Reincarnation


 それは何でもない、学校から帰る途中のことだった。
 いつも通りの道を通って、いつも通りの時間に、いつも通りのペースで歩いていた。
 毎日毎日、授業の科目が違うだけでこれといって代わり映えのない日常。その中で、私はただぼんやりと過ごしていた。これといって特別なことの起こらない、平凡で平穏な日々。
 そんな世界に十数年生きてきて、そんな何でもない日常がほんの一瞬の出来事で崩れ去ってしまうなんて、誰が想像するだろう。
 その日は運が悪かったと言っていいのか、逆にとてつもなく運が良かったのか分からない偶然の連続だった。

 私が交差点で信号を待っている時のことだった。道路には大小さまざまな自動車が、制限速度の標識などお飾りですとでも言わんばかりのスピードを出して走っていた。それなりに大きい街のそれなりに大きい通りは、偶然にも人通りがまばらだった。
 偶然元気なもじゃもじゃ頭の暴れ牛が誰かのボールから飛び出して、周りの者をなぎ倒しながら暴れまくった。そして偶然にも、道路の一番近くに立っていた私に向かって真っすぐに突っ込んで来た。避ける暇など無かった。ただただ近付いてくる足音と姿に驚き呆れるばかりだった。
 偶然暴れ牛の攻撃対象となって車道にぶっとばされた私は、偶然にも道路の真ん中でニャーニャー鳴いている紫色の猫を発見した。そして偶然にも車のいない場所に偶然にも足から着地した私は、飛ばされた勢いもあって、その猫めがけて真っ直ぐに走る羽目になった。
 だが、歩行者用の信号はまだ赤のまま。つまり、自動車は所狭しと走っている訳で。そんな自動車の間を偶然にもすり抜け、偶然にも紫の猫のところまで辿り着いた。
 偶然にも手が届いた猫を抱えて道路の反対側まで走り抜けてやろうとしたところで、私に迫っていた大型トラックにぶつかり、偶然にも反対側の歩道までぶっとばされることになった。つまりそれ以上自動車に轢かれることはなかったわけだが、どうせなら偶然続きでトラックくらい避けてしまいたかった。
後悔したところでもう遅い。暴れ牛に追突されただけでも致命傷を負いかねないのに、その数倍の大きさと重さを誇るトラックにぶつかられて、無事な人間がいるだろうか。腕に抱えた紫の子猫は無事だろうか。私ごときの体が衝撃を全て吸収しているはずなど無いが、あるいはあの瞬間に自分だけ上手く逃げ出してくれたならあるいは。





 と、そんなことを考える間もなく、私の目の前が真っ暗になったのは言うまでもなかった。












    *












 水車というには巨大すぎる真っ赤な輪の周りに、無数に備え付けられた椅子。その一つに、私は腰を掛けて待っていた。この時の私は、ニンゲンと呼ばれる生き物の姿をしていた。
随分と長い間この場所に座って、私の番が来るのを待っていた。
 何の順番かはよく分からなかった。ただ、そこにいなければならない気がして、おとなしく座っていた。
最初にこの椅子に座ったのはいつだっただろうか。ここへくる以前はどこで何をしていたのだろうか。思い出そうとしても、記憶に靄がかかったように頭の中は真っ白になる。分かることといえば、自分がどこかへ向かっているのではないかということくらいだった。
私の周りには誰もいなかった。私が座っている椅子の前後にはかなりの間隔をおいて別の椅子があり、そこに誰かが座っているのが辛うじて見えるくらいだった。私が声を上げたところで、到底届きそうにない所だった。
輪が進む先で、誰かが待っているのが見えた。私の前に見える椅子が、その誰かのところに辿り着いた。椅子に座っていた誰かが、その先で待っていた誰かと何やら話しているようだった。その間、輪は止まっていた。それまで分からなかった、途中で止まる輪の秘密がやっと分かったというのに、不思議と何の感情も湧いてこなかった。あまりにも何度も繰り返されるから、ここがこういう場所なのだと思い込んでしまったのだろう。ただ、やっと自分の番がやってくるのだという感慨が、乾いた心を潤していくのを感じた。
止まっていた輪が再び動き始めた。私を待っていたのであろう誰かの姿が、徐々にはっきりと見えてきた。
それは背中に円形の葉を背負って地面に這いつくばった、奇妙な生き物だった。

「お待たせいたしました。こちらへどうぞ」

 輪がゆっくりと動きを止める。私の背の半分ほどの高さの台に乗っかったその生き物は、台の向かい側にある椅子を私に勧めた。私が椅子に腰掛けると、その生き物はおもむろに口を開いた。

「おめでとうございます。あなたの転生が決まりました」

 何を言っているのか、すぐには理解できなかった。おめでとうと言ってはいるが、「転生」がおめでたいことなのか疑いたくなるような、淡々とした口調だった。

「簡単に説明させていただきますね。あなたは一度死にました。そして、ぐるりと一周回ってここに戻ってきました。上からの指示により、あなたにはもう一度、生を全うしてもらいます」
「待ってください。それはどういうことでしょう」

 私は思わず口をはさんだ。それまで目に映るもの体に感じるものを全て、それが元々そういうものなのだと受け入れてきた私が、今ここにきて初めて疑問を持った。あまりにも不自然な感覚だった。その感覚すらも、私の体は今、受け入れようとしている。

「いきなり『あなたは死にました』とか言われても困ります。それに、回ってきたのはこの赤い輪のことだとしても、上って何です?もう一度生を全う?訳が分かりません」
「ですから、こうして説明する機会が与えられているのです」

 蓮の葉の生き物はあくまで淡々と告げる。

「あなたがその椅子に座っている間、何度も輪の回転が止まっていたでしょう。あれは、ここに来た者への説明の時間を取っていたからです。少し前までは、こんな説明なしに『あなたは転生します』『あなたは冥界行きです』の一言で済んでいたのですが、非常に多くの方から、ちゃんとした説明を施すようにとの要望があったものでして。おかげでこの有様です。輪が廻るまでの時間がそれまでの倍以上になってしまいました。これ以上はお待ちの方に迷惑がかかるので、説明に移らせていただきます」

 何が何だかさっぱりだった。私が困惑している間にも、蓮を背負った生き物は早口で話を進めていく。

「あなたは今から新しい命を受け取って、とある地方の溶岩の中で生まれます。種族名はマグマッグ。体自体が溶岩でできた生き物です。私から申し上げることができるのはここまでです。あちらの扉をくぐってください」

蓮の葉の生き物が短い前足で示した先に、何の変哲もない扉が立っていた。私が四つん這いになってちょうど通り抜けることができる程度の大きさの、木でできた扉だった。あまりにも小さな扉は、蓮の葉の生き物の為にあるのではないかとさえ思えた。

「後が閊えていますので、質問は受け付けません。それでは」

 蓮の葉の生き物が私に背を向けると同時に、止まっていた赤い輪が回り始めた。私をここまで連れてきた椅子はどんどんと遠ざかり、代わりに別の椅子が反対側から近付いてくるのが見えた。蓮の葉の生き物は既に私に背を向けて、近付いてくる椅子を待っているようだった。私が何を言っても、聞き入れてくれそうもなかった。
 仕方なく、私は示された扉へ向かって歩き始めた。
 扉に近付くにつれて、体の奥が熱くなるのを感じた。体中が湯気を発し、気付いた時にはどろどろに溶けて真っ赤になっていた。扉の前にたどり着く頃には、ニンゲンの姿はどこへやら、地面を這う溶岩の化け物と化していた。
 あれほど小さかった扉は、今ではすっかりちょうどいい大きさだった。私を待っていたかのように扉がひとりでに開いた。扉の向こうは真っ暗で、燃え盛る自身の体をもってしても見通すことはできなかった。それでも、地を滑る体は止まることなく自然に動いた。まるで私自身がこれから先の生命を待ちわびているかのように思えた。




円山翔 ( 2018/06/26(火) 07:18 )