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町はずれの小さな病院。その一室で、一人の青年がベッドに横たわっていた。
青年は原因不明の病にかかり、半年前から入院していた。医者には、最新の医療設備が整った大きな病院へ移ることを勧められたが、青年の家は貧しく、現在の病院で治療を続けるのがやっとのことだった。それでも諦めずに治療を続けてきた。
しかし、医者に告げられたのは、あまりにも残酷な運命だった。
「君の命は、持ってあと三日だ」
医者はいかにも申し訳なさそうな顔をしていた。だが、医者の宣告を青年は静かに受け止めていた。
実を言うと、青年には入院した当時から、死の予感があった。この病室で夜を過ごすたび、青年はある夢を見ていたのだ。
青年はどこか分からない、暗い畳敷きの床に敷かれた布団に、仰向けに寝転がっていた。枕元には、青年の頭の高さほどの小さな漆塗りの燭台が置かれていた。そこに置かれた蝋燭の橙色の光だけが、その空間を照らしていた。蝋燭は誕生日ケーキに立っているものを少し太く、長くした程度のもので、その先に灯った火は小さくちろちろと燃えているだけだった。何処からか風が吹いて、灯火が不安定に揺れる。消えそうになりながらも、何とか火は燃え続ける。しかし、蝋燭の淵は少しずつ溶けて、蝋燭の側面を伝って燭台の皿へと流れていく。青年は寝転がったまま、ただただその灯火を眺め続けるのだった。
青年は毎日のようにこの夢を見た。そして、そのたびに枕元の蝋燭が細く、短くなっているような気がした。
(ああ、これが俺の寿命を表しているのだ)
青年は怪談を信じる方ではなかったが、この時ばかりは何故かすんなりと信じることができた。それほどに予感じみた不吉な夢だった。
医者に余命を宣告されて三日目、つまり、医者の言う最後の夜に見た蝋燭は、あと数分で燃え尽きてしまいそうなほど小さくなっていた。先に灯った火も、最初に見た夢と比べて一層弱弱しく見えた。青年の周りはもうほとんど真っ暗だった。
心なしか、過去の風景がちらちらと目の前に映っては消え、映っては消えているような気がした。こういうのを走馬灯というのだと、誰かが言っていた。遠足に行くのに弁当を忘れて行って、泣きながら友達に分けてもらったこと。小学校に入りたてで、年上の体の大きな先輩に無謀にも歯向かったこと。中学生の時に見に行ったポケモンバトルの大会で、戦っていた相手のポケモンの技が自分の方に飛んできたこと。思い返してみれば、ろくな思い出がない。
(俺は、もう、死ぬのか)
夢の中で、青年は横になったまま思った。そのまま目を閉じようとして、辺りが少しだけ明るくなったことに気付いた。
ふと目線を上げると、枕元の蝋燭の辺りに青白い光が見えた。元々あった蝋燭のようなぼんやりした光だったが、元々あった橙色の光よりも大きく暗闇を照らしていた。
「君は……死ぬのが嫌?」
青白い光の中から、声が聞こえた。少し高い、少年のような声だ。
「どうなのだろう。俺は、死ぬのが嫌なのだろうか?」
声の主に問いかけるように、青年は言った。
「死にたいのか……死にたくないのか……それすらも分からないの?」
初めの声がまた尋ねた。ほんの少し静寂があって、青年は静かに語り始めた。
「そうだな……死にたいか死にたくないかでいうと、死にたくないのかもしれない。だけど、俺の体は病に蝕まれている。半年も前から分かっていたことなんだ。仮に生き延びたとして、俺の体がいつまで持つかは分からない。結局はすぐに死んでしまうのだと思うと、もう仕方がないのではないか、そう思うんだ」
「……ふーん」
最初の声は心底つまらなそうに言った。それから少し間をおいて、青年に尋ねた。
「もしも……まだ生き永らえることができるとしたら……あなたは生きることを望む?」
「……ああ、どうせなら、まだ生きていたいかな」
「じゃあ……理由を聞かせて」
「理由か……」
青年は小さな明かりに照らされた天井に目をやった。正直、自分自身のことでやりたいことは思い付かなかった。ただ、頭の中には一人の人間の姿が、ぼんやりと浮かんでいた。顔は分からない。だが、懐かしい感じがする姿だった。
「何故だかよく分からないんだが、俺を待ってくれている人がいるような、そんな気がするんだ。だから、生きてその人に会って、お礼を言わなければならない。そんな気がするから、かな」
青年が言葉を切って、再び静寂が訪れた。風はないはずなのに、蝋燭の先の炎がゆらゆらと揺れている。瞼が重くなってきたような気さえする。
(もう、駄目なのか)
青年が心の中でそう思った時、
「……諦めちゃだめ」
最初の声が静かに、青年の耳元で聞こえた。
「……ボクが分けてあげる。……君の大切な人から頼まれたから」
声が途切れて、次の瞬間、小さかった青年のいた空間を照らす光が辺りを真っ白に染めた。青年は眩しくて思わず目を閉じた。瞼の向こうからでも目を焼いてしまいそうな眩い光はすぐに収まり、瞼の裏は真っ暗になった。
青年は恐る恐る目を開けた。最初と何ら変わりない風景が、青年の目に飛び込んできた。違うところといえば、最初と比べて空間が明るくなったことだろうか。
仰向けのまま顔を上げると、最初にあった燭台の隣に、新たな燭台があった。そこには、葬式に使われるような立派な蝋燭が一本、蒼い炎を上げて燃えていた。その炎からは、火の放つ熱さではない、何かに包まれて見守られているような、優しい暖かさを感じた。胸につっかえていた何かが、無くなった気がした。
青年が目を覚ますと、いつもと変わらない真っ白な病室だった。違ったのは、枕元に色とりどりの折り鶴が連なった飾りが置いてあることだった。青年は体を起こして、千羽鶴を手に取った。一つ一つは軽いはずのそれは、ずっしりと重たかった。
死ななかった。ただそれだけのことだとそれまで思っていたことが、今は言葉では言い表せないような感情が胸の中を満たしている。
折り鶴を束ねた糸の先に、小さな紙がテープで留めてあった。そこには
“早く元気になってね”
と、可愛らしい文字で書いてあった。その文字が誰のものなのか、青年にはすぐに分かった。
青年は千羽鶴を掲げて、誰もいない虚空に向かって呟いた。
「ありがとう」
病院から真っ直ぐに伸びる道を、一人の少女が歩いていた。その肩には、蝋燭のような姿のポケモンが、青紫色の火を頭に燃やして乗っかっていた。
「おにいちゃんの病気、治るといいな」
まだ星が残る明け方の空へ向かって、誰にともなく少女は呟いた。
*
……これが、ボクのお話。ボクは誰かの生命力を吸って生きているなんて言われている。でも、ちょっと違う。ボクの元気の源は、誰かの命の輝きだから。いつもは誰かに輝きを分けてもらってる。だから、時々誰かに輝きを分けてあげる。持ちつ持たれつなんだ。ボクにとっては、誰かが笑顔で生きていてくれることが、一番嬉しいことだから……。
……あの子は、ボクをもらってくれた子。図鑑とかいうものに、ボクが生き物の生命力を吸って生きているって書いてあるから、ボクをもらってくれる人なんていなかったんだ。ボクと一緒にいてくれるっていってくれて、嬉しかったな……。
……あの子はいつもいつもあの青年のことを話してくれたんだ。……あの子の兄ではないけど、ボクがまだあの子の傍にいなかった頃に、よく遊んでもらっていたんだって。病気で入院してからは遊びに来てくれなくて、お見舞いに行こうとしても、親に反対されて。それで、青年に教えてもらった折り鶴を折って、渡してもらうことにしたんだって。人間の迷信に、折り鶴を千羽折って束ねると、願いが叶うっていうものがあるってことも教えてくれた。でも、僕には青年の命の火が見えた。それがあとちょっとで消えてしまうってことも。僕がああしたのは……あの子には笑顔でいてほしいから。ボクを受け入れてくれたあの子への、恩返しってやつなのかな……
……あの青年の病気は、あの後よくなったんだって。蝋燭はあげたけど、病気を治すようなことはしていないよ。これは、あの子が頑張って作った千羽鶴のおかげじゃないかな……
……最初にも言った通り、ボクは誰かの魂を燃やしたりはしないよ。だから、死神なんて言われるのはちょっと嫌かな……よく分からないけど、死神っていうのは――――
by No.607
ヒトモシ
ろうそくポケモン
・ヒトモシの 灯す 明かりは 人や ポケモンの 生命力を 吸って 燃えているのだ。
・明かりを 灯して 道案内を するように 見せかけながら 生命力を 吸い取っている。
・普段 炎は 消えているが 人や ポケモンの 生命力を 吸いとると 炎は 煌めく。
――――ポケモン図鑑より