其の弐
さっきも話した通り、ボクはマジシャンの男と一緒に、いろんな国を旅して回ったんだ。街の片隅でマジックショーを開いては、笑顔を振り撒きお代ももらわずに去って行く。いつしか男は「放浪の奇術師」と呼ばれて、その名を知らないものはいないくらいに有名になったんだ。ボクの金輪を使って、街の人が無くしたものを探し当てたり、貧しい人々に、ボクが集めた宝物を分けてあげたりした。ボクも中々楽しませてもらったよ。リングの向こうから、驚く人間の顔を眺める快感は、ボク一人では味わうことのできないものだった。
時には名のある貴族や国の王様が、男を呼び出してマジックをするようにと頼んできた。そういう時は断っても、ショーの後に必ず、ご褒美だと言っていろいろもらえたんだけど、男は必要最低限だけ受け取って、あとは街の住民にばら撒いていたんだ。どこまでお人よしなんだよって、あの時は思ったね。それでも、男はいつも笑っていた。男が行って去って行ったところには、いつも笑顔が溢れていた。だから、ボクはあの男がやっていることに納得せざるを得なかったよ。世界中に笑顔を、か……今となっては懐かしい話だね。
でも、そんな生活もそう長くは続かなかった……
ある時、マジックの最中に、男の持っていたリングに手を突っ込んだ大馬鹿者がいてね。男はそいつを引っ張り出そうとしたんだけど、それより先にそいつがボクを引っ掴んでさ。要は、ボクが男のマジックを手伝っているってことがばれちゃったんだ。
噂ってものは怖いものだね。どんなに遠い場所にでも、すぐに伝わってしまう。男がイカサマをしていたってことはすぐに広まって、誰も男のマジックを見ようとする者はいなくなったんだ。それどころか、ボクの力を悪用しようとする輩まで出てきてね……
***
ある日のこと。すっかり客が集まらなくなった路上で、男は一人ぽつんと立っていた。何もしていなかったかと言えば、そうではない。金輪のポケモンに頼らない、元々やっていたマジックを、誰に見せるでもなく行っていた。それでも、一番の目玉だった金輪のマジックのタネがばれたことで、誰も男のマジックに興味を持たなくなっていた。
「今日も誰も来なかったか……」
男は溜息をついて、マジックに使う道具を片付け始めた。
「どうするんだい?このままじゃこの先食べていけそうにないよ」
懐から、金輪のポケモンの声がした。金輪は物だけでなく、声すらも遠くに届けてしまうのだった。
「どうしようもないさ。次の街へ行って、またショーをする。一人でも多くの人を笑顔にするのが、私の目的だからね」
周りに人がいては、独り言を言っているように聞こえてしまう。男は声を潜めて言った。
とぼとぼと<ruby><rb>人気</rb><rp>(</rp><rt>ひとけ</rt><rp>)</rp></ruby>のない道に入って、懐から金輪を取り出す。男が毎日違う国に行くことができたのは、空間移動能力を持つ金輪のポケモンのおかげだった。金輪を通って祠に帰った男を見て、金輪のポケモンは一言
「ずいぶん痩せたね」
と言った。その通りだった。客が集まらなくなって以来、男はまともな食事を口にしていない。客が来ていた頃は、お代は取らないものの、宿や食事を誰かが無料で提供してくれた。褒美だと言って貴族や王様がくれた金品は、最低限の食費や衣類の手入れ道具に消え、それ以外は街の皆に分け与えた。今は買い貯めておいた携帯食料と、金輪のポケモンが何処からかとってくる少量の木の実だけが、男の命を繋いでいた。だが、それにも限界がある。少し太った男の面影はいずこに、以前は半径八十センチは広げなければ通れなかった金輪が、今ではその半分ほどで通れてしまうほどに男は痩せていた。
「明日は何処へ行くんだっけ?」
沈み込んだ男の気持ちを少しでも和らげようと、金輪のポケモンは努めて明るく言った。男は少しやつれた顔のまま、祠の入り口に目を向けながら呟いた。
「ああ、ここから西にある軍事国家だよ。戦いに疲れた軍人が娯楽を求めていて、誰でも構わないから来てくれってさ」
「ふーん。働き口が見つかっただけよかったじゃん」
「そうだな……だが、君のことは、おそらくその国にも伝わっていると思う。下手をすれば、君も呼び出されるかもしれない」
「もう誰もが知っていることだろう?なら、どうして隠すことがあるんだい?」
「……」
「大丈夫さ。いざとなったら、ボクの力で逃げればいい。下手に断って一生ビクビクしながら暮らすよりは、素直に行って、いつも通り笑顔の花を咲かせて来た方がいいと思うね」
「……それもそうだな」
男は下着一枚になって、すっかりくたびれた黒のスーツとズボンをバタバタはたき始めた。旅の間にたまった砂埃が、煙のように舞い上がる。十分にはたいたところで、上着の内ポケットからブラシを取り出して、スーツとズボンを丁寧にこする。男の顔には不安の色が見え隠れしていたのだが、衣類を地面に置くと、今度はバチンと両手で顔をはたいた。目が覚めたように、男の顔はいつも通りの笑顔に戻っていた。
*
次の日。男は宣言通り、西の軍事国家にいた。例のごとく、金輪のポケモンの力で送り届けてもらった。国の入り口で入国審査を受けると、男は審査官の一人に連れられて、その国の軍隊の本部へと足を運んだ。
疲れ切った顔をしていた軍人たちは、男の姿を見るなり顔を綻ばせた。中には涙を流して喜ぶ者もいた。すぐに特設のステージ(と言っても、食堂の机と椅子を移動させただけである)が用意され、男は軍人たちの前で自慢のマジックを披露した。
カードを使ったテーブルマジック。燃やした紙切れを復活させるマジック。何も入っていないはずの帽子からマメパトが飛び出すマジック。空中からコインを出現させるマジック。どんなマジックをやっても、軍人たちは楽しそうに男の手元に釘付けになっていた。そして最後に、男は例の金輪を懐から取り出した。
「さ〜てお立会い。懐から取り出したるは、世にも珍しい魔法の金輪にございます。何が不思議と申しますと、この金輪、望んだ物を何でも取り出すことのできる金輪なのでございます。皆様の中で、何か物を無くしたという方はいらっしゃいませんか?」
見物の軍人たちががやがやと相談を始める。ああでもない、こうでもないと話し合う喧噪の中で一人が弱弱しく手を挙げた。
「今手を挙げた方、私のところまで来ていただけますでしょうか?」
男が声をかけると、細身で背の高い軍人が男の前に進み出た。深緑色の軍服の左胸には、アルファベットで『ハワード』と刺繍が施されていた。
「ハワード様ですね。あなたが無くしたものを、ここにいる皆様に分かるように説明してください」
ハワードは照れ臭そうに頭を掻きながら、
「はい。私が無くしたのは、恋人との婚約指輪です。銀色の細身のリングで、表面に恋人の名前、『シエル』という彫刻が細かく刻まれています。私がこの軍隊に配属されてから、割り当てられた部屋に置いていたのですが、いつの間にかなくなってしまって……」
「分かりました。銀色の指輪ですね。それでは、あなたの指輪のことを強く念じて、この金輪をご覧になってください」
男はそう言って、左手で水平に支えた金輪に右手を突っ込んだ。見物のぐう人たちから驚きの声が上がる。本来なら金輪の下に見えるはずの男の手が、金輪に切り取られたように上だけに見える。どよめきをバックグラウンドミュージックに、男は数秒間金輪の向こうをまさぐって、ハワードの言っていた指輪を探り当てた。
「ハワード様、あなたが無くしたのは、この指輪ですか?」
男は輪の向こうから手を引き抜いて、取り出した指輪をハワードに手渡した。ハワードは手渡された指輪を目に近付けたり遠ざけたりしながらじっくりと眺めて、歓喜の声を上げた。
「そうです!この指輪です!これで彼女に叱られなくて済む!」
見物の軍人たちからどっと笑いが溢れる。同時に、一人、また一人と手を叩き、小さな食堂にいくつもの拍手が響き渡った。男は金輪を懐へしまうと、軍人たちに向かって深々と頭を下げた。顔を上げたところで、貫録を感じさせる一人の男が前に進み出てきた。左胸の刺繍は『ギル』。肩には他の軍人たちの服には見られない立派な装飾が施されている。男はにこやかな表情で男に近付いて、男に握手を求めた。
「今回ははるばる我が軍によくおいでくださった。この場を借りてお礼申し上げる。私はこの隊の長を務める、ギルというものだ」
「こちらこそ。私のようなしがない奇術師をこのような場に呼んでいただき、感謝の言葉もございませぬ」
ギルの差し出した手を、男はしっかりと握った。流石軍人とでもいうべき、男の痩せ細った手など、簡単に握りつぶしてしまいそうながっしりとした手だった。ギルは握手を終えると、真剣な顔で男を見つめて言った。
「<ruby><rb>其方</rb><rp>(</rp><rt>そなた</rt><rp>)</rp></ruby>の腕はまさに一級品。そんな其方に、もう一つ頼みがあるのだが」
「何でございましょう?」
「近々、我々の軍は隣国との戦争に駆り出されることになる。敵国はこの辺りでも有数の強さを誇る軍を所有しているのだ。わが軍には、ハワードのように待ち人を抱えている者も少なくない。そこでだ」
ギルは一度言葉を切って、真剣な顔で続けた。
「其方の持つ金輪の持ち主のポケモンを、わが軍に譲っては頂けないだろうか」
男は返答に詰まった。軍からの呼び出しということで、元々予想していたことではあったが、金輪の力を攻撃のために使うに違いない。それに、戦争に手を貸したいとは思わない。
『やめてくれよ。ボクは戦争なんて御免だからね』
金輪の向こうから声がする。男は心の中で頷いた。ギルはそんなことも知らず、一人熱弁を続ける。
「聞くところによると、近頃金輪の奇術がポケモンの仕業だと割れて、其方もひもじい思いをしているというではないか。わが軍に献上すれば、其方が生活に困らないだけの援助をすることを約束しよう」
それは男にとっては魅力的な提案だった。だが、男の信念に沿うものでは決してなかった。それに、自分をここまで助けてくれた金輪のポケモンを、戦争に駆り出すなどもってのほかだった。
「お言葉ですが、彼は私のポケモンではございませぬ。故に、それは私の一存では決めかねますゆえ」
「では、今ここに呼び出すことはできるか?」
「……」
男は答えなかった。実際は「できる」。だが、ここでそう答えるわけにはいかない。男は俯いて、静かに首を横に振った。
「そうか……残念だ」
ギルは短く言って。
パンッ
一発の銃声が響いた。先ほどまでのギルの温和な顔立ちは、冷徹な仮面に覆われていた。男は成す術もなく――――その場へ倒れなかった。銃弾は幸か不幸か、男の懐の金輪に吸い込まれたのだった。金輪の向こうから、銃弾が何かに当たったものであろう音が響いてきた。
ギルは驚いた様子もなく男の胸倉を掴む。銃を男の顔に突き付けたまま、
「懐の金輪を出せ」
と、低い声で言った。どうやら気付いていたようだ。だが、男は動かない。小刻みに震えながらも、唇を一文字に結んで、覚悟を決めた表情でギルを見ていた。ギルは憐れむような目で男を見て、最後にこう吐き捨てた。
「そうか。お前は用済みだ。今度こそ死ね」
ギルの指が、拳銃の引き金にかかる。男は目を閉じることもなく、美しい風景に酔いしれるように銃口を眺めた。
そして、拳銃が再び火を噴いた。
「がっ……」
呻き声を上げて倒れたのは、男ではなくギルだった。見れば、銃口の先と、ギルと男の間に、ソフトボール大の金輪が浮かんでいる。ギルの放った弾丸は、男の目の前の金輪に吸い込まれ、ギルの胸の前の金輪から現れて、ギルの心臓を正確に貫いていた。
男も、周りにいた軍人たちも、一瞬何が起こったのが理解できなかった。徐々に理解し始めたのは、倒れたギルの胸から流れ出る血が床を染め始めた時だった。視線を上げれば、宙に浮いたままの金輪から、真っ赤に燃える双眸が覗いている。金輪が次第に大きくなっていき――――
そして、死神が姿を現した。