死神ドクター - 本編
K20 ―前編―
 名前を呼ばれたことはなかった。そもそも名前がなかった。私と両親の間にはそんなもの、必要がなかった。
 私が住んでいたのはヤマブキシティと呼ばれるカントー地方のスラム街、生きるために泥棒も物乞いも詐欺も両親にやらされ、ときには童女趣味の変態相手に身体を傷つけられた。
 しかし当時の私は他に活きる術を知らずにいたらしい。と言うより、考えることが出来なかった言うのが正しいのだろう。何せまともな初等教育すら受けていない。
 そんな私に出来たのは自由を願いながらも糞共と同じ屋根の下で生きることだけ。奴らはろくに動きもせず、生活の多くを私に頼っていた。何度か逃げようとしたが、駆け込む先を知らなかった。
 後で知ったことだがこんな異常な家庭はスラムにおいても相当珍しかったらしい。生まれて来たこと自体を呪う境遇、真の地獄はあの世ではなく地上にあったのだと神に失望した。
「おい喜べ、テメーの仕事が決まった。もうお前はこの家にいらねーから、そっちで適当にやれや」
 12の誕生日に父から贈られた最高のプレゼントだと私は内心で歓喜をあげていた……と思う。今以上に酷い環境なんて当時の人生経験上あり得ないと思ったのだろう。
 どうやら父は大量の借金をしていたらしく(私にだけ稼がせていたくせに)、その返済が出来ないために私を売ったらしい。悲しいとは微塵も思わない。
 昨年に母親を失ってからこの屑は私にまで手を出して来た。見知らぬ女に金を渡して夜な夜な呼ぶだけでは飽き足らず、自分の娘にすら手を出す人間未満の正真正銘の糞野郎。1秒だって長くは居たくなかった。
 しかしその日から変わった。栄養価は劣悪だが朝昼晩の普通の食事を与えられ、綺麗とは言い難いが風呂で体を清潔にされ、誰に向けるのかわからない敬語を教えられる戸惑いの日常。
 尤も父が私に向ける目は今まで以上に気持ちが悪かった。私の部屋は何度も泥棒に入られるほど酷い環境だったにも拘らず、その日から(スラムにしては珍しい)ドアの鍵が態々3つも設置され私は外に一歩も出させて貰えなくなる。
 ようやく私は父の吐き気を催す視線の正体に気付く。あいつは私を娘どころか人として見なくなっていた。良くて家畜、さもすればただの金、無機物。出荷前に畜生が逃げなくするための生産者の措置。
 理解して私は初めて、心の底から泣いた。人としてすら見られなくなることがここまで苦痛だとは想像していなかった。自殺だけは癪なのでしなかったのだと思う。

「君がこの男の娘か。名前は?」
「……ない」
 黙って睨み付けたのを覚えている。後ろから父が軽く殴って来たのも覚えている。どうやら彼らが私の新しい屋根らしい。
 黒服の男は鼻で笑い私を見下ろしていた。その視線には哀れみや侮蔑のようなものが混じっていた気もするが、今考えるときっとそんなものはなく私の勘違いだったのだろう。
 差し出された誓約書に父がサインをし、男は私に首輪の様なネームプレートをかける。其処には『K20』と言う記号が掛かれていたが、当時の私には読めなかった。
「今から君をK20と呼称する。金は口座に振り込む、後ほど確認しろ」
「へへえ、ありがとうございまさ。テメー、精々良い子にしろや」
「黙れ屑野郎」
 とうとうモノ扱い。この頃には既に私の心は壊れていたに違いない。笑顔で青筋を浮かべる父親が右手を振り上げるが、私は自らを庇う気すら起きなかった。
 結果としてだが私は殴られなかった。近くにいた男が父の右手を掴みその体を放り投げ、「弊社の所有物に手を出すな」と脅したためだが、やっぱり私はモノ扱いだと一層心が凍り付いたのを覚えている。
 罵詈雑言を飛ばす屑を尻目に私は車に乗せられ、初めてスラムを離れて都心を通った。そして、窓から見える景色に私は言葉を失う。私が見ていた世界が如何にゴミ溜めだったのか痛感した。
 首が痛くなる程に見上げればならない建造物、朽ちたレンガとコンクリート以外に街を飾る色彩、通り過ぎる人々が着ている何が良いのかよく分からない千差万別の服装、一言で言うなら異世界。こんな世界を私は知らない。
 それほど輝かしい異世界にあって一際目立っている大きな建物があった。カタカナは読めたから分かったが、何をする場所かは全く分からなかった。
「ねえ、アレはなんですか?」
「なんだK20、質問出来る立場ではないことを弁えろ」
「シルフカンパニー……何をする建物なのですか?」
「……人形のような奴だと思っていたが、存外好奇心旺盛か。良い兆候だな。あれはポケモンに関するグッズの開発・販売・流通を担う組織の本社だ」
「??? えっと、かいはつ? はんばい? りゅーつう?」
 男は少しだけ不敵な笑みを浮かべて教えてくれたのだが、私には難しい言葉は分からなかった。当然だ、当時の私に出来ることなんて足し算引き算とちょっとした国語だけだったのだから。
 もっと簡単に教えてくれた内容によればモノを作って売る会社だと言うこと。私が行っていた泥棒の目的物や詐欺の内容にもポケモングッズに関わるものは多かった。街中で仲良く歩く人とポケモン、それを繋ぐ会社。
 知らないことがあり過ぎて質問をもっとしたが流石に途中から怒られた。私を乗せた車は高速道路を通ること数時間、トイレを我慢させられて付いた先はヤマブキシティに負け次劣らずの大都会。
「タマムシシティ、カントーで一番大きな都市だ。尤も、君が収容されるのは外れも外れ、森の中の研究施設だがね」
「よくわかりませんが、そこで私は何をすれば良いんですか。泥棒ですか? それとも人を殺さないといけないんですか? もしかして変態の相手ですか? もう処女膜はありませんが」
「安心しろ、そんな野蛮な場所ではない」
 私の話しに幾ばくか気分を害したのであろう男が「こんな娘に、下衆な男だ」と小言を漏らしていたのを聞いて、私の心は少しだけ色を取り戻した。後のことを考えれば取り戻したこと自体、間違いだったのだが。
 車は国道を外れると私有地であることを示す塀に作られた門を通過し、綺麗に舗装された道を通って男の言っていた研究施設とやらに到着した。当時は分からなかったが、建物の外壁は迷彩仕様なのは衛星からの識別を逃れるためだったらしい。
「降りろ。建物の前にいる女、彼女が今日から君の担当だ。君の他にも4人の研究対象がいる。では、私はこれで」
 そう言うと男は私を摘まみ出すように車外に降ろし、運転手に出すように言って私の前から姿を消した。どうしていいか分からなかった私は女性の方に振り向いたが、彼女の目を見た瞬間に吐き気が込み上げてきたのを忘れない。
「貴方がK20ね。私はサオリ・クラウン、貴方達の担当研究員です。よろしくね、K20」
「よ、よろしく……お願い、します」
 モノを見る目だった。もっと酷く言うならばモノとして扱う研究用家畜を見るような目だった。モノでも人は大事にすることがあるが、研究用家畜の『大事にする』は対象のことを考えない。
 このとき私は不覚にも、そして情けなくも後悔をした。あの父と一緒にいた方が幸せだったかもしれないなどと、あそこ以上の地獄が待っているかもしれないなどと、考えたことすらなかったのだから。

 顔合わせだと言って連れて来られた教室の中には私の他にも4人の子ども達がいた。全員が女、つまりは少女。理由は分からないが研究の適正によるものだと言う事だけは当時でも分かってはいた。
 左から順にK16から始まり最後には私でK20。K16とK19は笑顔で私を迎え入れてくれたがK17とK18はそっぽを向いて目を合わせようともしなかった。どうやらこの2人は私と同じで『自分たちの意義』を分かっているらしい。
 逆に明るい2人は大人の悪意に疎いのだろう。聞いてもいないのにK16は研究者になる夢を語り、K19はポケモンドクターになる夢を語った。そんな夢が訪れるかも疑わしいのに。
 だが彼らのことを気にしている余裕は私にもなかった。私は仏頂面だったK17とK18をすら唖然とさせた。彼女達も流石に想像だにしなかったのだろう、まさか私が掛け算と割り算が出来ないと言う事実を。
 問われた、どうやって生きて来たのかと。語った、地獄の一歩手前で生きて来たのだと。そして今地獄にいるのだと。彼女達ともこれが切っ掛けで、少しずつ仲良くなれた。阿呆なことも役に立つらしい。

「K20の学力向上が著しいですね。2ヶ月で初等教育を終え、4ヶ月の現在で既に高等教育に足を踏み入れています。彼女をプロジェクトKから外し、将来我が組織に有益な人材として育成するべきでは」
「それはならない。そもそもプロジェクトKに適合する細胞を有する少女は稀少なのだ、才能があるのは良いことだ。失敗作15体よりは期待が持てる。そろそろ適合実験が出来る子も出て来たはずだ、折を見てやるぞ」
 夜に偶々、トイレのために外に出た際に聞いた会話。サオリ先生の声、もう1人は分からないが恐らくここの研究員の男性。もしかしたら間違っていたのかもしれないが、私はこのときに命の危機を感じていた。
 聞いてはいけないことを聞いたのではないか。逃げようとした矢先に足音は2つに分かれ、1つは離れていきもう1つは近づいて来る。何とか騙そうとして今来た感じを装い、私は相手が来るのを見計らいながら走って角から来た相手とぶつかるよう仕組んだ。
 ぶつかった際に自然体に転んで見せる。ついでに声から判断するにサオリ先生だと言うことも分かった。彼女は私を見ると呆れたように息を漏らし、倒れる私の手を掴んで立ち上がるのを手伝ってくれた。私は少し、いや意外に驚いたのを覚えている。
「どうしたの、こんな真夜中に廊下を走って。誰かにぶつかったら危ないでしょう。と言うよりも私にぶつかったわよね」
「ごめんなさい、少し怖い夢を見て起きちゃったからトイレに行きたかったんです。先生こそこんな時間まで研究のお仕事をしているんですか」
「そうよ、大人は大変なの。それにしてもK20、出会った頃より随分と言葉使いも丁寧で流暢になったわね」
「サオリ先生、教え方上手だから」
 嘘はついていない。事実、私は彼女の教え方が上手かったから、短期的にも長期的にも学力が伸びたと今では感謝している。いや、当時でも感謝はしていた。地獄の中での清涼剤、それが彼女の教導。
 実験対象に褒められて嬉しいものなのかは分からないが、少なくとも彼女は悪い気はしていないのだけは分かった。同時に私に対して会話を聞いていたと言う疑念も抱いていない。これも彼女の表情から何となく察することが出来る。
 尤も脱走の企てだと思われたのかサオリ先生は態々トイレまで付いて来て、帰りも私を逃がさないかのように部屋まで送り届けた。この施設から逃げ出すことはほぼ不可能、それでも用心深い彼女らしい仕草ではあった。
 次の日になり、個別の部屋から教室に集められた私達は真っ先に気付いた。もっと厳密に言えばK17と私がいよいよ来たかと言う恐怖に背筋を凍らせたと言うのが正しい。
 K18が来なかった。サオリ先生に聞くと体調を崩して急遽別の施設に移動したとのこと。能天気なK16とK19はK18を心配していたがK17と私は顔を見合わせると頷き合う。逃げなければ駄目だと。
 案の定、1週間が経過してもK17が帰って来ることはなかった。あの日から私とK17はプロジェクトKなるものが何か、それが分からずとも脱出するためのルートを探すために夜な夜な密会を重ねた。
「監視カメラは全部で18個。この個別部屋が連なる通路の出口に1つ、其処から先の通路に2個あると思われる。だが裏口への道には1個しかない可能性が濃厚」
「裏口。屋外実習に行くときに扉を2つ通った先の右側にある通路、その先にあったやつね。K17の見た感じを総合すると、恐らくそこは非常口の可能性が高い。当然、外に続いている」
「ブレイカーがある部屋までは空気ダクトを通れば行けることは事前に確認済み。K20がブレイカーを落とすと同時に私は2つの扉を解錠、予備電源に切り替わるよりも早く2人で脱出」
 どこに隠していたのかは分からないが手書きの見取り図を指差しながらK17がルートを指示した。既に何回か予行演習は済ませていた、ブレイカーを落としても僅かな非常電灯の明かりで戻り裏口まで行けるようシミュレートもしていた。
 上から目線と言うわけではないがK17が最も私と歳が近く、そして最も学力も思考も近かった。彼女の想定していたコースは私が想定していたコースでもあり、ただ1つだけ懸念はあったが彼女の話を聞くうちに行けるような気になってしまっていたんだろう。
 懸念は潰す。不明点は可能な限りなくす。勉強で何度もサオリ先生に言われたことなのに、このときの私達は何故こんな単純なことに気付かなかったのかと自分の馬鹿さ加減を呪ったに違いない。
 結果として脱獄は失敗に終わる。全て順調に行っていた。いたのだが、ブレイカーを落とし2つの扉をくぐった先で私を待っていたのは、扉に手を打ち付けて力なく膝をつくK17の姿だった。
「……ごめん、K20。私が、私のミスだ」
 懸念の1つだった。だが普通はないだろうと思っていた。普通の建物の構造などを学んでいれば誰が考えるだろう。非常口にパスワード認証のロックが掛かっているなんて。
 急いで逃げるしかなかった。でも逃げる場所なんてなかった。非常電源に切り替わり直ぐに通路は明るさを取り戻し、慌ただしい大人たちの声と足音が何重にも廊下に響いて私達に近づいて来る。扉が開いてることがバレれば、脱走を企てたと言う疑惑は逃れられない。
 呆気ない最後だと思った。どうせなら1人でも多く道連れに……近くにあった消火器を手に取ろうとした私の手をK17が掴み後ろに引っ張られた。今でも私は何故彼女がそんなことをしたのか、理解できなくなる時がある。理解できるときも、あるにはある。
「私ね、双子の妹がいたんだ。でも死んじゃった。弟も同じ病気に掛かって、治すには大金が必要だった。そんなときにね、私がこの研究施設の研究に適性があることが分かった。大金だった。私はね、自分からここに来たんだ」
「何考えてるの、K17。どうせこの先も脱走なんて不可能なんだよ、だったら――」
「貴方がね、妹に似てるんだ。だから生きて、希望を捨てないで。私の名前はカドキ・アイカ。こんな場所でも、貴方のような友達と会えて、嬉しかった」
 私が持っていた消火器を奪った彼女は廊下を走り出すとそれを撒き散らしながら廊下の角から来る研究員達に向かって吹き掛け、姿が見えなくなった後は聞こえて来ていた足音が全て離れて行くのが聞こえて来た。
 理解は出来なかったが私の足は動いていた。直ぐに廊下を駆け抜け、監視カメラなんて気にせずとにかく駆け抜ける。きっとアイカは監視カメラにも消火器を吹き付けて、見えなくしていたのだろう。その日、部屋に戻った私の下へ来た研究者達は結局、私の身柄を拘束しなかったのだから。
 次の日になり、K17が教室に来なくなった。サオリ先生に聞いたら笑顔で親戚が引き取りに来たと言った。恐らくプロジェクトKの適合実験とやらにいち早く使われたのだろう。
 流石に能天気だったK16もここに来てサオリ先生の言葉に僅かな不信感を抱き始めたらしい。だけど彼女は愚かだった。露骨に外へ出たがったりK17やK18がどこにいるのか、会せて欲しいとサオリ先生に掴みかかったのだ。
 結果として、次の日にはK16も来なくなった。能天気を通り越して阿呆だったK19も昨日のK16の様子と現状の関連性から、いなくなった彼女らがどうなったのか想像に達するのは当然の帰結だった。
 どうすることも出来ない。2人だけの授業、私はただただ考えるのが嫌で勉強に邁進した。横にいたK19は今までの明るさが嘘のようになりを潜め、黙って勉学に打ち込む私を時折横目でどういう意図か分からない視線で見て来る。

「ねぇK20、私達……どうなるのかな」
 昼休み、いつもなら足りないと叫ぶK19は好物のミートボールを食べず俯いたまま、言葉だけ私に投げかけた。その時は分からなかったのだから、答えようがない。答えたところで救いにもならない。
「K20はさ、夢ってある?」
「夢? 寝ているときに見るけれど、眠りが浅い時に」
「そうじゃなくて……将来、なりたい職業とか」
 なかった。具体的に言うと選択の幅が狭すぎて、大人の職業について知っていることが乏し過ぎて、どう答えれば良いのかわからなかった。
 一番最初の頃に聞いたことだがK19の夢はポケモンドクターだと言う。具体的に何をするのかと問い掛けると、実のところよく知らないと言うのだが、ではなぜポケモンドクターになりたいのか聞いたら夢だからだと言う。
 良くわからない。なぜ夢なのか聞いたら近くのポケモンセンターのジョーイに憧れ、その仕事を両親に聞いたらポケモンドクターだと言ったのだとか。最初からそう言えば良いものを、回りくどい。
 どんなことをするのかわからないから聞いたらK19は露骨に顔を明るくして、仕事の内容から始まり憧れのジョーイがどんな人物だったのか、聞いてもいないのに勝手に話し出して1人で夢の世界に浸り始めた。
 最初は恐ろしく退屈だった。適当に相槌を打っていた。尤も、死んだ表情のまま毎日横に入られても気が滅入るので、私としてもK19が明るさを取り戻してくれることは自身の精神衛生上の都合からも良いことだった。
 そのうち話は私の将来の夢にまで広がってしまった。正直困った記憶がある。夢も希望もないこの状況で夢を持つのは目の前の能天気1人で十分だと思っていたのだから。
「K20はどんな男が好きなの? 背が高い人? それとも幼そうな見た目の年下の男の子?」
「どうしてそういう話になるの。私は男になんて大して興味ない。出会って来た男は屑ばかり、自分の欲望を満たすことしか考えてない生物学上の欠損生物よ」
「えー、勿体ないよ。仕方がない、私の秘蔵を見せてあげよう」
 そう言うとK19はノートの間から1枚の雑誌の切り抜きのような紙を取り出して、私に見せて来た。写っていたのはマントを着た男と腰にデコデコと石をぶら下げた男が対峙するカットの写真。
 下には「ワタルVSダイゴ 最強チャンピオンマッチ!」と言う特集記事感丸出しのキャッチコピー。どうやらこの男達はどこの地方かは分からないがポケモンリーグのチャンピオンらしい。何故か見せて来たK19の方が興奮している。
「ねー、格好良いでしょ! ワタル様はもう見た目から格好良い、ドラゴンポケモンは力強いし。でもね、ダイゴさんも凛とした表情の中に鋼のような意志を秘めてるお方なんだよ」
「ふーん……表情の中ではなく腰の周りに鋼のような石なら沢山見えるけれどね」
「K20はどっちが好み?」
 こいつさっきから露骨に私の好みを聞いて来る。何なんだろう、K19をここまで高揚させるものはなんなんだろう。今になっても若干理解しにくい、彼女なりの若気の至りだったのだろうと思いたい。
 しつこかった。興味がないと言えばどちらもないのかと聞くし、両方興味がないと言えばではどちらの方がより好みかを聞いて来る。右手の拳が振り上げられる寸前だったのを今でも覚えている。我ながら、意外とキレ易かったのだと反省している。
 仕方がないので私は写真を凝視することにした。格好良いと言うのが、正直良く分からなかった。そういうのは外見よりも、態度や実績が大切なのではないか。しかし考えてみれば写真の2人は十二分な実績があるのだった。
 本当に特に深く考えたわけではないが、ワタルよりはダイゴの方が接しやすそうだったのでそちらを選んだ。露骨に嬉しそうにニヤけた表情を浮かべるK19の顔が目の前にあり、何故かはわからないが私は途端に少し恥ずかしくなって顔を逸らしてしまった。
 その後、頼んでもいないのにK19はダイゴの魅力について語り出した。いったいこの施設に来る前にはどんな生活を送っていたのか、もしかして意外と私と似た境遇だったのだろうか。夢を見続けなければいけないほど、辛い環境だったのだろうか。
「K19はここに来る前はどんな生活をしてたの」
「私? 普通だったよ。普通だった……だけど、お父さんとお母さんの仲が急に悪くなってね。2人とも不仲になって沢山借金して、喧嘩をして私に暴力を振るうようになって、私はどうして良いか分からなかった。私が犠牲になれば全て解決だって言われたの、借金を帳消しにするって……K20は?」
「地獄の一歩手前、ここが地獄だとしてね。盗み、詐欺、売春、犯罪の片棒、色々やらされた。盗み取った物の数も、騙した人の数も、気絶した数も、嘔吐した数も、覚えてない。私はね、極悪犯罪者なんだよ。K19と違って夢を語れる身分じゃないの」
 私の方が酷いとは分かっていたけど、K19の話を聞いていたら少しだけ話しても良い気になっていた。もしかしたら、幸せを奪われてここにいるのに、無理にでもなのかは分からないが明るく振る舞おうとしていた彼女に少し嫉妬したのかもしれない。
 下らない愚痴だった。気にせぬようK19に言おうとして正面を見ると何故か彼女の顔ではなく胸が目の前にあった。何故か知らないが抱き着かれた。断っておくが当時の私にも今の私にもそんな趣味は一切ないのです。
「ごめん、私そんなこと知らないでK20って冷たい人なんだって前まで思ってた。たまに口癖が敬語になって余所余所しく感じるのもその時の辛い経験のせいなんだね」
「それは単に私の性格です」
「決めた! ねえ、一緒に夢を見ようよ。私とK20でさ、2人でポケモンドクターになって、多くのポケモン達を助けるの。ほら、ここの勉強って基礎学習は普通だけど、応用学習はポケモンの生態についての物が多いじゃない」
「あまり気にしたことはなかったけれど、確かにポケモンの生態や体の構造、心理把握は多いわね。もしかして、ここの研究所は……」
 人間がポケモンを理解することで何かを企んでいるのだろう。その時の私にはそれぐらいしか考えつかなかった。尤もロケット団の考えていることは本当の意味でポケモンを意のままに操作することだったのだけれど。
 その日から私達は夢について少しだけ語るようになった。以前の私ならそんなのは無駄な行為だと断じていただろう。だけれど不思議なことに、こんな状況下でもK19と夢について語ると少し笑顔になれたし、今まで感じることのなかった暖かい何かを胸に感じていた。
 幸せとは、こういうものなのかもしれない。能天気で阿呆とまで酷評した少女はその実、私にとって最初の親友とも呼べるべき存在になっていたのです。恐らく彼女が居なければ、ポケモンドクターとしての今の私は存在しなかったことでしょう。
 ただ少し夢で行き違いはありました。私は助ける命は選別するべきとの考えを持ち、彼女は助けられるものは助けるべきだと言う考えを持っていたの。それは素晴らしい理想だろうが全てを助けるなんて無理だし、治すことで不幸になる想いや立場も存在する。
「良いじゃん傷ついてるなら治してあげれば! 目の前で傷ついたピカチュウが居ても放っておくなんて私無理だよ!」
「それが不運な怪我や予期せぬ事故ならまだしも、例えば縄張り争いで傷ついたものならピカチュウのプライドを傷つける。それに別の相手も傷ついているのだから不公平だよ。一方が元気になってもし縄張り争いの再戦に勝ってしまったら、弱いピカチュウが群れのリーダーになる。それは群れ全体の危険に繋がる」
「だからって目の前で傷ついているのに放っておくなんて可笑しいよ。いいよだ、K20が助けなくても私は助けるもん。それならK20は助けてないし、私は助けるし、お互い問題ないよね」
 そういうことを言ったのではないのだが、K19の中ではお互いの信念を貫いた結果だから問題ないと言うものらしい。私が行ったのは歪んだ自然の生態系への介入のことであって、そういう事ではないのだが、どうもK19はその辺の影響を考えるのが下手だ。割と阿呆だし。
 自然環境への影響について講義をしてあげたらK19は頭を捻りながら何が駄目なのかいまいちわかっていないようだった。確かに先ほどのことでも結果として弱いピカチュウが群れのリーダーだからって、群れが突然全滅するわけでも森が焼け野原になるわけでもない。だが危険な命は増える。
 ここまで来ると私にはもう説得の手段は残っていなかった。第一にK19の多くを助けたいと言う思いは頑固だったので、私の考えた届くことはまずない。そんな私の想いを余所に何を閃いたのか、にんまりした表情で彼女はまた私に抱き着いてきた。止めて。
「じゃあじゃあ、私とK20がペアでポケモンドクターになれば良いんだよ! 私は助けたいけどもしダメだったら、K19が止めてくれれば良いんだから」
「でも私が止めたって素直に助けるの止めないでしょ」
「うん。えへへ、ただ単にK20と一緒に仕事がしたいだけなんだ。きっと楽しいよ。もしここから出れたら、一緒に行こう! と言うか行く!」
「ッ……本当にK19は、我儘なんだから」
 K19に特性「我儘」が追加されました。だけれどそんな我儘を、私は笑って受け止められた。

 そして、あの日が来る。


月光 ( 2018/07/16(月) 03:31 )