第4話 打ち明け話
昨日が終わり、新しい一日が始まった。昇る朝日と共にゴロウは爽やかな心持ちでぱちっと目覚めた。彼は日頃から規則正しい生活を送っており、早寝早起きが習慣となっていた。ついでにいえば、早起きは首元にかける蒼い石をあしらったペンダントの無事を確かめるためでもあった。
「集中、集中……」
ゴロウの特異な色の瞳が、目覚めからまもなく再び閉じられる。視界が一瞬の暗闇に覆われたかと思うと、すぐに景色の輪郭が鮮やかに描かれ出す。色彩こそ青白く褪せているが、目を開けて見たときと遜色ない世界がまもなく出来上がった。
「いやぁ、凄いなぁコレ」
のんきに感心しながら藁のベッドから起き上がって、隣でまだぐっすり眠っている連れを見やった。その彼、フレイは元ニンゲンと記憶喪失という爆弾級のいわくつきなヒトカゲなのであるが、寝顔はポケモンの体によく馴染んでいるように見えた。とてもニンゲンだったとは想像しがたいほどに。
ふと、ゴロウが何を考えたか眉間に力を込めた。ただ一瞬のことで、すぐに表情が戻る。
「あー……起きて、フレイ」
そして、フレイの顔を短い前足で小突いた。起きないので、今度はわりあい力を入れて頬の部分を踏みつける。反応があって、嫌そうな顔をして寝返りを打った。
これでは埒が明かない。日光は輝きを増しつつあった。つまり、起床時間だ。
間に合わない。そう感じたゴロウはどうにかして両耳を塞いだ。
果たして、彼の変な行動の理由がやって来る。
「起きろおおおおお!!朝だぞおおおおおっ!!」
「うわあぁっ!?」
「うぐっ……」
部屋のみならずギルドそのものが崩壊してしまうのではないかと錯覚するとんでもない爆音が二匹を襲った。フレイは文字のとおり跳ね起き、ゴロウは最小限の被害に留めたにも関わらず軽いめまいを覚えた。
「新入り、朝礼の時間だ!さっさと来いいいい!」
さっきの爆音よりは控えめなものの、うるさいことに変わりはない注意を置いて、声の主であるポケモンは通路をのそのそと戻っていった。流石のフレイも意識がはっきりしてきて、そばにいたゴロウに振り向いた。
「おはよう、フレイ」
「おう」
軽い挨拶の交わしあい。いかんせん会って一日程度の時間しか経っていないので、お互い心的な距離が測りづらい。だからといって仲が悪いわけでもない。凝縮された体験のなかで信頼の種は既に両者の心に芽吹いていたからである。
「もうちょっと眠りてぇけど……またどやされたくねぇから、行くか」
「それが最善だろうね」
大きいあくびを遠慮なくかましつつフレイは立ち上がって広場に続く通路に赴く。
ゴロウも彼の背につきながら、昨夜に見た夢もとい自身の秘密のことを考えた。
フレイに、話してもいいのだろうか。どうだろうか。僕の使命というものについて。
〇
広場にやって来ると、他のギルドのメンバーが二列に並んでプクリン親方の部屋の前で待っていた。むろん全員見慣れない面子であり、その中で起こしに来たであろう紫色のポケモンが彼らに気付いて、テキトーに並べと大きな顎をしゃくった。指示に従って、フレイは黄色の鮮やかな花のようなポケモンの隣に、後ろのゴロウは地面から直接顔を出している茶色のポケモンの横に並んだ。
窓から溢れる温かな光に照らされるもと、一同の一歩先に位置を占めたペラップが口ずさむみたいに喋り出した。
「集まったようだな。うむ、よろしい」
こくこくと頷いて、今度は親方の部屋に向けて呼びかけた。
「親方さまー、全員揃いました」
その言葉が合図となって、ピンクに塗られた扉が勢いよく開かれた。ギルドの主であるプクリンがのしのしと貫禄たっぷりに歩いて、止まった。顔こそいつもにこやかなのであるがやはり本当の表情が読めない。何か考えているようでもあり、何も考えていなさそうでもある。
「親方さま、一言お願いします」
「……ぐうぐう……ぐうぐう……」
一言の代わりに寝息が広場に響いた。弟子たちがひそひそと会話を交わす。
「プクリン親方って凄いよな……」
「ああ、本当にそうだな」
「ああやって、毎朝目を開けながら寝てるんですもの」
囁きがだんだん騒がしくなって収拾がつかなくなってきたので、ペラップは慣れた風に朝礼を締めにかかる。
「挨拶、ありがとうございました。では、誓いの言葉!」
"誓いの言葉"と耳にした途端、フレイとゴロウを除く全員が元気に声を合わせて誓いの口上を始めた。
ひとーつ! しごとはぜったいさぼらない!
ふたーつ! だっそうしたらおしおきだ!
みーっつ! みんなえがおであかるいギルド!
「さぁ皆、今日も張り切っていくよ!解散っ」
結局、すべてペラップの仕切りで朝礼は終わり、メンバーたちは三々五々それぞれの仕事場へ意気揚々と向かっていった。残ったのは新入りのフレイとゴロウだけであった。
どうしたものかと顔を見合わせる二匹に、いまだ眠るプクリンを部屋に押し戻したペラップが声をかけた。
「ああ、オマエたちは今日が最初だったな。依頼の受け方を教えてやるからついてこい」
「はーい」「へーい」
二匹はのんびりとした返事をして、ペラップの先導に頼ることにした。地下一階へ上がるハシゴに爪をかけたとき、ペラップはちらと末弟子たちの様子を盗み見る。
右目の開かないヒトカゲに、驚くほど糸目のミズゴロウ。
どうにも今後ギルドの顔として活躍できるメンバーにはならないだろうというのが彼の印象だった。言い方を悪くすれば、要するにハズレである。
そんなペラップの醒めた視線をいっこう知らないまま、フレイたちは昨日見かけた掲示板の元にやって来た。
「この掲示板では、落とし物や迷子の救助の依頼を主にあてがっているのだ」
説明を加えつつ、ペラップは広場の右端に位置するもう一つの掲示板を指差した。
「あっちは悪さをしたおたずね者をとっちめる依頼が貼ってある。オマエたちは初心者だから今回はコッチというわけだ」
フレイはちょっと不満そうに、おたずね者の掲示板を見遣って、息をついた。
「俺としてはすぐにでも悪いヤツをけちょんけちょんにしたいんだけどな」
「ワガママ言うんじゃないよ。ただでさえ最近は狂った時のせいでおかしくなってしまったポケモンが増えてるんだ。生半可な腕では行かせないよ」
「誘った僕が言うのも悪いけど、ここにはここのルールがあるのさ。不服だとは思うけど、一旦退くこと」
「むぅ……まぁ、ゴロウが言うなら」
「なんだオマエ、意外と話の分かるヤツじゃないか」
あほっぽい顔をしている割に、と続けそうになったペラップであったが、なぜか悪寒がしたので危うく言葉を呑み込んだ。代わりにわざとらしい咳ばらいを挟んで、掲示板から依頼書を一枚さっと引き剥がして、フレイに渡した。
フレイはじっと紙に書かれた文字を見つめるが、内容がさっぱり分からない。落書きの寄せ集めといった方が彼にはまだ理解できるほどだった。
「なんて書いてあるんだ、これ」
「えっ、本気で言ってる?」
「マジもマジだぞ」
通常ならば耳を疑うような話であるほどに、文字はこの世界のポケモンたちに広く知られていた。しかし、フレイが元ニンゲンであるらしい以上、彼にこの世界の文字が分からなくても不思議ではないと思い至った。
ペラップにバレると話がややこしくなるので、ゴロウはさっと内容を確認する。
「バネブーからのお願いだね。大事なしんじゅを盗まれてしまったんだけど、そのしんじゅが湿った岩場という場所に落ちていることを聞きつけたんだって」
「それで?」
「危険で入れないから探検隊に代理として回収してきて欲しいってこと」
「なるほどなぁ」
読み上げた内容にフレイがしきりに感心していたら、ペラップが我慢しきれないようで口を挟んできた。
「分かったらさっさと準備して行ってくるんだよ!一日の終わりは早いんだから」
お小言をうるさそうに聞き流しながら、フレイはゴロウに向き直った。
「りょーかいしましたよっと。じゃ、その湿った岩場とやらにレッツゴーだ」
「よしきた」
ゴロウも合点承知と頷いて、探検隊"ビクトリーズ"の初仕事が始まった。
〇
湿った岩場はギルドからさほど遠くない場所にあった。入門祝いにもらった不思議な地図を参考に辿って着いたその入口に、フレイとゴロウは並び立つ。
この岩場は海辺のものと同じいわゆる洞窟の形を保っているのであるが、地上よりやや低いところにあるために、外の晴れとは裏腹にじめじめしていて薄暗く、あちこちに積み重なる角の取れた岩々の表面を覆い尽くさんとばかりに苔が群生していた。
「元々は水が流れていた場所だったのかもね」
ゴロウが生き生きとした調子で呟いた。一方のフレイは空気の湿っぽさと濡れた土を踏む気持ち悪さに苦戦していて、そんな地形の話など聞いている余裕と元気がなかった。
「なんだか居るだけで気が滅入ってくるぜ。依頼、ちゃっちゃか終わらそう」
「はいはい」
多少の同情を込めて頷き、二匹はいよいよ洞の中へ進んでいく。
「またこれか」
フレイが呆れたとばかりに肩をすくめた。外から見たぶんには海辺の洞窟とまったく違う様子であったにも関わらず(当然といえば当然であるが)、その内部は構造が殆ど同じだった。粘土質な灰色の地面に大小の石ころが地層めいて固まった壁、天井から落ちる滴で波紋を投げかける水路、それら自然はみなきれいに整った部屋と通路を成していた。目立った光源もないのに明るいところも同様である。
「言い忘れたけど、探検隊が向かう場所はほとんど"不思議のダンジョン"だよ」
ゴロウはやはり慣れた様子で部屋を抜ける通路の一つに目をつけすたすたと歩いていく。フレイも後を追いながら、現象の異様さにまだまだ慣れない様子でちょくちょく辺りを見回した。
探険は順調であった。べつだん危機や驚きとなることもなく、運よく階段を降りた先に階段を見つけるといった具合でするするとダンジョンの攻略が進行していった。
そんな余裕いっぱいの状況であるから、ゴロウは自然と己の思考に没入していった。フレイはというと、あれは何かと落ちている道具を指差してあれこれ訊ねていたのだが、ゴロウが答えてくれないので、とりあえず見つけたものは何でも拾ってトレジャーバッグにしまっておいた。
ようやく彼が口を開いたのは、深部に到着する一歩手前のフロアに降りたときだった。
「あのさ」
「ん、なんだ……っておわっ!?」
話を聞こうと振り向いた途端、フレイは横っ面にべたつく黒い泥を浴びた。反射的に泥の投げられた方を見ると、ピンクというカラフルな体色のウミウシのようなポケモンが目を吊り上げてこちらに<体当たり>を仕掛けてきていた。
しかし彼は焦らない。ふっと小さく息を吐くと、右腕を素早く突き出した。体の捻りも加えたパンチは勢いも加わり、突如攻撃してきたポケモンをあっけなく地面に叩き返した。一連の行動における彼の反応の速さにうわぁとゴロウがちょっぴり引いた。
「なんだコイツ。急に襲ってきたぞ?」
手をぶらぶらさせながら、きれいにノびているポケモンを見下ろす。そこには困惑だけがあって、海辺のときに表したような激しい怒りはなかった。
「"不思議のダンジョン"の影響さ」
「またぁ?でも、こいつはポケモンだろ。周りの地形と違ってすげぇ変化は受けてなさそうなんだが」
「カラナクシ……そのポケモンの名前だけど、彼の住処がおそらくここなんだ。本来自然な形を保っていたはずの自分の家が急にこんな風に変わったら、君はどう?」
教師然とした説明のなかで訊ねられ、フレイは首を捻る。
「んー、びっくりするし、不安にもなるだろうな」
「そうそう。それが原因。彼らはすっかり変わってしまった住処に対する不安と僕たちみたいな不審なやからがやって来る恐怖のせいで凶暴になってしまうんだ。言い換えれば、歪んだ縄張りを荒らされているといった感じかな」
ゴロウの言葉に、ますます首を捻ってしかめっ面をしていたフレイだが、やがて首が元の位置に戻った。
「なら俺たちが荒らさなきゃいい……っていうと、バネブーの頼みが達成できないわけか」
「難しい話だよ。ほんとにね」
落ち着いたところで、二匹は依頼達成のために次のフロアへ繋がる階段を探しに戻った。と同時に、肝心な、ゴロウの伝えたかったことを思い出した。
「そうだ、襲撃ですっかり忘れてた。君に話すことがあるんだ」
「俺に?」
「うん。言おうかどうか今朝から考えてたんだけど」
「それで声かけても反応しなかったのか」
「うっ、それはゴメン……気付かなかった」
申し訳なさそうに頭を下げるゴロウに、フレイは両手を頭の後ろに回して気にすんなと変わらぬ表情で答えた。
「で、どんな話だ?」
「僕の目的のこと。面倒なことになるから他言無用でお願い」
「いいぜ。別に言いふらす相手もいないし」
フレイが条件を呑んで、ゴロウは一つ深呼吸をした。
「自分で言うのもなんだけど、僕はいわゆるお坊ちゃまの生まれなんだ」
「はぁ」
急に変てこな前提から始まって、フレイは曖昧に相槌を打った。まさかそのことを暴露しただけでは終わるまい。
「割と由緒が正しい一族……というか集団で、僕と似たような子があと三匹いるんだけど、偉いことを証明するあかしとしてそれぞれ大事なものを受け継いでいるんだ」
そこで、ゴロウは黒いスカーフに隠した淡く光の灯るペンダントを取り出して、フレイに見せた。
「その大事なものには"レガリア"って名前がついてる。このペンダントもその一つ」
「レガリア……?」
フレイの頭に違和感が兆した。なんだか聞き覚えのある気がしたが、盛大な勘違いか何かだろうと思ってゴロウの話を優先する。
「そいつがどうかしたのか?」
否定も肯定もしづらいような問いだったらしい。一瞬迷ったすえに、ゴロウは答えた。
「つい最近のことだ。友達……同じレガリアを持つ者が僕の家にやって来てこう言ったんだ。『この世界に危機が訪れている。滅びのさだめを回避するには僕たちの"レガリア"が必要だ』と」
つい昨日もこんな巨大なスケールの話をされたなと、フレイはぼんやり思い出した。あれは、"不思議のダンジョン"について聞いたときのことだ。あのあとゴロウが言おうとしていた言葉、それに、ペラップも似たことを言っていたような。
「もしかして、危機っていうのは時が狂っているってヤツか?」
「詳しいことは教えてくれなかった。でも、君の答えと僕も同じ意見だ」
「この時空の歪みを食い止められるならと思って、色々あったけど、今こうして君といる」
「ほへぇ……」
目の回るような情報だった。この世界のことをほとんど何も知らないにも関わらず、どうにかしなければ滅ぶらしいということだけ分かったのだから無理もない。けれど、ちょっとやそっとでへこたれるようなフレイではなかった。
「俺にも、出来ることはないか?」
真剣な眼差しのフレイにゴロウは驚いて、少し怯んだ。
「えっと、今のところはギルドで他の"レガリア"を持っている子と合流するのを待つことが目標だから大丈夫。というか、もう既に色々助けてもらってるし」
気が付けば、最後の階段をとっくのとうに降りて、二匹は奥地に到着していた。奥深くとなると"不思議のダンジョン"の変化も受けにくいようで、もとあったに違いない自然の造形がそこに残っていた。
べたつく地面は貼り合わせたような石床に変わり、入口で見たものと同じ丸っこい岩と苔の群れが辺りをかたどる。目線の先には階段みたいに段々となった岩場がおさまり、あちこちに走る割れ目を、岩場のてっぺんで噴き出す冷たい水が流れていた。どこか神秘的でもあるこの場所は、本来の自然がもたらすであろう安らぎに包まれていた。
「あっ、しんじゅ!」
フレイが叫んだ。確かに、しんじゅは床の上に無造作に置かれていた。
そっと拾って、空っぽのゴロウのバッグに詰める。これを依頼人に返せば依頼はまさしく完了である。あとは帰還するだけであった。
「……まぁ、なんだ。お前にもフクザツな事情があるってことが分かった」
「俺、結局ヒマだしさ、何か起きたら遠慮なく言ってくれよな。急ごしらえとはいえ、チームなんだしよ」
「フレイ……ありがとう。僕、戦闘は苦手だし、これからもバリバリ頼っちゃうよ」
「おう!」
その後、探検隊バッジを使ってギルドに帰った二匹は、ちょっぴり絆を深めてぶじ初仕事を終えたのであった。
「ところで、お前のレガリアは何かあんの?」
「うんとね、時間の現在と、頑張れば過去と未来が見えるよ。過去視と未来視は数秒程度が限界だけど」
「お、思ったよりえげつねぇ……」