第3話 ビクトリーズ結成
「探険隊、かぁ」
やたら急な勾配を描く階段を一歩一歩踏みしめながら、フレイがあくび混じりに呟いた。海岸でのゴタゴタがあったにも関わらず空模様は未だ夕暮れが覗いており、流れる風にしっぽの炎が揺らめく。
傍らのゴロウも、相変わらず目を閉じたまま危なげなくついていって、海辺から香る潮のにおいを楽しんでいた。
「ここがプクリン……ギルド?」
階段を登りきった二匹は、目前にそびえる自己主張の激しい建築物を仰いだ。ウサギのようだが決定的に何かが違う、どこか超然としたポケモンの上半身を模した布のドームがそこにあった。荒れた地形には道がまっすぐ舗装され、その中央に底のぽっかりと空いた金網が待ち構えていた。かがり火があかあかと燃えている奥でトーテムポールが列を並べており、妙に民族的な雰囲気を漂わせている。そして、ドームの扉は頑丈な鉄格子で閉まっていた。
「これじゃ入れないな。ゴロウ、どうするんだ?」
「多分、こうだね」
お手上げの様子のフレイに、ゴロウはすたすたと先を歩いて金網の上に乗る。乗ったまま振り返って、まぁ見ててよと言った。
彼の言葉に違わず、どこからか反応があった。地下である。網の下方から、甲高い声がはっきり聞こえてきた。
「ポケモン発見!ポケモン発見!」
今度は同じく下にいるらしい別の声が喋る。
「誰の足形?誰の足形?」
「足形はミズゴロウ!足形はミズゴロウ!」
「なんだこりゃ」
フレイは目の前で行われている奇怪な作法に思い切り呆れた。そんなところへ不意打ち気味に足形を問うたポケモンの野太い声がまた響く。
「……よし。そばにもう一匹いるな。お前も乗れ」
「どうぞ」
ゴロウが横に退いて、フレイを促す。フレイはなぜか緊張を覚えながら頷いて、おそるおそる同じように金網の上に足を乗せた。人間のときの足がどういう感覚をしていたかは忘却されてしまっていたが、いま不安定な足場に立つ自分の足はやっぱり馴染んだものではないということを改めて感じる。
「ポケモン発見!ポケモン発見!」
「誰の足形?誰の足形?」
先ほどとまったく変わりないやりとりが続く。ところが、一方が言い淀んだ。
「足形は……足形は……えーと……」
「どうした見張り番!見張り番のディグダ、応答せよ!」
「んーと、えーっと、足形はぁ、たぶんヒトカゲ!たぶんヒトカゲ!」
「なんだぁ、たぶんとは!」
「だ、だってぇ、このへんじゃ見かけない足形なんだもん」
何やら身内でモメごとが始まりそうだった。フレイは気になって網の隙間を覗き込むが真っ暗で見えない。
「なぁ、大丈夫かな」
「大丈夫だよ」
「タッカンしてるなぁ、お前」
ゴロウの落ち着きは実際、正解だった。そこはかとない言い争いが止んで、野太い声がいくらか優しい口調でフレイたちに呼びかけてきたのだ。
「まぁ、怪しい者でもなさそうだ。待たせたな、入って良し!」
地響きが起こる。何かと思えば、ドームの入口の鉄格子が引き上げられた揺れだった。門が開き、二匹を迎え入れる準備は万端となった。
フレイはゴロウと顔を見合わせる。ゴロウは穏やかな笑顔で応えた。
「行ってみよう」
「おう」
フレイもこれに力を得て、ずんずんとドームの中へ進んでいった。
〇
天幕の内は、外観よりとても狭かった。切石で縁取られた穴に縄で補強された丸太のハシゴが真っすぐ伸びており、隣の木の看板が矢印で示していることもあって、二匹は不慣れながらそのハシゴをゆっくり降りていく。
「すげー!」
今度は打って変わって広い空間に出た。固い地面と柔らかい芝生がまばらに陣地を取り合い、ところどころに野良の花や植物が成長している。主に二匹で組となっているポケモンたちがあちこちで喋っていたが、特に、どこからともなく生えた蔦の絡まる、ごつごつした茶褐色の岩壁に組み込まれた大きな掲示板の前に多くたむろしていた。
「割と活気がある。よかったよかった」
好奇心いっぱいのフレイと一緒にゴロウもきょきょろと施設の中身を観察していると、すぐ傍のもう一つのハシゴから上がってきたポケモンに気が付いた。
カラフルな色で変な頭の鳥、というのがフレイの第一印象であった。
「さっき入ってきたのはオマエたちだな?」
どこか歌うような調子で、鳥ポケモンは語りかける。何か失礼なことを言いそうなフレイの代わりに、ゴロウが答えた。
「はい、そうです」
「勧誘やアンケートならお断りだよ。さ、帰った帰った」
一体どんな勧誘やアンケートが来るのか不思議に思いながら、ゴロウはギルドに来た本当のところの目的を伝える。
「違いますよ。僕たちは探検隊になりに、つまり、あなた方のギルドの門下に入りたいんです」
彼の明快な言葉に、鳥ポケモンは一瞬固まった。文字通り、時が止まったようだった。その素っ頓狂な顔に、後ろで吹き出しそうになるフレイを尾っぽで軽くたしなめる。
「た、探険隊……聞き間違いでは、ないよな?」
「えぇ。ついでに言えばこっちのヒトカゲもそうです」
「な、なんと……あんな厳しい修業は耐えられないと逃げ出した弟子たちが後を絶たないというのに」
「なぁ、本当に大丈夫なのか?」
ペラップがもろに滑らした心の呟きでフレイが訝しんでゴロウに耳打ちする。
「いいから」
彼らの小さな囁きに、思考の宇宙をさまよっていた鳥ポケモンも目を覚まし、わざとらしく咳払いをして再び二匹に向き直った。
「と、ともかく。それなら話は早いね。私の名はペラップ。プクリン親方の一番弟子だよ。必ず覚えておくように。ほら、ついてきなさい」
ほとんどスキップの体で、あまつさえ鼻歌まで唄いながらさっさとペラップがさらに下へ向かうハシゴに戻り、器用に降りていく。
「まぁ、仕方ねぇか」
どちらにせよ行くアテがないことに変わりはないので、小さく息をついてフレイも前を行くゴロウの後ろをついていった。
〇
ギルドの地下二階も、上のフロアと似た造りになっていた。違いもあって、広場の左右にまた別の空間へ繋がる通路が開かれていた。
「こっちだぞ」
ペラップが向かって左のレンガ壁に囲まれたピンク色の木扉を指し示した。親方の標らしい赤いマークが刻んである。フレイたちは脇に鎮座するこれまたポケモンを模したであろう謎の店を横目に、扉の前までやって来た。
落ちかかる夕の陽が僅かに壁高くの円窓から零れるなか、ペラップは目を細め声を忍ばせて言った。
「ここがプクリン親方のお部屋だ。くれぐれも……くれぐれも、粗相のないようにな」
「はい」「へいへい」
二者の返事を聞いてか聞かずか、翼を丸めて扉をノックする。
「親方さま。ペラップ、入ります」
扉が開けられた。三匹はそろそろと部屋へ続いていく。
親方の部屋は、一口で語るなら、雑然としていた。若い色の草葉のまるい床に絨毯が敷かれ、部屋の半分を宝玉のぎっしり詰まった宝箱やら金銀財宝が占領していた。両端に嵌めた窓で光を取り込んでおり、照明用に置かれたかがり火はまだ灯されていない。
果たしてプクリンというポケモンは、その中央に据えられた大きな椅子にぴたりおさまっていた。見た目はまさしく地上で見たドームの形そのものであった。
フレイとゴロウがなんともいえない読めない表情に戸惑っていると、ペラップが一歩前にでて儀礼めいたおじぎをする。
「親方さま。こちら、こんど新しく弟子入りを希望している者です」
一瞬の沈黙がよぎる。すぐさま反応を返してくれるのかと思いきや、硬直しっぱなしのプクリン。ペラップが不安そうに首を傾げる。
「親方さま……親方さま?」
「やあっ!ボク、プクリン。ここのギルドの、親方だよ?」
「うわびっくりした」
急に喋り出した親方にフレイが素で驚くとなりで、ゴロウは目を開けたまま居眠りしていたんじゃないかしらとぼんやり推測する。プクリンは構わず新参になろうとしている二匹をじっと交互に見つめながら、また話し出した。
「探険隊になりたいんだって?じゃあ、一緒に頑張ろっか!」
「テンション高いなこいつ……」
「こら、余計な口を利くんじゃないっ」
ペラップに怒られなお何か言いたげなフレイだったが、大人しく黙ることにした。その間に、プクリンが椅子の裏をがそごそ漁って両手で抱えるほどの宝箱を取り出して彼らの前にそっと置いた。
「これ、探検に必要な道具!あとは、チーム名を決めてね」
「チーム名?」
「うん!重要だよ?」
有無を言わさぬ謎の圧力に、ゴロウはフレイへ助けを求める。
「名前、どうしようか」
「ビクトリーズだ」
「え、即答?」
「分かった。"ビクトリーズ"でけってーい!」
「決まっちゃった……」
嵐のような応酬を経て、なんだか実感が湧かないものの、ようやく二匹の弟子入りが決まった。散々名前を付けるときに文句を言った割に自分と大差ないネーミングセンスに小言を言おうかとも思ったが、やる気がないのでゴロウはあえて訂正しなかった。それよりも、"ビクトリー"の示す勝利という言葉が頭のほんの片隅にひっかかった。
「宝箱の中身は……と。お、色々入ってるな」
そんなゴロウを気にせず、フレイが宝箱を開けて道具を次々と引っ張り出した。探険隊の証であるバッジ、ぐるぐる巻きにされた古ぼけた不思議な地図、サイズが装着者に自然とフィットするトレジャーバッグなどなど。一つ一つ取り出すたびに、プクリンが簡単な説明を加えてくれた。
〇
「さて、そろそろ寝床を案内するぞ」
諸々の手続きを終え、ペラップが言った。特に質問することも生じなかったので、二匹もそれに応じて親方の部屋を後にする。去り際、「また明日ねー」とプクリンが元気に手を振ってくれた。
さて導かれたのは、予め目にしていた広場から離れたトンネルのような通路である。この道は左右に枝分かれしていて、別のメンバーの寝床に通じているらしかった。
「ここがオマエたちの部屋だよ」
三匹が辿り着いたのは親方のそれとは違って小ぢんまりとした部屋だった。整えられた岩場によく均された土。藁を詰めた布団がきっかり二つ分。これには二匹ともまったく不満はなく、むしろ早く眠りたいという気持ちが強かった。
「明日からバリバリ働いてもらうからな。夜更かしするんじゃないぞ」
それだけ言い残すと、ペラップは自室へと帰っていった。なんとかそれを見送って、姿が見えなくなると同時にどちらも藁のベッドへ倒れ込む。
「今日は色々ありすぎたよ……」
「……」
ゴロウの呟きに対する反応はなかった。フレイは既に糸の切れたように爆睡していた。いびきのないことに感謝しながら、ゴロウも寝返りを打って睡眠に集中することにした。彼をここまで駆り出した、そもそものきっかけを振り返りながら。
ひどくおぼつかないイメージ。彼の前には誰かがいた。誰かは静かに語った。
『この世界に危機が訪れている。滅びのさだめを回避するには僕たちの"レガリア"が必要だ』
『詳しくは、まだ言えない。けど、どうか協力してほしい』
彼は何かを答えた。誰かは微笑んだ、ように思う。
『ありがとう。今は、そうだね、彼女と合流してもらいたい。来るべきときが来たら、また僕が現れる』
『場所?場所か……なら、あそこが手っ取り早い』
『プクリンギルドって名前』
夢は、そこで途切れた。