ボールと御守り
翌朝。僕は日の出とともに目を覚ました。寝袋からはい出ると、隣にテツが布団を敷いて眠っていた。きっと遅くまでボールをいじってくれていたのだろう。起こさないように気を付けて寝袋をたたみ、バッグに収める。板の間を出ようとした時、背後から寝ぼけた声が聞こえた。
「押し入れに布団があったのに」
ぎょっとして振り返るが、テツは布団にくるまったまま起きる気配はない。とんでもない寝言を言うやつだな、と思った。
作業場へ出ていくと、ドーミラーがふよふよとこちらにやってきた。
「朝ごはんを作りたいんだけど、台所はどこ?」
僕が尋ねると、ドーミラーは僕の周りを一周した後、ついて来いとでもいうようにカチャカチャと鳴いて、ゆっくり漂っていった。
案内された台所で、僕はテツとドーミラーの分も含めた朝食を作る。テツと僕には木の実のスープ、ドーミラーにはポフィン。どれも僕の手持ちの材料で作ったものだ。ドーミラーは好きな味が分からないので、甘いもの、酸っぱいもの、苦いもの、辛いもの、渋いものの五種類の味を用意しておく。出来上がったポフィンを見て、ドーミラーは目を輝かせた。
「どの味が好きなの?」
僕が差し出したポフィンを一つずつ口に含んで、特に嫌そうな顔はしなかった。好き嫌いがないのだろう。沢山作っておいたポフィンを一つ一つ念力で浮かせて、口元へ運んでいく。
僕も自分用の器にスープをついで、手を合わせる。食前食後のあいさつは忘れない。
「おいしそうなもの作ったね、アキ」
背後から聞こえた声に、飛び上がりそうになった。落ち着いて振り返ると、テツが台所の入り口から顔を覗かせていた。
「寝てたんじゃなかったの?」
「なんかいいにおいがしたから、目が覚めたんだよ」
テツは食器棚から器を取り出してスープをつぎ込んだ。いつの間にかポフィンを全部平らげたドーミラーが、念力で卓袱台を運んできた。
「ありがとね、ミラ」
テツは器を持っていない方の手でドーミラーの淵を撫でた。ドーミラーは嬉しそうにカチャカチャ鳴いて、体を小さく揺らす。
「何ぼけっと見てるのさ〜。さっさと食べようよ」
テツに促されて、僕も卓袱台に向かって座る。ネコブの実で出汁を取って、いろいろな木の実をふんだんに使ったスープを、テツは文句の一つも言わずに平らげた。
「ごちそうさん。相変わらずうまいな」
「ありがと。普段から自炊しているからね」
腹をさすりながら言うテツに、僕は笑って返した。
二人と一匹で台所を片付けてから、テツは僕を作業場へ連れて行った。僕が頼んだボールは、既に完成しているように見えた。手に取ると、上半分の緑色の表面は透き通っているようで、中は真っ暗な夜空に星が浮かんでいるように見えた。一瞬だけ強く握ると手のひらサイズから更に小さくなり、もう一度指で強く押すと元の大きさに戻った。大きさ変更の機能はばっちりだ。ボールのてっぺんには、紐を通せるように穴の開いた小さな板が付いていた。そして何より、軽かった。持っていても重さをほとんど感じなかった。首にかけるということを考慮して、テツが配慮してくれたのだろう。
「渡されたのは闇の石だけだったけど、月の石の成分も混ぜておいた。もらった料金に入っているから、追加料金はいらないよ」
それで高かったのか、と納得がいった。テツは僕の話を聞いた時から、そのことを思いついていたようだ。ボールを開いてみると、捕獲網だけでなくボールの内部も優しい光を帯びていた。
「ありがとう。こいつの名前は?」
「アキがつけなよ。作ったのは俺だけど、所有者はアキなんだから」
僕を見ていししと笑うテツ。ノートとペンを持って、期待する目で僕を見ている。
テツは作ったボール一つ一つに名前を付けている。自分でつけるか、あるいはボール作りを頼まれたトレーナーに付けてもらうかのどちらかだ。その一つ一つを記録して、ノートにまとめておくのだ。
「そうだな……三日月の羽で捕獲網を作ったから、クレセントボールかな」
「
Crescentか、いいじゃないか。……これでよし。ほい」
テツは名前を書いたノートのページを破って、僕にくれた。僕の告げた名前だけが、そこに記されていた。
「これ、残しておかなくていいの?」
「アキが他言無用って言ったんじゃん。いつ見られるか分からないから、自分で管理してよね。シュレッダーにかけて捨てるならそれもよし、大事にとっておくもよし。どうするかはアキに任せるよ」
「テツの記録は?」
「こんなボール作ったのは初めてだし、二度と作らないだろうから、覚えておくさ」
僕はノートのページを畳んで、ボールと一緒に胸ポケットに収めた。
「これからどうするんだ」
「首からかける用に紐か何かを探して、あとは家に帰って僕自身の準備かな」
テツは「ふーん」と言って、それ以上何も聞かなかった。
僕がテツの店を出たのは、昼過ぎだった。本当ならボールを受け取ってすぐに出るつもりだったのだが、
「もうちょっといてもいいのに。せめて、昼飯食ってからとか」
とせがまれて、昼食も僕が作ることになった。夜のぶんも考えて、少し多めに米を炊き、スープとポフィンも多めに作っておいた。
テツはドーミラーと一緒に、カンナギタウンの入り口まで僕を見送ってくれた。「また来いよ」の一言が、じんと心に響いた。
深い霧の立ち込める道を慎重に下って、209番道路のカフェ、「山小屋」で休憩した。
満月島でクレセリアと、新月島でダークライと話したのが、何年も前のことのように感じられた。ふと、ダークライが僕に催眠術をかける前に、僕の名前を呼んだことを思い出した。出会ったのは初めてのはずだ。名乗ってもいない。それなのに、ダークライは僕の名を呼んだ。僕の記憶にないだけで、何処かで出会ったことがあるのだろうか?
結局これといった仮説も浮かばないままに、カフェ山小屋を出てズイタウンへ向かった。宿はそこでとった。宿の個室で、胸ポケットに入れておいたボールと紙切れを取り出す。個室に備え付けてあるペンを手に取って、紙切れに書かれた「クレセントボール」の文字の下に、別の名前を書き加えた。テツに聞かれた時にあえて言わなかった、もう一つの名前。
“
夢守”
それは“悪夢”を退け、いい夢を守ってほしいと願って付けた名前だった。