試験と試練
その日から、ゲンとルカリオによる指導が始まった。
「いいかい?大切なのは、よく見てよく聞くこと。相手の動きを、呼吸を、読むこと。それができれば、相手の攻撃を予測して、自分の動きに繋げることができるからね。これは戦いだけではなく、誰かとの関係を保つためにも大事なことなんだ」
修業を始める前に、ゲンは僕にこう言った。僕はこの言葉を、心に深く刻み込んだ。小さい頃からこのことを知っていたら、いじめられなかったのかなと思った。
ルカリオは、格闘技における様々な動きを教えてくれた。といっても、攻撃の方法ではなく、攻撃の受け方、避け方、流し方などが主だった。言葉はなかったけど、「学ぶ」ことは「まねぶ」、つまり、まねることから始まるのだと誰かが言っていたことを思い出して、ルカリオの動きを僕は精一杯まねた。ゲンはその様子を、傍で見ていてくれた。
ゲンは、ルカリオとの実技の後のカウンセリングをしてくれた。僕の動きの問題点を示して、改善策を一緒に考えた。大きな動作から細かな重心移動、更には集中力を高める瞑想のやり方に至るまで、丁寧に手ほどきをしてもらった。教わった戦い方が、スポンジが水を吸い込むように体に流れ込んでくるのが感じられた。
基礎的な動きができるようになってからは、ルカリオと簡単な組み手をした。ルカリオが繰り出す拳や脚を避け、避けられないときには流し、それもできないときは衝撃を和らげながら受け止める。そこにできた隙を逃さず、足払いで体勢を崩したり、猫だましで驚かせたりして間合いを取る。時には攻撃の勢いを利用して投げ飛ばす。攻撃的な動作というよりは随分受け身的なものだったけれど、非力な僕にそれくらいしかできないことは何となく分かっていた。
「人間の力では、一部の人を除いてポケモンに大きなダメージを与えるのは難しい。だから、極力戦いは避けること。戦いになってしまったら、できる限り相手を疲れさせてから逃げること。君から攻撃を仕掛けるのは、本当に追い込まれた時だけだ」
ゲンは組み手が終わるたびに、僕に言い聞かせた。その言葉通り、組み手において僕が攻撃という攻撃を繰り出すチャンスは訪れなかった。
一人である程度戦えるようになると、今度は鋼鉄島の鉱山の奥に一人で行って帰ってくるというメニューが追加された。鉱山の中にはイシツブテ、ゴローン、イワークなどの岩タイプのポケモンに加え、蝙蝠ポケモンのゴルバットが住み着いている。岩ポケモンは固くて、殴ったらこちらの体が壊れそうだし、ゴルバットに至っては遠距離攻撃を仕掛けてくる上に、僕に近づいてくるまでこちらからの攻撃が届かない。ゲンの言っていた通り、まともに戦うことはできないので、うまく避けるか流すかして逃げるしかない。ルカリオが攻撃以外の方法を教えてくれたのは、このためだったのだと分かった。何時、何処から飛び出すか分からないポケモンの攻撃をどうにか掻い潜り、入り口から最奥部までの道のりを何度も往復した。初めのうちは野生のポケモンの攻撃が上手く捌ききれずに、何度もボールから発生する力場に助けてもらった。回数を重ねるごとに、力場に頼る回数は減っていった。
ゲン曰く、この鉱山には主的な存在のポケモンがいて、ゲンもまともに勝ったことがないということだったが、幸運なのか不運なのか、修業の途中で僕がその主に出会うことはなかった。少なくとも最終日までは。
クレセリアとの約束の日が翌日に迫ったこの日、ゲンは僕に最終試験という名目で試練を課した。
「鉱山の奥まで一人で行くのは、いつもと同じだ。でも、今日はそこに、あるものを置いてきている」
「あるもの、ですか」
「そう。ポケモンの卵だ。最奥部にある卵を持って、傷付けないようにここまで持ってこられたら合格だ。ただし、できる限り君のボールの力に頼らないこと」
ポケモンの卵を守りながら、野生のポケモンの攻撃をいなし鉱山の中を進む。自分の身を守るだけでも精一杯だったのが、自分以外のものまで守らなくてはならないとなると更に難度は増す。
「自分の身は守れて当然だ。自分以外の者を守ることのできる力は、君の目的には欠かせないものだからね」
とゲンは言っていた。
僕はバッグの中身をできる限りゲンに預け、クッション性のありそうな上着とタオルと包帯だけを詰めた。ゲンは「入り口で待っているよ」と言って、僕を送り出した。ボールの力場は、発生したら入り口からでも読み取れると言っていた。
僕はいつも通り、薄暗い鉱山の中を慎重に進んだ。だが、今日は珍しく野生のポケモンにほとんど出会わなかった。出会っても襲ってくることはなく、じっとこちらを見ているか逃げ出すかのどちらかだった。それまでは襲ってくるばかりだったため少し拍子抜けしたが、気は抜かなかった。というより、気を抜くことができなかった。何か大きな気配が、奥に行くにつれて濃くなっていった。最奥部に着いた時、その気配の主が誰なのかが分かった。そして、到底僕の手には負えないかもしれないということも。