ぼくの空
8.火山地帯の空
 空を飛んでいた。
 そこかしこから煙が吹きあがる火山地帯を、ゆっくりと飛んでいた。火口から噴き出す火山灰が、汗ばんだ体に張り付いて気持ちが悪かった。下手に息を吸い込めば、火山灰が肺に入ってしまう。呼吸をするのも一苦労だった。
 注意しなければならないのは、火山灰だけではなかった。時々、いや、度々、噴き上がった火山弾が降ってくるのだ。空を飛ぶ身として、翼を傷つけるのは避けたかった。飛んでくる岩の恐怖は、暴風域で身に染みている。常に火山の動きに気を配りながら飛ばなければならなかった。

 誰も生きてはいけないのではないかと思うようなこんな場所にさえ、生き物はいた。黄色い目の火蛞蝓が這っていたり、黒い竈を背負った亀がのそのそと歩いていたりした。みんな熱さや打撃に強いやつらばかりだ。場所が場所だけに、当然といえば当然なのだろうけれど。その中でもひときわ大きな、棘のある甲羅を背負った爆亀と目が合った。
「飛ぶのはやめて降りてきなされ。そろそろ噴火が起こるでな」
 爆亀が言った。しわがれた、それでいてよく通る声だった。
「どうして? 今は随分と静かだよ。それにぼくは急いでいるんだ」
「長い間ここで暮らしていると、徐々に「わかる」ようになってくるものさ。さあ、早く降りてきなさい。安全な場所へ案内しよう」
 爆亀の声に、悪意は感じられなかった。ぼくが降りて行ったところで、彼に襲われることはないだろうと思った。だが、同時にぼくは焦ってた。一刻も早く、この危険な場所を去りたかったのだ。
「忠告ありがとう。でも、ぼくはもう行かなきゃ」
 地上の爆亀に手を振り、ぼくは全速力で飛び立った。早く。早く。本能がそう告げている。火竜もこんな場所に住んでいたのだろうか。
「何をそんなに生き急ぐのか……」
 随分と引き離したはずの、爆亀の呟きが聞こえた気がした。

 視界が揺れている。ぼくがふらついているわけではない。地面が揺れていた。
 火山から十分に距離を取ったところで、ぼくは地面に降り立って火口の方を見た。
 赤く燃える溶岩が、空高く噴き上げられた。黒い火山灰は煙となって立ち昇り、雪のように降り注いでいた。あの場所にいたら、生き埋めになってしまったかもしれない。ほっと胸を撫でおろした。
 突然地面が揺れ、足元から熱いものが噴き出した。
 溶岩だ。なんでこんなところに。考えるまでもなく突き上げられたぼくは、咄嗟に翼を広げて地面を蹴った。それがまずかった。再び地面から溶岩が噴き出した先に、ぼくの翼があった。
 熱いなんてものではなかった。痛い。痛みで翼がうまく動かせず、バランスを崩したぼくは地面に叩きつけられた。もう飛び立つことはできそうもなかった。
 早く、ここから離れなければ。そう思っても、今の姿は速く走れるようにはできていない。姿を変えようにも、火傷した部分の組織が変形できなくなっていた。
「助けてくれ!」
 ぼくは声一杯に叫んだ。誰も来てくれない。
「助けてくれよ!」
 喉が枯れそうなほどに叫んだ。誰かがいる気配はする。けれど、近づくどころか遠ざかっている。
 こうしている間にも、火山弾がぼくの体を穿っていく。その大きさも痛みも、暴風域の時の比ではない。熱さには強いはずだが、打撃にはその限りではなかった。
「助けろよ!」
 それが虚しい叫びであることは、自分でもよく分かっていた。自分の身も危ない状況で、他の誰かを助ける余裕なんてない。当たり前だ。
 暴風域の海龍は、自らの身を守れる程度に、多少傷ついても安定して飛び続けられる程度に強かった。そして、ぼくにはその強さがなかった。今このあたりにいるかもしれない誰かにも、ぼくを助けて自分も無事でいられる余裕などないのだろう。ただそれだけのことだった。
 爆亀の忠告を聞いていれば、こんなことにはならなかったはずだ。後悔したところで遅かった。
 意識が遠のいていく。やりきれなさばかりが募っていく。
 ぼくはまだ飛ばなければならないのに。
 ぼくの帰るべき場所まで、飛んでいかねばならないのに。

 ひときわ大きな火山弾が、動けないぼくを穿った。
 炎が消えていくのが分かった。分かっていても、どうしようもなかった。
 痛みに声を上げる事さえできずに、ぼくの目の前は真っ暗になった。

円山翔 ( 2020/02/29(土) 21:37 )