其の壱
ボクの話をするには、ある男の話から始めなければならないね。後で聞いた話だけど、そいつは元々孤児(みなしご)で、お金もほとんど持っていなかった。そのくせ、値が張っていそうな黒いシルクハットにスーツを着こなして、路上でマジックショーをしていたんだ。呆れちゃうだろ。立ち止まるのは子供くらいで、お金なんて持っちゃいない。それでもその男は、
「特別大サービスですよ」
と言って、子供たちに笑顔を振りまいていた。ボクがそいつに出会った時も、そんな乞食みたいな生活を続けていたんだってさ。
ボクがその男に出会ったのは、とある街で、盗賊団が盗んで袋に詰めた宝をこっそり持って行こうとした時だったよ。あの時丁度、宝と一緒に、人質として連れていかれていたあいつを連れてきちゃったんだよな――――
***
「はて、ここは何処だろうか?」
男は訳が分からないといった顔をしていた。盗賊団の馬車に乗せられて、気が付いたらどこかわからない薄暗い場所にいたのだから、無理もない。
「あいつらのアジトだろうか?」
もしその通りだったら、殺されてしまうに違いない。一刻も早く抜け出したいという一心で、男は立ち上がろうとして、両手が背中で括られているのを思い出した。少し太った腹が突っ張って、うまく立ち上がれない。何度か試みたが、そのたびに石の床に倒れてしまう。巻き上がる砂埃に咳き込む男の頭上で、不意に誰かの声がした。
「うわっ、関係ない人まで巻き込んじゃったよ。どうしようか……」
少年のような、甲高い声。男は一瞬盗賊の仲間かと思ったが、その言葉からそうでないことはすぐに分かった。盗賊の仲間なら、人質として連れてきた自分を「関係ない人」などとは言わないだろう。
「頼む、解いてくれないか?」
誰か分からない相手に向かって、男は括られた手を差し出して言った。途端に、両手が自由になった。男が振り向くと、見たことのない姿のポケモンがふよふよと浮かんでいた。その手には、金色に輝く金輪と、男の手を縛っていた縄を持っていた。不思議なことに、縄は結び目がそのままだった。
「巻き込んで悪かったね。今なら元の場所に帰してあげるけど、どうする?」
男は答えなかった。というより、答えられなかった。目の前で起こった奇妙な出来事への疑問で、頭がいっぱいだった。男は目を真ん丸にして、自分の手を縛っていたはずの縄を見た。
「どうやって外したんだ?」
「マジシャンは、自分のタネを決して明かさない。あんたもマジシャンなら、知っててもおかしくないことだよね」
「お前も、マジシャンなのか!」
「い〜や、違うね。ただ、あの盗賊の盗んだ宝を、ボクの住処まで持ってきただけさ。後でちゃんと持ち主に返すけどね」
金輪のポケモンはにやりと歯を見せて笑って、男に言った。
「それで、どうするの?帰るの?それとも、一生こんな薄暗い所で暮らすの?」
「そりゃあもちろん、帰してほしいよ。だけど、その前に一つ提案があるんだ」
男は瞳を輝かせながら言った。それはまるで、初めて見る物に好奇の眼差しを向ける子供のような顔だった。
「私はね、いろんな街を巡って、路上でマジックショーをしているんだ。君ほどの腕なら、間違いなくうけるさ。どうだい、一緒に来てくれないかい?」
今度は金輪のポケモンが目を丸くする番だった。それから呆れたような表情で、男に言った。
「あんたと一緒にマジックショーをしながら旅をしないかって?冗談じゃない。あんたもあいつらと同じ、人を騙して金をふんだくろうって奴だったのか」
「違う、断じて違う!私は確かに貧乏人だ。だが、お客は私が立ち寄る街の子供たちさ。子供からお金を取ろうなんて、思うものか!」
男は激昂して金輪のポケモンを怒鳴りつけた。が、元々この男の性格が丸いのだろう、いかんせん迫力がなかった。それでも、男の瞳には偽りの「い」の字も見られなかった。目は口程に物を言うというが、男の瞳はまさに、男の純真な心を映していた。
男の真っ直ぐな目を見て、金輪のポケモンは再びにやりと笑った。
「あんたは正直者だ。いいよ。あんたに付き合おうじゃないか。でも、ボクは今持ってきた宝を持ち主に返しに行かなければならないんだ。そこでね……」
*
「お前、何しに来た?何処から入ってきた?」
「怪しいものではございません。ただ、あなた様に私めの奇術をお見せしたく、ここに参上した次第でございます」
とある貴族の豪邸の執務室、その家の主人の前で、男は飄々と言った。背中では冷や汗をだらだらとかいているのだが、日頃から人前でマジックショーをしているだけあって、なかなかの演技だ。
「私は今忙しいのだ。それに、今し方財産を盗まれたばかりなのだから、お前に払える金など無いのだ」
主人は苛立たしそうな顔で男に告げる。だが、男も負けてはいない。
「とんでもない!私は旅の奇術師です。お代を取る気はさらさらありませぬ。むしろ、盗まれた財産をお返ししに来た所存でございます」
「何?それは誠か?」
疑うような目を向けてくる主人に向かって、男は笑顔で答えた。
「誠にございます。では、お目にかけましょう。」
男は懐から、あのポケモンが持っていた金輪を取り出す。それを手の届く限り高く掲げ、男は高らかに叫んだ。
「さ〜てお立会い。懐から取り出したるは、世にも珍しい魔法の金輪にございます。何が不思議と申しますと、この金輪、望んだものを何でも取り出すことのできる金輪なのでございます。ご主人様は盗賊に財産を盗まれたとおっしゃっていましたね?それでは、今からその財産をここに呼び戻して差し上げましょう」
調子のいい男の言い草に、主人は「馬鹿馬鹿しい」と吐き捨てながらも、その目には一縷の希望にすがるような光が宿っていた。男は左手に持った金輪を体の前に構え、力を込めるように「はぁ〜〜〜〜」と腹の底から声を上げる。
男はくるりと一回転したかと思うと、金輪を床に平行になるように体の前に構えて、短く叫んだ。
「はい!」
次の瞬間、主人は自分の目を疑った。男の持っている金輪の中から、あろうことか盗まれたはずの金銀財宝が出てくるではないか!蔵にしまっておいたすべてが戻ってきたと思われる量に達したところで、男は金輪を縦にして主人に見せる。金輪の向こうには、ただ男の来ているよれよれのスーツが見えるだけだった。
「これで、私めの奇術は終いでございます。ご覧いただき、ありがとうございました」
男は金輪を懐にしまって、にこやかに笑った。
主人は床に散らばった宝を手に取り、偽物でないことを確かめた。それは確かに、蔵から消えたはずの財宝そのものだった。
「これ、奇術師!其の方の言い分は誠であった!褒美を取らせよう!この財宝の中から一つ、気に入ったものを持って行くがよい!」
背を向けて歩き出した男に、主人は大声で言った。男はくるりと半回転して、興味なさげに主人に言った。
「最初に申しました通り、私めはお代をいただきませぬ。その代わりと言っては何ですが、一つお願いがございます」
「何だ、申してみよ」
「はい。今私めが取り戻した財宝の中から、いくらか街の民に分け与えては頂けぬでしょうか?」
男の言葉に、主人は再び声を荒げていった。
「私は其の方にと言っているのだ。誰が街の貧民どもになど分けてやるものか」
「では、仕方がありませんね。あなた様の貪欲さには幻滅いたしました。財宝は私めがすべて預からせていただきます」
男は懐にしまった金輪をもう一度取り出して、小さく二回横に振る。瞬間、金輪はぐんぐん大きくなり、床に散らばった財宝を囲めるほどの大きさになった。男は財宝にを覆うように金輪を振り下ろすと、財宝は瞬く間に金輪に吸い込まれて消えていく。青ざめた顔で男を睨みつける主人に、男は
「それでは、またどこかでお会いしましょう。決してあなた様の悪いようにはいたしませぬゆえ」
と笑って、自らも輪の中に飛び込んだ。
とある貴族の豪邸の執務室。そこには、ただ一人残された主人が、茫然とした表情で膝をついていた。そこには奇術師の男が取り戻した財宝も、奇術師の男も、そして、男の持っていた金輪も何もかも残っていなかった。
そして数日後……
主人が目を覚ますと、家の外からがやがやと声がする。何かと思ってカーテンを開けると、街の人々が豪邸を囲む門の前に集まって、何やら喚いている。主人は人前に出る時の服に着替えてバルコニーに出て、聞こえてくる声に耳を疑った。
「貴族様だ!」
「貴族様が出ていらっしゃった!」
「われらが救世主よ!」
「ありがとうございます!ありがとうございます!」
「お恵みをいただき、ありがとうございます!」
主人は民に何をした覚えもなかったため、言葉の真意がよく分からなかった。それまではむしろ、重い税を取り立てて、民を苦しめていたはずなのに、なぜ感謝されるようなことがあるのであろうかと。
この家に仕えるメイドの一人が、パタパタと駆けてくる。
「何事だ、これは?」
主人が尋ねると、メイドは顔を輝かせながら言った。
「ご主人様、私、感動いたしました!持っていた財産を盗まれたと言っておられましたが、残らず民に分け与えていらっしゃったのですね!」
「訳が分からん。私はそんなことした覚えは――――」
そこまで言って、主人ははっとした。数日前、盗まれた財宝を取り返して、そのままかっさらっていった男のことを思い出した。
『決してあなた様の悪いようにはいたしませぬゆえ』
あの男が最後に言った言葉が、鮮明によみがえる。その言葉の意味を、主人は今になってやっと理解した。
「なるほどそういうことか」
主人は思わず大きく口を開けて、高らかに笑った。
それからというもの、その街の貴族制度は貴族自身によって廃止された。貴族の豪邸は誰もが使える公共の場として明け渡され、連日多くの人々がこの場所に立ち寄った。誰もが平等な身分で、平等に働き、平等に笑いあった。その中には、かつて民を支配していたあの主人の顔もあったという。
*
「ご苦労さん。それにしても、いい演技だったね」
「ああ、自分でも驚いているよ」
薄暗い石の祠の中で、男と金輪のポケモンは静かに語り合った。男はこのポケモンの金輪と力を借りて、あれだけの財宝をここからあの貴族の館へと動かしたのだ。一度財宝を回収した後、「貴族様が街の民の皆に、宝を分け与えてくださるぞ」と言いふらして、持って行った宝をばら撒いたのだ。案の定、街の住民はあの貴族に感謝した。貴族は貴族ではなくなったが、結果的に、誰もが笑って暮らせる街をこの男は作ったのだった。
「さて、これからどうするの?」
「そうだな……私はまだ旅を続けようと思う。世界中を、あの街のように笑顔でいっぱいにするのが夢なんだよ」
「ふーん。いいじゃないか。そういうことなら力を貸すよ。ただし、ボクは力を貸すだけだ。人前には姿を現す気はないから、そのつもりでね」
「ああ、できるだけ気を付けるよ……」
***
とまぁ、この男との出会いが、すべての始まりだったんだよ。聞いてもらった通り、まだボクが死神なんて呼ばれる理由は見当たらないはずだ。でも、『どうやって君たちをここに連れてきたか』という質問の答えは分かってもらったかな。ボクのリングには、遠くのものを取り寄せる力があるんだ。この力が、まさかあんなふうに使えるとは思ってもみなかったけどね。でも、この力が、ボクが死神と呼ばれる原因を作ったんだ……