X
見渡せば一面焼け野原だった。
山火事でもあったのか、なんてそんなレベルではなかった。
形あるものは全て真っ黒焦げになって、まだ勢いの収まらない炎の熱風に吹かれてぼろぼろと崩れ去っていく。
そんな中、俺は荒く息を付きながら佇んでいた。
胸元では小さな石が、胸当ての真ん中で虹色に輝いていた。
熱い。俺の吐いた火がこんなにも熱いなんて。
すごい。俺の体まで焦げ付いてしまいそうだ。
悪の組織は壊滅させたみたいだけど、これはさすがにやりすぎだったのかな。
今の力を手に入れてから、初めての戦い。俺自身、これほどの力を自分が秘めていることに気付かなかったのだ。それを引き出したのは、紛れもなくトレーナーの人間である。俺はあの人に心から感謝していた。
今日も疲れた。でも、まだもう一仕事残ってる。
あの人を乗せて帰らないと。
あの人はどこだ?
俺はずっと一緒に旅をしてきたパートナーを探した。戦いに夢中で、気が付いた時にはその姿を見失っていた。
そして、見つけた。
ここにいたんだ。
お疲れ様。さあ、帰ろう。
俺は横たわるパートナーを抱き上げ、甘えるような優しい声で鳴いた。
だが、パートナーは応えない。
否、応えることなどできなかった。
なあ、どうして動かないんだ?
なあ、返事をしてくれ。
いつもみたいに俺の名前を呼んでくれよ。
俺の炎なんか目じゃないくらい、お日様みたいに暖かい笑顔を見せてくれよ。
今まで、どんなに苦しい戦いも一緒に乗り越えてきたじゃないか。
これからもずっと一緒にいようねって言っていたじゃないか。
どこへ行っても、一緒に帰ろうって約束したじゃないか。
俺の胸元で光る石の輝きが失われていく。同時に、真っ黒に染まった体がいつもの橙色に戻っていく。尾の先と口から吹き出す青い炎も、普段通りの赤い焔に戻っていく。
熱くなった体と一緒に、沸騰した思考も徐々に冷えてきた。そして理解した。
この人は、もう――――
*
君が僕のところにやって来たのは、もう半年も前のこと。
住んでいた地方のジムバッジをすべて集め、ポケモンリーグまで上り詰めて。そこで天狗になった鼻をへし折られるかのような惨敗を喫して実家に戻った時のことだった。
母親がポケモンの里親にならないかと提案してきた。
ゲームの中で所狭しと動き回る雄々しい姿に小さい頃から憧れて、でも僕の住む地方には生息していなかったために諦めたポケモンだった。僕は二つ返事で里親を受け入れた。
僕のところにやって来た君は、僕の握りこぶしほどの青くて丸い石がはまった、金属製の胸当てをしていた。ゲームで見慣れていたからよく分かる。メガシンカする二つの姿のうち、
Xと呼ばれる姿になることができる石。君の名前はすぐに思い付いた。
「今日から君はイクスだよ。よろしくね」
僕が君の首に抱き付いたら、君は困ったような顔をしながら、それでも喉を鳴らして笑ってくれた。
君は水が苦手だから、僕が海やプールへ行くときやお風呂に入るときは外で待っていてもらったけど、それ以外はどこへ行くにも何をするにも、ずっと君と一緒にいた。
兄弟姉妹のいない僕にとっては、君は大きいお兄さんのような存在だった。
君と一緒に色々な街を訪れ、時には道行く人とポケモンバトルをすることもあった。
でも、君は得意なはずの炎攻撃を全く使おうとしなかった。
ポケモン図鑑の記述には、「何でも溶かしてしまう高熱の炎を自分より弱い者に向けることはしない」と書いてあったから、君よりも強い相手になら火を噴いてくれるかな、と期待して、ポケモンリーグ上位入賞者にも何度かバトルを申し込んだ。
しかしそうではないようだった。
君は自分よりも強い相手にさえ、その炎を向けなかった。
君を戦いに出すたびに、僕は相手のトレーナーから非難を受けた。
「真面目にやってくれ」
「リザードンなのに炎技使わないって、舐められたものだね」
「見下してんじゃねえよ」
などと言われるのはいつものことだった。酷い時には
「使わないならその尻尾の火を消してしまえ」
とまで言われた。これにはさすがにカチンときた。君達の種族にとって、尻尾の炎は生きている証。その炎が潰えた時、それは君達が命を落とす時なのだ。戦いが面白くないからと言って簡単に「死ね」と言われるのは、あまりにも理不尽だ。
もう一つ、君はメガシンカを受け入れようとはしなかった。
うちに来たばかりの頃は何となく受け入れられないのは分かった。メガシンカはポケモンと人間が石を通じて心を通わせて初めてできる進化なのだ。初めて会ったばかりの人間に対してそう簡単に心を許せるものではないだろう。
しばらくたって僕がキーストーンを手にメガシンカを促すと、君はやはりあからさまに嫌がった。普通に戦う分には全く問題ないくらいには絆を深めていたはずなのに、メガシンカだけは絶対に受け入れようとはしなかった。
ゲームなら、自分で捕まえたポケモンだろうが人からもらったポケモンだろうが関係なく、好きな技を覚えさせて使えるし、好きな持ち物を持たせることができる。ジムバッジさえ集めれば、どんなレベルのポケモンでもいう事を聞いてくれるようになる。メガシンカだって、必要なアイテムを手に入れて持たせればコマンド一つで簡単にできる。
でも、現実はそう甘くはなかった。
ジムバッジを八つ持っているのに、君は僕の指示する炎技を使ってはくれない。
必要な石は持っているのに、君はメガシンカをしてくれない。
きっと君には君なりの想いがあってのことなのだろうけれど、火を噴かない君は本来の君じゃない、そんな風に思った。
ゲームの中ではあれほど大きかった背中が、目の前にいる今は随分と小さく縮こまっているように見えた。
*
お前は分かっていない。
俺が全力を出したら、お前まで巻き込んでしまうんだ。
赤と白の二色で彩られたボールの中で、俺は頭を抱えていた。
確かに炎は俺の一部であり、戦いにおいてそれを使わないのは異質なことではあるのだろう。だが、俺はあの日心に刻まれた恐怖心を拭えずにいた。
目を閉じるたびに、目の前に鮮明に蘇る光景。煉獄に身を投じられて、たった一人だけ取り残された感覚。その煉獄を作り出したのが自分であるという皮肉に対する嫌悪感。それらは毎日のように夢に現れ、心地よい眠りの時間を俺から奪い去っていく。
どうしたら伝えられるだろう。
俺の言葉が分からないお前に、どうしたら伝わるだろう。
考えてみたところで、いい案が浮かぶ訳でもなかった。
半透明なボールの殻を通して、外の風景をぼんやりと眺める。
俺の耳に、こんな音声が飛び込んで来た。
『ポケモンの夢を映像化する装置の運用が、○月×日より全国で始まります。この装置はイッシュ地方サンヨウシティ在住の研究職、マコモ博士が企画・開発したもので……』
何でもない、お昼のニュース。
だが、俺にとってそれは一筋の光だった。
俺はボールの中からパートナーを呼んだ。
頼む、気付いてくれ――――
外からの音は聞こえてくるのに、中の音はほとんど外へは届かない。
吠えても聞こえないならばとボールの中で暴れまわり、ボールの外でテレビを見ているパートナーへと合図を送る。
俺を、悪夢から解放してくれ――――
*
「母さん、これでイクスの夢を見てみたい」
聞こえてきたニュースに反応して僕がこんなことを言ったのは偶然なんかじゃない。
君が炎を使わずメガシンカを拒む理由が、君の過去に関係する事だったら、もしかしたらその時のことを夢に見ているかもしれない。
あくまで予想でしかないし、その夢を君が毎日見ているかどうかなんて分からない。
それでも、君には今の君のままいて欲しくはなかったから。
母の同意をもらって予約を取って、君と一緒に装置のある研究施設に行った。
朝早くに家を出たのに、既にたくさんの人が並んでいた。
随分長い時間待たされて、お昼前にやっと僕たちの番がやって来た。
君をベッドに寝かせて、職員の人が頭に何やら機械を取り付けると、催眠術をかけられている訳でもないのに君はすぐに眠りに落ちた。
夢を映し出すというディスプレイは、しばらく真っ暗だった。しばらくとはいっても、待合室でずっと待たされている時間よりははるかに短かった。
そして、ディスプレイに映し出されたその光景を見て、僕は言葉を失った。
君はかつて、その強すぎる炎のせいで自らのトレーナーを失っていたのだ。
君は、もう二度と自分のせいで大切な誰かを失いたくなかったのだ。
そうでありたいとは思っていても、僕が君にとって大切な人なのかどうかは、ポケモンの言葉を理解できない僕には分からない。ただ、君の力は人間の指示一つでポンと出すにはあまりにも強すぎたのだ。
ゲームならば指定した相手の体力ゲージが減少するだけだ。だが、現実は違う。
君の炎は君の意思に関係なく触れたものを焼き焦がし、高熱にも耐えうる合金でさえ耐え切れずに溶けてしまう。そんな熱気に当てられて無事でいられる生身の人間が果たしているだろうかという問いの答えは、考えなくとも分かり切っている。
「それで、ずっと苦しんできたんだね」
再びディスプレイが真っ暗になって、職員の人が「これで終わりです」と言った後も、僕はまだ眠ったままの君の右手を、両手で包み込んで離さなかった。
大きくてごつごつした、暖かい手だった。
*
俺の夢を覗いた日から、お前は俺に炎技を命じなくなった。メガシンカを促すこともなくなった。バトルの時は相手のトレーナーにちゃんとそのことを伝えた上で戦った。伝えただけで、面白くないからと言って試合を断る人もいたけれど、ちゃんと受け入れて戦ってくれる人もいた。
お前は相変わらず物足りなさそうな顔をしていた。
あれからしばらくたったある日の夜のこと。俺はまた悪い夢を見た。
いつもと同じ光景。だが、何かが違う。
「イクス、メガシンカだ!」
そんな声が聞こえるはずはなかった。イクスという名は、今のパートナーにもらった名前なのだから。
やめろ!
その声は届かない。届いたとしても理解できない。
石が光る。体の奥から力が溢れ出る。抑えることもできずに、その力は周りにあるものを吹き飛ばして――――
「助けて!」
突然聞こえてきた悲鳴で目が覚めた。
*
遠出して家に帰るには遅い時間になってしまったので、宿を探して泊まったらボヤ騒ぎに巻き込まれるなんて、今時そうそう起こることじゃないと思っていた。これは後で聞いた話なんだけど、おまけにスプリンクラーが故障していたなんてあまりにも都合が悪すぎて作為的な何かを感じてしまう。
夜中に目が覚めてなんだか焦げ臭いと思ったら、周りは火の海だった。僕の周りを囲むように燃え盛る炎は、じりじりとその輪を狭めてくる。思わず声を上げたけれど、誰かが来てくれるわけでもなさそうだった。
そこにいるのは僕と君だけ。今頼れるのは君しかいない。
僕はボールの開閉スイッチを押して君を外に出した。
「君の炎で周りの炎を吹き飛ばすんだ」
君はあからさまに嫌そうな顔をした。
嫌なのはよく分かっている。でも、火の壁は風で煽れば更に燃え上がる。天井を突き破ることができない以上、内側か ら火を放って、外からくる火を相殺しなければならない。
「君の炎がないと、僕も君も死んでしまうかもしれないんだぞ!君はあの時とは違う!」
君は吠える。だけど、僕は君が何を言っているのは分からない。
そうしている間にも、炎の輪はじりじりと迫ってくる。
「君が死んだら、前の主人だって悲しむだろう!」
君がカッと目を見開いたのが、熱さで朦朧とする意識の中でもよく分かった。
「行くよ。イクス、メガシンカ!」
僕は腕輪を付けた右腕を天井に向かって突き上げた。腕輪にはまった丸い石が、君の胸元に輝くもう一つの石と光の筋で繋がったかと思うと、君は卵の殻のようなものに包まれた。ぴしぴしと音がして、殻にひびが入っていく。
そして――――
宿に火薬庫でもあったのかと錯覚しそうな大爆発が、僕たちに迫っていた炎も周りにあったものも盛大に吹き飛ばした。
*
まただ……またやってしまった……
周囲に広がる惨状を目にして、俺は悲嘆にくれた。もうこの景色を見たくないから、この姿も体の底から湧き上がる炎も封印してしまったというのに。今度のパートナーは、やはり分かってくれなかったのだ。
周囲のあらゆるものが真っ黒に焼け焦げて悪臭が漂う中で、お前は俺の足元に倒れていた。着ている服は真っ黒で、動く様子はなかった。
またあの時と同じだ。
俺はまた、パートナーを死なせてしまったのか……
心が悲鳴を上げる。みしみしと音を立てて、それまで守ってきたはずのものが崩れ去っていく。咆哮は、自然と口から洩れた。
しばらく吠え続けて、俺は違和感を覚えた。
いつもなら冷めていくはずの熱が、今もまだ体の中に煮え滾っている。
あの時とは何かが違う。
そうだ、元に戻らない。
黒い体も、青い炎も、胸元の青い石の輝きも。
「やるじゃん、イクス」
半年間ですっかり聞き慣れた声が足元から聞こえた。
生きている!お前は生きている!
それがただただ嬉しくて、悲しみの咆哮が喜びのそれに変わった。
お前はゆっくりと起き上って煩わしそうに全身をはたく。黒い煤がぽろぽろと宙を舞い、中からいつも通りの姿が現れた。煤で汚れていただけで、命に別状はないようだった。
「僕は大丈夫。心配してくれてありがとう」
熱くてたまらないはずなのに、お前は俺に笑ってくれたんだ。
*
君はまた、炎を使えるようになった。
きっかけが事故だったというのは皮肉だけれど、君の炎は誰かを傷つけるためだけにあるわけじゃないって、気付いてくれたのだと思う。
強大な力は確かに、使い方を誤れば自らをも滅ぼしかねない。
でも、君はもう自分で制御できる。
その炎を、誰かを守る為に使うことができる。
「いくよ、イクス。メガシンカ!」
声高らかに叫んで、僕は腕輪をはめた手を天高く突き上げる。
ギャオォォ!!
声高らかに叫んで、君は胸元の石に拳をぶつける。
僕の腕輪と君の胸元の石から光が溢れて。
石と石が、心と心が繋がって。
殻を破って、力が弾けた。
ゲームで見た君と変わらない黒い体と青い炎を携えて、君は今日も元気にバトルフィールドを駆け巡る。