謎の病気
毎日毎日掃除をしていても、やはり毛玉の塊のようなオオタチを飼っていれば埃は嫌でも溜まっていく。
穏やかな日差しに包まれ、しんと静まり返ったミアレ郊外の高級住宅街。
働き盛りの人間たちは皆ミアレ中心部に働きに出て、外には全くと言っていいほど人の姿は見られない。時折見かけるのはポケモンと散歩に出かけている老人の姿くらいだろうか。
マメパトやヤヤコマが道路の上をぴょんぴょん跳ねながら歩いたり、ビビヨンが木陰で休憩をとったりしている光景は、実に平和で、大人しいものだ。
一応ちゃんと整備された道路はあるが、平日の真昼間は滅多に車など通らない。
そんなベッドタウンの典型の様な所の二階建ての一軒に、公務員職の夫と共に住んでいるノザキ ユカは、今日も日課の清掃をしていた。
「さて、はじめようかしら」
洗濯を済ませ、後残っている仕事はこれのみ。
しかし、彼女の場合は何よりも大事な仕事である。
掃除機をかけるだけではない。タンスや棚の上のちょっとした埃を拭き取り、オオタチのキナコが倒したインテリアを直し、窓を軽く拭く。
夫には潔癖症だとか笑われるが、彼女は家の中にゴミがあるということに関してはどうしても我慢がならなかった。
「ふぅ...」
一通りの事は終わった。
後はキナコのポケモン用のベッドを洗濯するだけだ。
キナコのお気に入りのベッドは、オオタチが寝そべるだけあって大きな物で、人間の衣類とは別に洗濯しなければならなかった。
「キナコ!キナコ!!」
キナコの名前を呼びながら、ユカは二階へと上がった。
そして、階段の上り口を右に曲がり、短い廊下の奥にあるドアを開ける。
日向に寝そべるオオタチが一匹、窓の側でうずくまっていた。やっぱりここだったか。
この部屋は日差しがよく入ってくる明るくて温かい部屋で、キナコが大好きな場所でもある。
キナコは割と動くことが好きなオオタチで、リビングでポケじゃらしでじゃれたり散歩に行くことは多い。
しかし、寝ている時は必ずこの部屋だった。
「ねえ、キナコ。洗濯するから、ちょっと退(ど)いてくれない?」
茶色いしましました細長い背中に、優しく声をかける。
が、キナコは動かない。
「キナコ?それ洗濯しなくちゃいけないからさ、ね?」
それでも、動く気配は無い。きっと熟睡しているのだろう。
「はぁ...仕方ないわね」
無理矢理起こされて不機嫌になるだろうが、退いてくれなければこの毛まみれのベッドを洗濯することはできない。
ユカはキナコの細い胴に腕をまわし、抱きかかえるように持ちあげた。
「よいしょっ」
細い癖に三十キロを超えている体を浮かせるのは大変だが、慣れていればあまり苦ではない。飼い始めた頃よりは軽く感じるくらいだ。
温かい、ふさふさの感触が腕に触り...
「キナコ...?」
いつもは嫌がって抱えた腕から離れてしまう筈なのに、今日は変に素直だ。抱えたままずっと抱かれている。
「キナ...コ...?どうしたの...?」
いや、違う。大人しく抱えられていたわけではなく、キナコは腕の中でぐったりとしていた。
「大丈夫!?キナコ!?」
いつもは綺麗な筈の毛並みが、まるで何者かに逆撫でされたようにぼそぼそになっている。
所々薄くなってしまっている個所もある。
短い腕は力無く垂れ下がっていて、顔色も良くなかった。
突然のキナコの変貌に、ユカは慌てふためいた。
「ポケモン...ポケモンセンターへ電話しなきゃ...!」
「はい...そうですか.........わかりました。では」
ミアレのサウスサイドストリートに面したポケモンセンターは、今日も数多のトレーナーで賑わっている。
だが、今日は少し様子が違う。
トレーナーどれ一人を見ても、その表情は暗く、不安の表情を浮かべている。
診療スペースは、たくさんのポケモンが横たわるベッドで満員状態だった。
その間を縫うようにして、ジョーイや医師たちが走り回っている。
広いポケセン内の、とある診察室。
「あのー、ノザキさんの所のキナコちゃんも『例の病気』にかかってしまったみたいで...」
「やれやれ、またか。いったい今日で何匹目だ?」
その隅の方にあるデスクのそばで、一人のジョーイと医師が話していた。
黒い髪はぼさぼさで、顔は小顔、イケメンと言われればそうかもしれないが、顎鬚を剃っていない事で少し外見の質が落ちてしまっている。
そんな彼、サクライ ヒトシは、ミアレシティサウスサイドストリートポケモンセンターに所属しているれっきとした獣医師だ。
二人の立つ診察室の隣の入院スペースに溢れ返るポケモンたちを覗き見ながら、ヒトシはジョーイに言った。
「病原菌一向には発見されない、体そのものに異常は無い、でも同じ症状を訴えるポケモンが後を絶たない。何なんだこの病気は」
「さあ...過剰グルーミングや、ひどい子は嘔吐まで... でも、ポケモンセンターも
国際獣疫事務所も原因はいまだにつかめていないんですよね」
「ああ...原因が分からなきゃ薬も作れない。大体前例がないんだ。まるで降って湧いたようにな...」
少し前から見るようになったこの病気。
さまざまな研究機関が必死に原因を追及しているが、まったくもって良い報告は無い。
そんな間にも感染したポケモンは増え続け、いまやカロス全体に広まってしまった。
ジョーイが困惑顔で言った。
「もうベッドが空いてませんよ」
「言われなくても分かってるよ。メディオプラザのポケセンはまだ余裕はあるだろう。そっちに回してくれ」
事実、ここのポケモンセンターのベッドは満員状態で、ポケセン内に置いてあるソファまで苦しむポケモンたちが横たわっていた。
これからここに来たポケモンたちは、別のポケモンセンターへと回されるだろう。
いや、もしもカロス全体にこの伝染病らしき病気が蔓延しているのだから、複数のポケモンセンターを
盥回しにされるポケモンも出てくるはずだ。
「では、私は仕事に戻るので...」
ジョーイが忙しくベッドの合間を縫って行くのを見届け、ヒトシも近くのポケモンの診療を始めた。
今、自分に出来ることは、その場で出来る最善の事。
一刻も早くこの病気の根源を突きとめ、ここにいるポケモンたちを救うことだ。それが獣医師に課せられた使命であり、義務である。