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暗い森の奥深くに、巨大な黒い繭があった。繭は時折心臓のようにドクンと音を立てて脈動する。その姿を見た者は恐れおののき、その場所に近付こうともしない。
そこはかつて、歴史史上類を見ない大破壊が行われた土地だった。森は黒く枯れ果て、その場に居合わせた生きとし生ける者は皆、石のように動かなくなっていた。この大破壊の後にこの地を訪れた者は、豊かな自然や生物の命が一夜にして失われたことに驚いた。そして奥深くに眠る繭を見て、多くの者がこう言った。
「あの森の繭に近づくな。命を持っていかれるぞ」
*
荒れ果てた風景を眺めながら、彼は臍を噛んだ。また無意識のうちに“奪って”しまったのだ。何の罪もない者たちの命を。
彼は、彼の眠りを妨げる者に対して制裁を加えるだけのつもりだった。だが、怒りに我を忘れ、気が付いた時にはいつもこうなっていた。彼が翼を振るうたび、巻き起こる風が触れた者の生命力を奪っていく。目に映るすべての者が息絶えた所で、彼はまた眠りについてしまう。また目を覚ますその日まで、美しい自然の風景を、野に生きるポケモンたちの生き生きとした姿をその瞳に映すこともなく、繭に閉じこもってしまう。彼はそんな自分の能力を疎ましく思っていた。
既に睡魔が彼の意識を支配し始め、彼が体を丸めて繭に籠ろうとした時だった。
「お邪魔しますよ」
うっすらと彼の周りにでき始めた繭の外から声が聞こえた。高いとも低いとも言えない、落ち着いた声だった。
彼は目を開き、繭の中から外を見た。ぼんやりとしか見えないが、碧いシルエットが光を発しているのが見える。その光を感じ取った瞬間、彼の体に震えが走った。彼の持つ本能が、目の前の相手に対して警鐘を鳴らしている。
「そんなに怯えないでください。あなたが何か仕掛けない限りは、攻撃しません」
そんなことを言われても、苦手なものは苦手なのだ、と彼は思った。声の主の持つ聖なる力は、悪の波長を持つ彼にとっては致命的なものだった。
「久しぶりに会いに来たのですから、姿くらいは見せてくださいな」
声は優しく語り掛けてくる。敵意は感じられない。彼は腕のような形をした翼で、繭の壁をおもむろに破った。
彼を出迎えたのは、シカのような姿をした碧いポケモンだった。彼を“奪う者”とすれば、目の前のポケモンは“与える者”。彼と対を成す存在だった。
「何の用だ?」
彼はぶっきらぼうに尋ねた。
「暇だったので、遊びに来ました」
「それは私の眠りを妨げてまで来る用事か?」
「遊びに来たというのはちょっと言い過ぎでした。ただ、無性に話がしたくなったもので」
「……」
彼は黙りこくって、ふてくされたようにそっぽを向く。どうせなら、早く眠りにつきたかった。目を覚ましていたままでは、何時また破壊衝動に駆られるか分からない。
「心配には及びません。あなたが奪ったら、私が与えればいいのですから」
「そういう問題ではないだろう」
心を読んだかのように言う“与える者”の軽い言い草は、彼の感情を逆なでするものだった。彼は苛立ちを隠すこともなく言い返す。
「私の能力で、今までどれだけの命が奪われた?そなたがいくら“与えた”ところで、奪われた者の命が、魂が、失われた自然が、そのまま帰ってくるわけではない。私がどれほど疎まれようが知ったことではないが、無意味に誰かの命を奪うのは好かないのだ」
怒気が滲み出る彼の言葉に、“与える者”は一つ溜息をついて、彼の背けた顔の真正面に回り込んで言った。
「あなたは、あなたが行った破壊を無意味だと言っていますが、必ずしもそうではないのですよ」
「……どういうことだ?」
彼の問いに、“与える者”は答えなかった。ただ、「ついてきてください」と言って歩いていく。彼は仕方なく、大きな翼を羽ばたかせながら後を追った。
「これを見てください」
“与える者”が立ち止まった先には、すっかり枯れ果てた巨木が佇んでいた。樹齢が千年を越えているのではないかと思われるほど太い木だが、今ではすっかり生気を失っている。
「こんなものを見せて、何になるというのだ?」
まだ苛立ちの抜けきらない声で尋ねる彼を横目に、“与える者”は口を開いた。
「この木は、既に枯れかけていた。でも、あなたが生命力を奪ったことで、逆にこの木は生きようとした。厳しい状況に追い込まれるほど、生命は輝くのですよ」
“与える者”は前足で木の幹を叩いた。ぼろぼろと音をたてて外皮が崩れて行って、中からまだ黒く染まっていない部分が顔を出した。元の幹とは比べ物にならないほど細かったが、それでも生きることを諦めたような色ではなかった。
「……」
彼は何も言わず、「次へ行きましょうか」と言って歩き出す“与える者”の後に続く。
次に、“与える者”は焦土のすぐ外にある木のところまで彼を連れて行った。その木はまだ生きた色をしているものの、それは先ほど見た木の幹の内部とは比べ物にならないようなくすんだ色だった。“与える者”は立ち止まって、静かに言った。
「いくら強い生命力を持っていたとしても、生きているものにはいつか終わりが来る。永遠を約束されている者などいないのです。」
「私はどうなのだ」
「勿論、例外ではないでしょうね。あなたは全てを焦土に変えた後、眠りにつくでしょう?それは、次に起きた時のための活力を蓄えるため。あなたにも、他の生き物にも言えることです。それでも、そのうち限界が来る。その限界が早いか遅いかだけなのです。その限界があるからこそ、生きる者は皆がむしゃらに生きるのです」
「……」
「そして、新たなものが生み出される時、それまであったものを破壊する必要が出てくることもあります。あなたは、創造の前の破壊の役割を担っているといってもいいでしょう」
彼は納得いかないといった表情で“与える者”を見る。
「私はあなたに、謝らなくてはなりません」
歩きながら、唐突に“与える者”が呟いた。
「何?」
流石の彼も、“与える者”のこの言葉には驚いた。今になって彼の眠りを妨げたことを謝るのかと思えば、そうではなかった。
「あなたが奪ったものを私が与えていると言いましたが、あれは少し間違っています。失われた命を戻すことは私にはできません。私にできるのは、生きる力を与えるだけ。ほら、見てください」
“与える者”が歩いてきた方向を振り向いて言った。見れば、“与える者”の足跡が付いた部分の周りに、既に新たな緑が芽吹き始めている。鮮やかな黄緑色の小さな葉を眺めながら、彼は少し俯いて呟いた。
「私も、できればそなたのように生まれたかった」
“与える者”は彼に振り向いて、慰めるように言った。
「そう悲観しないでください。私も、無限に生命力を与えることができるわけではありません。あなたが焦土に変えた場所を辛うじて元の森に戻すことができる程度です。そして、それが終われば、私も眠りについてしまう……」
彼ははっとして“与える者”を見た。その顔に、少しばかりの寂しさが滲み出ていた。“与える者”も、自分と同じなのだ。そんな風に感じた。
「その……お互い大変なのだな」
言ってから、拙い言葉だと思った。彼は誰かを慰める方法など知らなかったのだから。それでも、“与える者”は寂しさを払い飛ばすように優しく笑って、彼に言った。
「分かっていただけて喜ばしい限りです」
「これで、全てですかね」
黒く枯れ果てていた森は、背の低い緑の絨毯に変わっていた。そんな風景を見るのは、彼にとって久々のことだった。この絨毯が、やがてはこの地を覆う森となる。またポケモンたちも戻ってくるだろう。そして、また何時か彼によって破壊され、“与える者”が再生の手助けをする。そうして、命は巡っていく。
すぐ隣を歩く“与える者”が、急に足を止めた。何も言わずとも、彼は悟った。もう終わりなのだと。
「久々にいいものを見せてもらった。礼を言わねばならない」
「いえ、お気になさらずに。私の気まぐれですから」
“与える者”は微笑んで、その場に腰を下ろした。
「では、私はこの辺りで休みます」
言い終わるか終らないかのところで、“与える者”の体が仄かな光を放ち始める。彼はその光を、拒まなかった。むしろ、拒む必要がなかった。その光が傍にいた彼の体を焼くことはなかった。“与える者”の姿が、森の中で見たような立派な木へと変わっていく。
「まだ聞こえているか?」
“与える者”が眠りについていないことを祈りながら、彼は木に語り掛けた。すぐに声が帰って来た。
「なんでしょう?」
“与える者”に起こされた彼のように、眠たそうな声だった。彼は意を決して、その言葉を口にした。
「――――――――」
暗い森の奥深くに、巨大な黒い繭があった。繭は時折心臓のようにドクンと音を立てて脈動する。その近くには、かつて誰も見たことのないような、仄かに輝く不思議な木が、繭に向かい合うように立っていたという。
*
以上が私の話だ。私は命を奪う者として、人間にもポケモンにも怖れられていた。実際、私はそのような能力を持っていたのだから、反論の余地もないな。ただ、私は自分の存在意義を自分で見出すことができなかった。“与える者”、あの者がいなければ、私は全てを恨みながら生き続けていたことだろう。創造の前に破壊あり、か。今考えてみれば確かにそうなのかもしれないな。
皆が言う死神とは、私のことなのかもしれない。だが、もっと別の存在を指しているような気もする。死神というよりは、自分で言うのもなんだが、破壊の権化とでもいった方がいいのかもしれない。死神とは――――
by No.717
イベルタル
はかいポケモン
・翼と 尾羽を 広げて 赤く 輝くとき 生き物の 命を 吸い取る 伝説の ポケモン。
・寿命が つきるとき あらゆる 生き物の 命を 吸いつくし 繭の 姿に 戻るという。
――――ポケモン図鑑より