第3話
アサメタウンに吹いていた風が止んだ時、カフェ『フローラ』の前で、2組のトレーナーとポケモンが互角……………いや、双方のバトルの経験値から見れば小さくはない差が出来てはいるが、激しい戦いを繰り広げている。
「ハリマロン!『つるのムチ』!!」
「……躱して下さい」
ヒュウガが出したポケモンは、イッシュ地方の最初の3匹の内一体、水タイプの『ミジュマル』。ラッコのような体に、帆立にも似た『ホタチ』という小刀を使って戦うポケモン。
そして、最初はやる気が微塵も感じられなかった彼も、いつの間にか真剣な表情で向かい合っていた。
「ハリマロン!『つるのムチ』!!」
ハリマロンが体から2本の細い蔓を出現させると、それをミジュマルの方に勢いよく伸ばし、捕らえようとする。
この技自体、ハリマロンと同じタイプの技なので、他のタイプの技を使うよりもより高い効果が得られる。
更に、ミジュマルは水タイプ、つまり草タイプの技が効きやすい。
これが当たればかなりのダメージが狙える。
もちろん、当たればの話である。
ギリギリまで蔓を引きつけたミジュマルは、人間の新体操選手顔負けのスピードで前転し、緊急回避する。
その勢いを最大限活かし、ハリマロンとの距離を縮める。
「『シェルブレード』!」
ホタチに水を纏わせて相手を切りつける、ミジュマル属の十八番だ。これは水タイプの技なので、今度は逆に草タイプであるハリマロンは、相性で言えば受けるダメージも少ない。
が、先程から自身の攻撃をかわされ続け、その度に反撃を喰らっているハリマロンは、もう既に体力の限界だった。
蓄積したダメージが響いたのか、ハリマロンが地面に手をついたその瞬間を、ヒュウガは逃さなかった。
「これでフィニッシュですね、『アクアジェット』!」
ミジュマルは支持を受けた瞬間、その小さな体に激しい水流を纏った。それはまるでコイキングから進化したギャラドスのように太く、力強いものだった。
そして、その水龍はそのままハリマロンの方へと弾丸のように突っ込んでいく。
「ハリマロン!避けて!」
エリカも回避を指示したものの、今のハリマロンにそれが出来る体力はほとんど残されていなかった。
そして、水龍がハリマロンを貫く。それと同時にあたり1面に水しぶきが飛び散る。それらはその場にいた全員の視界を遮る。さながら、水のカーテンにも見える。
「ハリマロンッ!!!」
ハリマロンの返答を求めていたエリカが、次に見たのは、目を回して仰向けに倒れている自身のパートナーの姿だった。
「勝負あり! この勝負はヒュウガの勝ち!」
審判を務めていたプラターヌ博士が判定を下す。その直後、エリカは倒れているハリマロンに駆け寄り、優しく抱き抱えた。
「ありがとね、ハリマロン」
きちんと代わりに戦ってくれた自身のポケモンに対して感謝の言葉をかける彼女の姿を見て、プラターヌ博士は確信した。この子ならいいトレーナーになれると。
そして、ミジュマルをボールに戻したヒュウガが、エリカの方へと歩いてくる。彼女の一歩手前で止まると、バックからスプレーを取り出した。
「それは?」
「キズぐすりです。ちょっとハリマロンを見せてください」
エリカは、若干戸惑いながらも、ハリマロンをヒュウガに渡した。そして、彼は手に持っていたキズぐすりを傷ついている部分に吹きかける。ハリマロンの表情が先程と比べて安らいだように見えた。
「後は、少し休ませれば大丈夫です」
「ありがとうね!」
「いえいえ、当然の事をしたまでですよ。しかし、回復までには時間もありますし…………………………」
ヒュウガは少し考える仕草をした。その様子をポカンとした表情で見つめているエリカ。そんな2人を暖かい目で眺めているプラターヌ博士。
そして、それから5秒後ヒュウガが笑顔でこう言った。
「暫く、ティータイムにしましょうか」
あの提案から3分も経っていない間に、エリカの母親からキッチン使用の許可をもぎ取ったヒュウガは、現在その台所で準備をしている。
カフェ『フローラ』の隅にあるテーブルのまわりには、エリカ、その母親、プラターヌ博士が座っていた。
「ヒュウガったら、烏龍茶なら私が入れるのに…………………」
「さっきのバトルでカフェ周辺が水浸しになったことへの彼なりの謝罪なんだと思います」
大人2人組が談笑している時、エリカは時々台所をチラチラと見ている。
(一体何してるんだろう…………………)
そう思っていた次の瞬間、ヒュウガが台所から底が平らになっている容器を持って戻ってきた。その容器には鮮やかな茶色に輝いている液体が入れられていた。そして、予め用意していたらしい人数分の茶器を並べると、順番に注いでいった。そこからは、香ばしくも、華やかで、まるで遠くから運ばれてきた金木犀のような香りが漂ってきた。
「いい匂い………………………」
そして、容器に入っていた液体を一滴も残らずに注ぎ入れた。その茶器をそれぞれの手元に丁寧な手つきで配る。
「お待たせしました。まだ熱いのでご注意ください」
エリカの目の前にあったのは、美しく、日光を反射している。まるで鏡のように澄んでいるこの液体は、彼女を魅了するには充分だった。
「じゃあ、早速……………」
火傷しないように、息を吹きかけて温度を下げる。そして、それを1口含む。その時、コクのある渋みと香ばしさ、それらを引き立てる微かな甘みが、彼女の舌を通り過ぎていった。そこから漏れた一言は………………。
「………………美味しい」
それはシンプルに、だが最もその感動が伝わる言葉だった。それを聞いたヒュウガは、先程バトルした時とは打って変わって、微笑んでいた。
「お気に召したようでなによりです」
続けて飲んだ大人達も、次々と感嘆の声を上げた。
「あら、これは黄金桂(おうごんけい)ね」
「うん、いい香りだ。前に飲んだのよりも美味しくなっている」
母親から出てきた謎の名詞に、エリカは首を傾げた。
「黄金桂? それ何?」
その疑問に、ヒュウガは瞬時に回答を出した。
「黄金桂は、極東でごく少量しか収穫することの出来ない銘柄で、香りがキンモクセイに似ているということでこの名が付けられた烏龍茶です」
「ふーん、そうなんだ……………………って、えっ? これ烏龍茶なの?? 紅茶じゃなくて??? 」
とても分かりやすいリアクションで驚いたエリカに、母親は苦笑を浮かべながらツッコミを入れる。
「いやいや、あなたそれでもカフェの娘なの? 」
「だってー!香りとか味とかが紅茶に似てたんだもん!」
「ははは、一応烏龍茶も緑茶も紅茶も、全て同じ茶葉で出来ていますからね」
プラターヌ博士がそうフォローをすると、彼女はまた、自分の無知をさらけ出してしまった。
「えっ、そうなの? 全く違うものから出来てるのかと思った!」
これには、流石のヒュウガや博士も苦笑を浮かべる他なかった。
そして、全員のカップの中身が無くなった時、博士が口を開いた。
「ヒュウガ、一つ頼みがあるんだ」
またも名指しされたヒュウガは、博士の方に向き直す。
「何でしょうか?」
「……………確か調査の旅に出るんだったね?ついでに、エリカ君も連れていってくれないかい?」
「………えっ、私!?」
自分は関係ない、と思ったこの話に出てきたのに驚いて、思わず大声を出してしまったが、すぐに気づいてその場で縮こまった。
その他はそれを気に止めずに会話を続ける。
「…………………なるほど、私といた方が目的上様々な事を知ることが出来、なおかつ料理係を担わせるという事ですね?」
「そこを頼むよ」
「分かりました。(こちらとしても烏龍茶の魅力を広められますし好都合です)」
なぜだか分からないが、今少し寒気がしたが、気にせずにこれからの旅の仲間に改めて挨拶した。実際、自分にとっての頼れるお兄さんが一緒に来てくれるというのはとても心強かった。
「ヒュウガ! これからよろしくね!」
「………………ええ、こちらこそです」
アサメタウンを出ていく二人のトレーナーを、見守っている母親と博士。エリカ達の姿が見えなくなった後、こんな言葉を交わしていた。
「……………あの子、本当に大丈夫かしら………」
「大丈夫ですよ、彼女にはポケモンがついています。きっと一人前のトレーナーになります。いざとなったら、ヒュウガもいますからね。」
「………そうね、なら私も帰ってきた時の為にフルコース作れるように準備しないとね」
暖かな春の日差しと心地よいそよ風が、カロス地方を包み込む。
彼らの旅は、始まったばかりである。