五
気が付くと、私は真っ暗な場所にいた。
周囲はさらさらした何かで包まれていた。身動きを取ろうともがいてみたが、全く動く様子はない。誰かが言っていた、私が植物として生まれるという話を思い出してやっと、私は土の中にいるのだと分かった。
私の周りの土はやけに乾いていた。私の体にも水分が含まれているのだが、それがじわじわと吸い取られていくのが分かる。少しでも水分を取られないようにと体の表面に力を入れようとしてみるのだが、何の変化もない。何もできない私をあざ笑うかのように、周りの土は次々と水分を奪っていく。
普通は逆だろうと文句を言いたくなった。が、今の私には誰かに何かを告げる口など無かった。たとえあったとしても、周りに私の話を理解する誰かがいるのだろうか。
私はみるみるうちに渇いていった。水を探しに行きたくても、手も足も、体を動かす筋肉も持ち合わせていない。今の私には、水分を求めて動き回ることもままならない。
こんなところで負けてやるものかと、私は再び全身に力を込めた。私を包んでいたかたい皮を突き破って、細長い管がいくつも伸びていく。根を張って、土の中にある水分を吸収する。厳しい環境でも生き抜くための知恵。奪われた水分のいくらかを、この根っこが取り戻した。
それでも渇きは続いた。奪われた水分に比べれば、取り戻した水分はフラベベの涙ほどでしかなかった。しかし諦めるわけにはいかなかった。少しでも遠くまで根を伸ばし、水分を見つけては吸収していった。
どれくらい経っただろう。あれほど渇いていたはずなのに、私の頭から小さな芽が顔を出した。生まれたばかりの子葉はカラカラで、今にも枯れるしまいそうだった。だがその小さな体の中には、見た目からは想像もできない生命力が宿っていた。カイスは本来、木の実の中でも多くの水分を含む種であり、育てる際にもそれ相応の水を必要とする。これほど乾いた土の中から芽が出たのは奇跡と言ってもいいのかもしれない。必死にかき集めた水分と、生まれ持った栄養分と生命力が私の成長を後押ししてくれたということなのだろう。
やっと外に顔を出せる。生まれて間もないというのに、体の中に熱いものがこみ上げてくるのが分かった。
弾む期待を胸に、私は土を押しのけて外の世界に顔を出した。
次の瞬間。
黒い風が、私の子葉を撫でていった。
途端に体中の力が抜けて、地上に出した芽が音もなく地面に倒れ込んだ。
そのまま息をすることも叶わずに、私の意識は途絶えた。
*
赤い巨大な輪の外側に備え付けられた椅子。そこに、私はちょこんと乗っかっていた。手も足もない、緑とピンクのギザギザ模様の球体の姿をしていた。
永遠とも思えるほどの長い時間、目がないはずなのに周りの風景を感じられることに大した違和感を覚えることなく、私はここで私の番が来るのを待っていた。
何の順番かは分からなかった。ただ、ここから逃げ出そうにも、木の実の私に移動する術はなかった。退屈だとは思わなかった。考えることすらもしていなかったのかもしれない。
巨大な輪は観覧車よりも遅いのではないかという速度で回転していた。長い長い時間だったが、苦痛は感じなかった。どうせ何もできないのだからと、どこかで割り切っていたのかもしれない。
どれくらい待っただろうか。はるか向こうに、石造りの足場が見えた。私が乗っかっているのと同じ椅子が、そこで停まっていた。その間は、私が乗っかっている椅子も、椅子を動かす輪もぴたりと止まっていた。
しばらくすると、再び輪が動き出した。足場が近付いてくる。否、本当は私が乗っかっている椅子が近付いているにすぎないのだが、動けない私にとってはどちらでも同じことだった。
私の椅子が止まった時、足場には蓮の葉を背負った平べったい生き物が私を見つめていた。それから私にも分かるような露骨な溜息をついた。
「おめでとうございます。あなたの転生が決まりました」
何がおめでたいのか分からないくらいの棒読みだった。前にもそんな声を聞いたような気がしたが、いつ、どこで、誰が発した声なのかは思い出せなかった。
「後が閊えているので手短にご説明しますね。あなたは今から新しい命を受け取って、<ruby><rb>天道廻</rb><rp>(</rp><rt>てんどうめぐる</rt><rp>)</rp></ruby>という人間の元に生まれます。種族名は――――。私と同じ姿の生き物です」
私が喋れないのをいいことに、蓮の葉の生き物は言いたいことをさっさと並べ立てた。
「そのままでは歩けないでしょうから、私が門の前まで連れて行って差し上げます」
私が動けないのをいいことに、蓮の葉の生き物は私におもいきり体当たりをかました。
何の抵抗もできないまま、私は転がっていった。
その間にも、私の体は徐々に変化していった。
体は平べったくなり、小さな四本の足が生え、背中には大きな蓮の葉が現れ。
扉の前で止まった時には、私は完全に蓮の葉の生き物と同じ姿になっていた。
いや、一つだけ違う。
目の前にいる生き物とは、決定的に何かが違う。そんな根拠もない感覚に襲われた私は、
「何でしょう、何か頭の上に、蓮の葉以外のものが乗っているような気がしてならないのですが……」
と尋ねてみた。今まで何の反論もできずに話を進められて、やっと喋れるようになったのだ。それくらいの自由は認めて欲しいと思った結果だった。
心の中では怯えていた。また(・・)何か文句を言われるのではないかと。
また、と言ったのは、来たことのないはずのこの場所に妙に見覚えがあったからであり、出会ったこともない蓮の葉の生き物の話を遮って、それについて文句を言われたことがあるような気がしたからであった。
蓮の葉の生き物は長い長いため息をついた。私が椅子の上で待ち続けた時間と同じくらい、いや、それ以上ではないかと思われるほど長い時間に感じられた。
溜息を終えた蓮の葉の生き物は、今度は声を出さんとして息を吸い込んだ。
何か良くないことを言われる。そんな想像とは裏腹に、蓮の葉の生き物はどこか同情の色が混じった声でこう告げた。
「同じというには語弊がありました」
身構えていた私は、あまりにもあっけない返答にすっかり毒気を抜かれてしまった。
「あなたは少々特別な存在として生まれます。頭の上に花を咲かせて生まれたあなたは、その姿から先へは進めません。戦いの経験を積んでも、草花の力を秘めた石をもってしても、その姿を変えることはできないでしょう。そして、仮に命を落としたとしても、あなたは同じ姿で同じ場所に何度も生まれ変わるでしょう。我々がいいと思うまでは、あなたはここに戻ってくることはないでしょう」
言われて初めて理解した。頭の上には花が咲いている。私を映す鏡でもなければ、私自身の目で見ることは叶わない。それでも、微かに漂う甘い香りが、そこに花があるのだと教えてくれた。
「先ほど聞きそびれたので今聞きますが、私は今までにもここに来たことがあるのでしょうか」
もう途中で口を挟んでも文句は言われない。そのことを分かった上で、私はここに来た時からずっと抱えていた問いを投げかけた。答えはすんなりと返ってきた。
「ええ。総数は知りませんが、近日中にはこれで五回目です。ほんの数日の間に五回も命を落とした生物に、私は今までに出会ったことがありません。ここに来るときには、死ぬ前の記憶は全て消えてしまいます。ここから新たな世界へ旅立った後も、ここへ来たことは忘れてしまいます。あなたが何度もここへ来たのに、そのことを覚えていなかったのはそのためです」
相変わらず棒読みだったが、それでもはじめよりは幾分か感慨深げに、蓮の葉の生き物は語った。
「最初は単なる不慮の事故でした。そしてそれ以降は生まれて間もなく、何らかの形で命を刈り取られています。これが、どうやら上の手違いだったようで。手違いで殺されて、長い間待たされて、ここへやってきて、新しい姿になって、またすぐに死んでここに来る。それではあまりにも不憫だということで、こういった処置が施されることになりました」
コホンと咳ばらいを一つ。仰々しい感じは否めないが、突き放すようなそれではなかった。私に喋らせまいとしているわけではないように感じた。
「何か他にご質問は?」
何もない時には相手の言うことにケチをつけたがるにもかかわらず、いざ質問を求められると浮かんでこないものだった。私は何も言わずに首を横に振った。蓮の葉の生き物は満足げに頷いた。
「では、あちらでもご達者で」
そう言い残して、蓮の葉の生き物は私に背を向けた。私がこの場所に降り立ってからずっと止まっていた赤い輪が、再び動き始めた。誰かに言われたわけでもないのに、もう行かなければならないと思った。次の椅子がここに来る前に、新たな道を歩む次の命がここに来る前に。
私は短い脚で地面を蹴って、扉の向こうの闇の中へと勢いよく飛び込んだ。