01
ここに一枚のカードがある。
あなたはそれを確認してもよい。もしくは、確認せずに山札に戻し、引き直してもよい。ただし、一度だけ。引き直したカードは、表にして確認しなければならない。もう一度戻して、なんてことは考えてはいけない。そういうルールだからだ。
引いたカードに書かれたものが、あなたの運命を表している――かもしれない。ただそれだけのこと。だからといって、カードの絵柄が表すものを、必ずしも信じろとは言わない。ましてや、暗示された通りにすれば、必ず何かが起こるというわけでもない。これはあくまで占い。星の動きも、サイコパワーも、過去も未来も関係ない、ただのまやかし。そうと知っていても、人は何かにすがらずにはいられないらしく。私が裏道でこんな稼業を続けていられるのも、そういう客があってこそのことなのだから文句は言えない。ただ、外れたからといって私を恨まないように言ったところで、恨む恨まないはこれまた人の勝手。私の意志と知覚の外側で動くことに関して、干渉することはできないわけで。できるとしたら、よほど強い意志の持ち主か、よほど強いサイコパワーの持ち主か、よほど強い権力の持ち主か、気まぐれで世界を崩壊させてしまいかねない力を持つ神々か。まあ、十把一絡げにするのは失礼かもしれないが、何かしらの「力」を持っている者くらいだろう。その考えでいけば、この世界に住む誰だってそんな力を持っているような気もしないでもない。
卓の横でじっと立っているネイティオは、私の手持ちのポケモンではない。言ってみれば雰囲気を出すために立っていているようなものだ。過去と未来が見えるというポケモンが傍に立っていれば、それだけで説得力があろうもの。これはあくまで私のエゴであり、ネイティオ自身がそうしたいかどうかは定かではない。実際、動かずにじっと立って目の前の壁を見つめているだけなのだから退屈しそうなものである。しかし私がいいと言っても動かないので、まあ問題ないのだろうか。それとも、こんな稼業で銭を稼ぐ私を憐れんでいるのであろうか。モンスターボールで捕獲したわけでもないネイティオが私の傍にずっといるというのもおかしな話であるが、そのおかげで私は何とか食いつないでいるらしいから何も言えない。私はネイティオに感謝している。そういうことにしておく。
本当のところは、ネイティオは何かを見ているのかもしれない。瞬き一つしていないように見えるその瞳には、誰かの過去と未来を映し出しているのかもしれない。しかし、私にそれを知る術はない。昔、四角い箱の中で見たネイティオは、割と低い声で鳴いていた気がする。だが、今私の傍にいるネイティオが鳴いているのを、私は聞いたことがない。私がこの場所に卓を構え始めてから、荷物を畳んで住処に帰るまで、鳴くことはおろか身動き一つ取らない。私がいない間に動いているのかどうかは定かではないが、夜が明けて私がこの場所に戻ってくると、いつもそこにいる。
ネイティオが私の傍にいる、と言ったが、実際は私がネイティオのいた場所に来ただけなのかもしれない。馴れ初めがどうとかいうことは、てんで覚えていないが、このことを論じるのはタマゴが先かポッポが先かという話になりかねない。私が占いを始めて、気づいたときにはそこにネイティオがいた。そういうことにしておく。
私の占いにはいくつかルールがある。
まずは最初に述べた通り、カードの引き直しは一度まで。それも、引いたカードを確認する前でなければならない。確認して戻すのは、先述のルールに抵触するからであるが、これも何度も何度も戻して引き直していては、きりがないからである。ある程度制限を設けた方がよいと思ってそうしているだけなので、占いに影響を及ぼすかどうかは定かではない。実際、何度引き直したところで、あるカードを引く確率は枚数分の一である。ならば最初か、その次でぱっと決めてしまえばよい。
次に、決して自分を占ってはいけない。自分が占術師なのだから、誰かに占ってもらわずとも、自分で占ってしまえばよいではないかと思うのだが、そうもいかないらしい。こればかりは、私が定めたわけではなく、古くから決まっていることらしかった。実際、自らの未来を占った占術師たちが悲運の死を遂げたという話はよく聞く話である。ただ、これも眉唾物で、自分を占ったからと言って必ずしも悲運に見舞われることがあるというわけではないと私は思っている。私は律義に守っているが、もしもあなたが占術を始める場合は、信じるもよし、信じないもよし。あなたの思う通りにやってもらえばよいだろう。
最後に、決して嘘をついてはいけない。カードが表す物事を、占った相手にちゃんと伝えなければならない。これは占術を行う上でも、占術を商売とする上でも大切なことだ。それが良い結果であれ悪い結果であれ、結果は結果。ただし、一つの絵柄を取っても様々な解釈があるので、伝え方も受け取り方も人それぞれだったりする。そんなことを言ってしまえばそれまでであるが。
やっていることだけ見れば、奇術師と何ら変わりはないかもしれない。しかし、一緒にしては奇術師に失礼である。奇術師はカードを操るプロであり、私はアマチュアと呼ぶことさえおこがましい素人。裏向きにしたカードを一枚選んで場に伏せ、それを開くか、引き直すかを選んでもらうだけである。何年も続けていれば多少は扱いに慣れることはあれど、狙ったカードを引かせる、なんて類のことはできやしない。
だからこそ、その日訪れた客に、私は困り果ててしまった。
客は二人組だった。一人は杖を突いた、華奢な細目の若者。もう一人は、金髪碧眼の容姿端麗な男。片手には高級そうな革製の手持ち鞄が握られていた。二人とも、きれいに整えられた、高級そうな服を着、ピカピカに磨かれた高級そうな靴を履いていた。こんなに身なりの良い客が、こんな路地裏の占い屋に来るのは、初めてかもしれない。金髪の男は堂々としていたが、華奢な若者はどこか窮屈そうに見えた。
宅の前で立ち止まった金髪の男が、手帳を取り出した。それを開き、あるページを私に見せた。
開かれたページにはこんなことが書いてあった。
『声を出さずに読んでください。』
『以降、私との会話は、筆談でお願いします。』
「さあ、着きましたよ。占い屋なら大通りにもっとちゃんとしたのがあるでしょうに」
私が手帳の文字を読んでいる間に、男は大声で若者に喋りかけていた。随分な皮肉であるが、確かなことだから言い返しはしない。ここよりも目立つ場所や治安のよい場所にも、よい占術師はいる。だが、なぜ私に筆談を要求したのだろう。私がノートから顔を上げると、華奢な若者が口を開いた。
「よろしくお願いします」
細められた眼は、焦点が定まっていなかった。目が見えないのだと、すぐに分かった。
男がノートを渡したのは、この若者に知られたくないことがあるからなのだろうか。
私は音をたてないようにページをめくった。
『この方に、明るい未来を示してください。』
『この方は、人生に絶望しておられる。いつまでも目を閉じたまま、開こうとしません。』
『明るい未来を示して、この方の目を開かせてやってください。』
なるほどそういうことか、と私は思った。
金髪の男は、若者の従者か何かだろう。髪の色も目の色も違うから、血の繋がりはないと思われた。大方親に頼まれて何とかしようともがいた挙句、こんなところまでたどり着いてしまったのだろう。あんな皮肉を言われるのも仕方がない。
お約束はできかねます、と私は書き込んだ。先に述べた通り、私にはカードを操る技術はこれっぽっちも備わっていない。それに、いくら相手の目が見えないからと言って、イカサマをするのは憚られる。
怪訝そうな顔をして、男は手持ち鞄から布袋を取り出した。机には置かず、私の手に直接握らせた。袋には手帳の切れ端が張り付けてあった。私が渡された手帳と同じものだった。
『これは前金です。依頼通り占っていただければ、事後に同じだけ支払います。』
重さからしても、袋の隙間から見える輝きからしても、明らかに破格の金額だった。
私が突き返そうとしても、男は決して受け取ろうとはしなかった。それどころか、逆に突き返して私を睨んだ。金は払ったのだからとっとと占えと、そういうことらしかった。
仕方なく、私はいつも使っているカードを入念にシャッフルした。そして、山札の上から一枚取って卓に伏せた。
「ここに一枚のカードがあります。あなたはそれを確認してもよいですし、確認せずに山札に戻し、引き直しても構いません。ただし、引き直しは一度だけ。引き直したカードは、表にして確認しなければなりません。さて、どうしますか?」
ここですんなりと決める者と、さんざん悩んだ挙句に決める者とに分かれる。どちらであっても、よい結果が出ることもあれば悪い結果が出ることもある。
「そのままで」
若者は一寸の迷いもなく答えた。
「あなたが選んだカードは――」
表にしようとした瞬間、音もなく振り下ろされた手が、私の手を止めた。金髪の男の手だった。
絵柄が見えてしまったのだろう。それをめくるなと、そう言っているようだった。
「どうしたのですか。占いの結果を教えてください」
若者が言った。男は首を横に振った。それ以前に、私の手は男に取り押さえられて動かせない。卓の横に立つネイティオに目を向けるが、ネイティオは相変わらず壁を見つめてまっすぐに立っているだけ。
「隠さなくて構いません。私には、わかっています。ハワードがやめろと言っているのでしょう」
男は息を飲んだ。私の手を抑える力が緩んだが、私はまだカードを裏返せずにいた。
私と男の視線と意識は、目の見えない若者に向けられていた。
「世の中にはね、見えなくてもいいことがたくさんあるんです。そういうことは、きまって嫌でも目に入ってくる。だから私は目を閉じたんです。でもね、閉じたら閉じたで、余計に感じなくていいことを感じてしまうようになったんです。例えば、見えないはずのものが見えたり、聞こえないはずのものが聞こえたりね。私は伏せられたカードが何か、そしてそのカードがどんな意味を持っているか、わかるんです。何なら当ててみましょうか? そのカードは――」
「もう結構です」
男は若者を無理矢理立たせ、大通りへ続く道へと手を引いた。若者は抵抗しようとしたが、すぐに力負けして引っ張られていく。
「これはお返しします」
私は二人を追って、男に金の入った袋を差し出した。男が素早く袋をひっつかむよりも先に、若者の手がそれを押しとどめた。
「結構です」
「しかし、結果をお伝えしていません」
「あなたは言われた通り占ってくれた。断ったのは身内の意思ですし、あなたはそれに従っただけ。私はそれらに対価を支払わねばなりません」
「カードは開かれていない! あなたの言ったことが、ただの妄想でしかないかもしれない!」
男が大声でがなった。若者と私の手の間で、金の入った袋がじゃらりと音を立てた。
「そうまでして運命を捻じ曲げる気はありませんよ。誰しもいずれは死にゆく定め。それが早いか遅いか、ただそれだけのことです」
若者は私の耳元に寄って、小さく呟いた。
「
死神の正位置。そうでしょう?」
まるで目が見えているような所作に、私はしばし立ちすくんで動けなかった。
路地裏を去る二人の背中を、ただただ見送っていた。
二人がいなくなった後、路地裏には閑散とした空気が戻ってきた。大通りの喧騒など似合わない。本当にあの二人がやってきたのかどうかもままならない。手に持った袋の中で鳴る音が、夢ではないと私に告げていた。
「ネイティオ、あの人の言ったことは本当か?」
卓の隣に立つネイティオに尋ねてみた。が、反応はなかった。ネイティオはいつも通り、目の前の壁を見つめたまま動かない。本当は占った若者についての未来を見たのかもしれないが、ネイティオの言葉や心を理解する術を持たない私には知りようのないことだった。
卓に伏せられた一枚のカードを、私は表にすることができずにいた。
とても簡単なことだ。いくら私が奇術師ではないとはいえ、一秒あればできることだ。しかし、できなかった。占った相手が目の前にいない以上、その結果を自分だけが知ることは、赦されないような気がした。そんなルールはない。ないけれど、やはり裏返すことは躊躇われた。そしてそれ以上に、あの若者が言った通りのカードだったら、という恐怖心が私を支配していた。カードの枚数は限られている。偶然に当たることだって、ないわけじゃない。しかし、たくさんあるカードのうちの一枚、しかも向きまであっているとなると、途方もない確率だ。しかし、その可能性がありうるからこそ私は怖れを抱いた。ここで本当に死神の正位置が出たなら、私は死の運命を占ったということになるのだ。それを信じる信じないは別にして、悪い結果が出てしまったらという気後れがないわけではなかった。
それまで動かなかったネイティオが、こちらに顔を向けていた。正確には、私のことなど見てはいなかった。ネイティオはただ、卓に伏せられた一枚のカードを凝視していた。
ネイティオは閉じていた翼を広げ、小さく羽ばたいた。咄嗟に抑えようとした私の手をすり抜けて、カードはふわりと宙に浮いた。そこに描かれた絵とカードの向きを見て、私は息をのんだ。
巨大な鎌を持った黒ローブの絵柄が、その頭を地面に向けていた。死神の逆位置だ。若者の予言は、半分当たりで半分外れだったのだ。
「おい、これ本当にこの向きだったか?」
私は再度ネイティオに尋ねた。ネイティオはいつの間にか元の位置に戻っていて、いつも通りに向かいの壁をじっと見つめていた。
今の羽ばたきで、たまたま向きが変わっただけかもしれない。しかし、私の目の前で、カードは確かに向きを変えず裏返った。それがただただ信じられなかった。
結果を伝えなければならないと、私は大通りに向かって駆け出した。しかし、道行く人の顔をくまなく探してみても、あの二人は見つからなかった。
ここに一枚のカードがある。
あなたはそれを確認してもよい。もしくは、確認せずに山札に戻し、引き直してもよい。ただし、一度だけ。引き直したカードは、表にして確認しなければならない。もう一度戻して、なんてことは考えてはいけない。そういうルールだからだ。
さて、どうする?
あなたはこのカードを裏返す?
山札に戻して引き直す?
それとも、最初のカードが出された時点で、占いをやめて引き返す?
どうするかは、あなた次第。