ぼくの空
あとがき
 私が書く物語は、何かの土台の上に立っています。自分の経験であったり、何かに対して抱いた勘定であったり、周りから受け取った素敵なものであったりしました。
 今回の「ぼくの空」もそうです。スマホゲーム「Sky〜星を紡ぐ子供たち〜(以下、Sky)」に大きな影響を受け、ライトノベル作品「キノの旅」、阿部公房著「鞄」、日下秀憲/山本サトシ著の漫画「ポケットモンスタースペシャル」、浅夜&とまとさん著「飛べないペンギン」など、他にもたくさんの要素に少なからず影響を受けてできた物語。そして、その根底にあるのは紛れもなく私自身。
 このあとがきを最初に手に取る方のために、今見えている範囲ではではネタバレを控えます。あらすじにも書いた通り、これは「ぼく」が様々な空を飛び旅をするお話。それ以上でも、それ以下でもありません。

 それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。

 2020年3月6日
 円山翔
























































































 はい。当作品とSkyのネタバレを避けるために空白を開けました。
 以下で解説を行います。物語をお読みいただく前に間違えてきてしまった方は、今のうちにブラウザバックを推奨します。




























































 よろしいですか? それでは。

 まずは物語全体について。

 空を飛ぶお話が書きたいと思ったのは「Sky〜星を紡ぐ子供たち〜」(以下、Sky)というスマホ、ゲームの影響です。もしこの作品を読んで気になった方は、ダウンロードして遊んでみてください。よろしければフレンドになりましょう。可能な限りハートや蝋燭をお送りしたいです。(私はthatgamecompanyの回し者ではありません)

 主人公「ぼく」はメタモンのつもりです。姿形はコピーできても、能力までは完全にコピーできるわけではない。それを表現したつもりになっているのが、砂漠でコピーリザードンと対峙した時の「戦いの才能がない」という部分です。ただ、実際は変身した相手の能力値をコピーするようなので、この描写だけではメタモンと断定できそうもないのが反省点……もう一点「ミュウではない」要素を挙げるとするならば、ミュウツーがぼくを「ミュウだ」と言っていないという点でしょうか。いくら変身していようと、強力なエスパー能力を持つミュウツーならば、ましてや自らのオリジナルならばきっとわかるんだろうなと思って今回のような書き方をしました。
 なぜリザードンにしたのかは、雨林で「ヒトカゲに火を灯す」というシーンを書きたかったから。Skyにも登場する雨林のステージでは、その名の通り雨が降っています。この雨に当たると、エナジー(空を飛ぶために必要)が徐々に失われていく。プレイヤーは蝋燭を持っていて、蝋燭の火は他のプレイヤーのエナジーを回復させます(実際は傍にいるだけで回復したりするんですけど)。

 では、ここからは一つ一つの空について解説していこうと思います。
 Skyのネタバレも含むので、ご注意ください。

1.孤島の空

 Skyの最初のステージ「孤島」がモチーフです。孤島から連想できたのが、RSEとORASで出てくる南の孤島だったので、最初に出会ったのはラティアスまたはラティオスです。どちらかは私にも分かりません(オイ)。ただ、水の都の護神を見た方は、影=ラティオス、主人公と一緒にいて、孤島に戻っていったのがラティアス、という解釈をされたかもしれませんね。かたわれ時に、あの世とこの世が繋がる。そういうことです。当サイトにも掲載している「おくりもの」の時にもこういうことを書きました。
「Grazie!」はイタリア語で「ありがとう」の意。ラティアスとラティアスが初めて出てきたアルトマーレが、イタリアのヴェネツィアをモデルにしているところからこの言葉を使いました。これは当初、企画に投稿した際にお題「日本語以外の言語を使う」を満たすためにこうしました。今回はそういったお題があるわけではないので、単に手を振るだけでも、日本語でありがとうと言ってもよかったかもしれませんね。

2.草原の空

 Skyの第二のステージ「草原」がモチーフです。走っていた炎のたてがみを持つ仔馬はポニータ、母馬はギャロップです。草原は走るものという固定観念から「草原を走る炎」というのが頭に浮かんでこうなりました。ウインディとどちらにしようか迷ったわけなのですけど、炎が走るという表現に合うのはポニータだろうなって。ガラルのポニータはふわっふわでしたけど。
 先に述べた通り、「ぼく」はメタモンです。卵からは生まれないから、家族がいるのかさえも分からない。そんなメタモンの孤独を、親のいるポニータと対比させたかったというのは、今考えたのか、書いていた時から狙っていたのか……自分でも思い出せません(しっかりしろ作者)。

3.雨林の空

 Skyの第三のステージ、「雨林」がモチーフです。基本的に書きたいことは上に書きました。ヒトカゲの尻尾に火を灯したい。翼の傘で雨から守ってあげたい。後者は投稿当時Skyに実装された「傘」のおかげです。
 企画の時にご指摘いただいたのですが、ゾロアークを出すなら幻影を使えばよかったなぁなんて今更思ってしまいます。それこそ、入り口を隠している葉っぱが幻影だったなんてやってればよかったかもしれませんね。
 アローラのキュウコンを出しましたが、これはカントーのキュウコンを出すと「何でこんなに炎ポケモンが多いんだ」ってなりそうだからですね。企画のお題「氷タイプの技を使う」を埋めるため、というのもあったかもしれませんが。
 ゲームではメスの個体の子供が生まれる(キュウコンがメスなら生まれる子はロコン)ということになっていますが、ゾロアの子がいるのはまあ、複雑な経緯があってのことだと思っていただけたらと……
 ここで「ぼく」は、自分に大切に思える誰かがいないことに気付きます。これは草原での「家族」にもつながってくるのかもしれません。

4.海原の空

 Skyには「海原」というステージはないのですが(一応、拠点の「ホーム」と第一ステージ「孤島」では海を見ることができる)、浅夜&とまとさんの作品「飛べないペンギン」のイメージがどうも頭を離れなくて書きました。子ペンギン=ポッチャマです。
 企画の時はわかりにくい書き方をしていましたが、今回は割とわかりやすく書いたはずです。鮫=サメハダー=「ぼく」です。「ぼく」が変身して子ペンギン=ポッチャマを追いかけ、「飛ぶ」ための手助けをしたことになっています。だからこそ、鮫が「ぼく」だと気付かせないために、「ぼく」は「気付かれないように、子ペンギンの背後にそっと降り立った。」のです。
 自分には夢がない。これは私自身を映したものです。それなのに、だからこそ、夢を持つのは大切だと思うし、夢を持って頑張る誰かが眩しく思えてしまう。このテーマだけ浮いているというご意見もあったので、もうちょっと書き方を工夫できたらよかったかもしれません。でも、私が書きたかったことを書いたつもりです。自分にないものを少しずつ認識していくというプロセスの一つに夢を入れたかったという、これは私のエゴです。

5.廃墟の空

 Skyの第五のステージ、「捨てられた地」がモチーフです。Skyでは、プレイヤーに襲いかかる闇の蟹や暗黒竜がうようよしていたり、風景自体が全体的に暗かったりと、この物語よりもよっぽど物騒です。物語の中で語ってはいませんが、この廃墟の街は戦争でボロボロになった街という設定が隠れています。なぜ語らなかったのか? 単に書こうと思わなかったから書かなかった。ただそれだけです。書いたら無粋になるとか、書ける自信がなかったとか(この気持ちは多少あったかもしれませんが)、そういうことは特に考えていませんでした。
 ぬいぐるみ、と描写した時点で、自作品「ぬいぐるみ」を読んでいただいた方は円山だって思ったかもしれません。ずっと待ち続けるハチ公的な健気な存在を書きたかったんです。ここで初めて、主人公が「へんしん」していたことを明確に描写しました。本当のところ、次の章まで取っておきたかったんですが、このシーンを書くためには仕方がないと思って変身の存在を明示しました。
 ただ、「ぼく」がやったことが残酷な行為ととられ得るのもまた事実。傷ついたのと同時に、「ぼく」が悪気があったわけじゃないとわかっていたから、ぬいぐるみは「ぼく」を全力で殴ることができなかったのです。

6.暴風域の空

 Skyの第七のステージ、「暴風域」がモチーフです。巨大な岩が飛び交い、ぶつかるとダメージを受けます。その上、真っ赤に輝く石がそこら中に存在して、近づくとエナジーが少しずつ持っていかれるという厄介なステージ。加えて前述の暗黒竜もうようよしているという……と、Skyのお話はこれくらいにしましょう。といっても、もう少しお話しなければならないことがあるんですけれどね。
 Skyのステージの中でも特に厳しい暴風域で、私は別のプレイヤーに助けてもらったことがあるんです(その後、私の操作ミスにより恩を仇で返す羽目になったのですが……本当に申し訳がないです)。何が言いたいかって、Skyの世界ではこういう何の得にもならないかもしれない助け合いが日々行われているってことなんです。そういう姿を描きたいっていうことで、海龍=カイリューに頑張ってもらったのです。
 正直、私のエゴです。報酬とか恩賞とか関係なしに、私は誰かの助けになりたい。本当にそう思っているのかどうか、私にも分かりませんけどね。所詮は窮地に立たされていない私の口からポロリと漏れたきれいごとに過ぎないのかもしれませんけれども。
 どうも私はきれいごとの呪縛に囚われ続けているようです。

 ちなみに、このネタを思い付いてメモ書いた時は、カイリューは岩にぶつかって瀕死の重傷を負うはずだったのです。本当に自分が傷つくことを厭わずに、誰かのためになることができるようになりたいという、私の願いです。でも、書いているうちに無事に戻っていくだけになりました。こういう「いい奴」に、傷ついてほしくないと思ったからだと思います。物語にも書きましたが、きっとあのカイリューは何度でも暴風域を行き来して、困った誰かを助けていることでしょう。

 ところで、この場面は「ぼく」が唯一、自分に欠けているところに目を向けなかった(目を向けずに済んだ)ところなんですよね。自分にはああいう献身はできないかもしれないって頭抱えさせても良かったと今更思ったりするんですが、でもなかったからよかったのかもしれないとも思ったり。カイリューは「ぼく」の命だけでなく、心も救ったのかもしれませんね。
(と思っていましたが、「どうしてぼくを助けたの?」のくだりで勝手に傷ついてましたね……いや、あの描写では傷ついたとは取れないかもしれないからワンチャン正しい? しっかりしろ作者)

7.砂漠の空

 Skyの第三のステージ、「峡谷」がモチーフです。実際高低差のある谷なのですが、砂漠かとおもうほどそこら中砂だらけなので砂漠に変えました。峡谷で物語が浮かばなかったのもありますが。
 ミュウツーの逆襲のミュウツーを書きたかったのです。そのミュウツーに、「お前(ぼく)は偽物だ」と言わせたかったんです。ただ、そこまででした。そこからの台詞回しが、ちゃんと筋が通っているのかがよく分かりません。通るように書いたつもりではあるんですけど、じゃあ何で偽物だって言う必要があったのかなって問われると答えることができません。そうしたかっただけなんです。
 上にも書いた通り、主人公がミュウではないことをここで浮き彫りにするつもりでした。廃墟で変身のことを書いたので、「偽物だ」というところも言葉通りに受け取れたのではないでしょうか。あそこで明かしていなかったら、「ん?」ってなったかもしれませんね。
 ここで、「ぼく」は、帰るべき場所がないことに気付きます。ここをこの部分で書きたかったから、ステージの順をばらしてまでこのシーンをここに持ってきたかったのです。やりようは他にも沢山あったのかもしれませんけれども。

 ここまでが、企画の時にもあった物語。
 ここから先は、当サイトに掲載するにあたり、新たに付け加えた物語。

8.火山地帯の空

 Skyの最終ステージ、「原罪」がモチーフです。一定時間ごとに赤い岩が降り注ぎ、ぶつかるとダメージを受けてしまう。そんな中で、自分が持っている翼を、倒れている子供たちに分け与えていく。そんなステージです。(ちょっと何言ってるかわかんない)
 これもSkyでの経験になるのですが、私はゲーム内のイベントをこなしている最中に怒鳴ったことがあります。「助けてくれ!」「助けろよ!」と。漬かっているだけでじわじわダメージを受ける沼の中で、こちらを見つけて突進してくる蟹の攻撃にさらされながら、精霊を指定された場所まで導く最中でした。周りに他のプレイヤーがいることは、ゲームの仕様で確認ができました。しかし、こちらが必死に呼びかけても、誰も来てはくれません。そんな時に、腹が立って叫んでしまったのです。向こうには聞こえませんが、こんな醜い様を勝手に晒していたのです。(実際に起こったのは原罪ではなく捨てられた地でのことでしたが)
 その時の経験を、ほとんどそのまま書いたつもりです。自分は傷ついているのに、誰も助けてはくれない。理不尽に声を上げるけれど、やはり誰も来てくれない。後で落ち着いて考えれば仕方のないことだった。そういうことです。
 さて、「ぼく」はここで命を落とします。明確に描写したわけではありませんが、「へんしん」する能力は失われ、行動不能に陥ります。そして次のお話でどこかに落ちていくわけですが……

9.深淵

 Skyでも、原罪で全ての翼を失って、その後もダメージを受け続けて、星の子(プレイヤーのアバター)は砕け散ります。その後、この物語と同じような方法で同じような場所に場所にやってきます。そして、この物語で書いたようなことが起こります。
 はい。原罪後を再現したかった。ただそれだけでした。描写が足りなかった部分もあり、わかりにくかったかもしれませんが。知りたい方はぜひSkyを(くどいぞ円山)

10.深淵の空

 Skyで原罪後、深淵から飛び立った後の世界を書きたくてこうなりました。Skyとはかなり異なる世界になりましたが。
 影龍=ギラティナです。というのも、先述の暗黒竜がギラティナに通じるような見た目をしていまして。本当はギラティナに「ぼく」を襲わせるはずだったのですが、そちらがうまいこと書けずに今の形に落ち着きました。代わりに、それまでに散っていった者の魂を空に運ぶ役目を担ってもらいました。Skyでも暗黒竜とは別の生き物たちが、主人公を空へと導いてくれます。

11.宇宙の空

 頭痛が痛いですね。それはそれとして。
 Skyでは、空へと昇った主人公が宇宙を飛びます。ゲーム内で出会った精霊や他のプレイヤーたちと出会いながら、光を目指して飛んでいきます。
 このシーンを書くべく、宇宙から連想したのが、ピッピでもスターミーでもなくデオキシスでした。登場した生命体も、「ぼく」が姿を変えた生命体もデオキシスです。
 作品内でデオキシスと「ぼく」は握手をしたりグータッチをしたり手を振りあったりしています。Sky内でできることをたくさんやらせてみました(握手は未実装ですが)。また、漫画「ポケットモンスタースペシャル」(以下、ポケスペ)のファイアレッド・リーフグリーン編で登場した、仲間を探して飛ぶデオキシスも思い出しながら書きました。「ぼく」が「わかった」と言っていたのは、ポケスペでも描かれていたデオキシスの持つ念視能力によるものです。

12.天空より

 宇宙を飛び終わり、空の果てで光の扉をくぐった主人公は、光と共に「ホーム」に降り立ちます。その際に表示されるメッセージが、「新たな命が、始まろうとしています」というもの。このシーンだけを切り取って再現したかったのです。ついでに、「ぼく」が火竜=リザードンの姿を取るに至った理由付けをしました。

終章 ぼくの空

 これまでの旅を思い出すために、何もない場所を飛ばせたかった。それで、何の変哲もない雲海を選びました。こういうシーンは、Skyの中に幾度となく出てくるようで出て来なかったりします。正確には、出てくるんですけど、ちゃんと飛ぶことができるのは大概、雲海というより雲のトンネルなんですよね。一か所だけ、孤島を出て草原に向かう途中にタイトルが表示される雲海があるくらいです(あるじゃないか)。あと、草原の(ネタバレを避けるために自主規制)
 ここで書きたかったのは、「ぼく」がこれから何になるべきなのか。どこへ向かって、どこへ帰るべきなのか。そういう自問自答がしたかったのです。
 作中で「ぼく」のアイデンティティが回を追うごとに失われていくというご意見をたくさんいただいたのですが、書いている最中、私はそんなことを一切考えていませんでした。
 私自身が何になりたいのか迷っている最中なのです。
 やりたいと思ったとこには大体何にでも手を出して、なまじできてしまう。しかし、ある程度のところまでできると、飽きっぽいのも手伝ってか、満足してしまう。それ故に、それ以上を目指そうと思わなくなって、努力をやめてしまう。だから、私はきっとその道のプロにはなれないでしょうし、仕事としてもやっていけない。自慢のつもりはありませんし、自慢にもならないと思います。私自身のこういう部分が、「ぼく」を書いている間に乗り移ったのではないかなぁと思うのです。

 そして、「自由という不自由」という矛盾を書きたかった。なにかしら制限を受けながら生きています。それが、途端に何の縛りもなくなってしまったら、私はおそらく困ってしまいます。

 選ぶ道がなければ、迷うこともない。私は嫌になるほど自由だった。

 という一節が、阿部公房著「鞄」の最後にあります。これに大きな影響を受けているのは間違いないと思います。こういう、矛盾しているような表現が私は好きなんだろうなって。これも私の作品がばれやすい原因なのかもしれませんね。

 さて、最後に火竜の鳴き声がした件ですが、これに関しては私の中に想定した答えが一つ、それ以外の考え方がいくつもある、という感じになりそうです。
 空を巡る間にどれくらいの時間が経ったのか、この物語には書いていません。それぞれが近ければ数日で廻れたかもしれませんし、とても遠ければ何週間、何ヶ月、下手をすると年単位で時間が掛かっていたかもしれません。
 このあとがきを書いている最中に思い付いたのが、「「ぼく」が憧れた火竜=リザードンが現れた」というシーン。そして、「何の関係もないリザードンの声がたまたま聞こえた」というシーン。他にもいろいろあると思いますが、私が元々考えていたのは「雨林のヒトカゲが成長して会いに来た」というシーンでした。何で場所が分かったの? と問われると答える事はできません。もし本当にそうだとしたら、この広い世界では、偶然みたいな確率なのでしょうから。
 実はこれも、Skyのとあるシーンをモチーフにしてこういう設定にしました。






































 という感じです。
 正直、書いていた時のことをはっきりと思い出せるかと言われると、素直に頷くことはできません。ここに書いていることも、全てが終わった後で書く過程を思い出しつつ、知らず知らずのうちに捏造している可能性すらあるわけです。でも、私がそうだと思うんだから仕方がありません。こんな投げやりな態度をとっているのも、こうなる原因なのかもしれませんが。

 長い長いあとがきでした。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

 2020年3月6日
 円山翔
 

円山翔 ( 2020/03/06(金) 21:29 )