吾輩はヤドンである

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本編
(・)-(・)
 吾輩はヤドンである。名前は特にない。人間に捕まったヤドンなら名前を持っていてもおかしくはないが、吾輩は現在野生のヤドンである。誰の所有物でもない。よって、吾輩の命名権は、吾輩の親、または吾輩自身にあるわけである。

だが、吾輩は親の顔を知らない。何処にいるのかもとんと見当がつかぬ。よって、吾輩の命名権は吾輩にあると言ってもいいだろう。吾輩は吾輩自身に固有の名前を付けることに何の有用性も感じられないが故に、進んで名前を付けようとは思わない。

生まれた時のことはあまり記憶にはないが、どこか日の当たる温かい場所で大あくびをしていたことだけは記憶している。

吾輩の周りには、同じくヤドンが山ほどいる。寝そべって欠伸をする者、昼寝をする者。川に尾を垂らして釣りをする者。野生のポケモンに襲われてなお、ぼーっとしている者、頭を抱えて念力を出す者。一括りにヤドンと言っても、個体によって様々な輩がいるのである。

   *

 ヤドンの尾にシェルダーが噛み付いた個体を、人間は“進化”したと言ってヤドランという新しい種族のポケモンとしてとらえているようだが、実際はそうではない。あれも一応ヤドンなのだ。

 確かに、尾に何もついていないときと比べると、念力の強さも頭の回転もよくなる傾向にあるようだ。尾を噛まれることで脳が刺激されることで“進化する”のだという研究結果が、人間の世界では発表されているらしい。だが、ひとたびシェルダーが尾を放して何処かへ行ってしまえば、そいつは何でもない、ただのヤドンである。頭の回転も、反応も、能力も、全て元に戻ってしまう。

 中には、水中を泳いでいる時、シェルダーが頭にかぶりつく場合も出てくる。そういう輩は何故か、普通のヤドンよりも、ましてや尾をシェルダーに噛まれたヤドンよりも知能や能力が高くなるから驚きである。人間はそうした個体に「ヤドキング」といった名前を付けているらしい。我々ヤドン族は個体の中で優劣をつける習性がないため、他のヤドンたちも、ましてやヤドキングと呼ばれる個体本人も、王だなどとは思っていないわけであるが。

 実際、ヤドキングと命名された個体の知能は、優秀な人間の科学者にも相当すると言われている。吾輩の知り合いにも頭を噛まれた個体がいて、そいつが生きる意味やら世界の不思議やらについて語り始めた時は、気が狂ったのかと思ったほどだ。だが、この場合もやはり、シェルダーが頭から外れると、元のヤドンに戻ってしまい、それまで考えていたことをすべて忘れてしまう。当然のように、人間の言葉も話せなくなってしまう。

 更にもう一つ、人間の言う“進化”の形態があるらしい。どうやら、ヤドランと呼ばれる個体が特別な石を持ち、人間と心を通わせることで起こるようだ。吾輩はその個体を見たことはないが、何でも実際に体験したヤドン(ヤドランと呼ばれる個体)に話を伺うと、尾だけではなく体が丸ごとシェルダーに呑みこまれる形になり、常に宙に浮いた状態になるというのである。ただ、その状態になれるのは戦闘中だけだということで、吾輩もその姿を見ることは叶わなかった。

 そもそもシェルダーという奴は、貝殻に毒素を持っている。それで獲物を弱らせて食べるのであろうが、その毒素がヤドンにとってはいいもので、噛み付かれたヤドンの尾や脳に染み込んで、何らかのいい反応を起こすことによってそうなってしまうのだと吾輩は考えている。ただし、一度毒素を体に取り込むと、それに対抗しようと体内で抗体が作られるのは自然の摂理であり、一度“進化”したヤドンが元のヤドンに戻った場合、もう二度と“進化”することができなくなってしまう個体がほとんどである。ごく稀に、何度でも“進化”と“退化”を繰り返す個体が現れるが、悲しいかな、そういう個体は毒や細菌などへの抵抗力が弱く、すぐに病気や毒にやられて死んでしまうのである。

    *

 吾輩を含め、ヤドンの尾には甘みや旨味などといった成分が集まっている。そのため、尾を水の中に入れているとよく他のポケモンに噛み付かれる。大抵の奴は気付かずに放っておくのだが、感覚やら勘の鋭い奴なんかは、獲物が食らいついた瞬間に尾を引っ張り上げる。自らの尾を用いて、釣りをしようというのだ。

 ここで食らいつくのは大抵コイキングだのシェルダーだのといった小型のポケモンであるのだが、ごくごく稀にギャラドスなんかがかぶりついた日には、最早悲劇以外の想像ができない事態になるのである。

 とある湖での出来事である。吾輩の目の前で釣りをしていたヤドンの尾に、ギャラドスが食い付いたことがある。そいつは、吾輩が言うのもなんであるが、かなり(のろ)い輩で、普通なら叩かれて五秒くらいで痛みに気付くところを一日経っても全く気付かないといった(のろ)感具合であった。その時も、もちろん尾に何かが食い付いたなど、ましてその獲物が凶悪ポケモンギャラドスであることなど気付いていなかったのだろう。吾輩の目の前から、突然そいつが消えたのである。吾輩も(のろ)い方ではあったが、流石にその時ばかりは目を疑った。恐怖半分好奇心半分で湖の中を見てみれば、そいつの間抜け顔と、その後ろでそいつを引っ張るギャラドスの姿があった。が、自分のことではないので、そいつのことはそいつで解決してもらえばいいと思い、吾輩は昼寝に戻ることにした。その後そいつが帰ってくるまで吾輩はそいつのことを忘れてしまった。

 結局、そいつが帰って来たのはその日の夕方で、吾輩がそのことに気付いたのはその日の夜であったりする。帰って来たそいつは、なんと尻尾がなかった。どうしたのかと聞いてみれば、気が付いたら水の中にいたとのこと。そいつも吾輩に言われて尾がなくなったことに気付いたらしく、何事もなかったかのように吾輩の隣で眠ってしまった。眠っているそいつの尾の切り口は、丁度何かに齧られたような跡がついていたことから、あのギャラドスに噛み千切られたのだろうと判断するに至った。吾輩にしては、よく覚えていた方である。

 また別の日。吾輩が目を覚ますと、周りにいる全てのヤドンの尾が綺麗に切り取られていたのである。恐る恐る自分の尾を探してみれば、どうにも見当たらない。噂によると、黒字に赤のRの文字が描かれた服を着た人間たちが、順々に眠っているヤドンの尾を切り取っていったとのことである。どうやら、我々ヤドンの尾は人間にも需要があるらしい。はた迷惑な話だが、そもそも尾が切り取られていることに気付かなかった吾輩にも非があるわけであり、更にその人間たちは既にこの場から去っているため、どうにも責めようがない。今度そのような人間に遭遇した時には仕返しをしてやろうと心に深く刻み込んだ――――つもりであったのだが、結局次の日には忘れてしまい、黒字に赤いRの文字を見ても、見覚えがあったかなかったか程度にしか思い出せなかった。まったく不甲斐ない話である。

    *

 吾輩は生まれつき、“のろい”という技を覚えている。霊体のポケモンが使えば、自らの生命力の半分と引き換えに、呪いをかけた相手の体を徐々に蝕んでいくという何とも惨たらしい技である。だが、吾輩が使う“のろい”は、霊体のポケモンが使うのとは訳が違う。頭の中で強く念じると、“のろい”を使う前と比べて素早く動けなくなる代わりに、体に力がみなぎり、少々の攻撃では傷つかなくなるという、一見すると優れた技である。

 が、吾輩はどうもこの技が気に入らない。この技の副作用については、吾輩自身が元々のろいので全く気にすることはない。問題は、技の名前である。お分かりだろうか?“のろい”という技には普通、「呪い」という漢字が当てられる。が、どうも吾輩の知っている限り、言葉のイントネーションによっては「(のろ)い」という漢字を当てられているような気がするのである。「にぶい」ではない。「のろい」である。仮に吾輩が人間に捕まったとした場合、吾輩は否応なしに人間の指示のもと戦いに駆り出されるのであろうが、そのたびに(のろ)(のろ)いと言われるのは、如何に吾輩が元来(のろ)いヤドンであったとしても、我慢の範疇を超えるものがある。

 道端で寝そべっていると、同胞が人間に使役される姿を目にすることがある。

「行けっ!ヤドン、“呪い”だ!」

 この人間はちゃんとしたイントネーションで発音ができている。「ろい」は平板で、命令を受けたヤドンも、ちゃんと“呪い”を使っている。人間とヤドンの間で、ちゃんとコミュニケーションが取れている証拠である。

 ところが、中にはこんな人間もいる。

(のろ)いだ!ヤドン、(のろ)いだと言っているのが分からないのか!」

 こういう場合、人間の使役するヤドンは、どうしていいか分からなくなる。命令を無視したと言って、人間は大抵同胞を怒鳴り散らす。こういう人間に対しては、「我々ヤドンに非はない。お前の言い方が悪い」と言ってやりたい。「い」の音が「ろ」の音と比べて低く発音されている。ヤドンがどれほど間抜けだといっても、発音の違いくらいは聞き分ける耳を持っている。その発音では、如何に賢いヤドン(ヤドランやヤドキングと呼ばれる個体、あるいは、元来賢い少数派のヤドン)であろうとまごついてしまうのは仕方がない。本来信頼を置くべきトレーナー(と人間は呼んでいるらしい)からけなされたのでは、その後の戦いにおけるモチベーションというものが下がってしまい、人間からの指示も通ったり通らなかったりする始末である。

 ちゃんとしたコミュニケーションを行うには、正しいイントネーションできちんとした発音をすることが必要である――――というのは、人間の世界だけでなく我々ヤドンの、ひいてはポケモンの世界でも同じ理である。方言を今すぐ廃止して標準語(誰がどういう意図で定めたのかは分からない)に改めよとは言わないが、人間と人間、ポケモンと人間、ポケモンとポケモンの間に、相互に理解が成り立たなければ、伝わるものも伝わらないのである。

    *

 吾輩も一度人間に捕まったことがある。ある暖かい日の午後に、どこぞの河原で昼寝をしていた時のことである。何やら人間の話す声が聞こえたかと思うと、突然全身に雷が走ったのである。(にぶ)いと言われるヤドンでも、苦手なものはある。その一つが雷で、これを食らうと、運が悪ければ自分でも気づかないうちに絶命することもある程である。この時の吾輩は運が良かったようで、雷と言っても弱い部類のものであったからか、命を奪われることはなかった。だが、次に目を開けた吾輩の目に映ったのは、何やら真っ赤な空と真っ白な床という、なんとも奇妙な空間であった。その空間は半透明になっているらしく、真っ赤な空の向こうには、外で見たのと同じような形の雲が悠々と浮かんでいる。下を見れば、吾輩が寝転がっていた河原の地面がはるか下方に見える。かと思えば、その空間が吾輩ごとひょいと持ち上がる。何かと思えば、先ほどまで見えていた地面の代わりに、何かごつごつとした、岩のような、だが岩の色とは思えない赤やら青やら分からない色の何かが、白い空間を丸ごと覆っている。赤と白の境目辺りに目をやれば、空間の外から二つの眼が吾輩をじろじろと覗いているのである。吾輩はその時はじめて人間というものを間近で見た。

「あいつのところへ連れていくか」

 人間はそんなことを漏らして、どこかへと歩いていく、吾輩を閉じ込めた空間はその人間の腰のあたりに巻かれた皮のベルトというものに括り付けられた。すぐ隣に、吾輩と同じ空間に閉じ込められた電気鼠の姿がある。

「君も気の毒だな」

 その電気鼠は吾輩を見るなりそう言った。「何が気の毒なのか」と尋ねれば、「この人間はな、ポケモンの中でも強い個体しか集めない輩なのだ」という。
「この人間にそれが分かるのか」
「分からないだろうね。だから、それが分かる人間のところへ連れて行って、判断してもらっているのだ。そして、能力の個体値が低ければ、容赦なく捨てて行く。これがこの男なのだ」
「個体値とは何だ」
「さあな。俺もよくは知らないが、人間がポケモンの強さを評価するときによく使っている言葉だ」
「じゃあ、君はその個体値とやらが高いのか」
「そうだな、と言いたいところだが、俺は既にそれほど能力が高くない個体だとの評価を受けている」
「では何故この人間は君を捨てなかったのか」
「俺はただの捕獲要員で、お前みたいな電気のよく通るポケモンを捕まえるためだけに駆り出されたのだ。俺の電撃が効くポケモンを捕まえ終わったら、俺も捨てられるのだろう」

 電気鼠の言ったことは正しかった。吾輩は、長い白衣をまとい銀の淵の眼鏡をかけたひょろりとした個体値判断士(電気鼠の話から吾輩が勝手につけた呼び名である)に、「見込みなし」と判断され、その日のうちにその人間に捨てられることになった。  

 赤と白の空間の中で、電気鼠が吾輩に憐みの目を向けていた。
「じゃあな。短い間だったが、達者でやれよ」
 別れ際に、電気鼠が赤と白の空間の中で手を振って言った。
「ありがとう。君も達者で」
 吾輩も同様に手を振った。

 吾輩は遠ざかっていく電気鼠を見て、哀れだと思った。捨てられるのも哀れ、捨てられぬも哀れ。果たしてどちらがより哀れなのかが分からなくなる。やはり、ポケモンは自然の中で生きるのが自然でよいのだろうか、それとも、人間が文明化した世界の中に適応しつつ生きていくのが良いのだろうか。

 かくして、吾輩は人間に捨てられた。これだけで人間のすべてを分かった気になるのは傲慢という奴なのであろうが、人間はいたって我儘な種族なのだとこの時ばかりは考えざるを得なかった。

    *

 人間皆が皆傲慢かと言えば、そうでもない。

 吾輩がいつものように惰眠をむさぼっていると、さらさらと何かをこするような音が聞こえてくるのである。丁度顔の真正面から音が聞こえてきたので、薄目を開けてみれば、まだ十四五程と思われる人間が、吾輩の方をじっと見つめながら、手元の板の向こうで何かを書いている。否、描いているのであろう。ドーブルという名のポケモンが岩肌に絵を描いていたのと同じような雰囲気が、その人間からは感じられた。描きたい目標をじっくり観察し、見たまま感じたままに写し取ることが大事なのだと、ドーブルは言っていた。目の前の人間は、まさにそれをおこなっているものと思われた。

 吾輩はもう十分眠った。が、いくら寝ても不足ということはない。好きな時に眠り好きな時に眠るのが吾輩の信条である。それに、吾輩が被写体なのであれば、むやみやたらと動き回るのは気の毒であろうと、じっとしておいてやる。そのうち背中やら顔やらがむず痒くなってくる。どうにも我慢が効かなくなって、体の筋肉が否応なしにびくつくのだ。吾輩はつい枕にしていた手を引っ張り出して痒かったところに手を伸ばす。すると手元の板から目を上げた人間が、
「ああ、もうちょっとだから、動かないで」
とのたまう。吾輩は好きで被写体をやっているのではないし、元来生き物というものはその形を刻一刻と変えていくものなのだ。痒いところに手を伸ばして何が悪いと反論したくなるのを抑え、また元通り、腕を枕にして眠る体勢に入ってやった。不思議なもので、それほど眠たくないときでも、眠る体勢になってしまえば、意識は自然に深淵へと落ちていく。吾輩は知らず知らずのうちに、再び寝の谷に足を踏み入れていた。

 目を覚ませば辺りはもう暗くなりかけていた。あの絵描きの人間は既に何処かに行った後であったが、吾輩は傍らに食欲をそそるいい香りがするのを感じた。見れば、吾輩の傍らには、紡錘型の黄色い木の実が転がっており、地面に人間の字で「描かせてくれてありがとう。この木の実はそのお礼です」と書かれていた。あの人間はどうやら礼儀の正しい人間だったようだ。吾輩は遠慮なく、その木の実を頬張った。かなり固い木の実だったため、かみ砕くのに少々時間がかかったが、酸味、渋み、甘み、苦みがちょうどよく混ざった果肉は普段滅多にお目にかかれないごちそうであった。

 我々ヤドンにもいろいろな個体があるように、人間もそれぞれ違うのだと知ることができたのは、大変興味深いことであった。

    *

 ヤドンはのろまで間抜けで、覚えたこともすぐに忘れてしまうと吾輩自身の口から言った。では、吾輩は何なのかと問われれば、話の頭で述べた通り、吾輩はヤドンである。それ以外の何物でもない。今は頭に何やら重たいものが乗っているような気もしないでもないが、そして時々頭を齧られるような激痛に襲われることがあるような気もしないでもないが――――





 ぽろりと音がして、吾輩の頭から何かが転げ落ちた。







    *







「や〜〜〜〜〜?」

 吾輩は今まで、何を考えていたのだろうか?何か難しいことに思考を巡らせていたような気もしなくもないが、どうにも思い出せない。まあ、今となってはそんなことはどうでもいい。吾輩はヤドンである。ヤドンは元来、思考をするには向かないポケモンである。これ以上考えるのはやめにして、またいつも通り惰眠を貪るとしよう。
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■筆者メッセージ
 二つのきっかけを元にこの作品を書きました。
 
 一つは、とある物書き様が自己紹介で使っておられたフレーズ。今はこの作品のタイトルとして使わせていただいております。もう一つは、Twitterでの会話の中でとある方が呟いた、夏目漱石の『吾輩は猫である』です。以上の二つを元に、考えるヤドンがいたら面白そうだなと思って書き始めました。『吾輩は猫である』と比べるのもおこがましい短さと稚拙な文章ですが、色々と思考を巡らせながら楽しんでいただけたなら幸いです。
 さて、この文章の中では散々人間を否定しまくったわけですが、かくいう僕自身も他人ごとではありません。つまり、僕もヤドンに、というよりポケモンたちに責められてもおかしくない立場だということです。この小説を読んでくださる皆様がどうかは存じ上げませんが、ここで記した考え方はあくまで一つの意見にすぎず、個体値厳選や努力値振りを完全に否定するわけではありませんのでご了承ください。

 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
円山翔 ( 2018/04/02(月) 07:17 )