職人と鏡
ミオシティに戻ってすぐ、僕はポケギアをバッグから引っ張り出した。しばらく使っていなかった友人の名前を選んで、通話ボタンを押す。しばらく呼び出し音が鳴ってから、ポケギアの向こうから寝ぼけ気味の声がした。
『……何か用?』
「久しぶりだね、テツ。今、仕事入ってる?」
『いや、特には』
「大至急作ってもらいたいものがあるんだけど」
『今どこにいるの?』
「ミオシティだよ」
『……分かった。13時にうちの店まで来て』
ブツッと音がして、通話が知れた。相変わらずだなと思いながら、ポケギアについている紐を首からかける。向こうからいつ連絡があっても対応できるようにするためだ。普段は滅多に連絡が入らないので、僕のポケギアはバッグの底に埋まっている。代わりに、こうして仕事を頼んだ時はいつも首から下げておいた。
テツはジョウト出身のボール職人の跡継ぎで、材料さえ用意すれば、オーダーメイドで捕獲用ボールを作ってくれる凄腕の職人だ。僕の親とテツの親が親しかったので、通う幼稚園や学校こそ違ったけれど、小さい頃から交流があった。
テツは中学校を卒業してすぐに親から独立して、今はカンナギタウンで店を開いている。カンナギまでの道のりが険しいのと、彼の店が分かりにくい場所に立っているのとで、客はそれほど多くはなかった。何故そんな店の開き方をしたのかを以前聞いたことがあったが、彼はしれっとした顔をして、
「一人でやっていくには、客は多すぎるよりも少なすぎるくらいの方が捌きやすい」
と言っていた。カンナギタウンには気のいい人が多いため、近所付き合いを大切にしているテツは何とか食べていけるらしい。
テツに指定された時間までは余裕があったけど、携帯食料で軽く朝食を済ませてから、僕はすぐにミオシティを発った。カンナギタウンへはしばらく行っていないうえに、道の途中から濃い霧が立ち込めている。焦って崖から落ちるなんてことになったら、クレセリアとの約束どころではなくなってしまう。
カンナギタウンに着いたのは12時丁度だった。町の食堂で昼食を済ませ、テツの店へと足を運ぶ。時間は12時28分。充分だ。
店の扉を開くと、ドアに備え付けられた小さな鐘がカチャカチャと奇妙な音を立てる。何だろうと思って見てみるが、扉が開く勢いで円形の金属板が吊るしてあるだけだった。
入ってすぐのところに来客用のテーブルと椅子が、少し奥には作業用と思われるスペースが設けてある。道具が床に散らばった作業場の奥から、ひょろりとした体型の青年がのっそりと出てきた。
「相変わらず早いね、アキ」
「遅いよりはましでしょ」
この店の店主にして唯一の店員、テツが「まあ、座りなよ」と僕に椅子を薦めてくれた。椅子に座ると、テツはテーブルを挟んで向かい側の椅子に腰かけた。
「で、作ってほしいものって?」
聞かれて僕は胸ポケットから布袋を、バッグから手のひらサイズの黒い石を取り出す。布袋を開き、中の羽を丁寧に取り出す。羽を見て、テツの目に興味の色が浮かんだ。
「三日月の羽か。珍しいもの持っているね」
僕は「ちょっとね」と言葉を濁して、本題に入る。
「捕獲網をこの羽で、あと、闇の石の成分を加えてボールを作ってほしい。ダークボールみたいなものだと思ってもらったらいいかな。あと、首からかけられるフックと、縮小機能も付けてほしい」
「注文が多いね……まぁ、いいや。ぼんぐりは?」
「持ってないから、ここにあるやつで。緑のはある?」
「ダークボールとフレンドボールの合作ね。何捕まえるのさ?」
「捕まえるのも一つだけど、半分はお守りかな」
テツは興味半分、疑問半分といった目で僕を見た。その目の輝きに押されて、僕は昨日の夜にあったことを全てテツに話した。
「ふーん、そんなことがねぇ。」
テツはにやりと笑って、三日月の羽を手に取って眺める。
「他言無用でお願い。あまり大っぴらにしたくはないから」
「秘密は守るよ。それが商売の掟だからね」
「助かるよ」
テツはあまり他人の事情に干渉しようとしない。それが彼のいいところだと、僕は常々思う。あの船乗りみたいだなという考えが、ふと頭をよぎった。
「しかし、ダークライの悪夢を止める、か。アキもずいぶん大変なこと引き受けたものだな」
「仕方ないでしょう。困っている誰かが目の前にいたら、何とかしたいって思うものじゃない?」
「まあ、俺の作ったボールが幻のポケモンを救う助けになるのなら、光栄かな。でも、そのお人よしも、相変わらずだよ」
三日月の羽をくるくる回しながら言うテツに、僕は苦笑いを浮かべて話を逸らす。
「いつ頃できそう?」
「そうだな……明日の夕方くらいには完成すると思うね」
「分かった。じゃあ、完成したら、連絡をちょうだい。お代は?」
「一つ2500円になります」
「……高いね、相変わらず」
僕は少し苦い顔をして言った。ショップで買えるボールでも、ここまで高くはない。
「普通のダークボールですら1000円するんだ。ぼんぐりもここにあるやつを使うし、そこに特殊機能をつける分、手間賃はもらわないと割に合わないね」
テツは鋭い眼光で僕を射抜いた。金勘定に関しては、僕はテツには敵わない。渋々ポケットの財布から2500円を引っ張り出してテツに渡す。「まいどぉ〜」と言って、テツは受け取った2500円を自分のポケットに突っ込んだ。僕がじっとりした目でテツを見つめていると、
「今晩は泊まっていきなよ。ボールと宿の代金で2500円だと思えば、安いものだろう」
と提案してくれた。宿も決まっていなかったし、僕としては大助かりだ。
「いいの?」
「ああ。その代わり、その羽の加工は任せた」
さっきまで眺めていた羽を僕に差し出すテツ。ここで文句を言っても追い出されるだけなので、僕は何も言わずに羽を受け取って紡ぎ始めた。テツが店を始めたころに何度か手伝わされたことがあったので、何ら問題はない。テツはというと、戸棚から緑色のぼんぐりを取り出してきて、何やら加工を施している。
「助けたいって言った本人が、手伝うのは当たり前だよね〜。手伝ってくれる代わりに、出来上がりは明日の朝になるかもなぁ〜」
手を動かしながら、テツはこちらを見ずに行った。僕に言っているのは間違いないだろう。手伝えば早く済むというのだから、僕にとっては都合のいいことではあるのだが、人の使い方が上手い奴だと思った。
三日月の羽は、驚くほど簡単にほぐれた。先をつまんで引っ張ると、布の綻びのように次々と出てきて、あっという間に長い一本の糸になった。
「終わったよ」
「じゃあ、その辺にある織り機で網を作って。あまり目をきつくしないように頼むよ」
「オーケー」
テツに言われるままに、僕は散らかった道具の中から小型の折り機を探す。基本的には毛糸の編み物と似た操作だが、細い糸を扱う分、切れないように細心の注意が必要になる。テツはいつも一人でその作業をこなしているのだ。あれだけの値段を要求するのも、頷ける気がした。
僕が網を作り終えた頃には、窓の外は既に夜のとばりに包まれていた。作業場にはいつの間にか明かりが灯っていた。テツと僕の中間くらいの場所の天井近くに、何か光るものが浮かんでいる。
「できたよ」
僕は作業を続けるテツに横から網を差し出そうとした。すると、網がひとりでに浮き上がって、テツの手元へ漂っていった。僕の作業中にテツが近づいてきたことも、ピアノ線が網に括り付けられていたこともないはずなのに、だ。
「お〜、よくできてるね〜。うちで雇いたいくらいだよ」
網を手に取ったテツは、網を光に透かすように眺めながら、僕の方を見ずに言った。網が浮いた謎が解けない僕は、
「テツ、超能力なんて使えたっけ?」
と尋ねてみた。
「ああ、あれは、ミラの“念力”だよ」
テツは天井の明かりに向かって手招きをする。すると、明かりがテツの手元まで降りてきて、光が弱まった。見覚えのある円形の金属板。僕がドアベルだと思っていたものは、実はドーミラーだったのだ。テツは「ご苦労さん」と言って、磨き布でドーミラーを磨く。ドーミラーは僕が店を訪れた時と同じカチャカチャという音を立てながら、心地よさそうに目を閉じていた。
「俺の店の、ドアベル兼光源兼防犯装置だよ。頼んだ覚えはないけどね。このあたりで見つけたんだけど、どうも懐かれちゃって。ここに住み着くようになってから、勝手にこういうことやってくれているんだよ。なぁ、ミラ」
なんだかポケモンを道具扱いしているように聞こえたが、今見ている限り、手入れなどのトレーナーとして当然のことをきちんとやっているように見える。ミラと呼ばれたドーミラーも、別に嫌がっている様子は見受けられない。
「いくらアキでも、あの時お金出すのを渋ったら、ジャイロボールか怪しい光が飛んだだろうね」
テツはにやりと笑って怖いことを言った。どちらも人間が食らっていい技ではなかったはずだ。僕はあの時の僕に心から感謝した。
「もう遅いから、アキは寝てていいよ。あとは俺がやっておくから」
テツは大きな欠伸をしながら言った。自分でやっておくということは、僕にはできないことなのだろう。下手に手を出すよりも、任せた方が安心できる。
「うん、よろしく頼むね」
「奥に板の間があるから。ミラ、案内してあげて」
テツに言われて、ドーミラーは作業場の奥へと漂っていた。
「ありがとう」
「おう、おやすみ〜」
軽くあいさつを交わして、僕はドーミラーについていった。
テツの言っていた板の間に着くと、ドーミラーはカチャカチャと鳴いて、もと来た道を戻っていった。僕はバッグから寝袋を取り出して潜り込んだ。意識が落ちるのに、そう時間はかからなかった。