2.草原の空
空を飛んでいた。
どこまでも続く草原を、一直線に飛んでいた。空は青く澄んでいて、時折わたがしのような雲がゆっくりと流れていくのが見えた。
地に足を着けて走り回ることもできたけれど、今は空を飛びたい気分だった。風が頬を撫でて通り過ぎていく。さわさわと風に揺れる草木の音が、耳に心地よかった。
ふと地上に目を落とすと。ものすごいスピードで駆けていくものがあった。普段のぼくのスピードでは追い付けそうもなかった。それでも対抗してみたくなったのは、ぼくの中にもまだ闘争心というものが存在したということなのだろう。
全力で追いかけて、ようやく走る炎に追い付いた。途中からぼくの存在に気付いていたのか、炎はそれまでよりもスピードを緩めていたようだった。でなければ、ぼくが息絶え絶えに追い付いたとき、同じように息を切らしていただろうから。
ぼくが追い付いたのは、炎のたてがみを持つ馬だった。まだ体が小さいから、まだ成長途中の仔馬だと分かった。仔馬はぼくの姿を確認すると、駆け足をやめてゆっくりと歩み始めた。
「どこへ行くの?」
できるだけ息を整えてから、ぼくは尋ねた。
「お母さんを探しているんだ」
仔馬は答えた。
「ちょっと出かけてくると言ったきり、戻ってこないんだ。どこかで見かけなかった?」
ぼくは首を横に振るしかなかった。随分と長い時間この草原を飛んでいたけれど、走る炎に出会ったのはこれが初めてだった。
仔馬の表情が曇ったのを見て、ぼくはしまった、と思った。仔馬はずっと不安だったのだ。見ず知らずのぼくにさえ、希望を抱いていたに違いない。
「ぼくも一緒に探してあげるよ。きっと見つかるさ」
仔馬の不安を拭い去れるように、ぼくはできるだけ明るく落ち着いた口調で言った。仔馬の表情がぱっと明るくなった。
それからふたりで手分けをして、仔馬のお母さんを探し回った。草原のど真ん中に佇む一本杉を待ち合わせ場所にして、こまめに戻りながら探すことにした。
それから母馬を見つけられないまま、一本杉に何回戻ったか分からない。そのたびに仔馬がお母さんと一緒にいる姿を期待したのだが、一本杉には誰もいないか、仔馬がひとりでいるだけだった。きっと見つかるなんて言った手前、言葉通り見つけてやらなければならない。ぼくは責任感に駆られていた。
空が夕焼けに染まる頃、罠にかかった炎馬を見つけた。待ち合わせの場所から、随分と離れた場所だった。仔馬のことを話すと、自分の子だろうと言っていたから、間違いなさそうだった。一本杉の場所を伝えると、炎馬は一目散に駆けていった。罠にやられた足の痛みなど感じさせない速さだった。ぼくは必死で追いかけたけれど、炎馬との距離はどんどん開いていった。遂には、炎馬の背中が見えなくなった。
やっとこさ一本杉に辿り着いた時、そこには確かに炎馬の親子がいた。
母馬とじゃれあう仔馬の姿を見て、ぼくの胸がちくりと痛んだ。無事に親子を再会させることができて、嬉しいはずなのに。どうしてだろう。
簡単だった。ぼくには、母と呼べる誰かがいなかった。
仔馬がぼくに気付いて、大声で「ありがとう」と言った。
ぼくは痛みを感じさせないように、笑顔を作って手を振った。
炎馬の親子はどこへともなく走っていった。ぼくはそれを追いかけなかった。ぼくの帰る場所は、この草原ではなかった。途中で馬のいななく声が聞こえた。親子のどちらかが、ぼくにさよならを言っているのだろうかと思った。
ぼくは炎馬の声に背を向けて、夕日に向かって飛んでいった。