望月と三日月
あの夢を見てから満月の日までの数日間、僕はミオシティの図書館で本を漁った。片っ端から、悪夢や彼に関する記述がないか調べていった。その途中で、こんな絵本を見つけた。
沢山のポケモンが楽しく暮らす国を、彼が闇に閉じ込めてしまう話だった。国の中で立ち上がった4匹のポケモンたちによって彼は倒され、国が元通りになって物語は幕を閉じた。
他の絵本や物語にも、彼は何度か登場した。彼は毎回悪役だった。伝説や逸話の中では、彼は悪夢をもたらす悪魔と呼ばれ、嫌われていた。自身の持つ能力が故に遠ざけられる彼を見て、僕は幾度となく溜息をついた。
彼の名は、ダークライといった。
彼に関する本を読む中で、三日月や満月といった記述も見られた。物語の中では悪夢を払うものの象徴として描かれていた。“三日月の舞”なる踊りで周りにいる者全てに癒しを与える、巫女のような存在として読み取れた。
その名を、クレセリアといった。
夢を見てから14日目の夕方、僕は大海原で船に揺られていた。シンオウ地方の最西端に位置する港町、ミオシティの船乗りに「月に関する場所に行きたい」と告げると、定期船の出ている鋼鉄島から更に北に行ったところに、「新月島」と「満月島」という双子の島がある、という話を聞いた。「今日は満月の日だから満月島だろう」と言って、船乗りは快く引き受けてくれた。
満月島までは高速船で一時間とかからなかった。水平線の向こうには、まだ赤い光が残っている。
「ありがとうございました」
船を降りて、僕は船乗りに頭を下げた。船乗りは「いいってことよ」と言って口角を上げた。明日の朝に迎えに来てもらうということで、船乗りはミオシティへ帰っていった。
「なぜここに来たかったかとか、聞かないのですか?」
「“海の男は余計な詮索はしないものだ”って、俺の師匠が言っていたのさ」
帰り際に、こんなやり取りをした。すがすがしい人だな、と思った。
満月島は、夢で見た島とよく似た島だった。違うとすれば、周りが霧で囲まれていないことと、夢の時とは左右が逆になっているということくらいだろうか。少し歩くと、やはり木々のアーチがあった。僕はそこで、月が出るのを待った。あの日手に入れた三日月の羽根は、小さな白の布袋に包んで胸ポケットに入れておいた。
月が空のてっぺんに差し掛かった頃、僕の胸のあたりが微かに熱を持つのを感じた。三日月の羽根を入れておいたポケットだ。袋を引っ張り出して羽根を取り出すと、月の光に反応して淡く輝いていた。そこから一筋の光が、木々のアーチの向こうへ指した。そこへ行けということなのだろう。光に従って、僕は足を動かす。
あの日の夢と同じ、大きな木々に囲まれた空間がそこにはあった。違うのは、水たまりが三日月の形をしていることだろうか。その真ん中に、美しいポケモンが浮かんでいた。
三日月形の頭。丸みを帯びた胴体。左右に弧を描く薄紫色の翼。そして、尾から伸びる美しいオーロラ。そのポケモンが、軽く会釈をして、話しかけてきた。
『来てくれてありがとう。私はクレセリア。あなたたち人間が、伝説と呼ぶポケモンよ』
目の前のポケモンから声が発せられる。間違いない。夢で僕に語り掛けてきた声だ。
「僕はアキ。よろしく」
夢の中で出会った時は出来なかったのと、相手が名乗ったのに自分だけ名乗らないというのも失礼だと思い、僕も名乗っておく。彼女の名前は、図書館で読んだ本で知っていたが。
『あの日伝えたとおり、すべてを話します』
僕は無言で頷いた。クレセリアは静かに目を伏せてから、僕の目を見て話し始める。
『知っているかもしれないけど、彼は、彼は傍にいる者に悪夢を見せる能力を持っているの。たとえ、彼が望まなくてもね』
クレセリアは空を見上げた。僕もつられて顔を空へ向けると、丁度月が空の頂上を横切っているように見えた。
『今日は満月だから、彼はきっと姿を隠しているでしょう。満月の夜は、彼の力が最も弱まるの。その代わり、私の力は最高に高まる。逆に新月の夜は、私の力が弱まって、彼の力は最高に達する』
「僕があの夢を見たのも、新月の夜だったね」
『そう。新月の夜には、私が彼の力を抑えきれなくなってしまうから、時々悪夢を見る人やポケモンが出てきてしまう』
「でも、君は僕を助けてくれたよね」
『悪夢を抑えることはできないけど、悪夢から救い出すことはできる。悪夢を見ているのが誰かわかればね』
運が良かったのだなと、僕はその時はじめて気付いた。クレセリアが僕を見つけてくれなかったら、僕は今も悪夢に苦しんでいただろう。「見つけてくれてありがとう」と、いつの間にか口に出ていた。クレセリアは「当然」という顔をして僕を見ていた。
『彼は、自らの能力のせいで誰かが苦しむことをよく思ってはいない。だから、本土からは離れていて、満月島が近くにある新月島に身を隠したの。満月島に私がいることを、彼は知っていたみたい。』
彼は自ら望んで一人になったのか。僕は少し寂しい気持ちになった。そういえば、本の中でも彼はひとりぼっちだったな、と思い出す。
『初めは私も、彼をよく思っていなかった。満月島と、その周りのポケモンたちが、突然悪夢に襲われたの。三日月の舞を使えば治せたけれど、あれを一度使うと半日は動けないの。とうとう耐え切れなくなって、満月の日に新月島を訪れたら、彼は私にちゃんと話してくれた。彼に悪気がないこと、望まずとも周りの者に悪夢を振り撒いてしまうこと。彼が申し訳なく思っていることも……。だから、私はここにいて、悪夢を抑えることにしたの。それでも、間に合わないことがあって……』
クレセリアは悲しげに眼を伏せた。彼が苦しむことは、彼女にとっての痛みでもあるのだろう。それほどに、クレセリアは彼のことを思っているようだ。心の中でずっと温めてきた質問が、僕の口から零れた。
「どうして、僕に頼んだの?」
『あなたはあの夢の中にいて、彼は悪くないと思ってくれた。あなたなら、彼を理解し、力になってくれるのではないかって。だから、あの時あなたに三日月の羽を託したの』
クレセリアはそう言って、何かにすがるような目で僕を見た。だが、そんな目で見られなくとも、僕の答えは決まっていた。彼の出てくる本を探し当てて読んだ時に、もう決心はついていた。
「僕にできることがあるなら、協力するよ」
『本当!?』
クレセリアの目が輝いて、嬉しそうに鳴いた。声とは違って、耳から直接入ってきた。クレセリアって、こんな風に鳴くんだなと、その時はじめて知った。
「できる限り、ね」
僕はクレセリアの目を見て笑った。クレセリアもつられて笑った――――ような気がした。