ぼくの空
7.砂漠の空
 空を飛んでいた。
 辺り一面の砂色の丘を、風に乗って飛んでいた。時折吹き荒れる砂嵐が、目や翼に当たって痛かった。あまり長い時間飛んでいたい場所ではなかった。
 気が遠くなり始めた時、視界の向こうに砂以外の色が飛び込んできた。オアシスだ。少ないが、水も緑もある。休むにはもってこいの場所だった。
 早く休みたい。傷ついた体を癒したい。しかし、進んでも進んでもオアシスには辿り着かなかった。今見ているのはただの蜃気楼で、本当のオアシスはもっとずっと先にあるのではないかと思い始めた。
 不安は杞憂に終わった。焦る思いが、到着までの時間を長く感じさせているのだろう。水辺に寄って、手を差し入れてみる。ちゃんと冷たい。幻などではなさそうだった。喉を潤し、体を横たえようとした時、突然空が暗くなった。日が陰ったわけではなく、ぼくの周りだけが暗くなった。体に黒い痣がある火竜だった。
 火竜はぼくに襲い掛かってきた。同じ姿をしているから、闘争心を掻き立てられたのかもしれない。
 冗談じゃない。ぼくに戦う気なんてものは一ミリも存在しなかった。
 ぼくはすんでのところで突進を躱した。火竜は地面すれすれで上昇して、墜落を免れた。このまま地面にいては格好の的になってしまう。ぼくは砂を巻き上げながら飛び立った。ぼく目がけて炎が飛ぶ。これも避ける。避けたところで息を呑んだ。目の前に火竜がいる。はめられたのだ。
 生憎、ぼくには戦いの才能がない。パワーもスピードも技の威力も、どう足掻いても敵わない。すぐに押し倒されてしまった。
「やめろ」
 低い声がした。頭の中に直接響く声。
 人型のポケモンが、空から音もなく降りてきた。ぼくを抑える力が緩み、火竜がぼくから降りてこうべを垂れた。
 一目見て分かった。明らかに、他の生き物とは違う。迫力も、内に秘めた力も、何もかも。どう足掻いても敵わない。火竜を相手取った時以上にそう思った。
 人型の周りには、他にも多くのポケモンがいた。種を背負った蛙、巻き尻尾の亀、赤い頬の電気鼠……みんな、体のどこかに痣があった。
「お前は誰だ」
 人型のは尋ねた。
「ぼくはぼくさ」
 ぼくは答えた。それ以外に答えようがなかった。
「確かに、お前はお前だ。だが、なぜその姿をしている」
 見透かされているようで、気分が悪かった。だが、答えられない。その問いに対する回答を、ぼくは持ち合わせていない。
「お前は偽物だ」
「ぼくはぼくだって言っただろ。偽物じゃない」
 意地を張って答えると、人型のポケモンは静かに目を伏せた。これ以上の話し合いは無意味だとでも思ったのだろうか。ぼくが飛び立とうとすると、「まあ待て」と人型は言った。
「私も、ミュウというポケモンの偽物なのだ。最強のポケモンとなるべく、人間に作られた身なのだ。偽物でも、生きている。このポケモンたちもそうだ。私が作りだした偽物だ。だが、生きている」
 痣のあるポケモンたちを手で示しながら、人型は言った。「生きている」の部分に、力がこもっていた。
「そして、お前もそうだ。偽物だが、生きている」
「ぼくは偽物じゃない」
「本物か偽物かは問題じゃない。私も、コピーたちも、そしてお前も、生きているのだ。姿など関係ない。お前はお前の命を大事にすることだ」
 言って、人型は空を見上げた。釣られてぼくも空を見た。ぼくには何も見えなかったけれど、人型はそこに何かを見ているようだった。
 同じ姿になれば、見えるのだろうか。姿を変えようとして、やめた。たとえぼくが人型の姿をとったとしても、その体はぼくのもので、人型のものではない。人型にしか見えないものが、ぼくの目に映るはずがないのだから。
 視線を下ろした人型が、ぼくに尋ねた。
「お前には、お前の行くべきところがあるのか」
「そうだ。今までずっと、そのために空を飛んできた」
「私たちは生きる場所を探して旅をしている。他の者に干渉されぬ場所を。それぞれが生きたい場所を」 
 人型の体から、力が発せられるのが分かった。誰かを傷つける力ではない。優しく包み込み、運ぶ力。痣のポケモン達の体が光り、浮き上がる。優しく、かつ強力な「サイコキネシス」だ。
 ああ、もう行ってしまうのか。そう思うと、ぼくはどうしようもなく、これから去り行く者たちを引きとめたくなった。しかし、それをしてはならないことは分かっていた。引き留めるということは、そこに縛り付けるということだ。尤も、引き留めようとしたところで、ぼくは返り討ちに合うだけなのだろうけれど。
「もう二度と会うことはないだろう。だが、私はお前のことを忘れない」
 人型のポケモンが、最初に飛び立った。続いて痣のあるポケモンたちも、みんな飛んで行ってしまった。みんなが空の果てに見えなくなるまで、ぼくは見送り続けた。一番最後に、ぼくに襲い掛かってきた火竜が、こちらへ向かって手を振っていた。
 
 ひとりに戻って、改めて飛んでいったポケモンたちに想いを馳せた。行くべき場所が分からないからこそ、彼らは安住の地を探しているのだ。彼らには、安息の地がまだない代わりに自由がある。一つの場所に囚われない、自由がある。そう考えると、ぼくは帰るべき場所に縛られているのではないかと思ってしまう。
 その場所を思い出そうとした。残念ながら、その風景は浮かばなかった。
 ぼくが帰るべき場所など、本当にあるのだろうか。
 不安に駆られるぼくの目の前を、見えない何かが通り過ぎていったような気がした。

円山翔 ( 2020/02/28(金) 21:32 )