1.「しょくぶつ」にする
ボクはご主人が嫌いだ。なぜかって?
正確には、ご主人自身は嫌いじゃない。ご主人の「せいへき」(いつだったか誰かに教えてもらった言葉だ)ってやつが嫌いなんだ。
普段のご主人は、ボクにすごくよくしてくれる。決まった時間にご飯をくれるからボクは飢えることがないし、部屋の中でも日当たりのいい場所に置いてくれる。いつもお仕事で忙しそうだけれど、たまの休みには、足が吸盤になっていて動けないボクを散歩に連れて行ってくれる。日光浴ならうちでもできるけど、ぽかぽかのお日様に照らされながら、外の風にあたるのがボクは大好きなんだ。
そんな、ボクのことをよく考えてくれるご主人が、どうして嫌いかというと。
ご主人はね、ボクのことをよく撫でまわすんだ。ボクを撫でてくれる時のご主人の優しい笑顔が、ボクは大好きなんだ。……それだけならいいんだけれどね。
ホラ、龍の「げきりん」ってあるでしょう?触られたら怒っちゃうような、触ってほしくない部分。もちろん、それがボクにもあるんだけれど。ご主人は機嫌の悪い時なんかに、そういう触ってほしくない場所ばかりを狙って触ってくるんだ。そんなとき、ボクは当然のように嫌な顔をしたり、喚いたり、もがいたりするわけなんだけれど。でも、全然やめてくれない。それどころかもっとエスカレートする。酷い時には、ボクがなにも悪いことをしていないのに、ボクのことをぶつんだ。いくら柔らかい草のように見えるからといって、元は化石だったから、ボクをぶつご主人の手も痛そうだけれど。
こういうときのご主人、どんな顔してると思う?
笑ってるんだよ。それも、楽しい時や嬉しい時の顔とはちょっと――いや、だいぶ違って。何というか、ニヤニヤ、ニタニタ、そんな表現が似合うような、嫌〜な笑みなんだ。
本当に、普段はすっごくいい人なのに、どうしてボクにこんなことするんだろう?
「それはね、君が『しょくぶつ』だからさ」
えっ?
「『しょくぶつ』。『しょく』は『触』、つまり触る。『ぶつ』は文字通り『打つ』って意味さ」
そうなの?ボクみたいな植物はみんなそうなの?何で?
「とまぁ、冗談は置いておこう。その主人はおそらく、君の嫌がる姿を見るのが楽しいのさ。君が何かを我慢して、我慢して、もう我慢できないって時に見せる顔が、たまらなく好きなんだろうさ。それで、君が嫌がること――触ってほしくないところを触りまくったり、打ったりするのさ。尤も、君を打ったところで痛いのはご主人も同じだろうけど。心の痛み?違うね。君も知っているだろうが、君は柔らかいように見えて、内に硬さを秘めている。だから、普通にぶつと手が痛くなってしまうのさ。人間は脆いものだからね。訳もなく自分の嫌なことをするなんて、君はしないだろう?それと同じさ。君のご主人は、自分の身が傷つこうと関係なく、好きでそういうことをやっているのさ。それが君が言う『せいへき』っていうやつなのさ。心が痛むのなら、君をぶつときに笑ったりなんかしないだろうからね」
冗談じゃない!
よくしてもらってるからガマンしてきたけど、もしそれが本当なら許せないな。ん?普段ボクに優しくしてくれるのは、そうすることでボクが嫌がることをするのを許してくれって言っているのかな?ボクがご主人に逆らいにくくなるようにしてるだけなのかな?そうと知ってしまった以上、ご主人にはやめてもらわないといけない。優しいご主人にはいて欲しいけど、ボクを虐めるご主人なんていらないんだ!
「そうかい。それなら、いい方法がある」
……どうするの?
「君のご主人を、『しょくぶつ』にしてやればいいのさ」
……どうやって?
「ほら、君なら簡単さ。ちょいと耳を貸してごらん……」
……それだけ?本当にそれだけでいいの?
「ああ。たったそれだけで、君のご主人は『しょくぶつ』になれる。ただし。もしも一度でもそうなってしまったら、死ぬまでずっとそのままになるかもしれない。今までのように触られたくない所を触ったり君をぶったりできなくなる代わりに、君にご飯をくれることも、お散歩に連れて行ってくれることもできなくなる。場合によっては、君は今のご主人よりもっと怖い人の所へ行かなきゃいけないかもしれない。それで、君はもっと酷い事――『せいたいじっけん』に使われたり、今よりももっと酷いぶたれ方をしたり。最悪の場合には殺されてしまうかもしれない。それでもいいかい?」
→はい
いいえ
ボクは、あの時のボクの選択を後悔している。
あの日、聞こえた声に従ってボクがご主人の頭に「ねをはっ」て、「ようかいえき」を流し込んで以来、ご主人は動かなくなった。ずっと目を閉じたまま、開けようともしないんだ。お医者さんが教えてくれたんだけれど、こういう状態を『しょくぶつじょうたい』っていうんだって。
確かに、前みたいな『ぼうこう』(これもお医者さんに教えてもらった言葉だ)を受けることは――変なところをまさぐられたり、訳もなくぶたれたりすることはなくなった。でも。
ご主人はボクにしゃべりかけてくれなくなった。ご飯をくれること、お散歩に連れて行ってくれることもなくなった。素敵な笑顔で、ボクを撫でてくれることも――
ボクは気付いたんだ。ご主人はここにいるけど、いない。心がどこかに行ってしまったんだって。ボクがご主人をいじくったせいで、ご主人の全てを奪ってしまったんだって。
もしも、もう一度やり直すことができたのなら。
ご主人の『せいへき』を我慢してでも、ご主人と一緒にいられたなら。
あの時に戻って、もう一度選択をやりなおせたなら。
リセット しますか ?
→はい
いいえ
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