其の参
いやー、あの時はまいったね。まさかいきなり銃弾が飛んでくるとは思わなかったよ。知っているかもしれないけれど、ボクのこの姿は、封印された姿なんだ。本当はもっと……いや、これは後のお楽しみにしておこうか。とにかく、ボクはあの男といた時もこの姿だった。そして、ボクを封印した壺が、ボクの住処の奥にしまってあったんだ。男の持っていた金輪からボクの金輪を通じて飛んできた銃弾が、その壺に当たってね……
*
マジックショーの会場となっていた食堂が、みしみしと音を立てて崩れていく。そこにいた誰もが、下敷きになるまいと食堂を飛び出していく。腰を抜かして動けなかったマジシャンの男を除いて。男を押し潰さんと迫る天井を、何者かが弾き飛ばした。よく見ると、それは男の体よりも大きな掌だった。
男は目を疑った。そこにいたのは、男がそれまで一緒に旅をしてきたポケモンの姿とはかけ離れたポケモンだった。男の半分もなかった体は、今やこの国に存在するどの建物よりも大きい。三つしか持っていなかったはずの金輪は、その倍以上の数が巨体の周りを漂っている。
「向こうで……待っていてくれ……」
男の頭上から重い声が降りかかった。それまで聞いたことのないほど、底冷えがするような声だったが、男はその中に、かつての金輪のポケモンの思いを感じ取った。同時に、金輪が一つ男に飛んでくる。
「壺には……触れるな……」
断末魔のようにも聞こえる金輪のポケモンの声を噛み締めながらも、男はただ、茫然とその金輪を眺めることしかできなかった。
輪投げのように降って来た金輪を通ると、そこは金輪のポケモンの住処だった。男は祠に戻ってなお、震えが収まらなかった。しばらく床にうずくまり、やっと震えが収まった時、暗い祠の床に奇妙な形をした細長い壺が一つ置いてあるのが見えた。蓋の部分はかつての金輪のポケモンの頭のような形で、細く伸びた首の下はドーナツ型になっていた。その壺の周りからどす黒い瘴気が漏れ出ているのが、素人目にも分かった。背筋を嫌な汗がしたたり落ちる。
男が持っていた金輪がぶるぶると震えだす。その向こうを見て、男は目を疑った。
そこで見たのは、巨大化した金輪のポケモンが、男と共に訪れた国を滅茶苦茶にする姿だった。
誰彼構わず拳を叩き込む金輪のポケモンの姿が、無慈悲に命を刈り取る死神のように見えた。
*
男が金輪の向こうに消えたのを確認すると、金輪のポケモンはその意識を手放した。というよりも、それまで奪われないように保っていた意識を、自らの内側に眠る怒りの感情に乗っ取られてしまった。何年もの間戒められ、閉じ込められたことに対する憎悪が心の中で膨れ上がって、抑えきれなくなってしまったのである。それもこれも、あのギルとかいう軍人が、心の闇を封じた戒めの壺に、間接的にとはいえ弾丸をぶち込んだからだ。溢れ出すほどに貯め込んだ怒りは、今やギルだけではなく、その目に映る者全てに向けられていた。
表に出てきた死神は、まず国にある建物という建物を粉々に砕いた。瓦礫の中から這い出した人間は、巨大な掌で容赦なく押し潰した。中には銃を向けて対抗しようとする者もいたが、放った銃弾は全て不可視の力で跳ね返され、果敢にも立ち向かった者たちだけでなく、その周りにいた者も含めて瓦礫の海に沈めていく。
国を更地に変えた死神は、男と共に訪れた国や街を片っ端から襲っていった。家も城も関係なく叩き壊し、逃げ惑う人々に拳を叩き込む。反撃しようとするポケモンの技は、金輪の力で技を放った本人にぶち当てる。どんな国も街も、五分とかからずに更地に還った。
最後に、死神は男と初めて訪れた国に姿を現した。だが、何か思うところがあったのか、自らその場所を叩き壊すことはしなかった。代わりに、金輪を大きく広げて、伝説を呼び出した。
日照りを呼ぶ大陸の王。
雨雲を呼ぶ海の王。
時間を司る青き竜。
空間を司る赤き竜。
反物質を司る反骨の竜。
そして、真実と理想を失った氷の竜。
突然呼び出された伝説たちは、訳が分からないといった様子で辺りを見回す。が、それもほんの一瞬のことだった。自らの宿敵を前に威嚇を始める者、いきなり知らない場所に呼び出された怒りに暴れる者、六匹の反応はまちまちだった。
そして、かつてない壮絶な戦いが始まった。
*
金輪の向こうに広がる光景を、男は震えながら、それでも食い入るように眺めていた。マジックショーで訪れた国が、次々と壊れていく。笑顔を咲かせた国も。自分をイカサマ師と言って受け入れなかった国も。まるで怪獣映画を見ているかのように、いとも簡単に滅んでいく。どうにかしなければならないと思いながらも、男に金輪のポケモンを止める術はなかった。
金輪のポケモンが最後に向かった、男と金輪のポケモンが一緒に旅をすることになるきっかけとなった街。今はそこが、伝説と呼ばれるポケモンの戦いの場になっている。
逃げ惑う人々。
暴れまわる伝説。
かつて男がもたらした笑顔が、今は恐怖一色に染まっている。
その中で、一人の男が街の人々を安全な場所へと導いているのを見た。
よく見ると、それは男が資産を返しに行った、かつての貴族だった。すっかり街の人々と打ち解けた元貴族が、今は最前線で人々を導いている。
考えるより先に体が動いていた。金輪のポケモンから預かった金輪を通って、その街へと降り立つ。
男にとって、おそらく最後になるであろうマジックショーをするために。
そして何より、再び街の人々に笑顔を取り戻してもらうために。
*
死神は、伝説たちの戦闘の様子を上空から眺めていた。死神の意図した通り、伝説たちは死力を尽くして争い、街を滅茶苦茶にしていく。
だが、その中で蠢く小さな影が、死神は気に入らなかった。自ら手を下そうと、六つの拳を握りしめて――――その先頭に降り立った人間を見て手を止めた。
黒のシルクハットに洒落たスーツ。今ではすっかり痩せ細ったその体は、見まごうこともない、数日間共に旅をしたあの男だ。
「さ〜てお立ち会い。懐から取り出したるは、世にも不思議な魔法の金輪でございます。何が不思議かと申しますと、望んだ物を何でも取り出すことができるのでございます。只今私の不祥事により、伝説に語られるポケモンたちが、皆様の街に解き放たれてしまいました。ですがご安心を。暴れる伝説を鎮める力を、私が呼び出してしんぜましょう!」
この絶望的な状況の中では決して聞こえてくるはずのないような明るい声が、人だかりの中から聞こえた。
*
大声で人々の注意を集めながらも、男は震えていた。伝説のポケモンたちの戦いの巻き添えを食いたくないというのもあったし、人々の笑顔を奪うような状況に陥れたのは、間接的ではあるが自分なのだ。落とし前はきっちりつけなければならない。
群がる人々の中からは様々な声が聞こえた。男の再来を喜ぶ者。巻き添えを食うから逃げろと促す者。その中に非難の声は一つも聞こえなかった。
男は目を閉じて金輪に強く念じ、再び大声を張り上げた。
「魔法の金輪よ!あのポケモンたちを鎮める力を、今ここに呼び出したまえ!!」
男は金輪を天高く放り投げる。金輪は男のはるか上空でぴたりと動きを止め、死神と変わらない大きさまでその径を広げた。真ん中が黒く染まり、その闇の中から、四匹のポケモンが姿を現した。
空の彼方に住まう
翠の竜。
真実の英雄と共に戦った白き竜。
理想の英雄と共に空を駆けた黒き竜。
そして、すべてを創造したといわれる神と呼ばれし者。
現れた四匹の伝説は、それぞれが向かうべき場所を知っていたかのように、自らを待つ伝説の元へと飛んでいった。
天空の竜は、陸の王と海の王の元へ。その咆哮は、粛清の鉄槌となって二匹の王の争いを止める。
真実の竜と理想の竜は、氷の竜の元へ。満たされぬ心を埋めるように、かつての抜け殻へと炎を放ち雷を落とす。
神と呼ばれし者は、時間、空間、反物質を司る竜の元へ。創造主たる威厳をもって、暴れる三匹の竜に光の礫を叩き込む。
それぞれが各々の方法で、無益な戦いに終止符を打っていった。
全てが収束した時、呼び出された伝説たちは金輪を通って、元来た場所へと帰っていった。
*
街はやはり跡形もなく消え去っていたが、死んだ人間やポケモンは誰一人いなかった。
絶望の中に咲く笑顔の花を、死神は何もせずに見つめていた。口角を釣り上げ、その深層に眠る意識を呼び覚ます。
「聞こえるか、奇術師!」
目を覚ました金輪のポケモンは、死神の姿のまま上空から大声で叫んだ。奇術師の男はそれに気付いて顔を上げる。
「祠から、あの壺を持って来てくれ!今すぐに、だ!」
聞こえたのか聞こえていないのか、男は帽子をとって一礼し、金輪の向こうへと手を突っ込む。そこから取り出した奇妙な形の壺を、金輪を通して死神の姿のポケモンの元へと届ける。
「ありがとな、奇術師」
普通なら届かないような小さな声で、金輪のポケモンは呟いた。おそらく、金輪の向こうに声が届いているだろう。金輪のポケモンの中の死神の意識を、瘴気を発しなくなった壺に流し込む。
「またしばらく、おとなしく眠っていてくれよ。また怒りのままに暴れられたら、こっちが困るからね」
壺の中の死神に向かって、金輪のポケモンは呟いた。
***
「とまぁ、こんな感じだよ。これでも結構端折った方なんだけど、随分長くなってしまったね。ボクの話はこれでおしまいだ。ご清聴ありがとう」
七匹目は奇術師の男と同じように、手を胸に当てて洒落た礼をする。
「で、その後はどうなったんだ?」
一匹目が興味津津と言った様子で尋ねる。
「奇術師の男は、世間から姿を消した。世界中の国や街を破壊した犯人として、指名手配所に顔だけ残してね。最後の街の人たちは手配書を作ることに反対したらしいのだけど、男が無理を言って作らせたんだって。その後あいつは死ぬまで、ボクの祠で一緒に暮らしたよ。外に出られないから、食べる者はボクがとって来た木の実くらいだった。今は既に亡くなって、祠の外で眠ってる。あいつの遺言で、墓は作っていないよ」
七匹目は終始おどけた様子で答えた。他の六匹はしばらく口を出さず、その空間はしばしの静寂に包まれた。
「で、質問とは何なのだ?」
二匹目が静かに尋ねた。もういい加減帰りたいといった雰囲気が、六匹の中に漂い始めていた。
「そうだそうだ。ボクが聞きたいのはね……君たちが思う死神が誰なのかってことさ。ほら、話の途中でみんな区切っちゃったでしょ?あの続きを聞きたいなって」
少しだけ含ませた言い方をする七匹目に、他の六匹はきょとんとした目で七匹目を見つめた。それから、一斉に腹を抱えて笑い出した。
「本当の死神だって?ああ、最後にそんな話もしていたね」
三匹目は妖艶な笑みを浮かべながら言った。
「話を区切ったのは、他のみんなと見解がおそらく一緒だと思ったからでやんす」
四匹目は大きな手で頭を掻きながら言った。
「みんな言ってなかったし……僕だけ言うのもあれだから……」
五匹目はか細い声で言った。
「丁度いいではないか。もし一緒なら、一斉に言った時に声が重なるはずだ。少なくとも、言い方まで同じ必要があるがな」
六匹目は、誰よりも低い声で言った。
「じゃあ、ボクも便乗しようか。改めて問おう。本当の死神とは何ぞ?」
にやりと白い歯を見せて笑う七匹目の声を合図に、そこにいたポケモンが一斉に声を上げた。
――――本当の死神は、存在しない。それは人間が心の中に作り出した偶像に過ぎないのだから――――
七匹の声が綺麗に重なった。最後の最後まで、一言一句違わずに。
「あはははははは!!!こんな事ってあるもんだねぇ。それじゃあ約束通り、みんなをそれぞれの場所に送り届けようか!」
七匹目のいた場所から、紫色の光が放たれる。他の六匹は、小さかった七匹目の姿が一瞬にして誰よりも大きくなったのを感じた。それが七匹目の話していた、死神の姿であることも。
七匹目は手元の六つの金輪を、六匹に一つずつ放り投げた。
他の六匹を無事に送り届けたことを確認して、七匹目も金輪を通って姿を消した。
人工的な明かりのない暗がりに、誰もいなくなった