第6話 勝利の瞳
マリルについていった先は、「トゲトゲ」の名に相応しい
峻険な山がそびえていた。渇いて荒れた大地にはしぶとく生き残る雑草と尖った大小の石ころが転がっており、これまでに探険した地形とはまた一味違うことをフレイたちに実感させる。
「すみません……ボクは足手まといになってしまうから、ここで待っています」
ふもとに到着すると、マリルはぺこりと一礼してへたり込んでしまった。妹のルリリの安否を気遣い、長い距離を往復したため心身の疲れがピークに達していたのである。
「必ず、ルリリちゃんと一緒に戻ってきますから」
ゴロウがねぎらいの言葉をかけて、灰色に変わっていく空模様を見つめていたフレイを促した。
「頑張ろう」
「ああ」
ビクトリーズは頂上への第一歩を踏み出した。
当然のことのように、トゲトゲ山もまた"不思議のダンジョン"となっていた。山を成している地質は全て規則正しいかたちに整えられ、入口で吹き込んでいた風もどういうわけか止んでいた。
そんな変化に、ゴロウはもとよりフレイももはや驚くことはなかった。既にいくつもの依頼をこなした時点でイヤというほどこの迷路の構造を味わっていたからである。
ところが、突入してまもなく、"不思議のダンジョン"がもたらすもう一つの脅威が牙を剥いてきた。
「うおっ!?」
フレイの頬を質量のある何かが鋭く
掠める。とっさに振り向くと、敵意に満ちた野生のポケモンが構えを取って二匹を睨みつけていた。若干の青みをおびた灰色の肌は石のように頑丈そうで、その手足のリーチは明らかにフレイより長い。
「あいつはどんなヤツだ?」
態勢を立て直すため一度跳んで退がり、後方を任せているゴロウに訊ねる。
「格闘が得意なワンリキーだ。近接戦に気をつけて戦って」
「気をつけてって言われても……なっ」
ぼやきの間に今度は蹴りが放たれた。すんでのところで顎に当たるところを避けたと思ったら、間を置かずその足が軌道を変えて再びフレイの顔に迫る。
これは両腕を盾にしてどうにか防いだ。少なからぬ衝撃が身体にじんわり伝わるが、気にせず反撃の<ずつき>をワンリキーの腹にぶつけた。ワンリキーは怯んだ様子を見せるも、もう一度<にどげり>の動作に備えようとした。
「オマケ!」
そこへすかさずゴロウの<みずでっぽう>が割り込み、多量の水を叩きつけられたワンリキーは堪らずその場でダウンした。
「た、助かったぜ。ありがとうな、ゴロウ」
冷や汗を拭うフレイに、ゴロウは微笑んで返した。
「お互い様でしょ」
周りに敵がないことを確認して、探険を再開する。ルリリを見つけることが目標なので、なるべく多くの部屋を見回りながら二匹は階段を目指していった。
階が進むにつれ凶暴な野生のポケモンも増えたものの、息を合わせた連携により最小限の消耗で撃退することができた。
そんななかで、ゴロウはフレイのある特徴を見つけた。それは、今までなぜ気付かなかったのかというほどの大きなものだった。
「君、もしかして炎が使えない?」
「え、むしろ普通じゃないのか?」
フレイは何でもないように言った。声の調子から察するに強がっているでもなく、本当に自分が火を使えるかもしれないということを分かっていなかった。
「道理でいつも敵陣に突っ込むわけだ……」
「仕方ないだろ。じゃ、どうやるのか教えてくれよ。火を出す方法」
「こう、お腹から息を吸って、火を出すぞー、めらめらさせるぞー、と気持ちを込めて力いっぱい息を吐いてみてよ。僕はそうやってるよ」
「フム」
一旦立ち止まり、フレイが深く息を吸う。思いを強くしているのであろう、怖い顔をしながら目の前に向かって盛大に息を吐き出した……結果として、火の粉のひの字も出なかった。
「ダメじゃん」
「あれぇ?」
フレイがゴロウをちらと見やって、ゴロウはがくりと首を傾けた。
「まぁ、出来ないもんはしょうがねぇ。別の機会に練習してみるか」
特に残念がることもなく、フレイはあっさり引き下がって、次なる部屋へ向けてフロアの探索に戻った。
「出せると思ったんだけどなぁ」
なんだか本人よりも名残り惜しそうに、ゴロウも彼のあとについていった。
トゲトゲ山を登り始めてはや幾層。二匹は更に上へ向かう階段を発見した。積み重なる石段の奥には"不思議のダンジョン"のものとは別の光が垣間見え、強い風が吹き抜けていく。どうやら頂上に差し掛かったようだった。
ここまで探索を続けても未だにルリリの姿はなく、彼らがいるとするならばもう最上階に他はなかった。
逸る心に階段を踏みかけたフレイに、ゴロウが前足でそのお腹を掴んだ。
「待った」
表面上は抑えながらも明らかに焦っていたフレイが不機嫌そうに振り返る。ゴロウもいたずらに止めたのではなかったから、彼の強気な視線にも動じなかった。
「なんだ?」
「怪しいんだ」
「なにが?」
「ルリリと一緒にいるらしい、スリープのこと」
「そいつも迷ってるんだろ。どっちも助けに行けばいいハナシだ」
ゴロウの考えを、フレイはバッサリ切り捨てた。あんまり当然のことみたいに言うので、反論するのも面倒だからと、結局ゴロウが折れた。
「うーん……やっぱりいいか。いざとなったら僕が対処するよ」
「よく分かんねぇけど、さっさと行くぞ」
元の目的に戻って、二匹は改めて階段を上っていく。一段一段、確実に踏みしめて外界を目指す。そこにルリリが無事でいることを信じて。
「フレイ、一応これだけ言っておく。ポケモンには良いヤツも悪いヤツもいる。当たり前だけど」
「……」
フレイはウンともスンとも答えなかった。その代わり、未来予知に見たルリリの悲鳴、『助けて!』という叫びの理由を、彼の助言を踏まえてじっと考えていた。
あいつはいったい、何から助けを求めていたのだろうか。
〇
「ねぇスリープさん、落とし物はどこ?ここ、行き止まりだよ」
辺りを高い峰に囲まれた、とがった岩場の連なる荒れた地に、二匹のポケモンが向かい合っていた。ルリリと、黄色の上半身に茶色の下半身をもつ鼻の長いポケモン……スリープだった。
「落とし物はここにはないんだよ」
探していたものはないという冷たい答えに、ルリリは虫の知らせに似た悪寒を感じた。
「お、お兄ちゃんは?」
「お兄ちゃんもここには来ないんだ。それより」
微かな苛立ちを声に含ませて、今度はスリープが会話の主導権を握る。
「ちょっと頼みがあるんだ。お前の真後ろに小さな穴があるだろう?」
紐に吊り下げたコインを持つ手で、ルリリの背後にそそり立つ、淡い金属の光沢を帯びた岩壁のかたまりの底、ほんの小さく空いた洞穴を指差した。誰かが無理やり掘りぬいたような造りで、中に入ればどんな危険があるか知れたものではなかった。
怯えるルリリをよそに、スリープは自慢げに語り出した。
「実はある盗賊団が財宝をここに隠したという噂があるんだ。お宝を手に入れればどれだけ儲かることやら!」
「ただ、俺の体じゃ大きすぎて入らねぇ。そこで小さなお前を連れてきたのさ」
「だ……だましたの?」
「騙したなんて人聞きの悪い。俺は探し物を手伝ってやるついでにお前の力をちょっと借りるだけなんだから」
どうにかして逃げようとルリリは周囲を探るが、開けた場所であるためにスリープの視線から逃れようがなかった。それどころか、逃げようとしていることを気取られてしまい、スリープの目つきがより悪意に染まっていく。
「いいか、お宝を取ってくればいいんだ。そうすれば帰してやる」
「い、いやだ」
「そんなに口応えするようなら、一度痛い目に遭う必要があるな……」
手元のコインが怪しく揺れたかと思うと、地面に散らばった石の粒がうっすらと緑色の膜に包まれて、宙に浮かび上がった。
おそらくあれをぶつけられるのだ。瞬間的にルリリは悟る。彼女は持てる気力を絞り尽くしあらんかぎりの声で叫んだ。
「た……助けてっ!」
救いを求める声が、灰色の空にこだました。あるいはそれは、虚しい小さな小さな力に過ぎなかったけれど。
「待ちやがれぇっ!」
「なにっ!?」
突然現れた別の声に集中を弾かれ、小石が力を失いぽとりと地面に落っこちた。反射的に振り向くと、離れた距離にものすごい形相のヒトカゲと眉根を寄せたミズゴロウが立っていた。彼らのトレジャーバッグとスカーフには、探険隊のあかしであるバッジがきらりと光っていた。
「チッ、もうバレたのか。こうなればっ」
スリープは追手がやって来た場合を考慮していないわけではなかった。一歩ずつ後ずさって、ルリリを人質にしようと手を伸ばす。
「させるものか!」
スリープが準備をしていたように、ゴロウも彼が敵だったときの行動を予測していた。もちろん、その対処法も。
彼はバッグから素早く、深い青にきらめくふしぎな玉をスリープめがけて投げつけた。
「甘い」
それを持っていた者とふれた者との場所を入れ替える"場所替えの玉"だと瞬時に判断したスリープは、ルリリへ伸ばした手を止め<サイコキネシス>で勢いを失わせ、接触を防いだ。だが、ゴロウはそれも読んでいた。
「数撃ちゃ当たるらしいからね」
「っ!」
彼はもう一つ、"場所替えの玉"を投げていたのだ。玉は前方のものとほぼ同じく山なりに飛んで、敵の視界から隠れる有り様となった。
不意に出てきた二個目の玉に、ほんの僅か対応が遅れて、つるつるした曲面がスリープの鼻先にぶつかった。
理屈のまったく分からない不可解な力がゴロウとスリープにのしかかったかと思うと、二匹の位置はすっかり代わっていた。つまり、ゴロウはルリリの元に。スリープはフレイのとなりに。
「なぁ」
恐ろしいほどの静けさが場を包んだ。その元凶はすべて、目前のヒトカゲだった。
得体の知れない脅威を感じたスリープはものも言えず必死に念動力を練り出してフレイを拘束しようとする。しかし、いくら<サイコキネシス>を発動しても、彼の体を包んだそばから力がほどけてしまう。
ヒトカゲはただ炎の属性しか持たないハズである。エスパーの能力など逆立ちしても獲得できるものではない。だというのに、フレイにはまるで効いていなかった。
「あれは」
彼の変化を知り得たのは、この場でゴロウだけだった。
出会ってからずっと、閉じていたフレイの右目がいつの間にか開いていたのである。その瞳は、通常のヒトカゲとは違う、まばゆいほどの白に輝いていた。
「あったかい……」
ゴロウにくっついていたルリリが呟いた。確かに、空気全体がほのかな熱を帯びていた。熱は寄り添うようにあらゆるものを撫でていき、身だけでなく心までも温かく満たしていく。おそれる者に勇気を与え、勝利に導くともしび。その源であるフレイの目。
ゴロウはサポートすることも忘れて呆然としていた。
「……勝利の瞳。なぜ、彼が……」
「お前、なんでルリリをさらった?」
「ざ、財宝をかっさらって金を手に入れるためだ。それにはあいつが必要だった!」
清らかささえもが
滲み出すフレイの目に見つめられ、スリープはどうにかこうにか弁明する。攻撃の手は既に止まっていた。
「ルリリとマリルの気持ちは考えなかったのか」
「そんなもん、騙される方が悪い!所詮この世は弱肉強食だ。強いヤツだけが勝って弱いヤツは大人しく泣き寝入りするしかねぇんだ!」
皆まで聞いて、フレイは軽く息をついた。スリープが固唾を呑んで彼の一挙手一投足を警戒した。
「ありがとよ。お前のおかげで、俺のなすべきことがハッキリ理解できたぜ」
「俺は勝たなくちゃならねぇんだ。絶対に」
「な、何に」
一匹で勝手に納得しているフレイに、おそるおそる訊ねたが、あえなく一蹴されてしまった。
「それは知らん。まぁ、そんなことは置いといて」
白昼の輝きを見せる瞳が、勝利の一文字を宿らせる。
「一発食らっとけ」
「は?」
スリープの周りの温度がじわりと高まり、さらには何もない地面からぽつぽつ白い炎が噴き上がる。そのあいだ、フレイは息をたっぷり吸い込んだ。
直後、日の光めいた閃きが
迸る。視界だけでなく音すらも掻き消してしまうような、聖なる炎の一撃。
まぶしさが薄れていく。幻みたいな一瞬が過ぎて後に残ったのは、お腹にVの字を焼き付けられて気絶したスリープと電池の切れたごとくぱたりと倒れたフレイの姿だった。
「あ」
これにて一件落着……ではあったが。
「後処理、ぜんぶ僕がやらなきゃいけないのかぁ……」
意識を取り戻したゴロウの嘆きは、ギルドの寝床に辿り着く夕刻まで続くのであった。