第二章
第17話




空には一点の曇りもなく、陽の光が辺りを余すことなく照らす。崖の上から見えた深い海が、それに比例するかのような奥深い色合いを含んでいるのがハッキリと分かった。海風が水面を揺らし、日光をありとあらゆる方向へと跳ね返す。だが、遠い遠い沖の方へと目を凝らしてみれば、穏やかな海岸とは裏腹に、波が大きく荒れ狂っている。

今度は背後に体を向ける。頂点から墜落すればまず、タダでは済まないであろう高度を誇った岩壁が広い範囲でそびえ立つ。少なくとも、30m前後の高さはあるであろう。

「ねぇ……………?」

少女が、その城壁を指差す。とても信じられないという分かりやすい表情のおまけ付きで。もう1人の連れ_________白衣の男は、ポーカーフェイスを崩してはないものの、動揺しているのが分かるほどに声色が強ばっている。

「とうとう私の視力も底辺を突き破ったようですね……………」

2人の視線の先にあるは、岩肌の中間地点………目測15m付近で今も尚、ゴツゴツとした岩肌を登る長身細身の男性。髪型は何本もの髪の束を纏めた所に、色鮮やかな装飾を付けた珍しいスタイル。日焼けしているのか、褐色の肌の上には黒いスポーツウェア。下半身にはロッククライム用のズボン。首には岩に括りつけるための専用の金具をネックレスの様に下げている。見た目からして、俗に言う『細マッチョ』という所だろう。

だが、問題はそこではない。

普通、ロッククライムでは競技用であろうと自然物であろうと、念のために命綱を付けて行うのが一般的だ。高所からの落下は、どんな筋肉の持ち主であっても大怪我以上は確実である。最悪、頭から落ちた結果、バットエンドで幕が降りることも考えられる。着陸が海上でも、内蔵破裂でお陀仏必至だ。


ここまで言えば、もう分かるだろう。二人…………エリカとヒュウガの目に写っているそのロッククライマーは____________________


「命綱なしで、あんな高い壁を登っているの……………!?」


常識的に考えて、彼はどうかしている。
ヒュウガは言葉にはしなかったものの、心の奥底で呟いた。その考えは特大ブーメランになっているとも気づかずに。末期の烏龍茶中毒が何を言っているんだ。








「悪かったね、驚いただろう?」

「ビックリしました………」

先ほどのショッキングな光景から10分後、例のロッククライマーがこちらに気づき、降りてきた。きっちりと登りきった上で、またセーフティ無しという、傍から見れば無謀としか思えない条件下だったが。しかし、それでも一切ミスをすること無くエイパムの様に滑らかに降りていく所に、彼の集中力、そしてどんな環境であっても冷静沈着を保つ強靭な精神力が伺える。

「私は壁を見ると、登らずには居られないたちでね、気づいた時にはぶら下がっているんだ」

それと同時に、この男性は予想通りだが相当な壁フェチだった様だ。彼曰く、一日に5回は壁を登り、三度の飯よりクライミング。1年のうちで登らない日はない程らしい。方向性を別とすれば、あのヒュウガにも引けを取らない。少女1人にイケメン2人。見栄えこそいいが、中身は混沌を極め尽くしている。特に男性陣はカオスを通り越して地獄同然である。

神は何故、この様な面子を巡り合わせてしまったのだろうか。


……………閑話休題としておこう。

そんな酔狂、いや『壁狂』の男性は、どの様な人物なのか。エリカには全く分からなかったが、その後仰天のあまり顔中が砂だらけになった。ヒュウガの紡いだ言の葉によって。

「………驚異的な集中力です。数々のスポーツだけでなく、バトルでもその名を轟かせているだけありますね」

例によって、既にヒュウガの方はこの人物が何者なのかを理解していた。若干鼻につく言い方だが、男性はそれを気にすることなく、照れ隠しで頭をポリポリと掻いている。

「いやいや、まだまだですよ」


エリカといえば、ヒュウガの彼に対する賞賛の内容といい、先ほどの紐なしクライムの件といい、それらについて理解が周回遅れのレベルで追いついていない。
2人の会話に一向に入れ込めていないのが充分な証拠だ。とはいえ、ヒュウガの方もいい加減彼女の状況を把握している。ごく自然に、会話へと参加させた。エリカはこの時、肩身が狭い状態から解放され心底安心した。

その安堵も束の間。
上げてから落とされる方が一番ダメージが大きいのは常識と言える。物理的にも精神的にも。研究者は彼女の方を向いた。そして、最初の比ではない程の衝撃を送る。

「………彼こそ、あなたが次に『超えるべき壁』ですよ」


一瞬、時間が停止した。

………実際はそのように感じただけなのだが、名指しされた当の本人は、至って気さく、フレンドリーに名乗り出す。彼女にとって、あまりそうだとは思いたくなかった程。それこそ、最大火力のマルマイン爆発三秒前にも等しいものだった。

「紹介が遅れたね、私はザクロ。この先のショウヨウでジムリーダーを務めているものだよ」


その後、エリカが果てしない驚愕を堪えるのに必死だったのは当然の結末と言えた。

















野暮用があるとの事で、二日後にジム戦の予約を取り付けた上でザクロと別れた二人。
今夜の宿を取るために、ショウヨウシティに向かい、海岸を歩いていく。その間、ヒュウガは何も知らないエリカに、そのジムリーダーについての解説を始めた。

「………彼はロッククライム、トライアスロン、自転車レースに出ては度々好成績を収めています。当然、トレーナーとしての腕も凄まじく、主に岩タイプのポケモンを好んでいる様です」

スポーツをするに当たって、集中力は特に重要なものだ。例え、極限環境に置かれていたとしても、それを絶やさない事が問われる。恐らく、あの紐なしでのロッククライミングもそういった面を強化する為の日課なのだろう。

………と、それはそうとして。
今現在、ヒュウガが一番危惧している事がある。

「へ〜凄い人なんだね〜」

この時点で、エリカの手持ちは3体。ハリマロン、ピジョン、ヒノアラシ。その内2体は岩タイプに攻撃が通りにくく、相手の一撃が重くなっている。唯一抜群を取れるハリマロンも、防御面では特別抵抗がある訳でもない。そもそも、岩タイプという括りは攻撃自慢の硬い集団なのだ。

前回のビオラとのバトルでも、最初から不利な状況だった所、ヒュウガの提案によって手持ちのスピードを上げることで何とか突破したのを忘れる筈が無い。
今回はスピードだけでどうにかなる相手ではない。無鉄砲なエリカがそれの対策を考えているとはとても思えない。

「エリカ、今回は何か対策を考えていたりしますか?」

「え? 無いよ? 」

案の定、その心配は的中する。このままで本当に大丈夫なのだろうか。更に不安が積もるばかりだが、彼女は平気な顔をして「大丈夫だって!」と言っている始末である。

「……………そうですか」

何でもかんでも自分が口を出す訳にもいかない。ここは一つ、彼女に任せてみるべきなのではないか。偶には荒波に揉まれるべきだろう。
その横で、海原に向かって気合を入れ直しているエリカを見る。

「次も、絶対勝つぞー!!!!!」




………ひとまず、特級の烏龍茶を淹れる用意をしておきましょうかね。















織田秀吉 ( 2017/10/21(土) 08:41 )