It's time to......
チク、タク、チク、タク。
私の体内で時が刻まれる。
チク、タク、チク、タク。
私が起きていようと眠っていようと関係なく。
チク、タク、チク、タク。
遅れることもなければ、走ることもない。
チク、タク、チク、タク。
寸分の狂いもなく、正確に刻まれていく。
そして――――
ホッホー。ホッホー。
早朝五時。私の声で、私の主人は目を覚ます。
「おはよう。いつもありがとうな」
ベッドから跳び起きた主人はそう言って、私の頭を撫でてくれる。いつものことだ、気にするな。そう言って胸を張ってやるのだが、残念なことに、主人には私の言葉が分からない。
ベッドから起き上がった主人は洗面所で顔を洗い、すぐに朝食の支度を始める。同時に弁当箱に米やら作り置きのおかずやらを詰めて、私の分の食事も一緒に用意してくれる。食事は五時三十分から十五分間。食事を済ませると、持ち物の確認をして六時かっきりに家を出る。
まずは最寄りの駅まで歩く。これでだいたい十分くらい。私は主人の肩にとまったり、たまに飛び回ったりしながらついて行く。周りには主人と同じように駅へ向かうサラリーマンらしき人間がたくさん歩いている。ゆったりとした歩調で歩く主人の肩にとまって眺める、急いでも電車が来る時間に変わりはないのにせかせかと動く人間はなかなかどうして、私の目には滑稽に映った。こういう場合は一人だけ違う動きをしている者が目立つはずなのだが、主人の肩から離れて少し高い所から眺めてみても、何故か主人よりも流れる水のように歩く大多数の人間の方が目に付くのである。主人の場所を確認したうえで飛び上がるので、主人を見失うことなどめったにないのだが。駅につく頃に主人が私を呼んで、私は主人の持っている赤と白の球体の中に入れられる。最近は主人が私を呼ぶ前に主人の元に戻るようにしている。球体の中は窮屈だが、人間の波に押しつぶされるよりははるかにましである。
主人が駅についてから電車が来るまでに平均六分。本来はもう少し早く来るのだが、雨や雪、乗客の込み具合によって数分遅れることがほとんどである。駅のホームは人でごった返していて、大抵主人は列の最後尾近くに並ぶことになる。多少窮屈ではあるが、それでもちゃんと電車に乗れるからこそ、主人はそれほど急ぐことなく歩いているのだろう。
電車に揺られること一時間。最期に電車に乗り込んだ主人はスムーズにホームに降り立ち、出口へと続く階段を登る。主人の後からわらわらと乗客が降りてきて、駆け足で主人を追い抜いていく。主人は気にせずそれまでのゆったりとしたペースで歩いていく。
駅を出て五分ほど歩いたところに、主人の勤めている会社はあった。勤務時間は九時からで、主人はそれよりも早く会社に着いて準備をしていた。
九時になると主人は仕事を始める。パソコンに向かって何やら文字を打ち込んでいることもあれば、会社にやって来た人間相手に何かを話していることもある。時には上司に呼ばれて何かを頼まれ、時には部下に呼ばれて仕事の指導をする。こんなことをして何になるのかは私には分からない。ただ、主人が働いているからこそ私は主人の元にいられるし、飯にも困らなくて済むのだということは、主人が何も言わなくとも何となく分かった。
主人が仕事をしている間、私は主人とは別行動をさせてもらう。ずっと赤白の球体の中にいては運動不足になってしまうからといって、主人は会社に着いた時に私を球体の外に出して会社のビルに入っていくのである。主人が仕事をしている様子はビルの窓から中を覗けば見ることができる。最も、そんなことをしていたのは初めだけで、それ以降は自由にぶらぶらとその辺を飛び回っている訳なのだが。
電線の上や建物の屋上といった高い所へとまって、はるか下、アスファルトで固められた道路を眺める。そこを歩く人間も、走る車も、どこか急いでいるように感じた。何をそんなにせかせかすることがあるのか私には分からない。主人曰く、街に生きる者は誰もが時間に追われているのだという。
電車に乗る者は電車の来る時刻に。
バスに乗る者はバスが出発する時刻に。
学校に通う者は授業の開始の時間に。
仕事をする者は出勤時間に。
物書きは締め切りまでの時間に。
さぞ窮屈極まりないことだろう。が、それが人間世界の営みだというのだから仕方がないことなのかもしれない。最も、人間でない私には到底理解できないことであるわけだが。
チク、タク、チク、タク。
私の体内で時が刻まれる。
チク、タク、チク、タク。
私が起きていようと眠っていようと関係なく。
チク、タク、チク、タク。
寸分の狂いもなく正確に。
チク、タク、チク、タク。
遅れることもなければ、走ることもない。
チク、タク、チク、タク。
寸分の狂いもなく、正確に刻まれていく。
そして――――
ホッホー。ホッホー。
私の体内時計が正午を告げる。同時に私は正午を告げる声をあげる。そろそろデスクワークをしていた主人が私の鳴き声を合図に背伸びをして、鞄から弁当箱を取り出す頃だ。といっても、オフィスの外の喧騒の中で鳴く声が、主人のいるオフィスの中まで聞こえることなどまずないだろうから、大方オフィスの壁掛け時計が告げた正午の合図で弁当を取り出すのだろう。食事時間はかっきり二十分。それ以上でも以下でもない。もしかしたら、主人も私と同じように正確な体内時計を持っているのではないかと、時々疑いたくもなる。
窓からオフィスの中を覗き込むと、食事を終えた主人は私が入っていたボールを机の上に転がして、そのまま机に突っ伏して眠り始めた。昼の休憩時間は正午から十三時までなので、それまでは自由な時間である。疲れている時は今のように眠ってしまうのだが、普段はオフィスで働いている人間と談笑している。何を話しているのかは、周りの喧騒ばかりが耳に入るのでまるで聞こえない。
眠っている時の主人は、周りの喧騒からも過ぎ行く時間の流れからも解放されているかのように見える。だが、実際はそうではない。主人がそうして眠っていられるのも、勤務時間が始まる十三時までのことである。それに、時には休憩の時間を削ってまで仕事をしていることもあるから、今日は比較的忙しくない日なのだろう。時間に縛られていないように見える主人も、時間に縛られているのかもしれない。最も、主人がどう感じているのかは、主人の口から洩れない限りにおいて私が知ることは無い訳なのだが。
私のいるビルの外では、相変わらずものすごい数の人間や自動車が道を行ったり来たりしている。朝と比べれば、その動きはゆったりとしているようにも見える。それでもあくまで「朝と比べれば」である。外から見ればゆったりしていても、今私がいる場所からは見えない場所――――建物の中なんかは、私の知らない喧騒に包まれているのかもしれない。
昼時だからだろう、飲食店らしき場所は大概多くの人でごった返している。その一つを外から覗いてみると、ガラス張りの窓の向こうでその店の従業員は休む暇もなく働き続けていた。従業員だけではない。飯を食らう人間たちも、どこかせかせかした印象を抱かせる。休憩の時間すらもゆっくりする暇もなく働いたり、腹を満たすためだけに飯をかきこんだりの生活を毎日続けていては、流石にくたびれてしまうだろう。と思うのだが、これも人間世界の一つの営みになっているようで、私が軽々しく口を出せることではないらしい。
チク、タク、チク、タク。
私の体内で時が刻まれる。
チク、タク、チク、タク。
私が起きていようと眠っていようと関係なく。
チク、タク、チク、タク。
寸分の狂いもなく正確に。
チク、タク、チク、タク。
遅れることもなければ、走ることもない。
チク、タク、チク、タク。
寸分の狂いもなく、正確に刻まれていく。
そして――――
ホッホー。ホッホー。
私は鳴き声で十三時を告げる。窓の外から主人のいるオフィスを眺めると、私の声が聞こえているはずのない主人は突然がばっと跳ね起きて、次の瞬間にはデスクワークに取り掛かり始める。オフィスにいた人間たちも主人と同じように仕事を始めたようだ。私がいる外までは聞こえてこなかったが、オフィスの壁掛け時計の窓から私と同じ姿をした小さな鳥が飛び出して時を告げていた。私が告げた時間よりも三分ほど遅い時間だった。
時間が完璧に正確だったからと言って何と言うわけでもない。主人のオフィスの時計が三分遅れているからと言って、世界が壊れてしまうわけではない。
ただ、これは主人が教えてくれたことだが、大事な会合や締め切りは別だ。少しでも遅れれば信用に関わるし、大事な商談が成立しなくなったりもする。このように守らなければ自分が損をするだけでなく周りに迷惑をかける時間と言うものが存在するらしい。
主人は午前中と変わらず仕事を続けている。主人だけではない。午前中の三時間という勤務時間よりも長い五時間という時間を、このオフィスにいる誰もが何らかの仕事をして過ごしている。どうして四時間ずつに分けなかったのかという疑問もあったが、午前中に三時間、午後から五時間働いても、午前午後共に四時間ずつ働いても、結局働く時間の総量は八時間で変わらないのだからたいして問題は無いのかもしれない。
私は相変わらず、主人のオフィスの外を飛び回って、はるか下に見える道行く人間や自動車を眺めていた。午前中と比べると、人間も自動車も少なく、動きもゆったりとしていた。それが、時間の流れと共に徐々に多くなっていく。日が傾いてヤミカラスたちが寝床へ帰る頃には、人間も自動車もまた朝と同じくらいまで増えていた。ただ、午前中とは違って、それほど急いだ様子は見られなかった。
チク、タク、チク、タク。
私の体内で時が刻まれる。
チク、タク、チク、タク。
私が起きていようと眠っていようと関係なく。
チク、タク、チク、タク。
寸分の狂いもなく正確に。
チク、タク、チク、タク。
遅れることもなければ、走ることもない。
チク、タク、チク、タク。
寸分の狂いもなく、正確に刻まれていく。
そして――――
ホッホー。ホッホー。
私の体内時計が十八時を告げた。そろそろ主人が仕事を終えて、オフィスから出てくる頃だ。たまに残業で遅く出てくることもあったが、大抵は時間きっかりに仕事を切り上げて出てくる。
会社から駅まで歩いて五分。その間にも、仕事帰りのサラリーマンたちが次々と主人を追い抜いていく。その数が朝と比べて少ないのは、勤務時間がばらけるせいなのか、勤務先の仲間と飲み食いしているせいなのか、それとも後は家に帰って休むだけだからなのか。残念ながら私の知ったところではない。いつ、どこで、誰が、何をしていようと、限られた時間の中で生きていることには変わりがないのだから。
帰りの電車も、窮屈だった朝に比べて乗客が少なかった。当然ながら私は主人の赤白の球体の中だが、これなら外にいてもあまり変わりがないかもしれない。ポケモンをあの球体の外に出して電車に乗ってくる人間もいるくらいである。そのポケモンが球体に入ることを拒んでいるだけなのか、そのポケモンの主人が意図的に入れていないのかは分からないが。
一時間電車に揺られて、主人の家の最寄り駅に辿り着く頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。日の長い夏でも、日が短い冬でもそれは変わらない。近頃は街灯があちらこちらに灯っているので、空が真っ暗でもどうということはない。
ここまでやってくると、電車を降りて家路を辿る人間の中に急いでいる者はほとんどいない。といっても全くではないから、やりたいことやすべきことがなにかしらあるのだろう。
与えられた時間は一日二十四時間。これは誰にとっても同じである。その中で、やるべきことをする時間はほぼ決まっているが、後の時間はどう使おうが個人の自由である。やりたいことのために何の時間を削るのか。によって、人間の行動は変わってくるのだろう。
食事の時間?
睡眠時間?
出勤や退勤の時間?
その他の自由な時間?
どれがいいとか悪いとか言うつもりはない。ただ、主人の生きている社会の中では、好きな時に眠って、好きな時に食べて、好きな時に好きなことをすることがほとんど許されない。誰もが皆そんな生活をしていては、今の社会は破綻してしまうからだ。
どこかの島国の長は、近代社会を生きる人々を見て、「時計を壊して、彼らを縛っている時間から解放したい」と言ったそうだ。その島国の人々は誰もが、やりたいときにやりたいことをやってのんびりと暮らしていた。誰もが時計を見てせかせかと動き回る光景は、彼らにとっては滑稽なものだったのだろう。
当然その島国と他の国との社会構造は違うから、世界中の時計を壊してしまえば、世界が混乱の渦に巻き込まれることは必至だろう。
だが、かつては皆そうだったのだ。人間が現在の社会を形成し始める前は、誰もが自由奔放に暮らしていたのだ。朝と夜があって、寿命という制約があることは今と変わらないが、「時間がない、時間がない」と不思議の国の女王に仕えるミミロルのように駆けずり回るようなことは無かったのだ。
そんなことを考えているうちに、主人の家に辿り着いた。
主人は手際よく家の扉の鍵を開けて中に入る。私がちゃんと家に入ったことを確認して、扉の鍵を中から閉める。丁度十九時半。そこから主人は自動給湯器のスイッチを入れて風呂を沸かしつつ、夕食の支度を始める。そして二十時には食卓についている。相変わらず二十分きっかりで食事を終えて、後片付けを終えると風呂に入ってしまう。十分ほどで出てきて、そこから読書に時間を費やして、二十一時には明かりを落として眠ってしまう。
こんな生活を毎日のように続けている主人は、やはり時間に縛られて生きているのだろう。主人曰く、この町に住む人間は、誰もが小さい頃から規則正しい生活をするように親や学校の先生に刷り込まれるのだという。
経験によって体内時計を手に入れた主人とは違って、どういう訳か私の体には、生まれつき正確な体内時計が組み込まれていたようだった。決まった時間になるとそれが朝であろうと夜であろうと、私が起きていようと眠っていようと関係なく、何故か声を上げたくなるのだ。主人が眠っている間も、私の中で時計の針は動き続ける。
チク、タク、チク、タク。
私の体内で時が刻まれる。
チク、タク、チク、タク。
私が起きていようと眠っていようと関係なく。
チク、タク、チク、タク。
寸分の狂いもなく正確に。
チク、タク、チク、タク。
遅れることもなければ、走ることもない。
チク、タク、チク、タク。
寸分の狂いもなく、正確に刻まれていく。
そして――――
ホッホー。ホッホー。
こうして決められた時間を告げる鳴き声を上げる私自身も、時間という名の見えない鎖に縛られて生きているのかもしれない。