6.暴風域の空
空を飛んでいた。
風の強い場所だった。ちょっとでも気を抜けば、どこへ飛ばされるか分かったものじゃない。それに、そこかしこから大きな岩が飛んで来るこの場所を、無傷で飛ぶのは難しそうだった。風の流れを読み、岩を避け、とにかく常に周りを気にしていなければならないので、いつも以上に神経がすり減ってしまいそうだった。
がつん、と嫌な音がした。痛い。そう感じる前に、目の前の景色がぐるぐると回り始める。自分が落ちていると気付くのに、随分と時間がかかった。がつん。今度は腹に鈍い痛み。がつん。必死に動かそうとした翼にも。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い……
誰かがぼくの手を、がっしりと掴んだ。
失いかけた意識が、一気に引き戻された。
丸っこくてたくましい体に、橙色の鱗。頭には小さな突起と二本の触覚。紛れもなく、それは海龍だった。
海龍は僕の手を握ったまま、スピードを上げた。吹きすさぶ風を、飛んでくる岩をすり抜けて進んでいく。躱しきれない岩が何度かぶつかりそうになったけれど、そのたびに海龍が破壊光線や龍の息吹などで叩き落とした。おかげで、ぼくには岩も、砕けた破片も、一切当たることはなかった。
降り注ぐ岩は、海龍にとっても致命的なはずなのに。いくら海龍の力が強いと言えども、怪我をしたぼくはお荷物でしかないはずなのに。海龍はぼくの手を離そうとはしなかった。身を挺して岩を打ち砕く海龍の瞳に、迷いの色はなかった。
「どうして、助けてくれたの?」
ぼくが尋ねると、海龍は前を向いたまま悲しげな顔をした。
その黒いつぶらな瞳を見て、ぼくは悟った。
この海龍にとって、誰かを助ける理由など存在しないのだ。助けたいと思ったから、あるいは、自分でこんなことを言うのはおこがましいけれど、助ける価値があると思ったから、そうしたのだ。たとえ本当はそうでなかったとしても。ぼくが海龍に対して利ではなく害をもたらす存在だったとしても。海龍は自らの信念を貫き通しただろうと。
海龍は、目に映るもの全てに価値を見出している。ぼくが「なぜ」と問うことは、海龍が見たぼくの価値を否定したことになるのだ。だからこそ、海龍は傷ついたのだ。
「ごめん」
とぼくは呟いた。海龍は気にするな、とでもいうように一声鳴いた。
自己中心的な奴だと思った。自意識過剰なやつだとも思った。
同時に、この海龍は本当にいい奴なのだ、とも思った。
ここに着いたばかりの頃の不安が、今は一欠片も残っていなかった。心がじわりと温かくなって、ずっとこの海龍と一緒にいられたら、なんてことを考える余裕さえあった。
しばらく飛んでいると、強かった風がだんだん収まってくるのが分かった。飛んでくる岩の大きさも数も減り、随分と飛びやすくなった。
繋いでいた手を放して、ぼくは地面に降り立った。海龍は降りてはこなかった。ぼくの無事を確認して、背を向けようとした。
「ありがとう!」
風の音にかき消されないように、大きい声でぼくは叫んだ。
ぼくの声が聞こえたのかどうなのか、海龍は振り向いて、にこりと笑った。
その笑顔の眩しい事と言ったら、嵐の中に顔を出した、太陽のようだった。
そのまま、海龍は元来た方へ飛んで行ってしまった。またどこかで、この暴風域に迷い込んだ誰かを助けて回るのだろう。またこの場所を飛んでいたら、あの海龍に会えるだろうか。そんな考えが浮かんだけれど、当然ここはぼくの帰る場所ではなかった。
海龍の無事を祈りながら、ぼくは暴風域を背に飛び立った。