Chapter1 嵐の海で
第2話  さそい
「なんじゃこりゃあ!?」
 ヒトカゲがひととき怒りを忘れて仰天したのも無理はなかった。
 先ほどまでありのまま自然の形を保っていた洞窟の入り口をくぐったら、急に四角く区切られた空間に放り出されたのだから。材質(という言い方は語弊を含むかもしれない)はすべて自然物であり、海藻のところどころ乗り出た湿る土の地面を、苔むした大小さまざまの石が地層のように重なった壁が囲っていた。
 一方ゴロウは地形の変化に対して一切目を奪われず、むしろヒトカゲのびっくりしていることに疑問を持った。
「君、“不思議のダンジョン”も知らないの?」
 それこそ不思議な言葉を聞いて、ちょっと思案を巡らすが、彼の記憶はやはりほぼ空白に等しかった。しらを切る必要もないので、ヒトカゲはおとなしく説明を求めた。
「さっぱりだ。教えてくれ、ゴロウ」
「分かった。じゃあ、歩きながら話そう」
 砂浜でドガースとズバットを脅かしたプレッシャーが鳴りをひそめ、感情も穏やかに言うものだから、だいぶ戸惑ったものの、こくりと頷いた。
 四方に囲まれた壁のうち、唯一南にぽっかり空いていたこれまた規則的な通路を、ゴロウを先頭に進み出す。左右はゆらめく水面が道に沿って張っており、薄暗がりを帯びる。
「“不思議のダンジョン”っていうのは、ごく簡単に言うと迷路なんだ」
「迷路?」
「うん。別の見方によれば、“時空のゆがみ”によって発生した自然災害とも言う」
「ちょ、ちょっと待て」
 迷路から災害という段違いのスケールの広がり方に思考が追い付かなくなって、ヒトカゲは説明をいったん止めた。
「その、“時空のゆがみ”ってヤツはなんだ?」
「えっとね、この世界の時間を守る“時の歯車”が今盗まれていて……」
「あー、やっぱいい。聞いた俺が悪かった」
「そう?」
 流れかけた情報の川はあっさり閉じられた。ゴロウはもう少し話したい気分だったようだが、ヒトカゲには今居る場所が何やら良くないところらしいことが分かれば充分だった。
 状況の確認をしているうちに、二匹はまたごつごつした磯の壁の部屋に出る。一見した分には先ほどの部屋と殆ど変わらないが、中央に大きな違いが見つかった。
「階段があるぞ」
 それはヒトカゲの言う通り、確かに階段であった。覗くと、ダンジョンの中でももっとも造り物らしい造り物である石の段がきれいに積まれて、奥の見えない下層へ続いていた。振り向いて、ゴロウが軽い説明を加える。
「これが”不思議のダンジョン”の出口の1つだよ」
「外に抜けるのか?」
「ううん。ダンジョンの奥に着くまで、似たような構造をひたすら進むだけ」
「ゴーモンだな」
 火のちろちろ燃える尻尾を振って、ヒトカゲはううむと唸る。自分が口に出した言葉を理解しているのか怪しかったが、あえて指摘せずに同意した。
「そうだね」
「ま、今はあいつらをぶん殴りに行くことが目標だ。面倒なことはその後だぜ」
「はいはい」
 『ひっぱたく』から大いにグレードアップした彼の目的にウンザリしながらも、階段に踏み入れる未だ慣れていない足取りをすたこらと追っていくのだった。



「そういえば、名前、まだ思い出せない?」
 トンネルに似た通路を再び抜けて、二匹は次の階段を目指して歩いていく。その途中、今度はゴロウが気になったことを訊ねたのだ。対して、ヒトカゲはゆるく首を振った。
「ああ。あったハズだけどさ」
「なら、僕が名付けてあげよう。その方が呼びやすいだろうし」
「……例えば?」
 彼のネーミングセンスに少々イヤな予感が背中をよぎる。
「尾が燃えているから、モエルなんてどう?」
「却下」
 安直どころの話ではないし、単純に響きを好まなかった。なんというか、ダサい。
「炎だから、ホノオ」
「もう一ひねり」
「えぇ、ワガママだなぁ」
 次々と案を流されながらも、ゴロウはめげずに考えた。
「……昔読んだ本で見た炎の別の言葉、フレイムから一字とってフレイだ」
「フレイ、か。うん、悪くねぇ」
「やった!それじゃ、はいこれ。お祝いの品」
 当の本人以上に名前の決まったことを喜び、スカーフの中から真っ青で丸みを帯びた木の実を差し出した。受け取らない理由もないので、フレイは器用に投げ渡された実を手で受け取る。上から見ても下から見ても、木の実は木の実であった。
「ちょうど落ちてたから、拾ってきたんだ」
「何だこれ?」
「食べてみなよ」
「ん」
 気安く促されて、躊躇せずがぶりと木の実をかじった。すると、みるみる顔が渋みに満たされ、笑いを誘わずにいられないしかめっ面に代わっていった。
「にっが!苦い苦いっ」
「傷を癒すオレンの実さ。そう、効果はあるけど、すごく苦いんだ」
 満面の笑みを浮かべたまま、ゴロウはさらりと言った。恨めしく思いつつも、彼の言葉を信じてオレンの実を飲み込んだ。渋みに苦しんでいる間に、痛みもちゃんと遠のいていったようだった。どこか騙されたような気もするが。
「ぶはぁ、きつかった……」
「そのうち慣れるって……おや?」
 気疲れでもはや無言になっていたフレイの横で、鼻をひくつかせる。
「もうすぐ奥地だ。あいつらもそこに居るみたい」
 『あいつら』と耳にした辺りで、ありもしない因縁をつけて馬鹿にしてきたドガースとズバットを思い出し、当初の怒りが激しく再燃してきた。その姿は輝きを帯びたかと思うくらいで、ゴロウは傍らでちょっと引いた。
「ぜってぇ逃がさん!」
「あぁ、もう……」
 階段めがけて猛ダッシュする彼を、わざわざ宥めに行くのも面倒で、やれやれと息をついて見送ったのであった。




 水が青く、清く溜まった岩場のなか。階段を下ってきたにも関わらず、その地形は入口の海岸によく似たものであり、踏む足場もさらさらとした砂だった。
ときおり水滴が天井から落ちる奥で羽を休めている二匹のポケモン。ドガースとズバットだ。
「流石に、ここまでは来られねぇだろ」
 ドガースが落ち着くとともに、周りを見回す。ポケモンのいる気配はない。
「でもここ、行き止まりだぜ。万が一ってこともあるかもしれない」
「それもそうだな。探険隊バッジでさっさと帰るか……あ?」
 場に留まったズバットが不安げに言うので、ドガースもこれに同意して頷いたところで、視界の端に橙色の一点を認めた。
 何かと確かめる間もなく、それは接近してヒトカゲの形をなしていった。
「どっせーいっ!」
 階下に至ったフレイは、ドガースらしき姿を確認した途端、まさに猪突猛進のごとく<ずつき>をかましたのである。もちろん、意表を突きに突いた形となり、硬い頭の一撃をもろに顔面に受けたドガースは情けない呻きを漏らして吹っ飛び、水辺に落っこちた。
「ドガース!このっ」
 ズバットがすかさず飛び上がり、翼を振るい立たせて<ちょうおんぱ>を放つ。<ずつき>の勢いのまま砂地に突っ込んだフレイは技の影響を直に食らった。
「うおっ?」
 ふらつき足元のおぼつかない姿は格好の的であった。隙を逃さずズバットの<たいあたり>が彼に襲いかかる。と、思いきや。
 はちゃめちゃに伸ばした手がどういうわけか、彼の細く長い尾を掴んだのだ。そして、何かを握ったという感覚だけは一丁前に把握していた。
「おどりゃああっ!」
「ぐべっ」
 びたん、と盛大な音を立てて、哀れズバットは濡れた岩に叩きつけられた。奇妙な断末魔を上げて、彼はぐったりと地面に落ちて気絶してしまった。
「おみごと」
 だらだら階段を下りてから事の始終を見届けたゴロウが、のんびり現場に歩み寄る。フレイはぶるぶると頭を振って、酔いを蹴っ飛ばした。
「ふぅ。サッパリしたぜ」
「……まぁ、君がいいなら構わないけど」
 ノビた小悪党たちをなかば同情の眼差しで眺めつつ、フレイの腕っぷしの強さにちょっと感心していた。元人間というくせに、いや人間だったからなのか。
 しかし、ゴロウにとって彼がなぜ強いのかはあまり興味がなかった。それよりも、自分の仲間にどう引き込むかについて素早く頭を回転させる。そんなに難しい問題ではなかった。
「ねぇ、フレイ」
「どうした?」
 彼の思惑など気付く筈もなく、気安く応じた。
「これからどこかに行くアテ、ないでしょ」
「……あ」
「確かに、住み処も飯もないじゃねぇか!」
 先ほどまで、怒りを最優先に動いていたフレイは、言われてようやく肝心なことに気が付いた。見ず知らずの世界で、自分もよく知らない体になったまま生きていくことがいかに大変であるかは想像に難くない。独りでは、なおさらだ。
 ゴロウはそこを突いたのであった。
「実は、一石二鳥の方法があるんだ」

■筆者メッセージ
拙いですが出さないよりマシなので多分続きます。

この物語に付き合って下さっている方(もしいらっしゃれば)、本当にありがとうございます。読まれている限りは頑張ります。

鈴索 ( 2019/08/22(木) 00:29 )