、ウォールバッチです。久々に良い勝負が出来ましたよ」

その言葉を聞いた途端、より一層笑顔が咲き誇る。大輪の花のようなその感情は今後の彼女の大きな支えとなるだろう。これで、エリカ2回目のジム戦は幕を下ろした。











「おいしーい!!!」

どんな時でもメリハリを付けることは重要だ。緊張しすぎても、気を抜きすぎても行けない。スイッチを切り替えることが、今後を豊かに生きていくための秘訣だ。予めヒュウガが朝っぱらから茶葉を吟味し、本場のいれ方にも拘って注いだ至上の一杯。茶器の中には鮮やかな薄黄色が広がり、花のような香りを漂わせる。それを一口分傾けてから一言。

「対策もせずに、良く勝てましたね」

「へっへーん! どんなもんよ!」

「………でも、相当苦戦したようですね。顔が疲れてますよ?」

それは図星だ。思い返してみれば、本当にギリギリの戦い。ぐうの音も出ないとはこの事。そこは反省せざるを得ない。思わずしょんぼりとしてしまう。そこで、しっかりとフォローを忘れないのがヒュウガだ。

「その中であなたはあなたのやり方を押し通したのは分かりますよ、お疲れ様でした。」

「………………………………………………」

しかし、反応がない。どうしたものかと、顔を覗いてみる。後は、恐らく予想がつくが、一応述べておく。

「…………………………Zzzzz」

「………仕方ないですね」

研究者は苦笑混じりに呟くと、そのまま二口目の烏龍茶を嗜む。昼過ぎの日差しが心地よい今日この頃。確かに昼寝するには最適な環境だろう。少女はテーブルに突っ伏して眠っている。その表情は、今日の天気のように晴れやかなものだった。







後で、お昼ご飯多めに作っておかなければ……………






研究者兼保護者の苦労など全く気にすることなく、春の陽気に身を任せて。




織田秀吉 ( 2017/10/25(水) 19:46 )