雨のち晴れ ときどき虹
ボクにとってあの人が初めてのパートナーであったように、あの人にとっても、ボクは初めてのパートナーだったんだって。それまでは、お母さんやお父さんの顔も知らないまま、どこか分からない場所で人間に育てられたんだ。
その時、ボクはひとりぼっちじゃなかった。そこで育てられていたのはボクだけじゃなかったってこと。
オレンジ色の体に黒い耳、くるくるのしっぽを持つ炎タイプのポケモン、ポカブ。
白い顔に青い体、おなかに黄色の貝殻をつけた水タイプのポケモン、ミジュマル。
そして、ボク。草タイプの僕は、炎に弱くて水に強い。でも、タイプの相性なんて関係なかった。生まれた時から一緒の二匹とは、時々ケンカをするくらいでとても仲が良かったんだ。
「もう少ししたら、新しいパートナーと一緒に、冒険の旅に出るのよ」
笑顔がステキな赤い縁の眼鏡の女の人が、毎日のようにボクたちにそう言っていた。アララギっていう名前の博士のお手伝いさんで、ベルっていう名前の人だったっけ。
ベルさんもポケモンを連れて旅に出たことがあって、その時の話をボクたちにいろいろ聞かせてくれた。まだ外の世界を知らないボクたちは、ベルさんの話に、冒険の旅への期待は募るばかりだったよ。どんな人とパートナーになるのか、どんな冒険が待っているのか。ポカブとミジュマルとボクの三匹で、いつもその話で盛り上がっていたんだ。
ボクたちがパートナーと一緒に旅に出る日。本当は男の子が二人、女の子が一人の三人が来るはずだったのに、ボクたちのところに来たのは二人だった。もう一人――――後のボクのパートナーになる男の子は、寝坊しちゃったんだって。
時間通りに来た二人は、男の子が炎のポケモン、女の子が水のポケモンを選んだ。つまり、ボクは選ばれなかったんだ。
ポカブもミジュマルも寂しそうだった。今まで一緒だったのに、離ればなれになっちゃうんだもの。ボクはできるだけすました顔をしていたけれど、ボクにとっても二匹とお別れをするのは辛かったから、ちゃんと寂しさを隠しておけたかどうかはよく分からない。それ以上に、選ばれなかったってことがショックだったのもあったかもしれないけど。ポカブもミジュマルも、ボクより一足先に冒険の旅に出た。
「何でなのかはよく分からないけど、ここに来る子たちはみんな、ミジュマルやポカブがいいって言うの。君も強くて可愛いのに、なんでなんだろうね」
寝坊したパートナーの子を待つ間、ベルさんが言っていた。ベルさんも、ボクの先輩を選んだんだって。ベルさんと男の子二人の三人で一緒にこの研究所に来て、二人の男の子が先に選んで残った先輩をもらったんだとか。
「最初に選んだ子は、何て名前だったっけ……?彼が最初にポカブを選んでね。そしたら、もう一人の男の子、チェレンはポカブにタイプの相性がいいからってミジュマルを選んだの。それで残ったのが、あなたの先輩だったってわけ」
ベルさんは赤と白のボールを取り出して、ボタンを押して宙に放った。水色の光と共に飛び出したのは、ボクと同じ赤い目をした蛇のようなポケモン。ボクと違うのは、ボクにはある手と足がないっていうこと。蛇足って言葉があるように、蛇には手も足が不必要なんだとこの時はじめて思った。美しくて、気高くて、ボクもこんな風になれるのかと思うと胸が躍った。
ボクがベルさんのポケモンに見とれていたら、研究所の扉が勢いよく開いて、外から一人の男の子――――あの人が飛び込んできたんだ。
「おはようございます!遅くなりました!」
って叫びながら。で、ボクを一目見て、
「お前が俺のパートナーだな。よろしく!」
って。文句も何も言わずに、ボクを連れて行ってくれた。どうしてって聞きたかったけど、ボクの言葉があの人には分からない。でも、
「オレ、ずっと楽しみにしていたんだ。ポケモンと一緒に旅に出るのをさ」
と言っていたから、正直誰でもよかったのかもしれないとその時は思った。
「決めてたんだ。最初の三匹の中なら、お前を選ぶって」
その後の言葉を聞いて、そんなことを考えた自分はバカだったのではないかと思った。
「何でって顔してるな?理由はただ一つ――――好きだからさ」
草タイプの僕は、炎タイプのポカブや水タイプのミジュマルと比べて弱点が多い。でも、そんな相手と戦うために、ボクにいろんな技を教えてくれた。
炎タイプ相手には、水タイプの“アクアテール”、氷タイプ相手には鋼タイプの“アイアンテール”、虫タイプ相手には、飛行タイプの“つばめがえし”。
毒タイプと飛行タイプに対しては有効な技を覚えることができなかったけれど、攻撃の途中に毒に侵されないためにと“アイアンテール”を使うようにしたり、飛行タイプのポケモンには、“へびにらみ”で麻痺させたり、“グラスミキサー”で目隠しをしたり。苦手な相手と渡り合うための方法を、彼は沢山教えてくれたんだ。
ボクは少しでもあの人の期待に応えようと、自分でもびっくりするくらい頑張った。戦いの練習はとっても辛かったけど、あの人の為に強くなろうという気持ちの方が上だった。だから、どんな戦いだって、あの人となら乗り越えられると思っていたんだ。
だけど、現実はそう甘くはなかった。
最初のジム戦で、僕は負けた。といっても、彼が負けたわけじゃない。彼はボク以外にもポケモンを持っていて、ボクが勝てなかったポケモンはボク以外のポケモンが倒したんだ。
ボクが倒れてしまった時のあの人の顔は、今でも忘れない。悔しくてたまらないような表情の中に、ほんのちょっぴり失望の色が混ざっていた。あれだけ練習したことができないのかと、ボクを責めるように。
あの人の作戦は完璧だったとボクは思ってる。相手のバオップの“ひのこ”を躱して懐に飛び込み、そのまま“アクアテール”。元々草の体を持つボクが、未完成の“アクアテール”で“ひのこ”を弾ききれないのは、ボクもあの人も分かっていたから。
あの時躱しきれなかった”ひのこ”が燃え上って、ボクがあたふたしていなかったら、勝てた相手だった。あの時もっと冷静になって、“アクアテール”を当てることだけを考えてうごいていたら。考えることはできても、体が思うように動かなかった。後悔は後に立たないまま、最初のジム戦は幕を閉じた。
それからだ。あの人がボクをバトルに参加させなくなったのは。
ジムはあと七つあるはずだった。でも、ボクは一度も戦わせてもらえなかった。相手の姿や技にすぐに怯えて足がすくんでしまう臆病なボクを、バトルの場に立たせても役に立たないと判断したんだと思う。
あの人がボクの訓練にかける時間は日に日に減っていった。
名前を呼ばれる回数すらも減っていった。
ボクはボクのまま、新しい姿になることもなく、赤と白のボールの中で退屈な時間を過ごした。
そして、あの言葉。
「戦力外だ」
耳を疑った。同時に、何故かしっくりきた。あの人は、戦わせても役に立たないポケモンをいつまでも手持ちに入れてくれるようなトレーナーじゃなかったんだ。
あの人の手持ちには、ボクより体が大きくて、力が強いポケモンがたくさんいた。
ボクが見たことのないポケモンもたくさんいた。
ああ、単にバトルに勝ちたいだけなら、僕よりも適任がいるんだ。認めたくはなかったけど、認めざるを得なかった。まともに戦ったら、あの人の他のポケモンに勝てるとは思えなかったから。
あの人はボクを、研究所に送り返した。パソコンっていうものの中にボールごと入れられて、ちょっとの間ふわふわした感覚に襲われたと思ったら、もうボクはボクですらなかった。
0と1に還元された世界。その中を、同じく0と1だけで構成されたボクが入った、0と1でできたボールが飛んでいく。それは、あまりに奇妙な感覚だった。
気が付いたら、見慣れた研究所の風景が目の前に広がっていた。そこに、あの人の姿は無かったんだ。
もっと一緒に居たかった。あの人と一緒に戦いたかった。でも、もうそれも叶わないのかな?
「好きだから」
そういってくれたあの日のあの人は、もういないのかな?
***
それ以来、ボクは研究所で、ベルさんのお手伝いをしている。バトルをすることはなくなったけど、今の姿でもできることは沢山あるから。
でも、いつまで経ってもあの人の顔が頭から離れない。冷たく突き放されても、初めてボクを好きと言ってくれた人だから。
「きっとそのうち帰ってくるよ」
ベルさんは言った。何故そんなことが言えるのだろう?首を傾げて見上げると、ベルさんはどこか遠い所を見る目で窓の外を眺めながら、ボクの頭を撫でてくれた。
「誰でもね、初心に帰らなきゃって思うことがあるのよ。頂点を目指して戦っていく中では、どうしても強さに ばかり目が行ってしまう」
心なしか、ベルさんの表情が少し悲しげに見えた。
「でもね。バトルして、勝ったり負けたりする中で、誰もが旅を始めたあの頃に戻りたいって思うんじゃないかなって、私は思うわ。」
ベルさんの表情が一気に明るくなる。いつも通りの素敵な笑顔で、ボクを慰めてくれる。
あの人もそうだったなと、記憶の隅で欠片が疼く。最初のジム戦で負けるまでは、どんなにつらい時もあの人が笑顔で励ましてくれた。今はもう、その笑顔を見ることはできない。
ボクを研究所に送り返す前、強さばかりを追い求めるようになったあの人の表情からは、笑顔が消えていた。ボールの中からだったからはっきりとは分からなかったけど、辛そうな顔をしていたようだった。
あの人は今、どんな顔をしているのだろう?
あの時みたいに、辛そうにしているのかな?それとも、初めて出会った頃のように、笑顔でいるのかな?今の僕には分からないけれど、あの人には笑顔でいてもらいたいなって思ってる。
捨てられて、ずっと会っていないのに何でかって?
きっと、ボクはあの人が好きなんだと思う。恋仲とかそういうのじゃなくて、ボクにとって大切な人だっていう意味で。
初めてボクを好きだと言ってくれた――――
初めてボクに名前をくれた――――
初めて一緒に戦った――――
好きなだけでは、厳しいバトルの世界を勝ち抜くことはできないって。分かっているからこそ、ボクはあの人の気持ちが分かる気がする。ちょっとした傲慢かもしれないけれど、あの人が戻ってきてくれるなら、そして僕をまた旅に連れて行ってくれるなら、喜んでついて行こうと思ってる。
だからこそ、あの人がいつ戻ってきてもいいように、僕は技の練習を欠かさなかった。ベルさんのお手伝いの合間に、あの人に教わった技を一通り試す。見えない相手を想定して、ジム戦の時に見たバトルフィールドを地面に思い描いて、一つ一つ全力で。短い間だけど、あの人と築いた絆を確かめるように。
いつも通りの毎日。いつも通りの作業。寂しさすらも忘れかけていた頃。
バタンと、研究所の入り口が開く音がした。
「エール君!?突然どうしたの?」
驚いたようなベルさんの声。だけど、ボクが驚いたのは声じゃない。エールという名前。
ボクを連れて旅に出た、ボクを好きだと言ってくれた、あの人の名前。
「あの、以前送ったツタージャなんですが……」
ボクは迷わず飛び出した。ベルさんに頼まれた道具整理をほっぽり出して。あの人の、エールの声のする方へ。
「元気にしているわよ。あなたが帰ってくるのをずっと待っていたみたいに」
ベルさんが、ボクが言いたいことを代わりに伝えてくれている。人間に伝わる言葉を話せないボクの代わりに。だから――――
「タ〜〜〜ジャ!!」
気が付いたら、あの人の胸に飛び込んでいた。胸の奥から熱いものがこみ上げて、それは僕の大きな目から溢れ出した。
あの人の大きな手が、ボクを撫でてくれた。あの頃みたいに、軽く、優しく。
「ごめんな、バイン……初めての相棒だってのに、見限って、送り返して……」
久しぶりに、エールは名前を呼んでくれた。初めて会った時に付けてくれた、「蔓」という意味の名前を。
ボクの頭に、暖かい水がしたたり落ちた。顔を上げると、エールも泣いていた。
涙が止まらなかった。今までため込んでいた気持ちを全部洗い流してくれるみたいに、心の雨は止むことを知らずに降り続ける。
でも、ボクには見えていた。分厚い雲の向こうから、一筋の光が差しているのが。
雨はじきに止む。その後にやってくるのは、分厚い雲を払って輝くお日様の反対側――――
「また、一緒に戦ってくれるか?」
「タジャッ!!」
エールとボクの心に、一筋の虹の橋が架かった。
***
半年後、ボクはエールに連れられて、ある人の元を訪れた。何でも、エールが最後に負けた人なんだって。
ボクはそこで、ボクにとっての天敵と向かい合っている。相性だけで言えば、明らかにボクが不利だ。進化して、憧れの姿になった今でも、正直言うと怖い。
でも、不利な状況を補えるくらいに、ボクはエールと一緒に頑張ってきたから。エールと一緒なら、どんなに高い壁でも、ぶち壊していける。エールと再会して、改めてそう思ったから。
「行けっ、バイン!お前の力、見せてやれ!」
エールの
声援を背中に受けて、ボクは素早く動き回る鮮烈な黄色と黒のしましま模様に、渾身の“つばめがえし”を放つ。