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高い崖に囲まれた泉の畔。一年中花が咲き乱れ、深い霧の立ち込めるその場所に、その洞窟はあった。そこはあの世とこの世を繋ぐといわれる場所だった。入るたびに中の構造が入れ替わり、うまく進むと知らない世界への入り口に辿り着くといわれている。有名な学者の研究チームが何度も不可知の迷路に挑んでいるが、未だかつて誰もその入り口に辿り着いたものはいないという。噂が本当であるかのように、洞窟にはゴーストタイプのポケモンが数多く生息していた。
ある日のこと。泉を囲む崖の上から、一人の男が転げ落ちてきた。荷物は持っておらず、その顔は酷く痩せこけていた。男は体を起こそうとするが、腕に力が入らずその場に倒れ伏して気を失った。
その男は、この地方ではその名を知らない者はいない殺人犯だった。それまで何人もの人間を殺してきたが、ちょっとしたミスで警察に見つかり、死に物狂いでここまで逃げてきたのだった。
殺人鬼になる前、男は随分と貧しい生活を送っていた。それでも根は真面目で、必死で仕事を探し、どんなにきつい条件の仕事でも文句の一つも言わずに受けた。だが、それにも限界があった。少ない食事のせいか、男の体は日に日に痩せていき、力仕事を受けられなくなった。店の店員などの仕事を探したが、何処の職場へ行っても、イメージが悪くなるからといって、この貧相な身なりの痩せこけた男を雇ってくれなかった。理不尽な社会への怒りが頂点に達した時、男は家に置いてあった刃渡り十センチほどのナイフを手に取っていた。それが全ての始まりだった。
初めに、自分の雇用を断ってきた雇い主たちを順に殺していった。それが終わると、次は低賃金で重労働を押し付けた運搬業者や土木業者の社長や社員を殺した。復讐の相手がいなくなった時点でやめればよかったものの、最早手遅れだった。この時既に、男の中には殺人を『楽しい』と感じる心が芽生えていたのだ。男は手当たり次第、破壊衝動の向かうままに、出会った人々を切り殺していった。いつしか男は指名手配犯となり、男の人相書きがそこら中にばら撒かれるようになっていた。顔が割れれば通報されるのは分かり切っているため、迂闊に買い物や食事にも出歩けない。どうにかこうにか顔を隠し名前を誤魔化して生活を続けてきたが、殺した人間の資産を使えば足が付く。十分な食事も摂ることができない貧しい生活に何ら変わりはなかった。男の素性が明るみに出るまでに、そう時間はかからなかった。
どれくらい時間がたっただろう。男が目を開けると、自分の体が花の中に倒れているのを見た。驚いて辺りを見回すと、あろうことか男は宙に浮かんでいた。
(おいおい、幽体離脱ってやつか?)
男は自分の体に戻ろうとする。が、何度試しても上手くいかない。何か強大な力に阻まれているような、そんな感覚だった。
「諦めておくんなせぇ。あんたはもう戻れませんぜ」
背後から飄々とした声がした。男が振り向くと、美しい花畑にいるには何とも不似合なポケモンが、男の目線の先に浮かんでいた。頭に黄色いアンテナをつけ、顔と思しき場所には真っ赤な火の玉のような大きな一つ目。丸っこい体には顔のような模様がある。腕は太く、そして足は無かった。見るからに幽霊のようなポケモンだった。その幽霊から、奇妙なことに言葉が発せられている。
「あんたは死んだ。だからそうして、魂が肉体から離れちまったんでさぁ。あっしの言っていることが分かりやすか?」
男は初め、その幽霊が言ったことが理解できなかった。そもそも、幽霊の声が聞こえたこと自体に疑問を持っていた。幽霊の言葉が心に染み込んでいくうちに、状況を理解した実態を持たない男の顔が、真っ青に染まっていく。
「何だ、お前は?どうして、こんな、所に、いる?」
男はパニックを起こして、切れ切れに言葉を投げた。
「それはこちらが聞きてぇところでやんすよ、殺人鬼さん」
幽霊は相変わらず飄々とした態度で言葉を返してくる。顔に浮かぶ火の玉が、ゆらゆらと不気味に揺れている。その火の玉を見ているだけで吸い込まれそうな感覚がしたが、男は目を逸らすことができなかった。
「あんたはあっしらの仕事を増やしてくれたんでやんす。おかげでこちら側を彷徨う魂が多いこと多いこと。殺された奴の魂ってのは、大抵殺した奴への恨みとか、こちら側への未練とかでよく悪霊やら地縛霊やらになったりするんでやんす。そうならないように、あっしらがそういう魂を冥界に送ってるってわけでさぁ」
商売人のように手を揉みながら、幽霊が男に迫る。後ずさりをしようにも、男には自由に動く足がない。
「あんたもそういう危険分子の一人ですからね、連れて行かせていただきやす」
「た、頼む、み、見逃してくれ……」
感覚のない霊体を震わせながら男は空中で土下座のような姿勢をとって、幽霊に懇願した。あまりに滑稽な姿に、幽霊は声を押し殺して嗤った。
「おやおや、いいんですかい?あんたが殺した人間の魂、まだそこら中に彷徨っていやすが」
何のことか分からない男は、幽霊の言葉をただの脅し文句だと思った。だが、そんな思考をかき消すように、何処からか声が聞こえてきた。
『よくも殺したな……』
『お前も来い……』
『奈落へ来い……地獄に来い……』
『呪ってやる……』
『呪ってやるぅぅぅぅぅ―――――!!!』
一つどころではない。何十とも知れない、男や女の声が、頭の中に直接響いてくる。男は頭を抱え、おかしくなったように悶え続ける。それを見かねたのか、幽霊は男の肩を両の手でがっしりと支えた。男の頭の中で響いていた声が一瞬にして静まった。“助かった”と思ったのもつかの間、幽霊の顔の火の玉が怪しく揺らめいたかと思うと、真っ赤だった色が一瞬にして蒼く変わった。そして――――
幽霊の腹にある顔の模様の部分がぱっくりと裂けた。その光景は、まるで獲物を一呑みにする大蛇の口のようだった。
「や、やめろ……やめてくれぇぇぇぇぇぇぇぇ―――――――――!!!!!!!!!!」
声にならない絶叫が、静かな湖畔に響き渡って。
霧で真っ白だった男の視界は、一瞬にして暗闇の中に呑みこまれた。
数日後、洞窟の探検に来た研究チームが、泉の畔に倒れた男の死体を発見した。死んでからかなり時間がたったようで、死後硬直によって男の体は冷たく固くなっていた。その男の顔には、人間がこんな表情をすることができるのかと疑われるほど、醜く歪んだ恐怖が刻まれていたという。
*
と、これがあっしの話でやんすよ。いやぁ、こんな仕事を任されてると、よくああいう輩を相手にしなくちゃいけなくて大変でやんす。
何でこんな仕事をしているのかって?あっしの頭に黄色い丸っこいのが付いてるでしょ?ここがピクピク動いて、何処でどんな輩が死んだっていうことが伝わってくるんでやんす。話の中でもいいやしたが、死んだ人間やらポケモンやらの魂には、いいのと悪いのがいるんでやんす。いい方は放っておいても成仏するんでやんすが、悪い方はこっち側に残って、悪さをするんでやんす。そういう魂をまとめてあの世に送り届けることで、いい魂やこっちの住人が被害を受けないようにするためでやんすね。
あっしが死神?うーん、そう見えるでやんすか……確かに、こういう仕事している以上、そうでないともいえないでやんすが。でも、この殺人鬼みたいに、誰かの命を奪うなんてことはしないでやんすよ。あっしが思うに、死神と言うものは――――
by No.477
ヨノワール
てづかみポケモン
・頭の アンテナで 霊界からの 電波を 受信。 指示を 受けて 人を 霊界へ 連れていくのだ。
・弾力のある 体の 中に 行き場のない 魂を 取り込んで あの世に 連れていくと いわれる。
・この世と あの世を 行ったり来たり。 彷徨う 魂を 吸い込んで 運ぶと いわれ 怖れられている。
――――ポケモン図鑑より