第二章
第16話




「なかなかいい眺めですね、少し風が強過ぎるのが難点ですが」

ほんのりと黒で染まる自然の要塞を抜けたエリカ、ヒュウガ、カズマ。その先に見えるのは、前よりも鮮明な青空。下に広がるオーシャンブルー。彼らと、その光を乱反射する広い、広い、大海原。間を隔てる断崖が、その景色を写真のように切り取っている。


洞窟の主との戦闘後、エリカ達は目当ての品を摘み取り、そのまま携帯していた『あなぬけのひも』を使用して、洞窟から脱出。急ぐようにして依頼主の女性の元へと移動、薬草を手渡した。そして、カズマもなだれ込むようにしてその民家で一泊し、別れを告げたその後、完全に要塞を攻略して現在に至る。

………説明が大雑把だという意見は今回受け付けていない。残念ながら。


「………さて! 二人はこれからどうするんだ?」

カズマの問いかけに、答えるのはヒュウガ。

「私たちはこのまま、ショウヨウシティに行こうかと」

次に目指すは、海と崖に挟まれた小さな町。そこに待ち受けるのは、エリカにとって二人目の番人__________ジムリーダー。その者はバトルの腕もさる事ながら、全く別の方面でも名の知られた存在だと言う。

「どんな人なんだろうね〜」

当然、昨夜それを聞いたエリカのテンションがいつもの三倍強にまで引き上げられたのは言うまでもないことである。
お陰で、コポクタウンに『どこからか響く怪物の唸り声』等という噂が立ってしまった結果、気まずい空気になってしまった。実は、足早に町から立ち去った理由に、少なからず関係している。考えるよりも動いてしまうのが彼女の長所であり短所である為、あまり強く言うことが出来ない。烏龍茶が無ければ今頃地面に這いつくばっていただろう。烏龍茶は心身を癒す奇跡の飲料だ。異論は認めない。

「そうか………なら、ここで別れだな。俺はこれから、その先の都市に訪れる予定だぜ」

約一日弱、共に過ごしたそのトレーナーの瞳は真っ直ぐな光を宿していた。それこそ、眩しいくらいに。彼には、彼の目標がある。そのような人間ほど、何かを秘めているものだ。そして、それはエリカにも言えたことだ。

旅立ちの日に初めて体験したポケモンバトル。

旅の途中で自然や見知らぬ町に心踊らせる瞬間。

ハクダンの森で必死にポケモン達を助けようとその足を必死に動かしていた時。

そして、これまた初めてのジムバトルで、勝利の証をその手に収めながら、自分に報告してきた時。

彼女の瞳にも、真っ直ぐな意思を映し出されていた。それは、眩く輝きつつも、その中に芯の強さを感じさせる。しかし、それでもまだまだ成長途中だ。それを支える事が、自分が最低限するべき事だと思っている。遠からず、彼女の芯にヒビが走る時が来る。その時は、彼女次第であって自分が出張ることではない。それまでに土台を作る手助けは出来る。今は彼女が全力で走れるのなら、それでいい。

「ヒュウガ、どうしたの? 」

思考という名の沼に嵌りかけていた自分を現実に引き戻すのは、不思議そうな顔をしてこちらを覗いているエリカの声。すぐに気持ちを入れ替えて、応じる。

「いえ、何でもないですよ」

そして、横目に見えるのは、何故かニヤつきながらこちらを生暖かい視線を送ってくるカズマ。当然、ヒュウガはそれを軽く無視しつつ話を進める。ここまで来ると続く言葉は限られているが。

「では、そろそろ行きますね」

「今度あったら、バトルしてね!」

黒の少年は、そこそこ整った顔で不敵な笑みを浮かべる。それは、寂しさ少々と熱く煮え滾る対抗心をありありと表している。

「当たり前だろ、俺の勝利で終わらせてやるぜ! ヒュウガ、お前にもだ!!」

売り言葉に買い言葉、と言うべきなのか。名指しで宣戦布告された研究者がその顔を微笑ませる。

「私でよければ、お相手しましょう。………茶葉の目利きで」

「「そこはポケモンバトルでしょ(だろ)!?」」








崖沿いの道を、全力で走っていくカズマの背中が見えなくなるまで、エリカは大きく手を振り続けた。腕が千切れる位に激しく動かしているが、肩を脱臼するのではないか、と恐々としつつもそれを顔に出さないヒュウガ。
カズマもカズマで、風を切り裂かんばかりの走りっぷりだが、どこかの誰か宜しく石に躓かない事を祈る。彼は彼なりの道を歩んでいく。その旅路の中に幸があらんことを……………

「………ベストウイッシュ、良い旅を」

そのおまじないは、吹き付ける海風に遮られた。しかし、彼にはいつか届くだろう。言葉では言い尽くせない何かを伝い、現われる。研究職の身としては、そのような精神論はあまり使いたくはないのだが、今回はその非論理的な理論を使わせてもらう。

さて、そろそろこちらも動かなければ。スピードガールも準備万端、むしろウズウズしているのが見て取れる。今話しかけなければ間違いなく全力ダッシュしかねない。この風流とも感じられる崖に転落などと言う事は、勘弁して欲しい。茶葉から旨み香りを引き出す前に茶器に注ぐ様なものだ。

だが、その予感は嬉しい意味で裏切られる事となった。エリカは勢いよく、自分の手を取る。

「さっ、早く行くよ! こっちも負けてられないもんね!!」

………一人で闇雲に走る前に、まず他人を気にするようになった事は。

成長と言える、と思いたい。

「分かりましたから、落ち着いてください」

風と海原と太陽は、旅する者達を手厚く迎え入れている。







































「……………………………………………………………………」


冷たく、無機質かつ無駄の一切省かれたその部屋にあるのは、用途すら想像のつかない摩訶不思議な実験器具と思われる機材の数々、そしてその中央に座しているSF映画でありがちな液体が充満した大きめのポット。その中にて、眠りから覚めるのを待ち構えている生き物とは遠くかけ離れた物体。この世の暗黒面全てをさらけ出したかのような。はたまたは、何処までも何処までも続いていく裁きへの道のりを体現したかのようにどす黒い何か___________『ネオダークヘルガー』がその目を瞑り、今か今かと待ちわびる。


その近くにある小さなデスク。上には1冊のノートのみが、とあるページを開いたまま置かれていた。薄暗く照らす照明すら反射しないだろうダークグレーに覆われたその中に記されていた悪魔のような文字の羅列が一ページに刻まれている。


『〜月〜日 今回、永きにわたって議論されてきた事柄の一つ。『携帯獣の戦闘能力の増強』について、歴史的かつ過去の因縁を打ち破る実験を行い、無事成功。しかし、これまでに幾度も失敗を重ねてきた。今は亡き代表もさぞかし喜ばれるだろう。』


その横には、文字と同じように小綺麗に描かれた手書きのグラフ、二本の折れ線が引かれている。片方はなだらかに上を向いているが、もう片方はそれを遥かに超えて急激に上昇している。垂直と言っても差支えがない。

文章は、まだ続く。

『…月…日 実験は成功したが、その個体のエネルギー消費が激しく、僅かに自我が残っている。技、体細胞に刻まれた属性等の変更、身体能力の向上は、無事達成。それでもまだ、足りない。不完全では、成し得ない。不要な要素を全て潰し、完全な新世界の剣へと昇華させねばならない。その為に現時点で必要なのは、三つ。それらが揃った時こそ、我らの………代表の崇高なる志が実現する瞬間である。』


ここで、文章は終わっている。

後には何も無いまっさらな紙束が連なり、一点の曇りもない。

しかしそこからは、とても白とは思えない程の、全てを沈みこませる『深淵』のような果てしない雰囲気を漂わせていた。





織田秀吉 ( 2017/10/17(火) 20:13 )