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あるところに、小さな森があった。街と街を結ぶ大きな道から逸れた脇道の傍に木々が立ち並ぶ、静かな場所だった。当然のごとく、虫ポケモンや鳥ポケモンなどがここを住処としていたのだが、人々の間ではこんな噂が流れていた。
真夜中にこの森の前を通ると、白い死神が命を奪いに来る
この話を聞いた人々の一部はこの噂を信じ込み、昼であろうと夜であろうと、その森に寄り付かないようになった。だが、大半は、子供へのしつけのための嘘だとか、ばかばかしい迷信だとか言って信じなかった。実際に森の前を通った者が、化け物の笑い声が聞こえたとか、背筋が凍るような思いがしただとか、体から力が抜けていったという証言を発表していたが、信じようとする者は少なかった。
しかし、噂が流れ始めてしばらくたったある日のこと。噂を信じなかった大多数の意見は、ものの見事に裏切られることになった。
月明かりの照らす夜道を、一人の男が歩いていた。真っ黒なコートに身を包み、真っ黒な帽子を被って、真っ黒な革製の手提げ鞄を左手に下げた、背の高い男だった。よほど大変な仕事を遅くまでこなしていたのだろう。鉤鼻の下に立派な口髭を生やした男の顔は、憔悴しきっていた。このご時世に車も使わずご苦労なことだと思うかもしれないが、この男の自宅から職場までが歩いて三十分ほどという、車を使わなくとも行けなくもない距離だった。健康のためにと男は毎日歩いて自宅と職場を行き来していたのだ。この男もあの逸話を知ってはいたが、普段はそれほど遅くまで働くことはないため、気に留めることはなかった。
道の途中にある森の前を通りかかった時だった。いつも通りの道を、いつも通りのペースで歩いていた男は、はたと足を止めた。誰かに見られているような感じがして振り返る。が、振り向いた先には誰もいない。この時間にこの場所を通る者はこの男くらいしかいなかったため、何かの思い違いだろうと思い、男はまた歩き始めた。
すると数秒後、男の背筋を冷気が駆け上がった。もう夏の兆しが漂い始めた時期だというのに、それはおかしな感覚だった。男は薄手ではあるがコートを羽織っていたため、尚更不自然に思えた。男は辺りを見回すが、誰かがいるような様子はない。
ふと目を止めた自分の影が、にやりと嗤ったような気がした。男は咄嗟に持っていた鞄を自分の影に叩き付けた。べしゃりと音がして、鞄が地面にぶつかる。手応えはそれだけだった。土に汚れた鞄を手に、男が恐る恐る自分の影に目を落とすと、別におかしな所のないただの影だった。
思い違いだろうか?男は踵を返して再び歩き始めて、すぐに足を止めた。先ほどと比べて、明らかに体が重く感じたのだ。それどころか、体中から力が抜けていく感じがする。
得体のしれない何かに怯えながらも、男はズボンのベルトに固定されたモンスターボールを一つ掴み、空中に放る。ポンと少し間の抜けた音がして、全身が固い皮膚に覆われた土色のポケモン、サンドが姿を現した。
「さ、サンド、私の影に“地鳴らし”だ」
震える声で男が命じると、サンドは月明かりに伸びる男の影に向かって思い切り殴りかかった。サンドの攻撃が男の影にぶつかる一歩手前で、何かが男の影から飛び出して、サンドを打った。その何かはサンドが怯んだ隙に、また男の影に潜り込む。男はもう一度地鳴らしを命じるが、同じように不意打ちを食らってサンドは思うように攻撃できない。
諦めたように舌打ちをしてサンドをボールに戻して別のボールを掴もうとする男を、その何かは影の中で嗤いながら眺めていた。ふと、男の目と、男の影に潜む何かの目があった。
途端に、真っ白な何かが男の影から飛び出し、男に迫る。男の顔に、恐怖の色が刻み込まれる。それから糸が切れたかのように意識を失い、その場に仰向けに倒れた。その白い何かは、倒れた男の頭のあたりに立って、朝日が顔を出すまで男の顔を覗き込んでいた。その顔には、男の顔とは対照的な、優越感に浸った笑みが刻まれていた。
その翌日、一人の男が道端で倒れているのを、たまたま通りかかった旅人が発見した。男の命に別条はなく、眠っていただけだった。だが、男の体温は著しく低下しており、眠っている間も終始ガタガタと震えていた。目を覚ましたその男に警察が事情を聞くと、男は震えながら、
「し、死に神だ。真っ白な死神が私を……」
と、終始怯えた様子で答えたという。
*
というのが俺の話さ。飛び出した拍子に催眠術をかけてやったんだが、眠りにつく前に気を失いやがった。どれだけ心臓が小さいんだっての。ついでに悪夢を見せてやったら、気絶してるのにビクビク動き回って。あれは滑稽だったなぁ。
それにしても、ちょっと驚かせようとしただけで死神なんて言われるのは心外だな。どこぞの博士が作った図鑑には、『命を奪おうと決めた獲物の影に潜り込みじっとチャンスを狙っている』なんてふざけたことが書いてあるらしいが、別に命が欲しくて夜中に人間を襲っているわけじゃない。人間が「退屈だ」という感情を抱いて、それを払拭するためにポケモンを戦わせたり体を動かしたりするように、俺たちポケモンも退屈だなんて考えたりすることもある。人間の驚く顔、そしてほとばしる恐怖というエネルギー。これほど俺たちを高ぶらせてくれるものはない。驚かすことが相手の寿命を縮めているのは否定できないけどな。
だが、最近の人間はどうも驚かし甲斐がない。背筋を冷やしたり、体力を吸い取ったりしてやっても、「風邪ひいたかな」で済ませちまうし、驚かそうと物陰から飛び出しても、驚く顔一つしねぇ。おまけに、そいつらの手持ちのポケモンときたら、妙に戦い慣れていやがる。まぁ、そういう奴らと戦えるってのはなかなか楽しいことであるわけだが。
俺は闇に姿を潜めるのには向いていない。というのも、俺の種族はみんな濃い紫色の体をしているんだが、俺だけは何故か真っ白なんだよ。何だか、よくある幽霊みたいだろ?実際にゴーストタイプだからいいんだけどな。俺を見た奴らは、俺のことをこぞって「白い死神」って言ってやがった。普通死神は黒だろうってのは、俺の先入観ってやつなんだろうか?「白い死神」ってのも、慣れちまったら何も気にすることはなかったけどな。死神ってのはいい過ぎだと思うなぁ。
最後にこれだけは言っておくぜ。俺は死神なんて大層な奴じゃない。命を刈り取るとか、死んだ者の魂を冥界に送るなんてことは、俺の専門外の話だ。死神というのはもっとこう――――
by No.94
ゲンガー
シャドーポケモン
・山で 遭難したとき 命を奪いに 暗闇から 現れることが あるという。
・満月の夜 影が 勝手に 動き出して 嗤うのは ゲンガーの 仕業に 違いない。
・突然 寒気を 感じる時 ゲンガーが 近くにいる。もしかして 呪いを かけるかも しれない。
・周りの 熱を 奪っている。突然 寒気が するのは ゲンガーが 現れたからだ。
・命を 奪おうと 決めた 獲物の 影に 潜り込み じっと チャンスを 狙っている。
・夜中 人の 陰に 潜りこみ 少しずつ 体温を 奪う。ねらわれると 寒気が 止まらない。
・真夜中 街頭の 明かりで できた 影が 自分を 追い越して いくのは ゲンガーが 影に 成りすまして 走って いくからだ。
・物陰に 姿を 隠す。ゲンガーの 潜んでいる 部屋は 温度が 5度 下がるといわれる。
・部屋の 隅に できた 暗がりで 命を 奪う タイミングを ひっそりと 窺っている。
・暗闇に 浮かぶ 笑顔の 正体は 人に 呪いを かけて 喜ぶ ゲンガーだ。
――――ポケモン図鑑より