9.深淵
空を飛んでいた。
否、落ちているといった方が正しかった。飛ぼうにも、力が入らなかった。あったはずの場所に、翼がない。翼を作ろうにも、思ったように体が機能しない。ただただ、何かに引っ張られるように、緩やかに落ちていった。
やがて、地面に辿り着いた。不時着したのだが、不思議と落下の痛みはなかった。思っていたよりも随分と、ゆったり落ちてきたようだった。
辺りは真っ暗だった。真っ暗な中に、何かがいるのが見えた。
ぼくはゆっくりと体を起こし、ぎこちない足取りでその何かの方へ向かった。
そこにいたのは、「ぼく」だった。
正確には、「本当のぼく」と同じ姿をした「何か」だった。
「何か」はそこにうずくまり、じっとしていた。
何かを待っているようにも、何かに怯えているようにも見えた。
ぼくは近づいて、「何か」に手を差し伸べた。
「何か」は顔を上げた。不思議そうな顔で差し伸べた手を握る「何か」を、ぼくは引っ張った。へたった「何か」の体が形らしきものを取り戻す。
少しだけしゃっきりした「何か」に、ぼくは両の手を広げて見せた。実際には、少し体を横に伸ばしただけだった。それでも、「何か」はぼくの意図を汲み取ってくれたらしい。
ぼくと「何か」は互いに歩み寄り、抱擁を交わした。
次の瞬間、ぼくの体に光が宿った。
閃光が辺りを満たし、ぼくはあまりの眩しさに目を閉じた。ようやく慣れてきた目をゆっくりと開くと、そこにはもう、「何か」は存在しなかった。代わりに、ぼくはぼくの持つ力を取り戻していた。
長い間借りた姿へと形を変える。体が馴染んでいくのがわかる。随分と長い間、この姿から離れていたような感じがした。
さあ、もう行かなきゃ。ぼくは決意を胸に翼を広げた。