星に願いを
シンオウ地方、トバリシティ。険しい山を切り崩して作られた石造りの街である。昼間こそ賑やかで明るく、夜になってもデパートやゲームコーナーのきらびやかな電灯が明るく照らすこの街は、ある時間を境に街を照らす明かりが全て消され、名前の通り夜の帳に包まれたかのように真っ暗になる。そうなると大抵の人間は自らの安息の場所に戻るものだが、もちろん例外もいない訳ではない。
石の地面が目立つこの街にも、所々に背の低い芝が茂り、人の手によって管理されていた。
その一角、二人の人間が地べたに座って空を眺めていた。
一人はまだ小さな少女。身に着けた白いワンピースが、星明りを浴びてぼんやりと輝いているようだった。
もう一人は少女より少し背の高い、白髪の老婆。闇の中に溶け込むような深い紫色の着物を着ていた。
どこまでも続く真っ暗な空。そこに、幾千の星々が宝石のようにちりばめられて、真っ暗な街をうすぼんやりと照らしていた。大きいものに小さいもの、白い光、赤い光、青い光。そのうちの一つが、すぅっと尾を引いて流れ落ちた。
「あ、流れ星!」
少女が歓声を上げて立ち上がった。しかし、その時には既に、空を翔ける星は姿を消していた。
「あ〜あ……」
少女は残念そうに腰を下ろすと、再び空に目をやった。
「ねえ、あのお星さまはどこへ行ったの?」
少女は隣にいた老婆に尋ねた。
「燃えてなくなってしまったのさ」
老婆が答えた。淡々とした、しかしどこか温かみのある声だった。
「ここから見れば綺麗なお星様さね。でも、本当はお空のどこかで燃えている石ころに過ぎないんだよ。石ころと言っても、その辺に転がっているものとは比べ物にならないくらい大きい石ころだけれどね」
知らなかった。そう言いたげに、少女は老婆を見た。
そうだろう?言葉には出さなかったが、老婆はそんな顔で話を続けた。
「あれはね、火のついた石ころが空を走っているのさ。不思議だろう?」
「じゃあ、どうして途中で消えちゃうの?」
「何か物が燃えたら、後にはほとんど何も残らないだろう?それと一緒さ。どんなに大きな石ころも、どこかで燃え尽きてしまうのさ。そして」
老婆は立ち上がって、少し離れた場所を指差した。芝生の広場にある、何かに穿たれたような巨大な窪み。その中でひっそりと居座っている、大きいとも小さいとも言えないごつごつした岩。老婆が指差していたのはこの街に住んでいるものならば誰もが知っている岩だった。
「燃え尽きずにここに降ってきたのが、隕石って呼ばれる石ころなのさ」
闇の中で表情は見えなかったが、老婆は確かに笑っていた。
「じゃあ、この隕石に願い事したら、叶うかな?」
少女は期待のこもった声で尋ねた。何かに縋るような、それでいて信念のようなものがこもった声だった。
「それは分からないね。流れ星は空にあるものだろう?地面に落ちたら、もう流れ星とは言えないじゃないのかい」
老婆が言うと、少女は黙ったまま俯いた。小さな溜息が、風の音に紛れて老婆の耳に届いた。
「そう悲しい顔をしなさんな。願いが叶わないって決まったわけじゃないんだから」
「……本当?」
「ああ。星に願おうが願うまいが、願いを叶えるのはお前さん自身だからね」
老婆はしわの寄った手を持ち上げて、少女の頭を優しく撫でた。
心地よさそうに目を細める少女に、老婆は優しく語り掛けた。
「そうさね。今日は流れ星のお話をしようか」
「聞かせて!」
「そう慌てなさんな。お話は逃げないよ」
暗闇の中でも目を輝かせて話をせがむ少女をなだめて、老婆はおもむろに語り始めた。
***
ここからカンナギタウンに向かう道の途中に、深い霧に包まれた谷があるのは知っているね。
そこに一人、魔法使いのおばあさんが住んでいたのさ。
「魔法使い?」
……実際はそう呼ばれていただけなんだけれどね。本当の名前はタツというんだ。
タツばあさんは、ある特別な技を覚えさせることができてね。それがこの地方ではタツばあさんだけだったから、魔法使いと呼ばれていたのさ。
「特別な技って?」
流星群っていう、流れ星をたくさん落とす技だよ。
「流れ星!」
ああ、お前さんが知っている流れ星とは違うものさね。流れ星という言い方が悪かったが、あれは願いを掛けて叶うとか叶わないとかいうような、そういう生易しいものじゃない。ドラゴンタイプの技の中で、一番強い技なのさ。降り注ぐのは無数の隕石。当たったら、並のポケモンではひとたまりもないよ。
本当はドラゴンタイプのポケモンなら誰でも覚えられるのだけれど、タツばあさんはそう簡単に流星群を教えようとはしなかった。修練を積んで、本当に強くなったドラゴンだけに、タツばあさんは流星群を授けていった。これまでにもたくさんのトレーナーがこの技を求めてタツばあさんの元を訪れたけれど、果たしてどれだけのトレーナーが、パートナーに流星群を覚えさせてもらったのだろうね。
前置きが長くなってしまったね。さて、お話はこれからだ。
ある時、タツばあさんの家に一匹のドラゴンポケモンを連れた女の子が迷い込んだんだ。
まだ十歳にも満たないんじゃないかってくらい小さな子でね。連れていたドラゴンも、その子と同じくらいの大きさでしかない。あそこは随分と険しい山道を通らなければいけない場所にあったから、どうして小さな子がたどり着けたのか、タツばあさんは不思議に思ったそうだよ。
その子は連れていたポケモンに流星群を教えて欲しいと、タツばあさんに頼んだんだ。
もちろん、タツばあさんは断った。流星群は強力だけれど、その分反動もきついからね。まだ成長しきっていないポケモンに教えて万が一の事があったら大変だ。
でも、女の子はどうしても教えて欲しいとせがんだ。あまりにしつこく頼み込むものだから、タツばあさんは女の子に理由を聞いた。
女の子が言うには、お母さんが病気で倒れて、あと一年の命だとお医者さんに言われていたそうな。それで、流れ星に願おうにもなかなか見られないから、パートナーに流星群を降らせてもらって、願いごとをしようと思ったんだとさ。
「それじゃあ願いは叶わないんじゃないの?」
どうなんだろうねぇ。あたしゃ知らないが、お前さんと同じで、その女の子は流星群に願えば叶うと信じていたのだろうね。
タツばあさんは迷った。中途半端に夢を追わせることの残酷さをよく知っていたからね。だから女の子に言った。流星群を覚えるためには、覚えるポケモンを技に耐えうるだけ鍛えなければならないということを。その間、せめてお母さんの傍にいてあげた方が、支えになるのではないかということ。夢を壊さないために、流れ星に願っても叶わない願いもある、ということは伝えなかったみたいだけれどね。
女の子は食い下がった。タツばあさんは女の子に尋ねた。今から半年で、パートナーのドラゴンポケモンを徹底的に鍛え上げる。その間、どんなに辛くても、逃げ出さずについてくる覚悟はあるかと。その間にお母さんが死んでしまっても、未練はないかと。
女の子は迷わず首を縦に振った。一年の命と言われたからには、絶対に一年は生きていてくれると信じていたんだろうね。その目に曲がらない信念を見たタツばあさんは女の子に約束をした。半年間の訓練について来て、かつパートナーが流星群を放つにふさわしい力を身につけたら、女の子のポケモンに流星群を教えることを約束したのさ。
そこからは、厳しい修行の毎日だった。初めは家の前の崖を登ったり下りたり。ある程度体力がついたら、今度はつり橋を通って、カンナギタウンを抜けてテンガン山まで行ったり来たり。道に転がっている岩を砕いたり、途中で出てくるポケモンと戦ったり。普通はもっと大きな子たちがこなす訓練を、その子は泣きごと一つ言わずにこなしたんだ。小さかったパートナーのポケモンも日に日に大きくなって、半年が経つ頃には、二度の進化を経て女の子の倍ほどの大きさにまで成長した。ドラゴンポケモンは他のポケモンと比べても育つのが遅いから、半年で最終進化形まで成長するのはたまげた事さ。
女の子がやってきてちょうど半年がたった日、タツばあさんは約束通り、女の子のポケモンに流星群を教えた。そしてどこへ行ったと思う?
「うーん……どこだろう?」
ここさ。
「えっ……ここ?」
そう。さっき見た隕石、あれは、その女の子が流星群の練習をした時に落とした隕石なのさ。驚いたかい?
「知らなかった……」
さて、この女の子は自らの力で、流星群を見るっていう願いを叶えた。それからパートナーが撃ち出す流星群に願いを掛けたのさ。そして、奇跡が起こった。
なんと、女の子のお母さんの病気が、治ったんだ。
「ええっ!?」
嘘みたいだろう?でも、女の子はお母さんの無事を毎日のように願ったんだそうだ。そして、毎日母親に会いに行った。するとどうだろう。治らないと思われていた病気が、ある日すっかり消えてしまったのさ!
「願いが……叶ったんだ!」
そうさね。願いが叶ったともいえるし、女の子自身が叶えたともいえる。女の子が頑張ったから、女の子のパートナーは流星群を覚えた。流星群に毎日願ったのが良かったのか、それともたくましくなった姿を母親に見せたのが良かったのかは分からないけれどね。
***
「これでお話はおしまい。さて、もう遅いからそろそろ帰ろうか」
よっこらせ、と立ち上がる老婆をよそに、少女はぼんやりと、地面に空いた穴の方を眺めていた。それからすいっと立ち上がり、引き寄せられるように穴へ向かって歩き出した。
老婆は何も言わずに少女を見守っていた。少女は深いとも浅いとも言えない穴の底で眠る隕石の前で立ち止まり、ぴったりと体を押し付けた。まるで石の鼓動を聞くようにしばらく張り付いた後、老婆を振り返って尋ねた。
「あたしの願いも、叶うかな?お話の女の子みたいに、叶えられるかな」
夜の静寂は、少女の声をはっきりと老婆に届けた。老婆は柔らかな笑みを浮かべて、
「ああ、きっと叶うさ。お前さんが強く願って、それを叶えるための努力をすればね」
と言った。
「じゃあ、あたし頑張る!」
少女は元気よく叫んで、老婆の元へと戻っていった。
「こらこら、夜中にあまり大声を出すもんじゃないよ」
老婆は少女を窘めながら、懐からモンスターボールを一つ取り出した。手探りで開閉スイッチを押すと、眩い光と共に一匹の巨大な竜が飛び出した。鮫のような姿をした土に生きる竜は、老婆と少女を背中に乗せると、目にもとまらぬ速さで走り去った。
星明りだけが照らす真っ暗な街を、再び静寂が包んだ。
色とりどりの星々が宝石のようにちりばめられた空で、小さな光が一つ、細い筋を残しながら流れていった。